古言衣延辨

凡例

古言衣延辨

楫取ノ魚彦が撰べる古言梯といふ書はいにしへの假字(かな)の今の世の人の詞にまぎらはしき限を集め擧て歌よみ(フミ)かくに便よきものなり。 然るに五十連(イツラ)の音の()行の(ア行のえのひらがな) ア行のえのひらがなは阿行のえの片假字(カタカナ)なり。 片假字に阿行のえなき故、假に此形を設けぬ。 委しくは下にいへり。 ()行の()を同音として(ヒト)つらに載たるはなほいまだしきわざなりけり。 およそいにしへの假字の用ざまは近き世に難波の契沖法師はじめて見出して和字正濫鈔といふをつくれりしよりづきづきに物しれる人多く出て其すぢの事どもいや委しく考へ定めたれば今は大かた殘れるくまもあらず成にたるを、此阿行の衣と夜行の延の異なるを見出せる人のなきこそあやしけれ。 おのれかねてより其差別(ケヂメ)あらん事をおもひて、富士谷ノ御杖ぬしにもかたりけるに、考なしとぞいへりける。 ただし御杖ぬしの隨筆に天地のうたにえもじ二ツあるをいひて阿行夜行のえ也といへれど、猶其差別をえわかたざるになんありける。 されば、おのれ猶年月心をとどめてこれかれ見るに、古事記書紀は更にもいはず、およそ延喜天暦の頃よりさきつかたの書どもには皆此阿行夜行のわかち有て聊も誤る事なかりしを、 これによりて思ふにかの天地の歌は半より末、何の事とも聞ヤ行のえがたけれど、「えのヤ行のえ」とあるは必「榎の枝」なるべく覺ゆ。 然る時榎は阿行、枝は夜行也。 其後漸に亂れ來て今は絶てしる人もなくぞ成にたる。 近き世にさばかり名高かりし賀茂眞淵ぬし本居宣長ぬし富士谷御杖ぬしなどそら此差別を辨へず、古書を解る中などにもまま誤れる事こそ見ヤ行のえたれ。 されば今其紛れ來し詞どもをば古事記書紀等正しき書どもにより古言梯のついでに隨てこれを辨へ、魚彦が漏せる詞どもをも見るに隨ひ、かつがつ擧て歌よみ物かく人を驚かしむるになむ。

今の世草假字(ヒラガナ)に用る「え」は「衣」の草書にて阿行也。 「ヤ行のえ」は「江」の訓にて古書の假字には「延」「曳」などか用て夜行也。 然るにヤ行のえは字音にあらざる故、近世の國學者は用ることなく、「え」或は「延」など通はして用るなり。 片假字(カタカナ)の「エ」は則「江」の(ツクリ)なればこれも訓にて夜行なり。 片假字に阿行の「え」なし。 されば、今草假字には阿行に「え」、夜行に「ヤ行のえ」、片假字には阿行に「ア行のえのひらがなこれ衣の畧字也夜行に「エ」を用う。 「ヤ行のえ」「エ」ともに訓なれども、音訓交へて用る事も奈良の朝以來の例なれば嫌ふべきにもあらじかし。

和名鈔は古言を多く集めて據とすべきものなるを、「衣」「延」紛れたるの多かるぞいと口をしき、新撰字鏡は寛平の頃撰べりといへるもしるく、「え」「ヤ行のえ」のわかちも(オゴソカ)なるを、古言梯にひけるは「ヤ行のえ」ノ字の其音ならざるを嫌て皆「え」にかへて出せる、はたあかぬわざなり。 今これらをも悉く擧げて字鏡の正しきに復しつ。

五十連音のうち、阿夜和(アヤワ)の三行は喉音にて其夜和の二行は則阿行より出たる事、宣長ぬしの字音假字用格(カナヅカヒ)にいへるがごとし。 然るに伊宇衣の三音は各二づつあるを、古書に衣延のみ差別ありて、伊宇の二音は夜行和行も異なる事なし。 其故いかにといふに、夜行はもと阿行の五音の上に各伊もじを加へたるもの故、 イ-ア() イ-イ() イ-ウ() イ-ア行のえのひらがな() イ-オ() となり、和行は宇もじを加へたる故、 ウ-ア() ウ-イ() ウ-ウ() ウ-ア行のえのひらがな() ウ-オ() となる事はた假字用格にいへるがことし。 されば、其夜行の伊は伊に伊の同音重なり、和行の宇は宇に宇の同音重なる故、各もとの阿行の伊宇のままにてかはる事なき也。 凡そ五音の輕重を言ふ時は 伊(輕)(輕中重)(中)(重中輕)(重) となる事、宣長ぬしのいへるがごとくにて、其重中輕の()は和行にわかれて()となれば、輕中重の衣も必其差別あるべき事を(サト)るべし。 其阿行と同くかはらぬものは輕重の二音にて、餘の三音は阿夜和三行ともに異なりと知べし。

阿行の五音に各衣を冠せたると於を冠せたるとの音は夜行和行に(カヌ)る故別に音なしと宣長ぬしいへり。 然るに之は阿行に攝るかと思はるる事あり。 猶よく考へて後いふべし。 たとひ宣長ぬしのいへるが如くなりとも、其同音の重なるものは阿行に攝べく、又夜行和行の伊宇ももとより阿行に攝れば、其餘夜行和行に攝べきはただ三音づつにて、二行を合せて六音なるべき也。

後世の詞に「れ」といふを古言には「ヤ行のえ」といふものあり。 「わすられぬ」を「わすらヤ行のえぬ」萬葉「和須良延努」といひ、「ねられぬ」を「ねらヤ行のえぬ」萬葉「禰良延奴」といふ類也。 之らの類の「ヤ行のえ」は皆「ゆ」「ヤ行のえ」と働きて、夜行の「ヤ行のえ」也。 見ヤ行のえ、聞ヤ行のえなどいふと同じさまの語なり。 末に擧ざる故、今ここにいふ。

末に擧る詞どものうち、衣と延をわきがたきも多かるを、今一わたり古き書どもよく考てわかち得ん詞もあるべく、はた此詞どもの外にも古き書ども(ツブサ)に考へ遍く探らば猶載べきものもあるべけれど、暇なければさしも得せず。 世ののどかならん人補ひ加へてよ。 又諸國郡郷の名いにしへの神々の御名人の名などすべてなずらへ(シラ)るべき類はみなもらせり。 其假字に就ておして心得べき也。

阿行の五音は聲の(オコ)る初にて自然の音なる故、言に(ワタリ)ても多くは其語の頭に在て、語の(ナカ)ら又は終にあること稀なり。 たまたま半より下にあるは皆二語の重りて一言と成たるもの也。 今、衣と延の詞どもをわかつにも衣の詞阿行の衣の部にのみ多くて、他の部なるは大かた皆延なるを見るべし。 又すべての音の韻はみな阿行也。 或は他の行の詞を音便に喉音に唱るものも皆阿行也。 之はた阿行は自然の音なる故なり。

歌よむに字餘りの句は其句の(ナカ)らの詞の頭にあいうえおの音ある時に限れる事、宣長ぬし成章ぬしなど(アゲツラ)ひ定めおけり。 しかるに此五音のうちにえもじのみには其例なきを宣長ぬしは其故考がたきよしいへり。 おのれ御杖ぬしにこれを問しにただおのづから詞のより來ぬなめりといへりき。 今之を思ふに、常に歌詞に用るものは多く夜行の延也。 阿行の衣は其詞いと稀にして、古事記書紀萬葉などにも纔に數るばかりならでなければ、古歌に見ヤ行のえぬもうべなりけり。 されば今の人字餘りの句をよまむとならば阿行の衣の詞はよりくるにまかせてよみ出とも事なかるべし。 夜行の延の詞は必よむべからず。 ただし、古風の歌はこの限りにあらず。

おほよそ古書の假名遣はすべていと正しくみだりならず、同音の假字も其言葉によりて用る字ども定めありて、是はかれと通はし用ることはなかりし事、宣長ぬし既にいへるが如し。 然れば、此衣と延ももとより同音にてただ其假字を用るに差別あるのみなるべきかと思ふ人もあらんにや。 然れども、阿行の「え」と夜行の「ヤ行のえ」は、今人口に唱見ても其差別しるき物を、ましていにしへ人は同音の假字をすら詞に隨ひ用ゐ誤らざりしばかりなれば、此たがひをわかずしてあるべきかは。 新撰字鏡には同音の假字二つ三つも通はしつかへるも多きを、衣と江は一つもまじへ用たるものなきを見よ。 これ其音の異なるゆゑなり。 又古書に同音の字にて用ざま差別あるものどもも、みなかならず故あるべけれど、いまだ委しく考ざれば爰にいはず。 ただし、今の京となりては衣延の音すらやうやうに差別なくなりにたれば、歌にまれ文にまれ近世のさまに物せんには猶みなとてもかくてもゆるさるべきか。 古風をまねばんには衣と延はかならずよく心得てみだりに用うべからず。

近年、村田春海の門人、高田與清といふ人、樂章類語章といふものに、近頃古學者の物の次第を立るにいろは歌は高野大師の手になれるを嫌ひて、ともすれば五十連の序によるはあるまじき事とて笑へり。 然れども、五十連の序は其音みな類をもて集めたれば、これをもて序でたる書は其事を探るにいと便よし。 いろは歌は音の類を集めたるに非ざる故、五十連音を覺ヤ行のえ得たるうへにては中々に便りあしき也。 五十連音をも知ざる程のものの古學をいふべきにもあらざれば、猶これによりてこそ序づべけれ。 近世の古學者も必しも高野大師の手になれるを嫌へるからにもあらじをや。 魚彦が古言梯も五十連をもてついでたれば、かく辨へおくになむ。

阿行の假字

萬葉二に「安見兒衣多利(やすみこえたり)」、十五に「衣弖之可母(えてしがも)、「安里衣牟也(ありえむや)」、藥師寺佛足石の碑に「和禮波衣見須弖(われはえみずて)」、「衣賀多久阿禮婆(えがたくあれば)」などとあり。 此れらの()は皆()にて得は「え」「う」と働く詞なれば阿行也。 字鏡には阿行に都てこれを用たり。
衣と同音の字也。 萬葉二十に「依志米之(えしめし)」とあり。 「()()」なり。
萬葉五に伊麻勿愛弖之可(いまもえてしが)」とあり。「今も得てしが」なり。
古事記上卷に「愛袁登古(えをとこ)」とある「愛」を、書紀の一書に「可愛()」と書してその中に、「可愛此」とあれば愛と同音也。
信濃・加賀、郷名に英多(えた)あり。 和名鈔、信濃には「衣太」、加賀には「江多」とあり。 英は於驚の切にて、志摩の英虞(あご)は「阿呉」、美作の英多(あいた)は「安伊多」、備中の英賀(あが)は「阿加」などあれば、阿行に屬すべきなり。
和名鈔、薩摩郡名に「穎娃江乃」とあり。 是れ()を「紀伊()」、()を「囎唹()」と書る類にて、()の郡也。 娃は穎の韻に用たるなれば、阿行の「え」也。 注に乃の字あるは誤りなるべし。 和名鈔は衣延の差別なければ、引べきに非れども諸國郡郷の名は奈良の御代に定りしなれば據に足れり。
和名鈔、備中郷名に「弟翳()」とあり。 是も翳は()の韻にて阿行のえ也。
榎(訓)
萬葉三に「墨吉乃得名津爾立而(すみのヤ行のえのえなつにたちて)」とあるを、和名鈔に「榎津以奈豆」とあり。 武藏にも榎津ありて、これは「衣奈津」とあり。 又新撰字鏡に「柃」「」をともに「衣乃木(えのき)」とあり。
荏(訓)
和名鈔、麻類に「荏和名衣」と見えたり。 新撰萬葉集下に得こそを「荏許曾(えこそ)」とあれば阿行也。 又古事記中に「山代之荏名津比賣(やましろのえなつひめ)」あり。 これ前の攝津の(えなつ)と同語なれば、これも阿行の證とすべし。
得(訓)

夜行の假字

古事記・萬葉に「(ヤ行のえ)」「(きこヤ行のえ)」「(ヤ行のえ)」などに多く此れを書り。 皆「ヤ行のえ」「ゆ」と働く詞にて夜行也。
萬葉に「(ヤ行のえ)」「(きこヤ行のえ)」などに此れをも書り。
書紀に「(ヤ行のえ)」「(きこヤ行のえ)」などに此れを書れたり。
萬葉に「(ヤ行のえ)」「(ヤ行のえ)」などにこれを書き、續後紀及び延喜式の祝詞にも「(さかヤ行のえ)」「(きこヤ行のえ)」「(わか)ヤ行のえ」などにこれを書り。
江(訓)
萬葉に「入江(いりヤ行のえ)」を「伊里延(いりヤ行のえ)」と書き、「()ヤ行のえ」を「古江(ヤ行のえ)」と書り。 字鏡には夜行に都て江を用う。 新撰萬葉も同じ。
吉(訓)
萬葉に(ヤ行のえ)しも」を「要志母(ヤ行のえしも)」と書き、「墨江(すみのヤ行のえ)」を「住吉(すみのヤ行のえ)」と書り。 又書紀に「(ヤ行のえ)けむ」を「曳雞武(ヤ行のえけむ)」と書れたり。
枝(訓) 柯(訓)
古事記書紀萬葉に(ヤ行のえ)を延と書り。 又萬葉に「()(ヤ行のえ)(ワスラ)」を「忘枝沼(わすらヤ行のえ)」と書り。
兄(訓)
萬葉に「百枝(ももヤ行のえ)」を「百兄(ももヤ行のえ)」と書き、(ヤ行のえ)」を「奴要(ヤ行のえ)」又「宿兄(ヤ行のえ)」と書り。 又三代實録童謠に「大枝(おほヤ行のえをこヤ行のえ)」と有て、「識者以(らく)大枝(おほヤ行のえ)大兄(おほヤ行のえ)」と見ゆ。
柄(訓)
萬葉に(ヤ行のえ)に柄をも書り。
穎娃 二字一音 薩摩郡名
穎は餘頃の切なれば夜行とすべし。

古言梯阿行 延に(つく)べき詞は夜行に分ち出せり

ヤ行のえ(肖)
書紀「肖、此阿叡
あこヤ行のえ(矩)
新撰字鏡「矩岠足角也。阿古江」。
あをひヤ行のえ(竹刀)
和名鈔「阿乎比衣」。後世「あをひゆ」ともいへば夜行なるべし。
ヤ行のえ(いゆ)(愈)
いぬえ(香葇)
和名鈔「以沼衣」。犬荏(いぬえ)なるべし。
いばヤ行のえ(嘶)
和名鈔「以波由」。
いはくヤ行のえ(岩崩)
萬葉「伊波久叡」。書紀に「以播區娜輸(いはくやす)」ともあり。
えぞ(蝦夷)
愛瀰詩(えみし)の畧なれば阿行也。
えた(英多)
信濃加賀郷名。
えち
近江郡名(愛知)、遠江郷名(依智)ともに阿行。
えひ(
字鏡「編平魚。衣比。
えひ(
字鏡に「衣比」。和名鈔に鱏を「衣比」とあるは是か。又字鏡に「鯷也。魚子衣比。」とあるは固より異なるべし。
えび(鰕)
字鏡に「小鰕。衣比。」とあり。をも「衣比」とあり。同物か。
えだち(役立)
下にいへり。
えつぎ(課役)
書紀にかく(よめ)り。宣長謂く、「え」は役立(えだち)、「つぎ」は(みつぎ)也。此「え」は(えやみ)の「え」と同じかるべしといへり。今これに據る。
えつり(蘆雚)
書紀「哀都利」。字鏡「()の衣豆利」又「衣豆利」。
えひら(蠶薄)
和名鈔「衣比良」。衣延分ちがたし。姑く爰に擧。
えびす(蝦夷)又(夷)
書紀「愛瀰詩」。字鏡「を衣比須久佐」とあり。夷草なるべし。
えやみ(瘧)
字鏡「痎瘧也。衣也三」。
えやみ(疫)
和名鈔「衣夜美」。梯に疫の字音なるべしといへり。是れ眞淵の説なり。宣長に、字音にあらず本よりの古言にて課役をえつぎと讀るえと同源也、此「え」は(あて)(つづま)りたる言か、といへり。上の瘧は衣なれば是れも同じかるべきか。(あて)を約めても衣となれば今爰に入る。
えかばら(痞)
和名鈔「衣賀波良」。衣延定がたし。姑く爰に擧。
えならぬ
萬葉十八「(こふ)といふは衣毛名豆氣多理(えもなづけたり)いふすべのたづきもなきは吾身(あがみ)なりけり」とある此二の句は戀としも名づけ得たるは猶淺かりけりといふ意にて、()()也。「えならぬ」の「え」も是と同意にて物に(めづ)る餘りにえいふべき限にあらずといふ意にて阿行の詞なるべし。
えびすね(地楡)
和名鈔「衣比須禰」。えびす草の例。
えびすめ(昆布)
和名鈔「衣比須女」。夷海藻(えびすめ)なるべし。
えめむし(
字鏡「衣女蟲」。
えをとこ(可愛少男)
古事記上卷に「愛袁登古愛袁登賣(えをとこえをとめ)」とあり。此「愛」を書紀には「可美」と書れ、一書には「可愛」と書れて、注に「」と見え、「可愛()之山」注にも「」と見え、又萬葉にも「左佐良榎壯士(ささらえをとこ)」と云こと有て、其左注には「左佐良衣壯士」とあれば彼此ともに阿行に(きはま)れり。然るに書紀又の一書に善少男(えをとこ)と書れたる故、宣長が古事記傳に(ヤ行のえ)の意として説けり。然れども(ヤ行のえ)は「よ」に働て夜行なれば、若其意ならんには愛哀埃などの字は書るまじき事なり。是等の字を用られたれば必(ヤ行のえ)の意に非じ。書紀に「可美」とあるを思ふに此れは「うまし」と云と同意の語なるべし。同書に「可美葦牙彦舅尊(うましあしかびひこぢのみこと)」の「可美」を注して「此云宇麻時(うまし)」とある是也。「宇麻」の「麻」を省て宇を衣に轉じたるなどと云には有べからず。其言の本も知がたけれども彼處(かしこ)此處(ここ)も可美と書れたるは其意同じき故なり。それ即よき男といふ意なる故一書には「善」とも書れたるもの也。「善」と書れたるを以て(ヤ行のえ)の意とは見るべからず。書紀には如斯(かく)紛はしき書ざまも多く見えたり。されば此「善」の字は「可美」「可愛」と書かれたるも同じ義にて「ヤ行のえ」の假字には非ずと知るべし。因に云、書紀に見えたる「可愛()之山」を宣長は薩摩穎娃(えの)郡に在べしといへり。然れども穎の字は夜行に(つく)べければ、可愛()とは音異なり。此説も誤れり。
えをとめ(可愛少女)
上にいへり。
えくるしゑ
書紀に「愛倶流之衞(えくるしゑ)」とあり。 此「()」は歎息の聲也。今の世にも惡み嫌ふことの甚しき時えゝと云是なり。
えびかづら(紫葛)
和名鈔「衣比加豆良」。字鏡に木防己を「佐奈葛(さなかづら)一云神衣比(かみえび)」とあり。
えびすぐさ(えびすぐすり)(芍藥)
字鏡に「衣比須草」。和名鈔には「衣比須久須里」とあり。字鏡には又を「衣比須久佐」と見え、和名鈔には决明を「衣比須久佐」とあり。
えやみぐさ(龍膽)
和名鈔「衣夜美久佐」。瘧の例による。
えびまらむし(蠖)
字鏡「桑蟲也。也。屈伸蟲衣比萬良蟲マタ止加介」。
おびヤ行のえ(愕然)
字鏡「驚愕也。於比由」。又「愶㤼同」として「於比也須」とあり。
おぼヤ行のえ(覺)
おもほヤ行のえ
萬葉「於毛保要」。佛足石碑「於母保由留」。

加行

かのヤ行のえ(庚)
金兄(かのえ)」なり。
かもヤ行のえ(鴨柄)
和名鈔「賀毛江」。鴨柄の字に據る。
からえ(萆麻)
和名鈔「加良衣」。漢荏(からえ)なるべし。
きこヤ行のえ(所聞)
古事記「岐許延」。書紀「枳虚曳」。萬葉「伎許要」。
きのヤ行のえ(甲)
ヤ行のえ(消)
萬葉「幾延」。
くだのふヤ行のえ(小角)
和名鈔「久太能布江」。書紀に笛を「府曳」とあり。字鏡に簫を「世乎乃不江」。
ヤ行のえ(崩)
萬葉「伊波久叡」。
ヤ行のえ(越)
書紀「古曳」。萬葉「古要」「故延」「古延」又「久江」ともあり。此詞萬葉に假字(かな)に書るもの數多見えたる中十八の卷に唯一處「古衣」と書り。此れは後に寫し誤れること疑ひなきものなり。以呂波歌に越え(こヤ行のえ)と書るも當れり。
ヤ行のえ(肥)
字鏡「古江太利」。
ころはヤ行のえ(詈)
萬葉「許呂波要」。

佐行

さかヤ行のえ さかばヤ行のえ(榮)
古事記「佐迦延」。書紀「娑抲曳」また「佐伽磨曳」。萬葉「佐可延」また「佐加波延」。式祝詞「佐賀叡」。
さざヤ行のえ(榮螺子)
和名鈔「佐左江」。衣延分ちがたし。姑く延に從ふ。
ささらえをとこ
萬葉「左佐良榎壯士」。
さすヤ行のえ(棬)
和名鈔「佐須江」。衣延分ちがたし。姑く延に從ふ。
ヤ行のえ(冱)
萬葉「左叡」。
しづヤ行のえ(下枝)
古事記「志豆延」また「斯毛都延」。書紀「辭豆曳」。
しなヤ行のえ
萬葉に「之奈要」また「之萎」とも書り。たをたをとなよびかなる意なり。
すみのヤ行のえ(住吉)
萬葉「須美乃延」。
そびヤ行のえ

多行

ヤ行のえ(絶)
萬葉「多延」「多要」。
つちのヤ行のえ(戊)
つひヤ行のえ(瘠)又(費)
字鏡「痩也。豆比由」。

奈行

ながヤ行のえ(轅)
和名鈔「奈加江」。字鏡、輗を「奈加江乃波志乃久佐比」。
なまえのき(荊)
和名鈔「奈末江乃木」。生榎(なまえのき)なるべきか。姑く衣に從へり。
にだヤ行のえ
萬葉十九「春花乃邇太要盛而」とあり。此詞未詳。
ヤ行のえ(煑)
ぬかえ(蘇)
和名鈔「乃良衣。一云奴加衣」。野荏(のらえ)なり。
ヤ行のえヤ行のえこどり(鵼)又(鵺)
古事記「奴延」。萬葉「宿兄鳥」「奴要鳥」又「奴要子鳥」。字鏡「奴江」。
ヤ行のえくさ(偃草)
古事記「怒延久佐」。
のむどふヤ行のえ(吭)
和名鈔「乃無止布江」。笛の例による。
のらヤ行のえ(蘇)
和名鈔「乃良衣」。野荏也。

波行

ヤ行のえ
字鏡「波江」。和名鈔に「鮠魚似鮎而白色。波江」とあり。
ヤ行のえ(生)
萬葉「波要」。
ヤ行のえ(荑)
書紀に「荑媛(ヤ行のえひめ)」あり。「荑、此波曳」とあるを、古事記には「波延比賣」と書り。
はらのふヤ行のえ(大角)
和名鈔「波良乃布江」。笛の例。
ひこヤ行のえ
字鏡「細枝也。比古江」。萬葉「孫延(ひこヤ行のえ)」。
ひこばヤ行のえ(蘖)
和名鈔「比古波衣」。字鏡に稬を「比古波江」とあり。
ヤ行のえ(稗)
萬葉「比要」。字鏡「比江」。
ヤ行のえ(比叡)
古事記には「日枝(ヤ行のえ)」とあり。又日吉(ヤ行のえ)とも書り。
ヤ行のえどり(鵯)
和名鈔「比衣土里」。今ひよどりとも云也。延なるべし。
ヤ行のえ(笛)
書紀「府曳」。字鏡、簫を「世乎乃不江」。
ほつヤ行のえ(末枝)
古事記「本都延」。書紀「保菟曳」。萬葉「保都枝」。
ヤ行のえ(吠)
字鏡「保由留」。和名鈔、同。

麻行

みだヤ行のえ(亂の東語)
萬葉十四に「多知美多要」。
みづのヤ行のえ(壬)
みづヤ行のえのたま(稚枝玉)
出雲の國の(みやつこ)神賀詞(かむよごと)に「青玉能水江玉乃行相爾(あをだまのみづヤ行のえのたまのゆきあひに)」とあり。眞淵、水江は借字にて稚枝(みづヤ行のえ)なり、青玉を()(ぬき)、連ねたらんは木の稚枝(みづヤ行のえ)の如く青くみづみづしく見ゆべし、又(それ)をわがねたるを以て行相(ゆきあひ)と云を天皇の天下をすべめぐらして知看(しろしめす)にたとへたる也、といへり。然るに宣長はこれをみづのヤ行のえたまと讀て水は(みづ)也、江は借字にて可愛()玉也、行相とは緒に貫たる玉と玉と相竝び着たる所をいふ、といへり。今考ふるに、(ヤ行のえ)は夜行、可愛()は阿行にて音(たが)へれば、眞淵を以て當れりとすべし。然のみならず、此の上の文に「白玉能大御白髮坐赤玉能阿加良毘坐(しらたまのおほみしらがましあかたまのあからびまし)」とも有て、皆其色に就て賀奉(ほぎまつ)る詞あるを、青玉には稚とのみにては(こと)たらず、猶稚枝のかたまされり。宣長又云く、譬稚枝の如く見えたりとも、押て稚枝といはんこともいかが也といへり。然れども玉の青く(うるはし)きさま木の稚枝の(ヤ行のえ)あるに似たらんを以て稚枝の玉といはんこと何の妨かあるべき。みづヤ行のえの玉と讀んこと詞も優りて聞ゆれば、今眞淵の説に從へり。
因に云、古事記中卷白檮原宮の段、天皇の大御歌に「加都賀津母伊夜佐岐陀弖流延乎斯麻加牟(かつがつもいやさきだてるヤ行のえをしまかむ)」とある(ヤ行のえ)をも宣長は可愛()の意として、是可愛媛女(えをとめ)(まか)んと云ことなるを、媛女(をとめ)(はぶ)きて可愛()とのみ宣る也、といへり。是はた誤れり。今考るに、此延は兄也。古への人の名に男女をいはず、(このかみ)兄何(ヤ行のえなに)(おとうと)弟何(おとなに)といふもの多く見えたり。古事記にも兄比賣(ヤ行のえひめ)弟比賣(おとひめ)などと云も見えたり。されば、爰に伊須氣余理比賣(いすけよりひめ)の先だてるを見賜て愛親(めでしたし)みて、(ヤ行のえ)とは宣へるなり。今の世にも女を親み愛て呼ぶ時、(あね)といふものあると同じ意なり。
ヤ行のえ(所見)
古事記「美延」。書紀「彌曳」。萬葉「見延」「見要」。
ヤ行のえ(燃)
古事記「毛由流」。萬葉「毛要」。
ヤ行のえ(萌)
續紀宣命「毛延」。萬葉「毛要」「毛延」。
ヤ行のえくひ(燼)
和名鈔「毛江久比」。

夜行

やぐはヤ行のえ(彌木榮)
式祝詞「夜具波江」また「夜久波叡」。
ヤ行のえくに(兄國)
伊勢郷名。和名鈔「江久爾」。兄國の字による。
ヤ行のえする(寄)
萬葉「宇知江須流」。
ヤ行のえだ(肢)
手足也。和名鈔「衣太」。枝に倣ふ。
ヤ行のえだ(枝)
古事記「延陀」。書紀「曳陀」。萬葉「要太」「延太」。
ヤ行のえの(穎娃)
薩摩郡名。和名鈔「江乃」。今考るに娃は穎の韻に用たるのみにて延の郡なり。和名鈔注に乃の字あるは誤なるべきこと前にいへり。
ヤ行のえび(帶の東語)
萬葉「叡比」。帶は書紀に「於寐(おび)」と有て阿行の詞なれば第四段の音に(うつり)ては「衣比」とあるべきを、叡字を書けるは違へるに似たれども、東語には「(など)」を「安柕(あど)」といひ、「(へだて)」を「敝太思(へだし)」といふ類、他行に(うつ)れるものも彼れ是れ見えたり。但、東語ならでも「()」を「あ」と云ひ、「犬」を「ゑぬ」といひ、「鸊鷉(にほどり)」を「みほどり」と云ひ、「(きほひ)」を「きそひ」と云類もあることなれども、帶を「ヤ行のえび」と云こと他に見えねば、今東語の例に據て云ふなり。
ヤ行のえふり(朳)
和名鈔「杷之無齒者。江布利」。今考ふるに柄振(ヤ行のえふり)の義なるべし。
ヤ行のえらみ(撰)
衣延辨へがたし。俗言に「よる」と云に因て姑く爰に入る。
ヤ行のえをぢ(阿伯)
字鏡「父之兄。江乎地」。

和行

わかヤ行のえ(還少)
老たるもののわかがへるなり。式祝詞「若叡」。
ヤ行のえ(瘁)
古事記「遠延」。書紀瘁字を書れたり。

すめらおほみ國のいにしへの大みふみどもよみつぐりの中むかしのころより以降(しも)禍津日(まがつひ)のまがことおほき世となりにければ、ももしきの大宮をはじめて天のしたよもにも絶てよくよみ明らむる人なくて、わたの底のふかきこころは更にもいはず、あやなせるそれが言さへ、かりこものみだれにみだれて、ほとほとちとせにも及ぶべかりしを、時のゆければ神直毘(かむなほび)大直毘(おほなほび)なほびの神のなほき(みたま)(ちは)へまして、今かく大やしま國おだひしくいはとがしはのとことはに動くことなき御代にあひにてあればなも、うち日さす都にも、あまざかるひなべにも、かのみだれたるふしぶしを、あさぢ原つばらつばらによみ考へ、世の惑へる人どもを、菅の根のねもころごろに思ひ憐みて、まつぶさにまさやかに(こと)(ふみて)に説教へ書さとせる人らおほく出來しまにまに、うちなびく春の朝日のとよさかのぼる國原(くにばら)のごとく、月に日にけにいやあかりにあかりゆき、いやさかに延にさか娑要來ぬれば、うつせみの世の事しげきおのれらさへ、かつがつもかくとほしろき道の長手に手たづさはりく、立もとほろふこの大御代の(いかし)御代はようらぐはしきかも、おむかしきかも、めでたきかも、たふときかも。

浪たたぬこしのうなびにいさりすと
こぎたむ船を見るがともしさ

文政の十まりふたとせといふ年のきさらぎのなぬかの日

たひらのてる實