増補 雅言集覽

増補 雅言集覽序

吾國語言一字一義五十爲言而五十義獲矣五十言互相交互錯綜往來各積數至於五于斯一萬語之多由是以或假借或轉換用法各有清濁二韻爲義弗尠若夫上聲之爲用翻上唇而覆下音皆下聲抽下唇而向上音皆上聲夫天訓阿免之上聲讀而雨訓阿免之下聲讀理敢然蓋天在上而由下仰看雨則下降也有亦去聲訓讀之法有亦入聲讀訓之法入訓伊留卷舌讀聲由外入出訓伊豆留急聲呼伊豆留音由内吹出也上唇下唇開合平對則出平聲欹側齶左右向者常仄聲肥後某紳著書釋語例類々是矣未知與余斯論併看若何雜年癸未書于東都靈巖島僑居

副島種臣

言靈のさきはふ國の名におへる言の葉草はしも一もとに生出たる根さしも末葉もとつ葉千よろづにしけり。七重はなやへ花いろいろに咲みだれたるのみにあらずあるは世々の風になびきとし月の霜をかさねておのづからその葉の色のかはれるもあり。あるは髮華にさし衣にすりておなじその花のにほひもまたあやことになむうつりにためる。さればこの言の葉の草の中道をふみわけそのことのはの花をも手をらむみやび男はいふも更なり。白雪のふりにし世々のあとをふみ見る人らのただ大方にひとつこと葉の根さしとのみ見過して世々にうつれる末葉のいろをしらす手ことにをれる花のにほひをよくとめずしては秋の夕霧おほほしく春の氷のとけがたきなげきぞあるべき。さればこの言の葉草のしげきをあつめその花のいろいろをつみ分けつうし出で世の人のしろへとせる書もまたくさぐさある中にすでに世にひろくもてはやして便よきは和訓栞と雅言集覽との二くさなるべし。そが中にもむねと歌よみ文かく人のためにはこの雅言集覽なるいとよろしかるを櫻木にうつしゑれるは一つのなかばにもたらすして書うつせる卷々にはかきひがめたるふし多かるのみならずその書さへいとともしければみな人得がてにのみなげくめり。今はなき人の數にいれる橿園のあるじは一世のほど古ことの學にいそしみまた言の葉の道にはその實なすひとりぬけ出てありければくさぐさの書よむいとまいとまにこの集覽になほつみ殘したる言の葉どもをもさらにかきつめそへまたあやまれるふしぶしをも直しおきてありけるをこたびそのうまご惟一ぬしがおやおもふこころと世の人のたよりを思ふこころとの二道をかけてうゑ文字してすり出むとするによりておのれに一言かきそへむことをこはれたり。そもそも此事いとよきわざなるはおのれもよろこび思ふすぢなるにもとの集覽には祖父大平のをちかはし書せられたるゆかりもあれば惟一ぬしがおほぢのいさををあらはさるる心ならひにうまご豐頴また此はしに一言そふるになむ。

明治十五年十二月 權大教正 本居豐頴

此ふみゑれるゆゑよし

祖父翁はとし若き頃よりつかへをしぞきて皇國まなびのかたにのみこころをよせ深くいそしみつとめしゆゑ考へ正しおきし書どもいとおほかる中に故石川雅望ぬしの著されし雅言集覽は學びの道にたすけおほかる書なれど板に彫れるは半にもいたらずおほかたはうつし卷もて世に傳ふるからにつぎつぎにうつしひがめつつあやまりのみ多く成行をあたらしう思ひてあしかちる難波にありしころかた木にものして世におほやけにせんとの心かまへなりしが舊の熊本の城しらす殿にふたたびめさけられて人々に皇國學びの道をとき教ふることとなりていとまなかりしかばそがままにして打過たりしに元治のはじめの年む月の末つかた遂に身まかられにけり。それより後はおのれおほやけごとのしげさに其心ざしを繼べきをりもなくて久しく文筥のうちにをさめおきたるをいぬるとし病にかかりて仕をしぞきてよりいとまある身となれりしかばいかでその事をなしはてはやとおもひおこししをりからおほぢのをしへ子たちのとひ來てかかる書をいたづらに家にもちつたへてつひに散ほひうせぬべきことしもあらば悔ともその甲斐なかるべしおなじくは世におしひろめて雅言このむどちのまなびのたすけともなさんこそよろしからめといはるるもいとうれしければこたびもろ心にはかりてかくおほやけごととはなしつるになん。

明治十五年十二月 從六位 中島惟一

雅言集覽序

石川雅望といふ人このみやび言あつめしめされたる卷のはじめを見れば古事記日本紀御典をはじめ萬えふ古今六でふ夫木の代々の歌卷うつほ竹とりぐゑんじ榮花とくさぐさの物語ふみども大かた雅言のあかしとすべきかぎりつみいでえりいでていいろいはとうるはしくついてはたいろにいろいろのいろあるたぐひなどうひ學びの人々いかにまどはしきものにすらんと思ひはかりてこれはしかじかのこころぞなどわきわきしくいはれたるしるべことともみないはれたることにていかにいかにとたれもたどらんふしぶし大かたしるしもらされたることなくたどりふかく物せられたるそのいたづきのほどいたつかはしくなむ。いでやかかる詞のしるべふみはとしごろおのれもおもひよれることなれど今さしあたりていそぐ筋のたゆめがたきにひかれていでやとおもひのどめつつ今さりともちかきほどにはとすぐししほどに此ころおなじたぐひのそこにもかしこにも海山木草鳥蟲とわくるもありだにさへすらまたまだきなどあつめつらねて詞の意考へやかかるべくまめやかにいそしむなるもあるはまめやかにいそしきことと思ふほどに此石川の春の氷のとき言なんまづ世にあらはれいでける。さるはついでざまもあつめざまも心々にておもひとりたるかたことなればこれもかれもいにしへ學びの道のしるべはとりどりに淺からぬ功はたつべきをまづ咲いてたる浪の初花世にめづらしくおぼゆるままになほしもえあらねばなほゆく末遠くながれてたえぬほぎごとそへてこれがはしがきとす。此ふみ板にゑりてこころみにすりたるはじめのほど十ひらばかり見せにおこせておのが一ことをととりつたへいひおこせたるは此紀の國ちかき阿波の國人遠藤春足なり。かくいふは

本居大平

なにごともあかれる世のてぶりをしたふことはこのももとせあまりの昔よりぞはじまりたる。さるはよよをふるままにひとのことわざただくだりにくだりゆけばをりをりはあらためただそ人のいでくるか。かの天運とこいへらんさだまれる世のだうりなるべし。されどあまりにいにしへこのむとてかへりてひがわざしいづるたぐひもはたおほくいでくるぞせんかたなきや。から國の聖の道も唐虞ありしもつかたをそむねとはとかれたるを猶しひてそれがかみをあなくりてていふなるはあながちなるわざにてきはめて人のため益なしとぞ。世にもいふなる身ををさむる道すでにかかりまして文才のかたなどはそのよよにちかきてぶりのただしくてはたいにしへにもかよひむべきすぢをこそまねびとりぬべきわされなれ。さればかなたにも詩は李杜を親とし文は韓柳を師とするならひになん。さるをちかき世のいにしへこのむとふ人は歌は萬葉のすがたをうつし文をもそれになずらへて祝詞宣命また國史の訓萬葉のことばなどをとりあつめてぞかきつづくめる歌は猶さもしつべし文のかたはあがりたる世には祝詞宣命をおきてはおほやけわたくしとなくよろづから文にぞものものせられたる。かの祝詞宣命はくちづからのたまへる言をさながらにかきつらねたるものなればおのづからひとつのさまにしてこちたき事には寫すべうもあらぬことはいふもさらなり。そも弘仁の頃より歌のさまいにしへとはいたくかはりて女ぶんにのみなりてはしことばをもかなのもじにものせられしよりなにくれの序日記などやうのものもいできて今のかんなふみてふ事ははじまりためるを今の世にいにしへのふとてためしなき文をしもつくりいづるはいかなるこころには。これはそのはじめものしそめつる人はみづからもあらぬわざとはしりながらかの古文辭とこいふらむふりなどにおもひよそへてただ人のめおどろかさむとてそしいでつらんをつぎつぎのそれにならへる人はこれがまことのいにしへぶりなるとおもひとひたすらそのあとをのみふみつつあやしきことばをのみえりいでてかきまぎらはしいともすべなきをりをりはいにしへには見もしらぬことばをしもあらたにふるめかしくつくりいでてさしまじへなどすめるは先いにしへぶりはおきていとちかき世のわろきふみかきにだにさはせぬわざなるをおもひもわきまへざるぞいといふかひなきや。おのれ此事をおもふからにみづからふみかくわざはいとつたなけれど常になかつ世の文詞をのみとり用む事を心にしめつつその世の文の法を考つつさるすぢの事ここらなにくれとかきあつめおきつるか。もし世におなじこころざしなる人もやあるととし頃おもひもとめつれどええずなりにしを近き頃江戸なる石川の翁のかかれし文を見しになかつ世のふみことばをよくまなびうつして今の世にはいとめづらしうをかしきすぢとおぼえしかばこれやわがもとめつるたぐひなると先おのれがかきおきたるふみらひとつふたつ人づてに見せしかば翁いとよろこぼひて千里のほかに友をこそえたれとてやがてかへりごとせられき。翁はわかきほどよりからのやまとの文ともあまたよみてとしもいまはむそぢにもややあまりたれば江戸はならなり都なにはわたりにも和學すといへるきはにはたちならぶ人はをさをさなかめれど常にたはれをにたちまじりてざれ歌よみなどして世の人のやうにほこらはしきおももちをもせられぬはたやすきやうにのみおもひとれるきはのいとおほきをおのれは此翁をおきてはふみなど見せあはすべき人はまた世にあらじとおもひおきてつればそののちはをりにふれてはこの翁にぞかきすさみたるものを見せてことばのよしあしをもとひききぬる。されどさかひいとはるかにへだてつれば鷹の便もおぼつかなきをりをりのあればいかでこの翁のなかつ世の文詞などかきつめおきけんもののあらばかりえてみましさてこそしたしくあひみるここちもせめとつねにおもひわたりたりしをさいつ頃この雅言集覽のことつけおこされしにこそとし頃の本意かなひぬるここちせられしか。こたびまた板にゑりぬべしとておのれにはしがきをさへこはるるぞうれしさいはむかたなきや。やがて其まきまきをひらき見ればただなかつ世の詞をもらさずかきつめしのみかはくさぐさのちうさくをさへくはへはた近きよにときあやまれる事どもをただしなどけにこの翁ならではかかるわざはえものすまじうぞおぼゆる。あはれこの文ひとたびよにひろごりなばかのいふかひなききはもおの゛からまことの文詞をしりてあらぬひがわざをもあらためぬべければ翁のかかるいとなみはみちのためいといそしくやことなきこうとぞおぼゆる。あはれこのふみをはかなきよのたからともはたいはざらめやは。

文化九年八月 源興詩

言だまのさきはふ大御國にしもうまれて其ことのものをしらずかんなの亂れたるをもわきまへず物かき謌よむ人中むかしよりむねと有人どりにすら多かりしをももとせあまりをちつ方難波の契沖あざり乃樂の葉の名におふ萬葉のあら山中にわけ入て宮木くぬ木のものうちきり末打たちて大みあらかをも造べく賤がふせ屋をも建つべくなししを山口にして神風の伊勢の宣長千はやぶる我賀茂の眞淵のをぢなど春の田のすきすきに眞がなもて削らひとくさもてみがきなどせしは古をあふぐ人どちのこよなきさちならずや。されど其宮木は山高く道さかしくてうひ學の人のたは安く得がてにすなるを此頃大江戸なる六樹園の主その木の柱にすべくけたにすべきを木だくみのすみ壺の墨を竹筆にうるほしてしるせらんごとく色葉のかんなもてついで筒雅言集覽となむ名付て木にゑらせしは兒處女子までもとみに見出て石上ふるき謌をも言をもしりふん屋をも造らしめむ爲ならずや。抑此翁のざれ歌に名とどろける事今天の下に誰かはしらざらん。されどただにざれ歌にのみ名あると知て言さへくから書をひろく見そらみつ倭の道々しきふみらを始てふみてふ書をくまなく見あきらめられしは此書を見て知る人もあらんかし。季鷹彼あたりに住しはまたいとわかかりしか此翁のざえの廣かる事ははやう知にたれどかく海山をとほくへだてぬればおのづから雲井のよそに過し來けるに此頃難波人梅干まろがかしこに下りて歸りのぼれる便に此書を見せてそがはしに只一言添よとねもごろにこはるるを野中の清水ぬるからずもとの心をふかく離ぬればいなびがてに老のめに目がねをそへて燈のもとに筆をとれるになん。

賀茂季鷹

ことさへくから國にはよろづのことを鳥のあとにうつしてしるしとする國なればはやくの代より書といふ書の千卷八千卷世におほかるもさることになる師木島の倭の國は神ながら言擧げせぬ安國にて萬事すくなにいひつたふるのみなればいとしも上つ代には文字といふものもなく書といふものもあらずてなんありける。なるを輕島の明宮に天の下しろしめしし天皇の大御代に玖陀羅の國より和邇吉師といふ人はじめて此ふみといふものもてまゐりてそをここの言もてよみならはしたまひしよりこなた我くににもあまねくこれをとりもりふる事となりつつ今は彼から國にもをさをさおとらぬまで其書といふものなん世におほくいできにける。そは古事記日本書紀などもろもろの國史をはじめとして家々の記録世々の歌集くさぐさの物語何の雙紙くれの日記など卷々にしてこれをときくいとかたくこれをよむこともまたやすからずなんありける。されば世のものしり人たちあるは國史にふかくこころをいれてふることの心をときあかすあればもの語ふみにもはら心をもちゐこれがちうさくをものするも有あるは歌書におもひをくだきそれがこころをさとせるもあれば何呉の書をよみかうがへて其あやまれるふしぶしをただすもありてこも又いくそばくそといふことをしらすなんありける。ここに我六樹園の大人のあらはされたる雅言集覽といふ書をよみ見るに彼國史よりしもあらゆるもろもろの書どもの中なる雅言のかぎりをことごとくあつめついでて其心さへ淺茅原つばらつばらにとき菅の根のねもころにしるされたるはかのくさくさの書どもをよむにもまたみづから文などものせんにもいともいとも便りよりしるべして明くれみやびにこころよする我ともがらのためにはかのからぶみまねびに常にもてはやすめる字彙とか字典とかいふ書のたぐひにしてふづくゑっのかたはらはなつまじき書になんありける。おのれはやう本居の大人になつきをおくりて言の葉のもとつ學に心ざしはたつねにはもはらたはれたるかたにあそびて石川の大人のながれを汲家わざのいとまいとまにはしたしき人々をもすすめいざなひつつとし頃いかでかかるふみもがなとおもひわたりつるをこたびかくみやびたるすぢの書をしもあらはしたまひたるはげに世にありがたきいさをとこそいふべき。されば此翁をたのみて物せんにはから國のふみやまなびなん。又我國ぶりのことのはやならひなん。そはただしたがひまなぶ人々の心のまにまにいづれの方にもまたなきをしへのおやとこそまをすべけれ。かくいふは

阿波國人 遠藤春足

むかし唐土の趙の國にめでたき玉あり。連城の玉となんいふ。また車十二乘をてらせばとて照乘の玉といふあり。いづれもいとありがたき玉になんありける。ここに六樹園の翁はかの卞和氏の楚山といふ山の岩村にまじりたるを見出けむごとくひかりある言葉の玉を見顯さんととしごろ千尋の底の深きこころに伊勢の海の清きなぎさに降りたちてかい集めたるここらの卷どもを雅言集覽とぞなづけたる。これはあたひなき玉にもおとらずいとめでたき玉なれど櫃に納めてひめおきたるを佛の道にいひつたへけん衣のうらの珠の光はつつめどもあらはるる物なりければ此程其ひかりややみえそめぬるこそうれしけれ。我は賈をまつものなりといにしへのひじりものたまひおきてけるをいかで其ひかり世にひろく照かがやかせむとおもふままにおのれこひうけてさくら木にはゑらせつ。あはれこのことばの玉よ。かけまくもかしこきすめらみことの御代御代に御しるしとあふぎ給ふ八坂の勾玉のごとく千代よろづ世の末かけて大八洲のうちひらけとひらけたる文の林もまたたどたどしきまろらをはじめ初まなびの人々常盤にかきはに此ひかりを蒙らざらむやは。さるはいみじき世のたからものにしあればかの照乘には立まさるべきものぞこのたまのひかりは。

凡例


追加〔増補本〕


再追加

こたび増補本を再販するにつきては、次の如くやや書中の體裁を改めつ。


電子化にあたって