日記風
**気ままな毎日**




「老いを先延ばしするには、指先を使え」とよく言われます。それなら毎日パソコン日記を書いたらどうだろう、、、。しかし振り返ってみれば、今迄に何度も 挫折してきた日記では、堅苦しくて気が重くなってしまいます。そこで考え付いたのが **気ままな毎日**と題して、定年生活の暇に任せて、あること無いこと、気付いた事を、気付いた時に、気ままにパソコンキーを叩いて書いてみたら どんなものか、、、と。どうせ時間はたっぷり有るんだから。ある時は主張を、ある時は事実を並べただけの小学生の日記風に、気ままに、切れ切れに「キーを叩き続けること」を目的にし たら、その結果、「老いの先延ばし」が後から付いて来るかも知れません。おまけで、書いたものから何かが見えてくるようだったら、、、。 ある年ある日、「9時就寝」とあったものが、翌年には体力低下で「7時就寝」と書いてあるかもしれません。こんなこともあんなことも、とりたてて何に役立つ訳では ないが、ひょっとしておじいさんのホームページを読んでくれた孫達に、老いていくことがどんなものかを薄々知らせることになるかも知れません。まあそうなってもならなくても、なん となく予測できない楽しみが増えるような気がして来ました。だから **気ままな毎日**を書いてみましょう。

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気ままな毎日
**2004年9月分**
スタートは
2004.9.11より


2004年9月11日(土)晴れ<孫の成長>


1年振りに昔の仲間とゴルフをし、その後、焼酎を飲む会にも出席した。現・退役者合わせて14名が、飲みながら食べながらよく喋ったこと。幸いにも、この手の会に付き物の「昔は良かった、、」の自慢話は出なかった。皆それぞれに老いながらも先を見て生活しているということか、よかったよかった。今日は初孫・由樹君の満2歳の誕生日だ。昨日、お祝いメールに何と書いてやろうかと考えていて、お盆休みに来た時、彼が機関車・トーマス君のTシャツを着ていたのを思い出した。「おめでとう」の言葉に添えて、ホームページで探したトーマス君の絵を添付してやった。息子に開いてもらって、喜んで見てくれたら良いのだが、、、。その内、自分でPCを操作するようになれば、トーマス君位自分で探すことだろう。そうなればおじいさんは「PC絵」を送るより「お金」を送った方がよいのかな。そうなるのは案外早いかも、、、。


2004年9月12日(日)晴れ<知らない者は弱い!>


昨日のゴルフの疲れか爆睡。朝起こされ、7時半起床。「報道2001」を見る。櫻井よしこの日本における「郵政民営化」「愛国」「教育」等に関する舌鋒鋭い論評に思わず目が覚めた。議員先生達もたじたじのご様子。「外交」「防衛」等についても2・3週連続出演で話が聞きたい気がする。昨日遅くHPを更新しアップしたが、各リンク先へ上手く飛べるところと飛べないところが出てきた。自分のPCの中ではOKなのにプロバイダのサーバーへアップすると不具合になる。夜遅くまで考えたがさっぱり分からない。ここは苦しい時の神頼み、QPON先生に質問メールを入れておいた。今日の昼過ぎ先生からREメールが来て、一件落着。どうも新PCにしてからの「タグ打ち修正」は、ホームページ作成ソフトにかけるようになるのか、絶対アドレスに書き換わっていた。やっぱり「知らない者は弱い!」のを実感。


2004年9月13日(月)晴れ、蒸し暑い<気ままな自転車走>


日課の自転車走を行った。日課とは言うものの、雨の日は中止、飲み過ぎた翌日は家の周りをと、かなり気ままな自転車走をしている。それでも定年後5年目に入り、ここまでよく続いたものだなと、我ながらちょっと自慢だ。当初は「病後のリハビリ、生活スタイルの変更」等の目標を掲げて走りだしたが、始めてみれば、目標云々より、「走ることが気持ちがいい」と言うことに気が付いた。コースは自動車が少ない、木陰がある等色々条件を考えてABCの3コースを決めている。何時かコース紹介をする時もあるかと思うが、今日はAコースを走った。植栽のトンネルを走るコースで、夏の日差しを避けて走るには最適だ。所々、太い木の根が、アスファルトを持ち上げていて、これだけが難だ。データは(走行距離: 16.46km、走行時間:57分41秒、平均速度:17.1km/h、MAX速度:36.9km/h、総走行距離:7544.2km)


2004年9月14日(火)晴れ、残暑<気ままな自転車走(秋はすぐそこ!)>


昨日に引き続きAコースについて書いてみましょう。今日は朝から残暑が厳しく、空気が透明なだけ太陽光が肌に突き刺さる。こんな時はAコースを走る。9時半から約1時間走って、大汗をかいた。コースは碧南の海岸道路沿いを約半周するもので、この間緑のトンネルが続き、日差しを遮ってくれる。今日のコース状況を振返ってみると、所々に萩の花が咲いていたこと、「シャリんバイ」の名札をぶら下げた雑木を見たこと、明石公園横の道路の真ん中にドングリが1個落ちていたこと等々、、。何も考えずに走っていると思っても、書いてみると色んな情報をインプットしていることが分かります。これを纏めれば、「そろそろ秋も近いぞ!」となるのかもしれません。これが夏用のAコースだ。データは(D・走行距離:16.66km、T・走行時間:58分24秒、A・平均速度:17.1km/h、M・MAX速度:34.1km/h、O・総走行距離:7560.9km)


2004年9月15日(火)晴れ、残暑<気ままな自転車走(野鳥コース"C")>


10時半から1時間、歯医者で右下奥歯の被せた部分の修復をしてもらった。歳をとっていてもあの歯を削るキーンという音は気持ちが悪いし、痛いものは痛い。子供ならなおさらだろう。消音ルーターは出来ないものかと治療を受けながら考えた。治療を終わってすぐ自転車でCコースを走った。このコースは家の周りの農道を周回するもので、矢作川の堤防下に広がる田畑を縫って縦横に走る中小の河川に沿ったり横切ったりしながら走る。堤防下ということもあって比較的風は弱い。そんな訳でこのコースは主に冬用だ。又家の近くを回るため途中で雨が降り出しても、直ぐ家にたどり着けるという利点がある。時間の無い時も都合が良い。野鳥が多く、去年、1度だけカワセミを見た。今日は田圃の畦道から3羽の白鷺が飛び出してきた。データ(D:8.31km、T:29分33秒、A:16.8km/h、M:32.1km/h、O:7569.3km)


2004年9月16(木)晴れ、爽やか<キャリア・アドバイス>


10時45分家を出た。今日は大学も後期スタートの日だ。キャリアーアドバイス予約の4年生3名の模擬面接と面談を実施した。各人とも真剣に就職活動に取り組んでいるが、いかんせん「就職」を自分の事として考え出すのが、3年生の後半からで、次年の春から始まる採用試験には準備万端とは言い難い状態だ。自分の就職観を短期間に作り上げ、付け焼刃で勝負している様が見えてしまう。やはり入学時点から自分の好みと得意技を見極め、伸ばすことを心掛ける。一方、アルバイトやインターンシップを通してビジネス最前線を体験してみる。これらを積み重ねる事により、採用試験までにはしっかりした職業観を持てるようにしたいものである。1・2年生からのキャリア相談を実施しよう。その意味で、小学生の内から身近な仕事を考える学校も出てきたようで頼もしい。


2004年9月17(金)曇り後晴れ、<敬老の日の祝い膳>


敬老の日の前だしで、家内のお母さんとお祝いの会食をした。お盆前に子・孫・曾孫が集まってお母さんの米寿の祝いをした時も、曾孫とお母さんが一番元気、その次が我々・子夫婦、一番疲れているのが、仕事が現役、子育て最中の孫夫婦だった。今日の会食は孫・曾孫は来られなかったが、お母さんの元気さは相変わらずで安心した。還暦過ぎのおじさん夫婦も本来ならば、敬老の日でお祝いされたいところだが、息子達は、さすがにそれは言い出さず、父の日、母の日にそれなりの挨拶をしてくれる。何時かは「老々介護」の時が必ず来るが、それまではこうして元気に「老々会食」を続けたいものである。帰宅して直ぐ、自転車でCコースを走った。走行データは(D:11.18km、T:37分36秒、A:17.8km/h、M:23.6km/h、O:7580.4km)


2004年9月18(土)曇り<村祭りの準備会合>


昼食後、お母さんの買い物に付き合った。とは言うものの、例によっておじさんは本屋さんで雑学をせっせと仕入れていた。買い物は意外に早く終わり、家に帰っても村祭り準備会合迄に時間があったので、Cコースを自転車で走った。畑一面のニンジン苗にスプリンクラーで一斉に散水していて、飛沫を浴びながら走った。6時からの準備会合ではお神楽連、お囃子連、余興係り、厄年会の人達が集まり、例年通り餅投げ、子供相撲、ビンゴゲームを行うことにした。又巫女さんの舞の練習日とその世話役を決め、会食後かなり出来上がって散会。例年の事ではあるが、祭りと聞くと誰もが浮き立ち、ガヤガヤ言いながら、去年と同じ事が同じように決まっていく。新米の神社係としては、その円やかな決まり方が珍しく、平和に見える。走行データは(D:15.51km、T:53分55秒、A:17.2km/h、M:24.7km/h、O:7596.0km)


2004年9月19(日)曇り<自転車走:遠望のきくBコース>


起伏の無い田園育ちのおじさんは、高い所が好きだ。Bコースは1級河川・矢作川の堤防を「米津橋」から最河口「矢作川大橋」迄を走るコースで、ここを走ると、一面の田畑や川面はかなり下の方に見える。視界を遮る物が無いので、田畑や市街地が一望出来、当地方で唯一のビル・市役所の尖った屋根、遠くの方には幡豆の山々も連なって見える。空気の澄んだ晩秋にはさらに遠くの御岳山の初冠雪も見ることが出来る。対称的にA・Cコースでは、ドングリを見つけたり、シロサギの羽音に驚いたりと、ミクロな自然を身近に感じながら走る。トンネルや堤防で守られたコースと、その一段上を走るコースとでは、こんなにも自然の感じ方が違うのかと、自分自身でびっくりする。春秋、風の無い日に絶好のBコース。走行データは(D:15.51km、T:53分55秒、A:17.2km/h、M:24.7km/h、O:7596.0km)


2004年9月20日(月)晴れ、蒸し暑い<NHK朝の連ドラの傾向>


7時20分起床、朝食。8時15分からのNHK連続テレビドラマ「天花」を見る。今週でこのドラマも最終回を向かえ、来週から又新しい連ドラがスタートするらしい。定年になってから、この時間帯は食後の一休みという事もあって、いつの間にかテレビの前に座るようになった。思い返せば「さくら」「満天」今回の「天花」と若い女性の強い生き方を書いたものばかりで、現実の社会での女性の元気さをテレビの中で、再確認させてもらっているようなものだ。そう言えば、大学でのキャリア相談も、気のせいか男子学生に比べ女子学生の元気さが目立つ。そろそろ「頑張れ男子学生」連ドラを!。昨日の秋祭り準備会合の議事録を書いて後、Cコースを走った。走行データは(D:10.39km、T:36分12秒、A:17.2km/h、M:30.4km/h、O:7622.8km)


2004年9月21日(火)曇り、にわか雨<晴走雨PC>


6時30分起床、お母さんが時計を見間違えて、1時間早い朝食。今日はゴミ出しの日。おじさん坦当分の庭木回りの片付け、離れのPC回りのゴミを纏めて、お母さんの準備するお勝手ゴミの中に入れて完了。連ドラ、オープニングベルを見て、さあ自転車に乗るぞと外へ出たら、にわか雨。「晴耕雨読」ならぬ「晴走雨PC」。HPの更新準備。先日更新したトップページを手持ちの古いPCで開くと写真等の配置・大きさがおかしい。プログラミングで使った新PCで見るのと全然違う。これは何とかしなければ、、。解決策が見つからない、、。イライラ。窓の下の田圃にスズメが来てホバリングしながら稲穂を食べている。軽四が通る度に一斉に飛び立ち電線に鈴なり。喧しい事この上なし。午後、雨止んでBコースを走る。自転車走行データは(D:16.55km、T:56分43秒、A:17.5km/h、M:38.3km/h、O:7639.3km)


2004年9月22日(水)曇り<猫の居る生活>


我が家の家の中は全て猫の爪研ぎ対策がしてある。廊下や縁側の木目の見える所と洋間の絨毯の上はビニールシートで覆ってある。又畳の部屋は上敷きがしいてある。こうしておくと走り回る猫の爪で床中が傷だらけになる事は無い。又毛玉を吐いてもティッシュで拭き取ればOKだ。しかし不具合もある。人間はビニールの上をスリッパで歩くので、その底とビニールの間で擦れた時に跡が付き、これを取るのが大変だ。もう一つ、猫は柱といわず障子といわず全てのコーナーに体を擦り付ける。いきおい猫の背の高さの部分は黒光りする事になる。これはちょとやそっとでは綺麗にならない。お手上げだ。こんなに苦労しても猫の居る生活は癒される。こして書いているときも我が娘猫は今にもpcに乗りそうだ。走行データは(D:11.50km、T:39分01秒、A:17.6km/h、M:28.3km/h、O:7650.9km)


2004年9月23日(木)晴れ、日向は暑い<三宅神社祭礼参加>


約340年前、我々の住むこの土地は矢作川最河口の干潟でした。これを埋め立て豊潤な田畑としたのが、京都の出、三宅又兵衛という人で、彼を慕い多くの農民達が移り住んで来ました。農民は又兵衛さんを敬い、後に社を作り、三宅神社としてお祭りするようになりました。以後、毎年9月23日、礼服で身を包んだ村人達が神前に集まり、又兵衛さんの遺徳をしのんでいます。おじさんも今年神社のお役を言い付かり、今日は神妙な気持ちでお祭りに参加させてもらいました。我が家の建つこの土地も、窓下の田圃も、皆昔の人達の努力の賜物かと思うと感慨深いものがあります。小学校でも自由研究で、又兵衛さんを取り上げ勉強しています。何時までも語り継がれていってほしいものです。今でも当地には伏見町という町名が残っています。


2004年9月24日(金)曇り、にわか雨<女人讃歌>


安城市在住の画家加藤博先生のアトリエに時々お邪魔して、制作中の絵や完成した掛け軸等を見させて頂いている。今日は以前からお願いしていた白鷺の屏風を頂に、久し振りにお母さんと2人でお宅を訪問した。先生は若い頃から喜寿の現在に至るまでライフワークとして「女人讃歌」と題して裸婦を書き続け、その数は、美術館収蔵、個人所有のもの等合わせれば、かなりなものになるそうです。先生自身も各時代のものを残しておられ、時々アトリエに並べられる。あまりに見事なものなので、おじさんのHPで紹介したく、掲載許可をお願いしたら、皆さんが喜んで下さるならと、快くご了解頂いた。素人写真でどこまで原画に忠実に表現できるのか心配でもあり、楽しみでもある。自転車走行データは(D:8.92km、T:30分38秒、A: 17.4km/h、M:23.3km/h、O:7659.8km)


女人讃歌



2004年9月25日(土)秋晴れ<とんだ運動会日和>


赤白帽子を被った小学生達が田圃道を走って行く。今日は風も無くうってつけの運動会日和だ。こんな日はおじさんも遠望の効く矢作川堤防コースを走ってみよう。堤防下では子供達がサッカーの試合に夢中。それを応援するお母さん達の声が聞こえてくる。幾つかの橋を横に見て最河口の矢作川大橋まで来た。いつもはここから帰路につくが、あまりの秋晴れにこのまま進み旧海岸道路、通称「唐傘松並木」迄足を伸ばしてみよう。ここまで来ると、誰一人いない、こうしてタイヤの摩擦音だけを聞きながら1時間も走っていると、擬似ランナーズハイになる。とその時、泥除けに何かが挟まったので不用意に足を伸ばした。とたん、バランスを崩して大転倒。前輪は曲がり、擦り剥き、腰痛で目が覚めた。前輪入苛まで、自転車中断。不注意の天罰。とんだ運動会日和。走行データは (D:22.22km、T:1時間11分18秒、A:18.7km/h、M:36.3km/h、O:7682.0km)


2004年9月26日(日)曇り<続・自転車転倒痛>


お母さんが「報道2001」が始まるよ、と起しに来た。起きようとすると体中が痛い、昨日感じなかった所もおかしくなっている。年を取ると、疲れは後からやってくる、と言いますが、痛さも同じで今日の方がさらに痛い。布団から起き上がるのに一苦労する。洗面所で屈むことも出来ない。やっと食卓へたどり着いたら、お母さんが待ちくたびれていた。自分でも可笑しくなるが、痛いところを庇いながら動くので、全ての動作がスローモーで、形が悪い。お母さんは腰を曲げて歩くおじさんを見て大笑いする。本人は痛くて笑い事ではない。考えてみれば、今後、年を重ねていけば、こういう事態は必ず来るだろう。高齢化の先取り体験をしたことになる。それでも前向きに生活する術を今から少しずつ習得していきましょう。 3日後に迫った同期会ゴルフは残念ながら断念。ドタキャン連絡をする。


2004年9月27日(月)雨後曇り<病院でのおしゃべり>


前屈みになると、腰の辺りの筋がピリッと引き攣り一瞬激痛が走る。怪我は一瞬、回復には100倍時間が掛かる。怪我から2日目で、もううんざりだ。こんな調子では、高齢化の先取り体験は不合格だ。気晴らしに、パソコンの前で反り返ってメールチェックをしていたら、お母さんが10月のおじさんの予定を確認に来た。10月は我が村のお祭りの月だ。神社係としては連日の行事となる。それまでには完治させなければ。そんな日程を話していたら、今日の日程を思い出した。10時半から歯医者さんに予約を入れてあった。いくら日程表に書いておいても見なければ、、。腰を庇いながら、歯医者さんのシートに仰向けになる。右下奥歯の補修は1時間掛かった。こうして連日、腰が痛い、歯が悪いと書いていると、おばあさん達の病院でのおしゃべりを笑えない。


2004年9月28日(火)晴れ<憂鬱な秋晴れ>


久し振りに朝から青空が広がり、秋らしく空気が澄んでいる。気持ちよく自転車で矢作川の堤防を走りたいところだが、先日の転倒後遺症でそれどころではない。娘猫の「静」が外へ連れて行けとせがむので、リードを付けて道まで出たが、おじさんが腰を庇ってヨチヨチ歩きをしているので、猫の方も用心して、満足な散歩にならない。午前中PCに向かって、加藤先生の裸婦画集「女人讃歌」をホームページへ掲載するための作業をするも、遅々として進まない。午後、学生とのキャリア面談の事前調査をする。こんないい日に一日中家の中とは、、、。20時、窓を開けて空を見上げたら、薄雲に隠れてぼんやりとしたお月さんが見えた。こんな憂鬱な秋の日は、愉快な本(素晴しき自転車の旅)でも読みながら寝ましょうか。


2004年9月29日(水)雨、台風近し<早期キャリアアドバイス>


学生達のキャリアアドバイスを始めて今日で丸1年になる。長い間の企業経験が、彼らのキャリア教育の1部に役立つのなら、という事で引き受けた事だが、久し振りに若い人達と真剣に話し合ってみて色々なことが分ってきた。彼らの一番の関心は「遣り甲斐のある仕事を選ぶ事」だ。これは誠に結構な事だが、困った事に、それでは世の中どんな業界、業種、企業があり、その中でどんな仕事をし、どこに遣り甲斐を見付けるのかが分らない。おまけに、自分探しの自己分析を就職試験寸前に始める。ここでアドバイザーの出番だが、一緒に真剣に悩んでも妙案は中々見つからない。やはり1・2年生のうちからのキャリア教育が必要だ。あすは学生との面談日。早期キャリア面談を始めよう。しかし若さとは良いものだ、悩みながらも皆元気で明るい。


2004年9月30日(木)台風一過、秋晴れ<お土産の本来の意味>


今朝は台風一過、気持ちの良い秋晴れだ。学校へ向かう車の中で、何気なくラヂオのスイッチを入れたら「私の本棚」の朗読が流れてきた。題名は分らなかったが、藤田弓子さんの独特な声と人柄の滲み出た朗読がなんとも言えない味を出していた。田舎の人とのお土産のやり取りを描写する場面が有り、彼女の朗読で聞くと改めて納得という言葉に出っくわした。「お土産」というものは、その土地で産したものを持って行くもので、その土地に思いを馳せてもらうと言うのが本来の趣旨だ。多くの都会人は高いお金を出して買ってくるものだと思っている、と言うような行だったと思う。キノコのお土産を貰ったことから膨らませた話だった。車の外の秋晴れと、土の匂いのするお土産と、その意味の持つ温かみを感じながら車を進めた。


2004年10月1日(金)秋晴れ<「女人賛歌」額縁スライドショー完成>


今日は1日中加藤先生からご了解いただいた、裸婦・油彩画「女人賛歌」をHPに載せるため、額縁スライドショー作りの仕上げを行った。ここ 1週間位、考えては躓き、作っては失敗してきたが、なかなか思うような色彩・構成が出来なかった。今日完成したのは、最終段階で、ある程度妥協した結果でもある。それでも完成してしまえば、嬉しいもので、何度も見直して印刷してみる。後は先生に原稿を見てもらいOKとなればアップするだけだ。イチロー新記録まで後2本。この人に妥協はない。


2004年10月2日(土)小雨、曇り<村祭り準備スタート>


今年は10月の23・24日(土・日)が村祭りだ。今でも祭りと聞くと村の皆は盛り上がる。特に子供達は楽しみにしているようで、10日位から笛や太鼓の練習が始まる。神社係りはこれに合わせて、準備を始め、本祭りの神事、終わってからの境内の片付けまで一年中で一番忙しい時期を向かえる。今日はそのスタートの日だ。13時30分に神社に集合して、総代さんの車で、お囃子組、お神楽組の皆さん宅を回り、例年通り宜しくの挨拶回りをした。その後、これから始まる練習と本番で振舞うツマミ、お菓子の買い付け・予約に回った。新人神社係りとしては、大昔からこうして同じ事が繰り返され、村の行事として定着して来た事、そしてこの時期になると村の衆の気持ちも自然と盛り上がってくる事を思い、伝統の重みを感じたしだいである。




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気ままな毎日
**2004年10月分**
スタートは
2004.9.11より


2004年10月1日(金)秋晴れ<「女人賛歌」額縁スライドショー完成>


今日は1日中加藤先生からご了解いただいた、裸婦・油彩画「女人賛歌」をHPに載せるため、額縁スライドショー作りの仕上げを行った。ここ 1週間位、考えては躓き、作っては失敗してきたが、なかなか思うような色彩・構成が出来なかった。今日完成したのは、最終段階で、ある程度妥協した結果でもある。それでも完成してしまえば、嬉しいもので、何度も見直して印刷してみる。後は先生に原稿を見てもらいOKとなればアップするだけだ。イチロー新記録まで後2本。この人に妥協はない。


2004年10月2日(土)小雨、曇り<村祭り準備スタート>


今年は10月の23・24日(土・日)が村祭りだ。今でも祭りと聞くと村の皆は盛り上がる。特に子供達は楽しみにしているようで、10日位から笛や太鼓の練習が始まる。神社係りはこれに合わせて、準備を始め、本祭りの神事、終わってからの境内の片付けまで一年中で一番忙しい時期を向かえる。今日はそのスタートの日だ。13時30分に神社に集合して、総代さんの車で、お囃子組、お神楽組の皆さん宅を回り、例年通り宜しくの挨拶回りをした。その後、これから始まる練習と本番で振舞うツマミ、お菓子の買い付け・予約に回った。新人神社係りとしては、大昔からこうして同じ事が繰り返され、村の行事として定着して来た事、そしてこの時期になると村の衆の気持ちも自然と盛り上がってくる事を思い、伝統の重みを感じたしだいである。


2004年10月3日(日)1日中雨<お母さんのクラス会>


朝から雨が降っている。外は薄暗いが、7時になったので何時も通り起きる。テーブルにはおじさんの朝食だけが並べてある。お母さんはと言えば、洗濯機をグルグル回している。あッ!今日は「お母さんのクラス会の日」だった。朝早く起こされると機嫌の悪くなるおじさんをそっとしておいて、お母さんは朝から大忙しのようだ。そう言えばここ1週間、お母さんは、日頃触った事も無い押入れの中を掃除したり、家の周りの植木鉢の欠けた物を片付けたりと意味も無く忙しそうだった。そのガタガタも今日で終わりか。何年か振りの中学のクラス会だ。心置きなく行くためだ。気の済むように、気の済むだけ準備したらいい。会場まで車で送っていったら、そこには着飾った還暦のおばさん・おじさん達が大勢集まっていた。お母さんも中学生に帰ったのか、早足でその輪の中へ走って行った。


2004年10月4日(月)曇り<自転車修理>


昨日の予報では朝から雨のはずだったが、ラッキーにも薄日の差す朝となった。先日、自転車転倒で打った腰の打撲も、大分良くなって、壊れた自転車をお母さんのファンカーゴの荷台に持ち上げるくらいの力は出るようになった。タイトベルトでしっかり固定して自転車屋さんへ運んだ。幸いにも、自転車は前輪の取替え、変速機の取替え、その他細々した修理で済みそうだ。全部で1.5−2万円也。買い替えしなくてよいとは有難い。早く直して、ススキの堤防を走りたい。自転車を預けての帰り道、お母さんからTELが入り、駅に着いたとのこと。ちょっと回り道をして駅に寄り、お母さんを拾って家に帰った。車の中から、家に帰ってからも、久し振りに会った同級生の話や、宴会の話やらを機関銃のように話している。疲れた疲れたと言いながら、おじさんから見ると、さほどでもなさそうだ。良かった良かった。明日には自転車も直るだろう。


2004年10月5日(火)雨り<続・自転車修理>


昨日修理に出した自転車が直ったとの連絡が入った。雨も小降りになって来たので、ファンカーゴで貰いに行く事にした。修理完了した自転車は新品同様、パールのフレームが光っていた。日頃の手入れの悪さが身にしみて分る。店のお兄さんが軽々と車の荷台に載せてくれる。修理の仕様は色々調べてくれた結果、昨日の打ち合わせ通りでOKだった。14079円也。困った事に速度・距離計の電池を換えたら、全ての数値が”0”になってしまった。2004年9月25日転倒した日の最終計測器の総走行距離の値が”7682.0km”だったので、今後は10000km目指してハンドで足し算となる。又、百均で買ったミラーを外してバーグリップの先端にしっかりしたものを着けた。これならビビリも無く後ろから来る車もしっかり捕らえる事が出来そうだ。早く再デビューしたい。


2004年10月6日(水)秋晴れ<転倒後・自転車再デビュー>


転倒から11日目にして自転車再デビューした。家を出る時、お母さんから最初の日だから無理をしないように、と言われたものの乗り出してみると、家の回りを一回りしただけで帰ってこれなくなった。整備した自転車は静かで滑らかに走りだし、スピードメーターは”0”から徐々に上がってくる。降り続いた雨で空気が洗われ、抜けるような秋空に白い筋雲が流れている。矢張り矢作川の堤防を走らねば!銀色に波打つススキの群生が眩しい。バックミラーに写った空の青さにびっくりした。それでも、お母さんの言葉を思い出して、堤防から途中下車して家路に。ラッキーにも総距離は古い数字が残っていた。気持ちの良い自転車再デビュー!走行データは (D:6.58km、T:23分37秒、A:16.7km/h、M:25.1km/h、O:7688.9km)


2004年10月7日(木)晴れ<チョッといい面談>


今日は3人の学生とキャリア面談を行った。嬉しい事にその内の1人が、内定受領者で、卒業式までに時間があるので、この間に社会人として必要な事柄を習得しておきたい。具体的に何が必要か相談したい。と言うもので、大層前向きな面談で頼もしかった。こういう学生には「しっかり遊ぶ事も必要」と言ってあげたい。とかく小手先の面接技術の相談とかが多い中、ちょっといい面談だった。全ての面談を終え、山の中腹にある学校の駐車場を出る時、眼下に広がる町並みとその向うの山並みが綺麗な夕焼けで赤く染まって見えた。


2004年10月8日(金)雨<台風とオバサマ達>


お母さんの仕事仲間5名のオバサマ達が、早朝5時半出発で東北目指して飛び立っていった。今年最大の台風が北上している。何処かでぶつかるだろう。3人寄れば・・・のオバサマ達が5人も寄れば、さすがの台風も吹き飛ばされるかもしれない。多分そうなるだろう。お陰でおじさんは1日中大忙しだった。先日修理に出しておいたプリンタが直ったとのTELが入り、これをとりに行った。思ったより早い修理で感謝。途中で床屋に寄る。お祭り用のぴかぴかの頭になった。帰って来たら、小出様から「明日のJSK定例会合は台風直撃確実につき中止する」とのtelが入った。これを聞いて道路に面した植木鉢を風の当たらない所へ全部移動させ、びしょ濡れになった。この話を帰って来たお母さんにすると、多分、決まり文句の「私は一生忙しかった」と反撃する事だろう。偶の旅行だ、雨の中楽しんで来てほしい。


2004年10月9日(土)雨、後曇り<HP「女人賛歌」への反応>


大型台風ということで、昨日から万全の準備をして待ち構えたが、台風が家の右側を通過したお陰で、風は大したことは無かった。降り続いた雨も夕方には止み、夕焼けが見えた。しかし、歩きで矢作川まで行ってみたら、川は増水し、茶色に濁った濁流が流木や粗大ゴミを巻き込みながら流れていた。矢張り台風は侮れない。家に帰ってメールを開いたら、QLINKのお二人の方から、昨日アップした「女人賛歌」額縁スライドショーを見ての感想が送られていた。HPの掲示板にも書き込みがあり、加藤先生の絵の魅力を改めて強く感じた。こんなに早い反応をいただき、皆さんが楽しんで下されば、何度も失敗しながら作った額縁スライドショーも価値があるというもんだ。スクリプト製作のQPONさんにも感謝。加藤先生の「オッカケおじさん」としては嬉しい限りだ。早速、この反応を先生にもお伝えしよう。


2004年10月10日(日)晴れ<おじさんと娘猫>


お母さんが家を留守にしてから今日で3日目になる。ヤモリかと悪口を言われるほど、家を空けるのが嫌いなお母さんが、3日も居ないと大変な事になる。家にはおじさんと娘猫「静」の1人と1匹だけだ。日頃は何事につけお母さんべったりで、散歩の時以外はおじさんには寄り付きもしない猫なのに、家中探してお母さんが居ない事が分ると、手の平を返したように、おじさんについて回って煩いほど餌をねだる。最初はぎこちなく餌を与えていたおじさんも、3日も足にスリスリされて過ごすと可愛さが増してきて、頭を撫ぜながら餌をやっている。さて今晩遅く、お母さんは帰って来る。どんな反応を示すだろう。多分何事も無かったかの様にお母さんに付いて回る事だろう。人間の娘さんも同じだろうか。さてもおじさんとは哀れなものよ。走行データは (D:10.92km、T:40分39秒、A:16.1km/h、M:33.0km/h、O:7699.9km)


2004年10月11日(月)晴れ<続・おじさんと娘猫>


おじさんがいつまでも寝ていると、喚きながら起こしに来るお母さんも、さすがに今朝は、旅の疲れが出たのか、いつまでも眠っている。久し振りに一家で遅起きとなった。猫の「静」は腹ペコで、二人が起きてくるのを今や遅しと待ち構えている。朝一番、さておじさんとお母さんのどちらに纏わり付いて、餌をねだるのか。おじさんが先に洗面所へ行って顔を洗っていても、見向きもしない。やっぱりと言うか、当然と言うか、お母さんの後を付いて回っている。薄情なもんだ。ただ、近頃すこしずつ朝晩気温が下がり、肌寒さを感じることがある。そんな時、テレビの前で座っているおじさんの膝の上に来るようになった。お母さんの膝は足が短くて丸っこいため座りにくいのだろう。しかしお母さんはこの意見には納得していない。走行データは (D:16.41km、T:52分24秒、A:18.8km/h、M:33.1km/h、O:7716.3km)


2004年10月12日(火)曇り<我が家の庭に蛇が来た?>


娘猫の「静」を散歩に出した時、道を隔てた向う側の田圃から我が家に向かってくねくねと曲がりくねった変な軌跡が付いているのを見つけた。田圃の濡れた泥で一筆書きしたようになっている。おじさんはとっさに閃いた。かなり大きな蛇が我が家の庭にやってきた。気温が下がって、冬眠のねぐらでも探しているのだろう。毎年2・3回はお母さんの大声で、おじさんは庭の蛇捕獲に借り出されるのだが、今年は春先の小蛇1匹で終わっていたのに、、、。早速、蛇・モグラ忌避剤を買ってきて、石組みの回りに撒き散らした。効果の程は?。お母さんの大声を聞く前に退散してくれれば良いが。おじさんは子供時代に鍛えた腕だ、それ程好きな相手ではないが、取り逃がした事は無い。お母さんは夜、外に出なくなった。走行データは (D:6.90km、T:25分04秒、A:16.5km/h、M:23.8km/h、O:7723.2km)


2004年10月13日(水)晴れ<企業が求める人材とは>


3年生対象の「企業の文化」という授業がある。ここでは「企業が求める人材とは」を分かり易く話す事が主眼になっているが、その前に学生が企業とは、どんな所か、何をしているのかを知らなければ、ナゼそんな人材が企業には必要なのか、理解できないだろう。90分間で結論まで話すには前段階をしっかりしておかないと、、、。8月ごろから少しずつ書き始め、今日やっと完成した。後はこの授業の発案者と内容について打ち合わせをし、直すところがあれが修正して本番の授業に使いたい。出来るだけ現場に近いところの事例を沢山入れて、実社会の疑似体験をしてもらえるようにしたつもりだがどうだろう。


2004年10月14日(木)晴れ<子供達とお神楽練習>


村祭りで奉納されるお神楽とお囃子の練習が始まった。97歳を最高齢に、村の長老のお師匠さん達が、小学生の笛、太鼓、舞の稽古をつけている。核家族社会の現在ではなかなか見られない風景だ。練習中はさすがの腕白坊主、やんちゃ娘達もお師匠さんの指示に従って真剣だ。中休憩となると弾けた様に暗い境内に飛び出して、走り回っている。見ていると暗闇の遊びの中では、高学年が下の者をいじめながら、リードしながら、、、。昔の子供の遊びを思い出させる。送り迎えのお母さん達も遠巻きに子供達の練習風景を眺めている。ここだけが、全て昔のままだ。祭囃子の音が静かな村の家々に流れていく。裏方の神社係りは慣れないせいか忙しい。


2004年10月15日(金)晴れ<最近の景気>


報道によると、アメリカの雇用統計が10万人を割り込んだ。石油価格は市場最高値を更新し続け、世界経済の重石になっている。しかし日本では、政府は、改革の進展で景気は回復しつつある。ダイエーを産業再生機構に預けたら、不良債権処理の総仕上げ?、等々言い続けている。しかし市場はどうして弱気の見方をし続けて居るのだろう。8000円台から11000円まで戻し、その後これを中心にして上下500円がもう半年以上続いている。これが定常化して最終到達点なら、竹中大臣も国民にあまり期待を持たせるようなコメントをしない方がいい。そうすれば、我々もそのような意識に切り替えるか、別の内閣を考えるか踏ん切りがつくと言うもんだ。今朝も新聞1面はダイエー問題だ。定年おじさん達としては、年齢的にも竹中大臣に付き合うにはそろそろリミットだ。


2004年10月16日(土)晴れ<家の中の絵の架け替え>


季節感を家の中にも取り込みたいと、目に付く壁面に絵を飾っている。絵や掛け軸、女性のファッション等は季節を先取りして楽しむのが一般的なんだろうが、我が家では、なかなかその様になってない。裏の垣根の萩が咲き始めると、「萩の絵」を、十五夜の月を見て、慌てて「月見」の色紙に取り替えている。常識外れの行動だが、絵を取り替えた時は、一瞬、家の外も中も正に旬の季節を感じると言うメリットはある。今日、外出した時、隣村の花火の音が聞こえてきた。来週はオラガ村祭りだ。そうだ、玄関の「お月見」の絵を「村祭」に替えよう。ついでに竹炭で作った金魚の風鈴を外して、「紅葉」の絵を掛けた。家の中外共、一瞬ヒンヤリとした空気が流れた。


2004年10月17日(日)晴れ<久し振りのAコース走>


今朝の空は高く、抜けるように青い。空気も澄んでヒンヤリしている。このところ、お祭りの準備で忙しく、暫く自転車に乗ってない。こんなに天気も良い事だし、久し振りに海岸道路(Aコース)を走ってみよう、と街中を抜けて海岸道路に取り付いたところ、その村のお祭りに出くわした。からくり人形を乗せた山車が飾られ、人形の準備も出来ている。その横を通り過ぎた時、焼きイカの匂いがした。自転車道の両側の林の下草は綺麗に刈られていて気持ちがよい。少し色付き始めた林の木漏れ日は柔らかい。コースエンドの遊園地では小さな子供達がピンと腕を伸ばした姿勢でゴーカートを運転していた。気分ははセナか。皆秋を楽しんでいるようだ。走行データは (D:12.64km、T:48分00秒、A:15.7km/h、M:29.6km/h、O:7735.8km)


2004年10月18日(月)晴れ<上書き保存のミス>


昨日は秋祭り練習の中休みだったので、夜、PCに入れてある神社関係の行事議事録を引っ張りだして見ていたら、9月の議事録が見当たらない。考えてみると、9月行事の次の日から学校の後期がスタートし、そのごたごたで議事録が書いてなかった。記憶が薄れ掛けているが、分っている分だけでも書いておこうと、8月分を呼び出し、それに倣って完成させた。常に、「名前をつけて保存」を1番最初にやってから本文に入るので、昨夜もそのつもりで「上書き保存」を押したのだが、、、ミス!。今朝から、さらに古い記憶を呼び起こしながら8月分を作りだした。お昼前にやっと完成し、4月からのものが全て揃った。「カッとする気持ちを抑えることと、古い記憶を思い起こす練習でボケ防止」と、とんだ半日になってしまった。今晩から秋祭りの練習が再開される。議事録は忘れない内に書いておこう。


2004年10月19日(火)雨<インフルエンザの予防接種>


今日はゴミ出しの日だ。おじさんのテリトリーの「離れPC周り」と「外庭」の片づけをして、NHK朝の連ドラ「わかば」を見ていたら、お母さんが大声を出している。何時もはゆっくりしている時間帯なのに、何事かと聞けば「今日はインフルエンザの予防接種の予約日で、事前調査書を書いて持って行く事になっていた。」とのこと。そう言えばおじさんは1ヶ月も前に聞いて忘れていた。慌てて体温を計り、お決まりの項目に丸を付け、二人で病院へ急いだ。待合室には大勢の人が居たが、予約につき、直ぐ問診、注射完了。66歳のおじさんは1000円、お母さんは2500円で5ヶ月間は大丈夫との事だった。願わくば今年流行する風邪に効果のあるワクチンでありますように、、、。この分なら、予約すれば人間ドックもスムースに行きそうだ。この病院にしよう。退職後初めての検査だ。何が出るか、不安と期待、、、。


2004年10月20日(水)大雨&風<台風襲来>


朝9時に歯医者へ行ったら、待合室でオバサマ達が「風も無いのに、高校も早々と休校だそうだ」と話していた。確かに小雨が降っている程度だ。治療もすんなり終わって家に帰ったら、お母さんが、50k程の所に住んでいる息子と電話で話している。次の日曜日、孫を連れて家に来るとか何とか言っているようだ。ついでに孫の様子を聞いたら、今日は保育園も休園となり、嫁が会社を休んで二人でお留守番らしい。そう言えば、夕べの祭囃子練習の終わりに、師匠がお迎えのお母さんや子供達に、「明日の練習は、学校が休みになったら、こちらも休みです。」と連絡していた。このくらいの雨で、風も無く、学校が休みなら子供達は大喜びだろう。と思っていたら、午後から突然、風と雨が強くなってきた。やっぱりテレビの予報通り、台風襲来の予感。夜半には当地方を直撃するだろう。次々来る台風に備えて、近くにある納屋は雨戸を1ヶ月間空けてない。


2004年10月21日(木)秋晴れ<お祭り一色の日々>


今日は、本当に忙しい1日だった。朝起きて家の周りを見回ったら、夕べの台風で生垣が傾いてしまっていた。10時までかかって、元通りに起こして根元の土をしっかり固めて完了。その後学校へ出て、学生4名とキャリア面談を行い、午後6時半に帰宅、食事もそこそこに今度は神社の秋祭り準備に参加。神楽舞の華の作り替え、子供の練習の中休み用にお菓子の準備等して、10時帰宅。風呂に入ったらどっと疲れが出た。こんな忙しさがお祭り終了まで、後4日間続く事になる。その内の1晩は神社の本殿で夜籠りをする事になっている。この「気ままな毎日」も来週の月曜日までお休みとなりそうだ。当然自転車とも暫しのお別れだ。祭り一色の日が続く。この村は、大昔からこの時期になると同じような忙しさで、祭りムードを盛り上げて来た。それを又、次の人に引き継いでいく。


2004年10月25日(月)秋晴れ<祭りが終わった


終わった、終わった祭りが終わった。金曜日の子供お神楽・お囃子連の練習打ち上げ食事会のお膳立て、土曜日の村中総出のお祭り準備、それに続く前夜祭、本祭り、そして今日、月曜日、朝から村中総出の祭りの後片付けと、一連の村の一大行事は滞りなく終わった。祭り裏方役としては、目の回るような数日間だったが、無事終了した事にほっとしている。そしてちょっとした脱力状態だ。お陰で、祭りは、例年通り祭囃子と爆竹と屋台の呼び声と子供達が騒ぎまわる賑やかで華やかなものになった。明日から又何時も通りの静な日常が始まる。おじさんは久し振りに自転車に跨って田圃道をゆっくり走った。東の堤防越しに大きな白い月が見え、西の空には同じ大きさの夕日が沈んで、少し暗くなりかけてきた。走行データは (D:8.12km、T:32分12秒、A:15.1km/h、M:21.3km/h、O:7744.0km)


2004年10月26日(火)曇り<村祭りの写真>


昼飯を食べてチョッと横になったら、祭りの疲れが遅れてやって来たのか、知らない間に転寝をしてしまったようだ。雨は朝から降り続いている。もそもそ起き出して、PCの前に座ったら、MLからのメールとウイルスメールが一杯になっていた。一通り目を通し整理をつけた。引き続き村祭りで撮った写真の整理に取り掛かった。祭り準備、前夜祭、本祭りと撮り続けてあるので100枚以上になる。その中から祭りらしい華やかな1枚を選んでトップページの**気替りメニュ**にアップした。後は、村祭り風景を10枚ほど選んで、アラカルト風に高画質写真でアップしよう。そして昔から伝わる村祭りの風景を表現できたら良いのだが・・・さてどうなるか。写真の写りはピンボケでも、一枚一枚の写真が祭り準備の裏方で走り回ったこの4日間の疲れを癒してくれる。


村祭り子供お神楽連


2004年10月27日(水)曇り<小まめな着替え>


夕べ、風呂上りにPCをしていたら、何時もとは違う北の雨戸がガタガタ鳴って、急に背中がぞくぞくっとして来た。祭りの写真のアップもそこそこに寝てしまった。今朝起きてみたら、空は一面灰色の雲に覆われて、強い北風が吹いている。そう言えば、夕べPCをしている時吹いたあの風が、今年の北風一番だったのか。昨日の雨を境に冬の季節に入ったようだ。これほど明確に季節の移り変わりを感じるようになったのは、矢張り、歳のせいだろう。昔の俳人だったら、センスが先鋭になったと喜んだかも知れないが、現代に生きる普通人としてはチョッと寂しさを感じる。椅子の背凭れには、自転車の時の薄いスポーツウエアと部屋着のジャンパーと冬用フリースの3枚が掛かっている。小まめに着替える複雑な季節になった。 走行データは (D:10.70km、T:39分00秒、A:16.4km/h、M:27.1km/h、O:7754.7km)


2004年10月28日(木)晴れ<季節の変わり目>


就職相談室から見えるハナミズキが真っ赤に紅葉している。今年は台風の影響で葉先が茶色になるものが多かったのに、ここだけは建物と高い土手に囲まれているため、風の被害も無く助かったのだろう。それにしても1週間前に来た時は、まだ緑色だったと言うのに。そういえば今日は来年就職用に3年生のキャリアデザイン面談をすることになっている。何処の大学でもお馴染みの「世の中にどんな職業があるのか、自分の強みを明確に自覚できない、つきたい職業が絞り込めない」等について話し合う事になる。矢張りもっと低学年から少しずつ職業観を持てるうな方策を考えなくては、、。その一環として来週から主に2年生を対象にグループディスカッション形式で、業界、職種、ヤリガイ等を考えてみる事になった。ちょっと先は長いが良い結果を期待して、、、。帰り道、澄んだ空気のせいか13夜(?)の月が綺麗に見えた。


2004年10月29日(金)晴れ<整理の日>


今日は珍しくこれと言った予定が無い。こういう日は、日頃溜まっているごたごたを片付けるに限る。社会保険庁への扶養親族申告はがきを出す。HPの掲示板へ書き込んでくれた人へお礼の書き込みをする。メールの返信を出す。明日のJSK定例会合の準備をしておく。村祭り準備から、宮片付けまでの一部始終をメモしてある。これを記録に残しておかなければ、、。来年まで裏方役が残っているのだ。そのお祭りに息子夫婦と孫が来て、撮った写真をPCの中へ残していった。これをおばあさんに見せるためプリントアウトしておこう。色々整理していると、机の前に座りっぱなしで足が痛い。外は上天気だし、やりもしないゴルフクラブの素振りでもしてみるか。整理がつき、一つずつ形が見えてくると気持ちもすっきりする。


2004年10月30日(土)雨<JSK定例会合>


モノ作りNPO・JSK定例会合の日だ。今日は全員がサブ会員会社に出向いて、新開発製品の試作品を見ながら、検討会を持つ事になっている。何時もの会場で、図面や書類を見ながらするのと違って、現地で、現物を見ながらのブレーンストーミングは、アイディア出しもスムースで、面白いものが沢山出た。又1人のアイディアに他人が悪乗りして、もっと面白いものが出て来た。皆でモノを見ながら検討する事の重要性を改めて感じた一日だった。それでも売り出せる商品になるまでには、まだまだ色々な難関があって、こんな検討会を何回も何回もしなければだめだろう。改良試作品が出来るのが楽しみだ。又会員による商工会議所への支援活動報告もあり、こちらの方は会員の持つ経験やノウハウを希望企業に注入するもので、着実に効果が上がりだしたというものだった。脳みその老化防止の日だった。


2004年10月31日(日)曇り<稚児行列>


曇り空ではあるが、風も無く自転車日和と言っていい。海岸道路を走り出したらすぐ大勢の着飾った子供連れに出っくわした。ぞろぞろと自転車・歩行者専用道路一杯に歩いている。行き先はどうも市の体育館のようだ。そう言えばお母さんの友達のお孫さんが今度稚児行列に出るとか話していた。おしゃれをしたお母さんや、爺さん婆さんのいでたちを見れば、それに違いない。子供達は集まって一斉にお化粧をし、稚児衣装に着替えるのだろう。気のせいか女の子は、嬉しそうに、男の子はそれ程でもなさそうに手を引かれて歩いている。そこを通り越して、暫く行くと稚児行列を主催する神社前に出た。「上の宮熊野権現神社」で、そこには「神社創建950周年」と書かれた幟旗が立っていた。参加者は大喜び、世話役はお骨折りな事だ。家に帰って先日の村祭りの終了慰労会に出た。こちらも裏方はお骨折り。 走行データは (D:17.26km、T:1時間04分59秒、A:15.9km/h、M:35.9km/h、O:7772.0km)





2004年10月
自転車走行実績
内容 走行実績値
走行日数 8日
総走行距離 90km
総走行時間 5.7時間
平均速度 15.8km/時間
最高速度 35.9km/時間




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気ままな毎日
**2004年11月分**
スタートは
2004.9.11より


2004年11月1日(月)晴れ<夫婦の絆>


朝食を食べながら、お母さんがぶつぶつ言っている。何事かと思いきや、夕べの夜中の0時から1時間半程、雷の音と稲妻と大雨で目が醒めてしまい、とても怖くて寝ているどころではなかったと言う。猫の「静」も最初の雷鳴で一目散に食卓の下に逃げ込んだ後、雷が収まるまで出てこなかったらしい。1人と1匹で怖がっているのに、おじさんはと見ると、この大雷鳴の中、それに負けないくらいの大鼾をかいて寝ているではないか。思い遣りも何もあったものではない、夫婦の絆もこんなものですか、、云々。これがぶつぶつの中身であった。そう言われても、寝ている間の責任までは持ちかねる。食後、矢作川堤防コースを自転車で走ったら、増水で川幅が広がっていた。上流でもかなり降ったようだ。 走行データは (D:13.39km、T:48分29秒、A:16.6km/h、M:30.7km/h、O:7785.4km)


2004年11月2日(火)晴れ<学生の職業観>


多くの学生は、就職戦線のスタート台に立って、「さて世の中にはどんな仕事があって、自分の好みを生かせる職業は何だろう。就きたい職業を決めかねる」と悩んでいる。小さい時から家で仕事を見る機会が無く、アルバイトはしているが、それを職業として意識していない、と言う事で、いざ自分の将来を決める時期になって慌てることになるのだろう。低学年から早期にキャリアデザインを少しずつ意識させるためのグループ面談の方法を考案しよう。「改めてアルバイトをした会社の中にある職種について話し合ってみる。会社四季報の業界分類と企業の中身を調査して話し合ってみる。アルバイトの仕事の中で面白かった事は何か。自分の好みは。学生時代何に力を注ぐか」をグループディスカッションしてみる。今日1日中かかって概略の構想は出来上がった。今週面談に取り入れよう。 走行データは (D:7.79km、T:24分41秒、A:18.9km/h、M:22.9km/h、O:7793.1km)


2004年11月3日(水)晴れ<大掃除の日>


おじさんの部屋には椅子机と座り机の二つがあり、その各々にパソコンが置いてある。一つはノート型で家の中で移動させながら使っている。書類の作成や、HPの更新や、写真の整理等全ての作業はここで処理をする。そうすると印刷失敗の紙、カメラ、読みかけのマニュアル本等が何時の間にか回りに積みあがってくる。毎日掃除はしているものの、1週間たつとそれなりの量になって、机の回りや上を塞ぐ。そこで週1回大掃除の日を決め、何でもかんでも、捨てまくる日を作った。今日、水曜日はその日だ。区別して捨てる。掃除機をかける。雑巾で拭く。ここまでするとすっきりしてくる。この日ばかりは、猫の「静」も何時もの「四角い部屋を丸く掃き」と様子が違うので、遠巻きにおじさんを見ている。


2004年11月4日(木)晴れ<ブッシュが勝った>


朝刊にはブッシュ優勢、しかし最終決着までに時間が掛かるか、と出ていた。夕べのテレビと同じだなと思いながら、8時のNHKニュースを見ていたら、ケリーが敗北宣言をしている映像が流れた。接戦とは言え総投票数でも負けており、ここは先回みたいに訴訟合戦にするより、綺麗に身を引いてクリーン民主党を演出した方が得策と考えたのだろうか。それにしてもアメリカ以外では、ケリーが圧倒的に支持を集めていると言うのに、どうした事だろう。米国の人は強いと言い張るリーダーを選んだ。市場もこれを好感して大幅な上げを見せた。矢張り今の時代、強くて安定感のあるものにすがりたい心理が強いのか。今から4年間その強さを前面に、独り相撲で世界を押し捲るのか、少しトーンを下げて、国際協調路線に入るのか。個人的にはそうあって欲しい。それが接戦勝利の意味だと思う。


2004年11月5日(金)晴れ<川辺の樹木>


矢作川の堤防が綺麗に刈り込まれ、自転車で走ってみると今まで気が付かなかったものが見えてくる。その一つが堤防の内外に生えている大きな樹木だ。周りの草が、ある日突然刈り取られ、根元まですっきりすると、その木が意外に大木であったことにびっくりする。そんな目でこの堤防コースの全周を見渡すと結構面白い樹木があることに気が付く。誰が植えたのか自生したのか、同じ種類の大木が、等間隔に5本ほど並んでいたりする。昔、竹筒の紙鉄砲を作った、節の長い細い竹の林も輪郭をはっき見せる。堤防刈り込みも、何かの基準で樹木を残すこともあるのだろう。これが川の風景に変化を与える。何時か自転車コースの周りの樹木の写真を撮ってみたくなった。 走行データは (D:17.01km、T:58分33秒、A:17.4km/h、M:36.4km/h、O:7810.2km)


2004年11月6日(土)晴れ<久し振りの電車>


久し振りに電車に乗って隣町・刈谷市に行った。「刈谷産業まつり」に我々「JSK」も商工会議所の支援メンバとして開発品の展示を行ったのだ。並べた防災リヤーカートや玄関リフトには多くの人達が群がり、説明者はおおわらわだった。それなりの反応が有り、喜ばしいことだ。帰りも電車を使い、さらに電車を降りた駅前で、市営の無料バスに乗り換えて家の直ぐ近くまで来てしまった。電車と言い、バスと言い本当に久し振りだ。電車の中では、昼中と言うのに転寝して乗り過ごした女子高生がいたり、歩け歩け大会の中年グループがいたりで大変賑やかだ。又無料バスの乗客は、殆どが老人で、乗り降りには「お願いします」「有難う」と礼儀正しい。田舎の老人も電車、バスと軽快に乗り回し、行動範囲が広いのにびっくり。人混みで疲れてしまったのは、車か自転車で何処へでも行く田舎者の定年おじさんだけのようだ。


2004年11月7日(日)晴れ<シクラメンのかおり>


お母さんの買い物に付き合って、スーパーに行った。但し、付き合ったのは運転だけで、お母さんの買い物中は、お決まりの本屋で、新刊書や週刊誌の雑学を仕入れていた。買い物を終わったら、丁度お昼時になったので、近くの和食の店に入って昼食を取ることにした。この店は量は少ないがランチが上品で、美味いと評判のようだ。こんな店はおばさん達の口コミに乗り易いらしい。店内は小さいがチョッと小奇麗で、いかにもと言う感じだ。店内には昭和の歌謡曲の楽曲だけが小さなボリュームで流れていた。ふと気が付くと聞き覚えのある「シクラメンのかおり」になっていた。先日、HPの掲示板にピコさんから「シクラメンのかおり」の季節になりましたね。という書き込みをいただき、こちら田舎の花屋でも色とりどりのシクラメンに気が付いたところだ。50年代の昭和を思い出しながらの昼飯となった。 走行データは (D:8.97km、T:38分36秒、A:13.9km/h、M:33.7km/h、O:7819.1km)


2004年11月8日(月)晴れ<年賀状のモデル>


我が家の年賀状は3・4年前からパソコン書きになった。手書きからPCに変わった当初は、自分自身としては物珍しさも手伝って、あの画像、この写真、この書体をと選んで挨拶文面を作って、自己満足していた。しかし、手書きの良さもなければと、近頃はPC書きの中に、下手な生文字を1行入れることにした。お母さんの年賀状は、一貫して至極簡単に、孫のアップの写真に手書きの挨拶と決まっている。この「至極簡単に」に対しては、大いに文句があるようで、1行書くのに長い時間をかけている。今日も孫の写真をどうしようと言っていたら、タイミング良く息子からメールが入り、今度の土曜日、用事のついでに孫を連れて家に来ると言う。お誂え向きにモデルが来てくれる。さてどんな写真を撮るのか考えねば。


2004年11月9日(火)晴れ<90分喋りっぱなし>


通常、学生達に対するキャリア アドバイスは、1人30分の予約制で、キャリア デザインに対する、不安や疑問について話し合いを持つというやり方で進めている。最近、低学年には、グループディスカッション形式で3−5人が、各人のキャリア デザインを発表し合い、お互いの足りない所を、補い合うということも始めた。いずれの場合も、長くて60分の話し合いで終了している。ところが、今日は、「企業の文化T」の最終回と言う事で、学生 11人相手に「企業文化を知る事により今後の学生生活で何に力を注ぐか、それを自分のキャリア デザインにどのように反映させるか」等について90分間喋りっぱなしに話しをた。彼らの反応はまあまあに見えたが、後からアンケートの結果が出る。かなり疲れたが、すっきりしている。家に帰ってボオーッとしていたら、テーブルの上のパンを娘猫の「静」に持っていかれた。


2004年11月10日(水)晴れ<小春日和>


電子辞書のコマーシャルで、田舎の母親が息子宛の手紙で「小春日和は春の日のことを言うのではありません。又、以前、お前は若干をわかせんと読みましたね。母は恥をかきました。」と言って、笑いを誘いながらの売込みをしているのを見ますが、昨日今日と正にこの「小春日和」が続いて、ちょっと暑いくらいだ。そこでこの「小春日和」を写真にして、HPのトップを飾れないかと考えた。ならばと日課の自転車走にカメラ持参で出掛けた。走りながら小春日和のイメージをあれこれ考えたが、そのイメージが湧かないし、湧いたとしてもそんな題材が直ぐ現れる訳でもない。何時も通りの堤防コースを外れてみても、そんな簡単に、にパチリと言うものはない。走りの最後に黒ラブを散歩させている赤いカーディガンの女の人を堤防下からシルエットで撮ってみた。PCで見たら人物が小さすぎてダメ。とんだ小春日和だった。 走行データは (D:12.74km、T:53分29秒、A:14.2km/h、M:32.6km/h、O:7831.9km)


2004年11月11日(木)曇りのち晴れ<猫と競争>


我が家では娘猫「静」に食べられて困るものは、仏壇の部屋に入れ、周りの障子を締め切っておく。生菓子や頂き物のお鮨等は冷蔵庫に入れると折角の味が落ちる。そんな時は仏壇にお供えすると同時に、完璧な「静」対策にもなるこの方法は、一石二鳥なのだ。しかしこれは、障子の閉め忘れが無ければの話で、敵も然る者、すきあらばと閉め忘れを虎視眈々と狙っている。昨日は、仏間に居る時、電話が鳴ったので、慌てて電話を取り、そのまま話し込んでいたそのすきに、お母さんの買っておいたメロンパンを食べられてしまった。今日は、味を憶えたのか、おじさんが仏間から出てくるのと入れ替わりに素早く部屋に入り、近くのおばさんからの頂き物のお鮨の包みに向かって突進して行った。すんでのところで取り押さえたが、油断も隙もあったものではない。お母さん曰く、「ボケ防止にはなるでしょう」。


2004年11月12日(金)雨のち晴れ<酉を求めて>


明日は我が家に年賀状のモデルがやってくる。初孫が生まれてから、お母さんの年賀状は「ババ馬鹿振りを発揮して」孫のアップに決まっている。この時期に写真を撮っておかないと間に合わない。先日息子が今度の土曜日、孫を連れて家に来るとTELしてきた。待ちモデル来るだ。来年の干支「酉さん」を抱いている孫のアップが欲しいと言う。という訳でお使いのついでに近くの園芸店で風見鶏はないかと訪ねたが、思った物が無い。3軒目でやっと、孫の頭大の焼き物の酉が見つかった。しかしやっと手に入れた酉も、2歳の孫がこちらの思い通り大人しく胸に抱いてポーズを取るとはとても思えない。又そんな大人しい子供はちょっと気持ちが悪い。ポイと投げ捨てて焼き物が割れる音を聞いて大喜びしているのがおちであろう。さあて、明日はジジ・ババが二人かかりで撮る写真の出来は如何に、、、。


2004年11月13日(土)晴れ<モデル撮影会>


今日は我が家に年賀状のモデル(孫)がやって来た。家に着いて直ぐに撮影してしまわないと、大変な事になる。時間が経って、少し慣れてくると、 2階といわず離れといわず、家の中を隅から隅まで走り回って撮影どころではなくなってしまう。おじさんとお母さんは2人掛りで孫に酉を抱かせたり、横に立たせたり、、、。孫はと言えば、車から降りると同時に訳も解らずに、ポーズを取らされキョトンとしている。今だ!。何はともあれ、無事来年の年賀状用写真は出来ました。ご苦労さんでした。撮影後の孫は、食べる、走る、喚くと何時ものように大騒ぎをしています。
酉年年賀状モデル(孫)





2004年11月14日(日)曇り<七五三詣り>


今日、おらが村の神社は、月例祭、琴平神社祭に加え、七五三詣りを執り行った。5人の3歳児からお詣りの申し込みがあり、それぞれにお母さんやおばあさんが付き添って来た。一家揃って、子や孫の健やかな成長を祈願しての参加だが、どうしても女の子の衣装には力が入るようだ。写真班のお父さんも女の子には熱が入るし、子供本人もそれなりにポーズを取っている。男の子はと言えば、一枚撮るのにおばあさんが押さえ込んでの撮影となり、大騒ぎだ。そして男の子は、車から降りるなり境内を走り回り、衣服の汚れはお構いなしと来れば、親達の服装に対する熱の入れ方の差も仕方の無い事か。神社裏方係りとしては、怪我でもしないかと気が気ではない。何時もは静かな本殿の中も、今日ばかりは、お澄ましの女の子、走り回る男の子で、いつに無く活気付いた一日だった。皆、健やかに大きくなれと祈るばかりだ。


2004年11月15日(月)雨後曇り<矢作川の名前の由来>


近頃、朝日新聞の折込で「定年時代(愛知版)」と言う新聞みたいなタウン誌みたいなものが、月一くらいの割合で入るようになった。定年おじさんとしては、ネーミングからしてそそられるので、時々広げて見る。今朝の折込11月号の2面に「岡崎市 小山三郎さん」と言う見出しで、弓道に使う「矢」の製作34年の匠の紹介が載っていた。その中で、「矢の素材である矢竹の産地は県東部を流れる一級河川・矢作川の上流だ。その矢作川は文字通り矢を作る竹の栽培に適した地域を流れるところから命名されたという」と言う記述があり、矢作川の名前の由来が書いてあった。確かに、おじさんの自転車コース・矢作川堤防沿いには竹薮が多い。この歳にして納得。 走行データは (D:15.32km、T:59分17秒、A:15.5km/h、M:31.8km/h、O:7847.2km)


2004年11月16日(火)晴れ<娘猫「静」の爪切り>


獣医さんは何処も大繁盛のようで、近くの獣医さんも例外ではない。土日ともなると広い駐車場に入りきれない車が道路まではみ出している。火・水辺りは若干空いているように見えたので、今日・火曜日、「静」の爪切りに行くことにした。狙いは的中、比較的早い受付となった。定期健診と耳掃除と爪切りをして2600円也。バカ高いイメージのある獣医さんだが、この料金だけは有難い。只、診察室に入るお母さんは、この日が来ると憂鬱になる。それは、家の娘猫は爪切りが怖くて、少々漏らす事があるそうな。これが申し訳なく、そして恥ずかしいのだそうだ。ガラス越しに見ているおじさんは、それも2600円の内と平静を装っているのだが、、。 走行データは (D:10.73km、T:42分38秒、A:15.1km/h、M:22.8km/h、O:7858.0km)


2004年11月17日(水)小春日和<無料健康診断>


お母さんが、朝起きる時、咳をしている。どうも昨日、生徒達から風邪を貰ったらしい。朝食後、医者に行かねばと準備している。ついでに健康診断日の予約をとってくると言う。それで思い出した。おじさんにも市から、65歳以上者への無料健康診断のお知らせのはがきが来ていたことを。しかもハガキを引っ張り出して見たら、最終は11月末日となっている。以前は勤め先で済ませていたが、ここ2年間やってない。思い出したが吉日で、自転車に乗った時、病院へ寄り道して予約して来た。さて空白の2年間、老化状況はどんなものだろう。以前の結果票と見比べて現状維持の値は幾つあるのかな、老化の現実にがっくりとなるか。出てのお楽しみ。 走行データは (D:11.40km、T:50分34秒、A:13.5km/h、M:25.1km/h、O:7869.4km)


2004年11月18日(木)曇り後雨<電気カーペット>


昨日、テレビの前とパソコンの前に電気カーペットを出した。敷き布団も低周波から温熱に切り替えて、第1段階の冬支度は終わった。もう少し寒くなったら扇風機型のハロゲンヒーターとエアコンを出して冬支度完了となる。そのためか、昨日から今日にかけて娘猫「静」のおじさんに対する態度がおかしい。いつもは、おじさんがテレビの前に座るのを待って膝の上に来るのに、カーペットを出してからと言うもの、おじさんを見向きもしない。暖かいカーペットの上で丸くなっている。歌の文句通り「ねーこはコタツでまるくなる」だ。チョッと悪戯してそっと膝の上に乗せてみても、1分とじっとしていない。すぐカーペットの上に逆戻りする。もうこれでカーペットを使わなくなる来春まで、おじさんと猫の接点は殆ど無くなる。ほっとするような寂しいような。


2004年11月19日(金)曇り<忘年会シーズン>


今日は今年初めての忘年会の日。モノ作りNPO「JSK」の活動総括をしようと言う名目での1泊の忘年会だ。しかし活動総括とは名ばかりで、活動成果・反省もそこそこに、スタートしてしまえば何処吹く風となる。モノ作り支援活動をしている間に仕入れてくる四方山話から始まって、最後にはお決まりのカラオケで締めることになるだろう。豊田地区、刈谷地区、岡崎地区をメーンに、今年は依頼されての島根での支援等、四方山ネタも幅広く、盛り上がる事だろう。メンバーは全員60歳以上で、酒量こそ歳相応に程々というところだが、話題の豊富さは毎年期待を裏切らない。


2004年11月20日(土)晴れ<続・忘年会シーズン>


忘年会場まで車で2時間とみて、余裕を持って2.5時間前に出発した。途中に新しいバイパスが開通したような噂を聞いていたので、それを使ってみることにした。ところが、バイパス近くになると、ナビの指示がおかしくなり、結局バイパスに入り損ねて、路頭に迷い、山勘でバイパス入口を探してぐるぐる走り回ったがギブアップ。結局会場に着いた時は、会長の1年間の総括の挨拶が始まっていた。皆には悪口を言われるは、お酒を注がれるはで散々なスタートとなった。活動報告は、いつになく熱のこもったものとなった。刈谷商工会議所からは支援メンバの増員要請があり、議論の末、JSKもそれに応えるべく会の拡張を決定した。最後はカラオケとなり、久し振りに賑やかな酒を楽しんだ。今朝の帰りはバイパス迄の道筋を教わり、1時間半で帰宅出来た。夕べの2.5時間の走りは何だったんだろう。


2004年11月21日(日)晴れ<お寺からの配布物>


お寺の裏方役は任期が3年で、お寺の催事のお手伝い以外は、配布資料を、自分の担当分の家々に届ける事である。今日は3種類の資料を配布する。配布物の1つは同朋新聞11月号で、配布の役目柄、中身を開いてみると、報恩講の記事が大きく取り上げてあった。冬の入り口のこの時期、おばあさんに連れられて檀那寺の報恩講にお参りした子供の頃の記憶が蘇る。他も「報恩講に遭う」「報恩講勤修のご案内」と報恩講のオンパレードだ。こちらには「宗祖親鸞聖人が90歳の生涯を閉じられたのが1262年11月28日で、この宗祖の命日に念仏の集まりが持たれ、これを「講」と称したのが報恩講の始まり」と書かれている。うーん確かにこれは我々真宗門徒にとって最も大切なご仏事なんだ。自転車で配る。 走行データは (D:10.11km、T:43分35秒、A:13.9km/h、M:30.2km/h、O:7879.5km)


2004年11月22日(月)晴れ<お取り越し>


今日は、お寺さんが檀家の家々を回って、お経をあげて頂ける日だ。宗祖親鸞聖人の命日に檀家達が檀那寺に集まり、お経をあげるのを報恩講と言って、この召集案内は昨日配布して回った。昔は皆貧しくて、報恩講に行けない人も多かった為、檀家達が民家に集まり、お寺さんに来てもらってお経をあげたと言う。食事も出て、村人達のレクレーションの場だったのかもしれない。しかし何時の頃からか、集まりはむしろ大変だと言う事で、お寺さんが各家々を回ってお経をあげる方式に変わってきた。これを「お取り越し」と言い、報恩講の民家版というところか。特にこの村には蓮如上人から親鸞の教えとお経の呼び掛けを書いた手紙が送られており、今も檀那寺に保管されていると言う。17時、我が家の「お取り越し」は終わった。 走行データは (D:15.33km、T:56分25秒、A:16.3km/h、M:32.2km/h、O:7894.8km)


2004年11月23日(火)晴れ<トヨタ ハイブリッド技術>


朝日新聞朝刊1面のトップに「ポルシェ、導入打診」と大見出しがあり、トヨタとポルシェは、プリウスに搭載されているハイブリッド技術の供与交渉に入る、と言う記事が載っていた。欧州の環境対策はディーゼルの改良が主流のはずだが、ポルシェのハイブリッド参入で、この技術が環境対策車の「世界標準」になるのだろうか。GMはあくまでも燃料電池車を目指し、ハイブリッドはその繋ぎと言っているし、、、、おじさんが最初のプリウスに乗った頃は「チョッと不思議で変な感じの車」だったが、2代目になって「不思議で凄い感じ」に変わったようだ。日産、フォード、ポルシェがトヨタから供与、ホンダ、GM、VW、現代が独自開発とハイブリッドが出揃った。燃料電池が遅れると案外主流かも。おじさんも次に車を買い替える程生きていたらハイブリッドにしよう。 走行データは (D:11.23km、T:43分26秒、A:16.6km/h、M:23.3km/h、O:7906.9km)


2004年11月24日(水)晴れ<歯の定期検査>


以前、おじさんのHPの掲示板に、ピコ様という方が、歯医者さんから「8020」の可能性を告げられ、歯の定期検査の効用を書き込んで下さったことがあった。それを読んだおじさんは、既に「8020」は消えてしまっているが(それだからこそと言うべきか)、その時から心を入れ替え、歯医者さんの定期検査を受けている。あれから2回目で、今日がその日だ。部分入れ歯の点検、歯石取り、ブラッシング、と進んだところで、奥歯のさらに1番奥に小さな虫歯が見つかった。気持ちとしては複雑で、定期点検の威力を感じると同時に、一方で、そんな小さなものまで見つけなくても、、、と、治療の光景を頭に浮かべる弱虫おじさんなのでした。 走行データは (D:15.46km、T:1時間00分13秒、A:15.4km/h、M:27.2km/h、O:7922.4km)


2004年11月25日(木)晴れ<カリン酒>


3・4年前、畑の雑木林にあるカリンの木に沢山の実が成ったことがある。あまり見事な実だったので、カリン酒を作った。豊作は2年くらい続き、飲みもしないのに、次の年も作ったような記憶がある。それを納戸の暗いところに置いておくうちにいつの間にか忘れてしまっていた。ところが先日、お母さんが咳き込み、喉が痛いと言って医者に行った。薬を貰って飲んでいるが果々しくないという。そこで思い出したのが作ったはずのカリン酒だ。暗いところを探し出し、取り出してみるとトロッと飴色のカリン酒が出来上がっていた。二人で舐めてみると、コクがあってビックリするほど美味い。お母さんは医者の薬が効いたのかカリン酒が効いたのか最近咳き込みが無くなった。今朝起きたら、今度はおじさんが喉が痛い。学生とのキャリア面談を済ませてから、医者に行かずにカリン酒を飲んでみた。さーて、明日の朝、その威力や如何に、、、


2004年11月26日(金)薄曇<カリン酒の効き目>


今朝は喉の痛みが和らいでいる。カリン酒の効き目か、自然治癒か。どちらにせよ良いことなので、このまま暫くカリン酒は続けてみることにする。ところで、酒の部分は飲むのだが、漬け込んだ実はどうしたものか。まさか食べられないだろう。捨てるしかないのか。このところ用事が多くて、家にじっとしている時間が少ない。これはまあ言い訳だが、JSKのホームページの更新が大幅に遅れている。そろそろ12月の声を聞くようになると、纏めておかねばと気がもめる。11月の会合では、1年間の活動総括も出たことだし、今日から心を入れ替えて溜まった編集作業を始めることにしましょう。やりだすと面白くなり、時間を忘れてPCにへばりつく。お母さんは又悪い癖が始まった、と外に追い出そうとして自転車を勧める。 走行データは (D:17.36km、T:1時間00分04秒、A:17.3km/h、M:31.6km/h、O:7939.7km)


2004年11月27日(土)晴れ<JSKホームページの編集>


昨日に引き続き、月初に行われた新製品展示会の紹介ページを作りだした。フォームは決まっているが、色使いが中々しっくりこない。展示品の写真を浮き立たせようとバックの色を薄い配色にすると、全体的にしまりが無くなる。少し濃くすると文字がぼける。丁度良い色にたどり着くには、トライ&エラーでやってみるしかない。お昼まで掛かって、妥協の産物だがまあまあのものが出来た。午後、息抜きに自転車で本屋まで走った。電車男の本が山積みになっていた。その横にトヨタとリクルートが立ち上げた会社「OJTソリューションズ」の改善活動をルポした本がこれまた山積みされていた。どうせお決まりの、、、と思ったが、我々JSK活動のまとめにも役立つかなと思って、金1500円也を支払ってしまった。帰って又、hpの編集を始めた。 走行データは (D:13.87km、T:0時間53分20秒、A:15.6km/h、M:36.0km/h、O:7953.6km)


2004年11月28日(日)晴れ<JSKホームページのアップ>


2日間にわたる悪戦苦闘の末、JSKホームページの編集がやっと終わった。撮り溜めた写真の確認、議事録の読み直し、ページ毎の色合わせ等長期に渡って放置したものを思い出し、編集するのは時間が掛かりる。溜めておいた資料を編集する時、一番大変なのは、ストーリーを繋ぎ合わせるのも然ることながら、プログラムの中で他のページ、他のファイルとの関係をきっちりつけなければならないことだ。思わぬ所で引っ掛かる。その都度更新していけば、何と言う事もないのに、、、、。神社やお寺の裏方役が忙しいだの、学生との面談資料の作成だのと自分自身に言い訳しながら、一日伸ばしにしてきた付けがここに来ていっぺんに回ってきた。それにしても一区切りついた。アップしたものを眺めてほっと一息、、、カリン酒でも飲むか。


2004年11月29日(月)晴れ<65歳以上無料健康診断>


予約しておいた、健康診断は、朝8時から始めるので15分前に病院に入って下さいと言われていた。夕べから何も食べてないので早い診断は有難いが、朝の準備が大変だ。保険証、痰、検便等の忘れ物は無いか、下着は着替えたかと、慌しいことこの上ない。何とか滑り込みセーフと思いきや、待ってましたとばかりに、8時前から診断スタートとなった。さすが民間病院だ。市民病院だとこうはいかない。バリューム、心電図、前立腺、大腸ポリープ検査と順調に進んだ。最後に尿採取を言われたが、これには参った。夕べから何も口に入れてなく、その上つい先程、家を出る時、トイレに行ったばかりだ。時間としてはここが1番掛かったかもしれない。結果は1週間後。さてどうなることやら。 走行データは (D:16.25km、T:0時間56分45秒、A:17.2km/h、M:32.8km/h、O:7969.9km)


2004年11月30日(月)晴れ<置き薬>


2・3日前、喉が痛くてカリン酒を飲んだら痛みが和らいだが、今日は水の様な鼻水が出てしょうがない。昨日病院で健康診断を受けた後、結果連絡日を聞くために、風邪引き患者がうようよ居る中で待った、あれがいけなかったのか。鼻の下がチョッと赤くなってきた。又医者に行くか、それとも、とりあえず置き薬を飲むか。子供の頃から風邪の早い段階では、この薬で直してしまうことが多かったが、近頃、薬箱にはとんとご無沙汰だ。ばあさんの代からだが、今ではあまり利用していない。それでも薬売りは定期的に入替え・集金に来てくれる。薬の名前も昔風の「○○丸」と言うようなもので、何となく時代劇の世界みたいだ。どうせ飲む人も時代劇だから、今日のところはカリン酒と置き薬を飲んで寝てしまおう。 走行データは (D:5.38km、T:0時間22分05秒、A:14.6km/h、M:21.9km/h、O:7975.3km)





2004年11月
自転車走行実績
内容 走行実績値
走行日数 16日
総走行距離 203.3km
総走行時間 12.46時間
平均速度 16.3km/時間
最高速度 36.4km/時間




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気ままな毎日
**2004年12月分**
スタートは
2004.9.11より


2004年12月1日(水)晴れ<歯の治療>


この2・3日、定期健診だの、置き薬だの、カリン酒だのと病気関連の話題には事欠かない。今日は朝9時から虫歯の治療予約が取ってある。年とって来ると、寒さが身にしむこの季節、病気になり易いのも事実だ。しかし、このところの病院通いは、とことん悪くなったからではなく、定期健診結果の早期治療ということで、行動がかなり前向きに成ったと自画自賛しているしだいである。案の定虫歯も大したことなく2・3回通えば、元通りになるとのこと、有難い。治療が終わった所で、看護婦さんから歯磨きチェックを受け、概ねOKを貰ったが、2箇所歯並びの悪いところの歯茎近くが、真っ赤にチェック液が残っていた。定期検査に加え、日頃の手入れをきつく言われた。 走行データは (D:15.43km、T:55分19秒、A:16.7km/h、M:32.7km/h、O:7790.7km)


2004年12月2日(木)晴れ<小さなクリスマスツリーの光>


学生とのキャリアデザイン面談を終わり、暫く雑談して帰宅の途につくのは5時半ごろになる。岡崎の町の中を通り抜けて矢作川を横切り、暫く田圃の中を走って再び矢作川の堤防道路に取りつくころは、もうすっかり日も暮れて会社帰りの車が慌しく行き交う時間帯となっている。12月になると田舎の食堂でも小さくクリスマスツリーを飾っている所がある。夜走ることが少ないおじさんとしては、寂しい電飾ツリーにも目を引かれる。矢作川の堤防道路をさらに進むと、海岸埋立地に建つ中部電力の発電所が薄い緑色にライトアップされ、その光が川面に反射して綺麗だ。先日HPの書き込みに、近頃のツリーにはLEDが使われるので青色ツリーが多いとあったが、田舎のツリーはまだ豆電球のようだった。夜空が寒くなって来ると、どんな光でもあることは嬉しい。


2004年12月3日(金)晴れ<陶器の新作展>


毎年、12月に入ると常滑の2人の陶器作家さんから、新作展の案内状が送られてくる。一人は彼が大学卒業後、作家になって程なくのころの織部の小皿作品の形と色の斬新さに気を引かれ、それ以降、6・7年のお付き合いになる。もう1人は、陶磁器会社のサラリーマンを定年退職されてからの作家さんで、その色使いは、透明で、艶やかで何処で見ても彼の作品だとすぐ分る。今日は展示会の初日と言うことで、常滑の会場までお母さんと出掛けてみた。感心な事にと言うべきか、当然と言うべきか、毎年必ず新しい色、新しい形の器で会場を埋め尽くしてお客を迎えてくれる。その進化の過程を見るのが楽しみの1つで、家の棚にはその歴史が並んでいる。今日も1品ずつ購入してきた。老大家の高額作品と違って、手頃な値段で楽しめるのが嬉しい。

常滑・煙突の見える風景





2004年12月4日(土)曇り後雨<総走行距離:8000km>


朝からどんよりと曇り、風は全く無い。午後になると降り出すかもしれないので、朝のうちに自転車で一走りした。その走行実績を記録していて、「0:8001.5」と書いた時気が付いた。今日、自転車に乗り出してからの総走行距離が8000kmをアップしたのだ。思えば2000/6、定年退職祝いに息子達夫婦が贈ってくれた自転車で走り出して以来4年以上が過ぎた。その間、自分のHPの「小さな旅行記(自転車ツーリング)」や「四国八十八箇所自転車遍路」等に書いたように、その時々で150kmから1400kmまでフウフウ言いながら楽しく走った。それらの実績と日課の地回り(A.B.Cコース走行)を合計しての数字だ。ここまで走れたことに感謝。この数字の積み上げが定年後の健康維持の一助になって居るのかも知れない。さて地球一周分を走破出来るのは何時になるだろう。 走行データは (D:10.77km、T:42分07秒、A:15.3km/h、M:33.4km/h、O:8001.5km)


2004年12月5日(日)曇り時々小雨<鉢植えの冬支度>


夕べは台風並みの風と叩きつける雨の音で目が醒めた。朝起きた時は、風はおさまっていたが、気温は異様に高く、時々小雨が降るという何とも変な天気だ。12月には珍しい台風崩れの低気圧のせいだろう。朝食後、庭の落ち葉を掃除していたら、生垣の下に1列に並べておいた鉢植えの真ん中辺が 1箇所歯抜けになっているのに気が付いた。よく見ると家の前を流れる小川に赤い植木鉢が落ちている。その中に植わっていた「ホーリー魔除けの木」が流されて見当たらない。やっと赤い実をつけた我が家のクリスマスツリーなのに、チョッと背が高かった為、昨夜の風で飛ばされたのだろう。こうなったら今日から鉢植えの越冬準備を始めてしまえ。伸び過ぎた植物を刈り込み、鉢ごとビニール袋で覆う。空気穴を開けて、水を少々入れておく。こうした鉢を日当たりの良い所に集める。今年は台風崩れのお陰で、ちょっと早めの年末準備スタート。


2004年12月6日(月)晴れ<健康診断結果>


健康診断結果の確認のため、今朝一番で病院へ行った。先生の前に座るとチョッとだけ緊張する。レントゲン写真、腹部CT写真を説明しながらOK、肺がん、胃がん、大腸がん、前立腺等々異常なしと続いて、最後に尿潜血が(++)で再検査を言い渡された。すわッ!腎臓か?膀胱か?運が良ければ無罪放免か?是非そうあって欲しいが、、、再検査は明後日・水曜日となった。それにしても、この指摘以外は全て異常なしとは、大甘の判定結果だろうが、気が晴れた。家に帰ったら、お母さんが結果をしつこく聞いてくる。尿再検査以外は全てOKと言い残して、日課の自転車走に出る。途中スーパーのトイレを借りていたら、後ろから走ってきた小さな男の子が私の隣で並んで立った。が、あっという間に用を足して出て行ってしまった。これぞ本当の異常なし、おじさんは完全に置いてきぼりだ。 走行データは (D:11.41km、T:41分53秒、A:16.3km/h、M:28.0km/h、O:8012.9km)


2004年12月7日(火)晴れ<続・鉢植えの越冬準備>


鉢植えの越冬準備作業は一昨日に続いて二日目だ。植木鉢に生えている雑草を抜き、草木の葉の枯れた部分や、横にはみ出した枝を剪定する。これを鉢ごと大きなビニール袋に入れ、空気窓を残して確り縛っていく。こうして30鉢を19袋に包み、日当たりの良い、生垣の下に一列に綺麗に並べて、我家の鉢植え越冬準備は完了となる。この作業の最中に、表面全体をビロードのような緑のコケが覆っている靴型の植木鉢を見つけた。以前、この鉢にはコンペイトウ草が植えてあったが、手入れが悪くて枯れてしまったものだ。その後をコケが覆い尽くしてこんなに見栄えのする鉢植え(?)が出来た。この時期、花の咲く鉢の無い我が家では、玄関前の特等席にこれを持ってきて置いた。これを見たお母さんが「大変出世したね」と言っている。 走行データは (D:11.40km、T:40分34秒、A:16.8km/h、M:32.9km/h、O:8024.3km)


2004年12月8日(水)晴れ<医者のハシゴ>


今朝は、医者のハシゴの日だ。近頃、歯の定期検査を始め、奥歯が軽い虫歯である事が分った。今日はその治療の二回目だ。その帰り道、これ又、健康診断結果で言い渡されていた「尿再検査」のため、内科医に寄らなければならない。朝一で採尿したサンプルを提出し、そのまま検査結果まで確認するというものだ。さてその結果や如何に、、、。「尿潜血(−)」で「異常なし」となった。ほっとしたものの、この「異常なし」は、あくまでも老人の体ならこのくらいだろうと言う事で判定されている事を自覚しなければいけない。若い人の異常なしと大違いなのは、昨日、トイレで子供と並んで用足しをして良く分かった。今後とも、老体を定期的に検査しながら、丁寧に使っていかねば。午後自転車で走った。その後生垣の刈り込みを始めた。今年は年末準備のスタートが若干早い。後1日で終わらせたい。 走行データは (D:8.61km、T:31分25秒、A:16.4km/h、M:26.2km/h、O:8033.0km)


2004年12月9日(木)晴れ<生垣の剪定>


年末準備の第2弾として、昨日から家の周りのツゲの生垣の剪定を始めた。例年だと、台風や葉の茂り具合で凸凹になった部分を均す程度に刈り込みをして完了としている。しかし今年はチョッと大掛かりな刈り込みを始めた。先日安城市を走った時に、街路樹のツゲの植え込みの天井部分がごっそり刈り込まれているのを見た。家に帰って生垣をしげしげ眺めてみると天井部が傘をさしたように葉と枝が茂り、生垣の内側は日も当たらず枯れ枝ばかりだ。それで街路樹のあの刈り込みの理由が分った。今年は見栄えは犠牲にして、思い切って頭や側面を刈り込んでしまった。これでは家の中が丸見えで、フェンスの意味がないとお母さんが喚いている。確かに見栄えも悪いし、切り込みに例年の倍以上の時間が掛かる。近所のおばさん達も犬の散歩をさせながら、笑って通り過ぎていく。おじさんは1人来年の芽吹きの時期に期待している。 走行データは (D:0.00km、T:00分00秒、A:00.0km/h、M:00.0km/h、O:8033.0km)


2004年12月10日(金)晴れ<久し振りの授業参観>


昨夜、同級生から電話が入り、「都合がついたら12/10(金)10:30東中学に集まって下さい。信大教授になった同級生が、母校で特別授業をするので、出来たら授業参観して下さい」とのこと。卒業以来足を踏み入れた事がない中学校に出掛けてみた。授業は1年生用に彼の専門の「微生物の話」を分かり易く説明していた。久し振りに見る授業風景だが、テレビで見る荒れた学校という感じは無く、生徒達もかなり興味を持って話に聞き入っていた。今流行の理科離れを食い止めてくれる事を期待しながら、おじさん達も楽しく授業参観をおこなった。久し振りに昔の仲間が顔を合わせたので、授業後、昼飯を食べながら、昔話と各人が専門の今旬な話に花を咲かせた。最後に寺の住職をしている同級生に、人生最終章のお願いをしてお開きとなった。思いがけない経験の1日だった。 走行データは (D:16.91km、T:55分51秒、A:18.1km/h、M:34.2km/h、O:8049.9km)


2004年12月11日(土)晴れ<今年最後のJSK会合>


今年最後のJSK定例会合を持った。今年の活動の大半は、商工会議所のコーディネーターとして地域の中小企業活性化のために、改善支援、人材育成支援等を行い、その成果ついては展示会等で公表した。この成果を踏まえ、商工会議所からの来年に向けての期待が膨らみ、人員増の要請にも応えることにした。しかし、従来からのJSK独自の活動や新製品開発等がやや低調であったことは今後の課題だ。これら地域活動の成果が少しづつ出てきだしたので、現役時代の活動から、JSKでの活動まで各人毎にその中身を文章にまとめ、小冊子にする準備を始めることにした。次の世代に少しでも伝承する事になればと考えて作文する事にした。来年度執行部体制については、別途検討する。 走行データは (D:00.00km、T:00分00秒、A:00.0km/h、M:00.0km/h、O:8049.9km)


2004年12月12日(日)晴れ<新嘗祭の1日>


神社の12月月並祭として今日は新嘗祭が執り行われた。儀式終了後、宮司様から新嘗祭についての説明があった。秋の豊作をもたらしていただいた神様に感謝し、村人全員で喜び祝うと言うのが主旨だとのこと、そう言えば昼食の祝い膳に、今日は特別にお萩がついていた。この仕来りは昔からのモノで、古い記録にもお萩の注文書が残っている。宮司様の説明を具体的に日常生活の中へ取り入れると、お萩付きの祝い膳となるのであろう。昔の人の知恵はこういう所に引き継がれていることが分った。日本人の米に対する思い入れの深さは神代の昔からと言う事になり、貿易自由化交渉で日本が常に農産物、とりわけ米を守ろうとする真意を外国人には理解させることはかなり難しいことだなと思いながらお萩を食べた。朝8時から夜6時半まで、神社漬けの 1日だった。 走行データは (D:00.00km、T:00分00秒、A:00.0km/h、M:00.0km/h、O:8049.9km)


2004年12月13日(月)晴れ<田舎の人情>


早朝、玄関のチャイムを鳴らす人がいる。こういう時間帯に我が家を訪ねてくる人はまずいない筈なのに、と、びっくりして外に出てみたら、ジョギングスタイルのおばあちゃんが立っていた。夕べ、「神社のお札さん」を各家に配布してもらうため、お訪ねした家のおばあちゃんだ。「家の嫁は何でもやることが早い。夕べの内にお札さんも配り、集金も終わった。それを届けに来た」とのこと。都会ではこうはいかないだろう。神社裏方としては感謝感激だ。そう言えば、夕べも配布してもらう世話役の家が分らずに困っていると、小雨が降っているというのに、わざわざ外に出て来てその家まで連れて行ってくれた人がいた。長年サラリーマンをしてきたおじさんとしては、びっくりすると同時に、心から感謝感激だった。田舎の地域社会のあったかさを感じ、昔の自分にかえっていくような気がした。 走行データは (D:00.00km、T:00分00秒、A:00.0km/h、M:00.0km/h、O:8049.9km)


2004年12月14日(火)晴れ<プリンターが動かない>


昨日遅く、神社関係の書類を印刷しようと、PCから印刷指令を送ったが、プリンター準備完了まで辿り着く前に止まってしまい、その後はびくとも動かない。別の資料を出して同じ事をするも、矢張りダメ。先週学校での資料作りのため、電源、インターネット、プリンタ等全部外して持っていったが、その時、振動か何かで、壊れたのか知れない。そろそろ年賀状の印刷を始める時期なのにどうなることだろう。いやな予感がする。かくなる上はと、夜遅く息子に電話を入れて、その修復方法を確認した。電話でのやり取りで、しかもPC用語を使われては、靴の裏から足を書くようだ。しかし、そこは身内のこと、お互いに文句を言い合ってやっと直った。今朝、早く起きて夕べのやり方で本当に修復できたのか、再確認。OKとなった。これで今年も年賀状はPCでいけそうだ。喪中のはがきから整理を始めた。 走行データは (D:13.24km、T:47分50秒、A:16.6km/h、M:36.6km/h、O:8063.1km)


2004年12月15日(水)晴れ<歯医者、部屋掃除、自転車、散髪>


本日の行動予定の歯医者、掃除、自転車までは、予約も取ってあるし、自分の意志しだいなので計画通り終わった。しかし、散髪だけは床屋のおばさんが病気になってしまってからというもの、電話で彼女の体調を確認し、OKの場合のみ散髪をしてもらえるという不便なことになってしまった。先回の散髪は、それも叶わなかったので、別の床屋に行ったのだが、どうもしっくりこない。あれから日にちも経つし、年末も近い。さて今日はおばさんの体調はどんなもんか。電話で確認したら「2・3日暖かい日が続き体調も程々良い。今から散髪しましょう」とのこと。早速行って暗い店内に電気を点け、カーテンを閉めたままで散髪完了。これで本日の予定は全て完了。さっぱりした。今回、おばさんの病気で、床屋の有難さが分った。こんな時には別の床屋へ行けば良さそうなものだが、行きつけが良い。やはり歳か。 走行データは (D:11.87km、T:43分09秒、A:16.5km/h、M:32.8km/h、O:8075.0km)


2004年12月16日(木)晴れ<喪中ハガキ>


昨日、又、喪中ハガキが届いた。今年はこれが最後だろう。今朝、先月からのものを引っ張り出して整理を始めた。住所変更等全部で12枚、内10枚が喪中ハガキで、その中には奥様からいただいた本人永眠のものが含まれていて、身につまされる。彼はお互いがサラリーマン時代の商売上の関係者で、退職後も年賀状のやり取りをしていた。仕事熱心で、よくぶつかり合っが、本当に良い仕事をしてくれた人だった。こうして喪中ハガキも本人のものが届くようになると、年の瀬が、ますます寒く感じられるようになってくる。お陰さまで、今年は現実の気候が暖冬で、気分の落ち込みを物理的にカバーしてくれている。誰でも最後は自分の喪中ハガキを出してもらわなければならないが、その日のくるまでは段々少なくなっていく年賀状を元気に出していこう。 走行データは (D:00.00km、T:00分00秒、A:00.0km/h、M:00.0km/h、O:8075.0km)


2004年12月17日(金)晴れ<冬休み>


今日から冬休みだ。と言うほど大げさなものではないが、昨日を持って今年の学生とのキャリア面談は終了したのだ。来年は1月13日(木)からスタートなので、その間が冬休みと言うわけだ。毎日が日曜日の身なのに、週1回とはいえ、サイクリックに出校しなくてもよくなると、いかにも冬休みという気分になるから不思議だ。少しは精神的にストレスが掛かっているのかも知れない。昨夜は学生部+就職相談室のメンバ全員で忘年会も済ませた。気温も今日からかなり冷え込んできた。冬休みは猫と一緒にコタツに入ってミカンを食べるのがお決まりコースだが、それを始めると際限なくダレてしまいそうなので、とりあえず自転車に乗った。マスクを掛け、背中に汗取りタオルを入れた。風邪を引かない万全の体制で走った。本日の走行距離は16km。エンジンの掛かったところで、一昨日からの続きの年賀状出しの準備を一応終わった。 走行データは (D:16.09km、T:57分30秒、A:16.7km/h、M:29.4km/h、O:8091.1km)


2004年12月18日(土)晴れ<NHK国井アナウンサプロジェクトXを語る>


JSKのメンバと一緒にNHK国井アナウンサの講演を聞いた。テーマの「プロジェクトXを語る」は番組製作者サイドの苦労話をユーモアを交えながら聞かせる形式を取っていたが、その中身は大変重いものがあった。「名も無き挑戦者達の当時の凄さ」を映像で伝えるだけでなく、本番で年を経た現在の挑戦者達本人の口から当時の想いを直接語らせることにより、物事を成し遂げるための執念の強さをよりクローズアップさせることが出来たとのことだった。確かにその思いは時を経てもチョッとやソッとで消えるようなヤワなものではなかったであろう。現在にも次の世代にもそのDNAは残し伝えたいものだ。終了後、JSKメンバが会議室で雑談したが、我々JSKのモノ作りNPO活動も、本当に小さな動きだが、地域社会に、モノ作りDNAを伝えることになれば良いがと話し合って散会した。 走行データは (D:00.00km、T:00分00秒、A:00.0km/h、M:00.0km/h、O:8091.1km)


2004年12月19日(日)晴れ<年末大売出し>


昨日から近くの電気機器量販店が年末大売出しを始めた。新聞広告では全商品10%引きと書いてあったので早速出掛けてみた。駐車場には入れたが店内はかなりの混雑だ。お客さんは若い人だけでなく、中年以上の人も多い。それは良いのだが、困った事に私も含めて中高年のお客様は店員を捕まえて商品説明を受けだすと大変長い。歳を取ってくると、前もっての商品知識が無いため(と言うより勉強しようにもカタログの文字は小さく、言葉からして良く分からない)、店に来てから耳学問が始まる。他人の商談を近くで聞いていて、やっと終わったら、今度は私が同じ事を始める。隣に次のお客さんが暇そうに立っているという具合だ。もっと混雑していない時期に来れば良さそうなものを、10%引きの文字に引かれて、この時期、皆一斉に買いに来る。加湿器を買って帰った。いつもの年末風景だった。 走行データは (D:15.72km、T:55分00秒、A:17.1km/h、M:31.6km/h、O:8106.9km)


2004年12月20日(月)晴れ<年賀状の印刷>


お母さんから頼まれたものも含めて130枚の年賀状の裏表の印刷を全て完了した。喪中ハガキが届いた分は、先日整理しておいたので問題はないが、裏のデザインはあて先別に3種類作ったので、裏表の合わせに神経を使った。住所一覧表に裏デザインの種類を書き込み、表印刷したはがきを、デザイン毎に3グループに分け裏印刷をしていった。お陰で今年は廃棄処分にするものは"0"枚と成績優秀な年となった。明日からはこの裏面に1・2行挨拶分を手書きで追加していく作業をする。近況だとか、来年こんな事をしたいとか、新年を迎えるに当たっての心構えをあて先人の顔を思い浮かべながら書く。この作業は楽しい。昔は、表も裏もこうして1枚1枚想いを込めて手書きで書いた。その想いは重さにするとかなりなものだ。その点、現代年賀状は同じハガキ1枚でも手垢の少ない分だけ軽いのかもしれない。 走行データは (D:00.00km、T:00分00秒、A:00.0km/h、M:00.0km/h、O:8106.9km)


2004年12月21日(火)晴れ<年賀状への手書き追加>


昨日印刷完了した年賀状の裏面に、手書きの挨拶文を1・2行追加する。この作業は、年賀状をPC印刷するようになってからずっと続けている。昔の全手書きに比べて圧倒的に軽作業なのに、相手の顔を思い浮かべながら、書き込んでいくためついつい時間が掛かる。腕と肩が痛い。でも楽しい。毎年この作業を始めると年末が来たなと実感する。今朝、お気に入りに入れてある個人HPを見ていたら、その日記に年賀状の事が書いてあった。今でも手書きを通しているとのこと、その本人に出そうとする年賀状が既に印刷してしまってある。これにも2行の挨拶文を追加した。時間はたっぷり有るというのに、PCをを憶えてからは、やはり安きに流されている。1・2行に想いを込めて書くことにしよう。朝から始めて、午後8時完了。 走行データは (D:10.26km、T:39分39秒、A:15.5km/h、M:28.3km/h、O:8117.1km)


2004年12月22日(水)曇り<年賀状投函>


夜明け前、雨戸がガタガタ鳴って目が醒めた。お昼を過ぎても北風が強く、冬らしい寒さがやってきた。こんな日は猫の散歩も風当たりの少ない所を選んで歩く。自転車に乗るのも億劫だ。が、今シーズン最初の冬らしい寒い日だからといって休んでしまうと、ズルズル怠け癖がついてしまいそうだ。そこで昨日書き終えた年賀状を車で出しに行こうとしていたのを変更し、自転車で郵便局へ行くことにした。ハガキをリュックに詰めて背負い、手袋、マスク、帽子、サングラスと完全武装して自転車に跨った。このまま混雑している郵便局へ入っていくと怪しまれるかもしれない。防寒具一切を外して局内に入った。そこには市内宛と市外宛の二つの投函口があり、市外宛の箱は満杯に近く入っていた。今日明日がピークだろう。宿題を終わった子供みたいな気持ちになって、海岸道路コースを風を切って走った。途中寒さでトイレによった。 走行データは (D:14.40km、T:52分40秒、A:16.4km/h、M:31.5km/h、O:8131.5km)


2004年12月23日(木)晴れ<電気工事屋さんとの会話>


以前住んでいた家の横の道は、軽トラックが辛うじて1台通れる程の狭い道だ。お母さんは用事があって古い家によく行くが、夕方は道が薄暗く、足元が見えにくい。特に田舎の冬は暗くなるのが早いので家の外に明かりをつけたいという。小学校時代の同級生の兄貴が電気工事屋をやっていると聞いた事があるので、探しに探して工事屋さんにやっと辿り着いた。店に入って名前を告げると、出て来たおじさんの第一声は「分った分った!あんたオヤジさんにそっくりになったな!」と言うものだった。有難いことに話はとんとん拍子に進み、今日中に下見、今年中に工事を完了させると約束してもらった。探してきた甲斐があった。気になるのは「オヤジさんにそっくり!」の言葉だ。先日も家の前に白のアイシスが止まり、窓から高校時代の友人が顔を出した。久し振りの言葉が「オヤジさんかと思った」だった。 走行データは (D:7.09km、T:27分52秒、A:15.2km/h、M:22.6km/h、O:8138.7km)


2004年12月24日(金)晴れ<孫への遅いクリスマスプレゼント>


息子からの帰省連絡メールの中に、孫の近況が書いてあった。「保育園のクリスマス会にサンタさんが来て、皆プレゼントを貰った。由樹も貰ったよ」と目を輝かせてママに報告したとあった。2歳の由樹にとっては、絵本以外でサンタさんを見るのは初めてだから、本当にびっくりしたことだろう。お母さんはこのメールを見て、そんなに由樹君が喜ぶなら彼らが正月帰省するまでに何かを用意しましょうと言い出した。お年玉以外に遅いクリスマスプレゼントも渡すつもりのようだ。イブの夜おばあちゃんの家にサンタさんが来て「由樹君は1人で何でも出来ますか」と聞いたので、おばあちゃんが「はい」と答えたら「それならこのプレゼントを由樹君に渡して下さい」といって置いていった、と言うのがお母さんのストーリーだ。ジジババ馬鹿振りを発揮して、午後からプレゼントを買いに出掛けた。 走行データは (D:17.29km、T:1時間02分56秒、A:16.4km/h、M:34.6km/h、O:8156.0km)


2004年12月25日(土)晴れ<久し振りの風邪>


久し振りに風邪でダウン、何時もならこのまま寝続けていれば治ってしまうはずだが、今年の正月は神社の裏方で初詣の受付をしなければならない。もしそこまでに完治しないと皆さんに迷惑が掛かる。仕方なく医者に行った。吐き気止め、鎮痛・解熱、下痢止めの3種類の薬を貰ってきて飲んだ。が、さっぱり良くならない。トイレと布団の間を往復していた。冷たい水が一番美味い。 font color=blue> 走行データは (D:00.00km、T:00分00秒、A:00.0km/h、M:00.0km/h、O:8156.0km)


2004年12月26日(日)晴れ<続・風邪引き>


今日も、一日中寝ていたが、腹の調子はいっこうに良くならない。風邪との診断だが、咳も出ないし、痰も出ない。腹が時々痛くなることと、ひたすらトイレに通う事の繰り返しだ。こうして二日も寝ていると色々な事を考える。ここ2・3年風邪など引いたこともないのにどうしたのだろう。2日前の夜、風呂上りのまま、ピンクレディ20年目の結成コンサートを最後まで見てしまったのが、祟ったのかとか、3種類も薬をくれたが、本当に効くのだろうかとか、、、。等考えながら又うとうとと眠ってしまったようだ。 走行データは (D:00.00km、T:00分00秒、A:00.0km/h、M:00.0km/h、O:8156.0km)


2004年12月27日(月)晴れ<続々・風邪引き>


腹の調子も何となく収まってきた。少しずつは良くなっているのが分かる。本を読む気になってきたが、政治、経済は暫く遠慮して、何か気持ちが明るくなるものがいい。写真の綺麗さに引かれて先日買って来た、岩合光昭・日出子著「海ちゃん」(ある猫の物語)をまだ読んでないのを思い出した。可愛い写真とほんわりした文章に引かれてつい最後まで読んで(観て)しまった。著者はMatherhoodの章で「どんなに可愛い子ネコが生まれても、海が一番可愛い。」と書いている。我が家にも同じようなことを言う人がいる。窓越しに来る外猫を見ては、お母さんは「家の"静"が一番」と言う。読み終わって気持ちが和らいだ。やっぱり少しは良くなっているようだ。 走行データは (D:00.00km、T:00分00秒、A:00.0km/h、M:00.0km/h、O:8156.0km)


2004年12月28日(火)晴れ<そろーりと活動開始>


朝から風も無く、風邪から立ち直って活動開始するにはもってこいの天気になった。そろーりと活動を開始した。まず風邪でダウンした日に手抜きをしながらやった窓ガラス拭きの道具がそのまま散らかしっ放しにしてあったのでこれを納屋に入れ、ついでに家の周りの生垣の切り残しを綺麗に散髪した。これで家の外回りは迎春準備完了とする。家の中の神棚・仏壇掃除については明日にまわそう。それよりもお母さんは、神社裏方として、本殿に座って初詣客を迎える時の防寒対策をどうするか早く決めろとガミガミ言っている。必要なものがあれば早く揃えてしまいたいらしい。大晦日から元日に掛けて徹夜の番になるらしいので、仮眠のための寝袋と毛布を干して置くように頼んだ。後は健康が元通りになれば今年の納めも目処が立つ。 走行データは (D:00.00km、T:00分00秒、A:00.0km/h、M:00.0km/h、O:8156.0km)


2004年12月29日(水)雨<師走の忙しさ>


車で走っていても、スーパーに入ってもオバサン達は皆忙しそうだ。毎日が日曜日のおじさんも、のんびりしているのが申し訳ない気がしてくる。仏具の「お磨き」でも済ませてしまいましょう。この「お磨き」と言う言葉、近頃聞かなくなったが、我々が子供の頃は、盆・正月前になると「お磨きを手伝え」とかよく言われたものだ。要は真鍮の仏具を研磨剤でピカピカになるまで磨かされ、腕・指が痛くなった思い出がある。今では洗浄剤を水に溶かして濯ぐだけ、と手軽になったが、仕上げの拭き取りは厄介だ。オバサン達が走っているのだから、おじさんもこのくらいの作業はしょうがないか。バケツ一杯の仏具がピカピカに仕上がった。 走行データは (D:00.00km、T:00分00秒、A:00.0km/h、M:00.0km/h、O:8156.0km)


2004年12月30日(木)晴れ<1日早い大晦日>


世の中も、我が家も、色々あった1年でしたが、今日が実質的におじさんの家では大晦日です。と言うのも、明日と元日は神社の裏方役で初詣の受け入れ準備と歳旦祭を行い、本殿で新年を迎えることになるからです。従って年賀状をメールで出す同期入社者達へは今から発信するため、彼等は「アイツとうとうボケたか」と思うことでしょう。ついでにホームページ表紙の「気替りメニュ写真」も元旦用に更新し、日記風「気ままな毎日」も年末・年始は更新出来ずの状態が暫く続いてしまいます。かなり気忙しいおじさんの1日早い大晦日でした。ご訪問頂いた皆様、1年間本当に有難う御座いました。今後とも宜しくお願いいたします。ボーン、ボーン・・・108個。 走行データは (D:00.00km、T:00分00秒、A:00.0km/h、M:00.0km/h、O:8156.0km)


2004年12月31日(金)雨<大晦日>


1日中神社にて迎春準備。ボーン、ボーン・・・108個。除夜の鐘を聞く暇も無い忙しさ。 走行データは (D:00.00km、T:00分00秒、A:00.0km/h、M:00.0km/h、O:8156.0km)





2004年12月
自転車走行実績
内容 走行実績値
走行日数 14日
総走行距離 180.7km
総走行時間 10時間53分44秒
平均速度 16.6km/時間
最高速度 34.6km/時間




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