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概要
  紅樹院 足立順道

 上町の紅樹院(浄土宗鎮西派)の34世住職足立順道は、中島郡戸塚村67番戸(一宮市大和町戸塚)の出身である。
天保11(1840)年5月15日、松左衛門の二男、足立勘左衛門の弟として生まれた。
順道については、その甥で弟子の同寺35世足立明道(足立勘左衛門長男)が明治27年に調整した「過去帳」の冒頭に業績を称えて記している。
 名古屋の円輪寺で得度、初め知多郡大野(常滑市大野町)の洞泉(仙)寺へ入寺した。
明治5(1872)年に紅樹院住職となる。
当時の紅樹院は、27世の「主速還和尚以下7世 その跡をとるべき者なし」といったありさまで次第に荒廃し、「諸具悉く散乱」し、什物は涅槃像(『西尾市史』三1459ページ)と仏器五、六品がのこるのみで、日用什器は一碗一箸もなかった。
また、「堂宇悉く破壊」、「境内荒蕪に属し 狐狸の群遊する所とな」っていた。そのうえ多額の負債があった。
 順道は檀徒より浄財を募り、私財も合わせてまず仏殿の修補を成し、玄関、庫裡の修繕、三十三観音堂、外門、土蔵、書院を新築した。
また、仏心が厚く自費で大蔵経を購入して納めた。
「護法において心を焦し」二回の月並みを創め、「我が宗祖の法恩を報」ずるなど僧として一心に修行し、檀徒の招聘に応じ法義に奔走した。
その結果「明治11年始めて本山智恩院の特命により弘教のために摂州尼崎地方を巡業し 以来歳毎に或いは周年本山の特請を以って諸国を巡回布教せざるは無し 今は亦選ばれて本山にあり宗政事法を議す 加之当院に転任して以来10有余年 茲において平居 見を労し寸陰も安座することなし」と記してあるとおり、順道は修行と紅樹院の再興に励んだ。
順道は社会公益のためにも尽くし、上塚橋架橋の発起者でもあった。

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