めだかと水田 T

 ニホンメダカは、稲作と共に、すむ場所を広げてきたと言われています。 イネもめだかも熱帯地域が原産です。 メダカがいつ、どこで、どんなふうに生まれてきたのかは、 今のところはっきりとした手がかりはありません。 今生きているメダカの仲間達(メダカ目)は小さな淡水魚(たんすいぎょ)ですが、 汽水域や海水域に住んでいるメダカもいます。
 どこかの一ヶ所で生まれてふえたメダカが、広がっていったのか、 それとも広い地域で同時発生的に生まれたのかは分かっていません。 今のメダカ達の分布(住んでいる場所)から、 大昔(2600万年〜3700万年前)に、ある場所で生まれたメダカが、 大陸沿いに広がって行ったのではないかと思います。 日本には、紀元前4世紀頃、今から2400年ぐらい前に、 日本で始まった稲作と一緒に内陸部に広がったと思われます。 稲作の歴史とめだかの歴史は、日本では、切り離して考える事は、出来ないと思います。
(注:めだかの移入については、色々な説があるので、これが正解かどうかは分かりません。 めだかの王国では、この説を支持しています。)
  
 田んぼは浅い湿地であり、夏には水温が高くなって、熱帯の水辺のようになり、流れも、ほとんどありません。 そして、イネが植えてあります。めだかのエサになるミジンコなどのプランクトンが沢山ふえる場所でもあるのです。
 熱帯生まれで、草のはえた、浅く流れのない水辺が好きなめだかにとって、水田が、一番ぴったりのすみかに違ない。 稲作が、日本で広がっていった頃は、水田の名のとおり、一年中水があったようですが、 今の水田は、一年中水があるわけではない。用水の一部とため池にある程度です。
 よくメダカが減ったという人がいますが、メダカが減ったと言うよりも、メダカの住める場所が減っただけなのです。
  
 この写真は昭和38年の2月か3月の物だそうです。身近な野草の大町さんより提供していただきました。
  
 この写真も同じ時に写した物だそうです。 田んぼだと分かるでしょうか?稲の切り取ったあとが写っているでしょ! 用水から水を引き入れた時に一緒に入ってきたと思います。 この頃はまだ用水と水田が同じ水位だったので、出入り自由だったようです。
  
 この写真は上の写真と同じ場所で写した物です。ちょっと違いが分かりにくいと思いますが、 道路が出来て、舗装されているのが分かるでしょ?道路の横にある用水、分かるかな? 掘り下げてあるんで写真ではちょっと分からないかもしれません。
 今、日本国内で上の白黒写真のような水田を見る事は出来ません。 ほじょう整備といって、トラクターなどの農業用大型機械が田んぼで使えるように、 用水を田んぼより1メートル以上掘り下げてあるからです。 こうする事で、水田が乾田(かわいた田んぼ)になり大きな機械が使えるんです。
 今でも田植えの時期には、用水として使われている道路脇の側溝で、めだかが泳ぐ姿を見る事が、 希ではあるけれども出来ます。このめだか達は、いったい何処から来るのでしょうか? 一度調べてみたいな、と思っています。
 今、日本の水田は、減り続けています。 お米を作る技術が良くなり、同じ広さで沢山作れるようになったのと、 私たちが、お米を食べる量(消費量)が減り続けているからです。 外国からもお米を買うようになったので、ひょっとすると近い将来、日本では、水田が無くなっているかもしれませんね。


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