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ほぼ週刊院長日誌
”MIYAZ@KI STYLE”

2004年9月29日 「逆さづりにされたり、ころがされたり」

 「初めてだから、やさしくしてください」とお願いしたのですが、けっこうハードでした。そう、「人間ドック」を受けてきたのです、生まれてはじめて。何であれ「初体験」のときは、胸はドキドキ、体はコチコチになるものですが、日曜朝8時半からスタートして、最後の胃透視が終わった90分後には、もうへとへとでした。愛知県在住の個人開業医は、「愛知県医師国民健康保険(略して医師国保)」に加入しているのですが、その加入者や家族を対象とした人間ドックがあり、この地区では毎年9月に「西尾幡豆健康管理センター」で実施されるのです。

 自他ともに認める「検診嫌い」のわたしが、なぜ例年は無視していたこの人間ドックを受診する気になったのか。体重増加や運動不足から、自分の健康状態に不安をおぼえたため? いえいえ、そんな殊勝な心がけで申し込んだわけではありません(そもそも「検診の効用」を信用していないし・・・)。理由はただひとつ、「ホームページのネタにするため」。いまや、「院長日誌」のためなら、何でもやります、どこでも行きます。健康管理センターの職員に、いぶかしい眼でみられても負けません。ふところにデジカメを忍ばせて、いざ出陣!

 まず、受付をすませると検診用のガウンに着がえます。このガウンのすその長さが、何とも中途半端に短くて、かっこうが悪い。これを身に着けただけで、「検診嫌い」のわたしとしては、気持ちが萎えてしまいます。「医師国保」の関係者を対象として開催されたドックですから、この日の受診者はすべて西尾幡豆医師会の先生がたと、そのご家族というわけですね。日頃はパリッとした白衣か、重厚なスーツできめているお医者さんたちが、おそろいのすその短いガウン姿で、仲よくロビーにたむろしている様子は、ある意味「カワイイ感じ」です。さすがに、それをデジカメで撮影する勇気はありませんでしたが。採血室の看護師さんに、「医者ばっかり採血するのはイヤでしょうねぇ」と声をかけたら、「マジ緊張します」というお答え。わたしだったら御免こうむりたい仕事です。

 これまで全く病気にかかったことがなく、検診というものを「無視」した人生を送ってきただけに、「眼底撮影」、「眼圧測定」、「聴力測定」、「心電図」、「肺機能」などの検査は、ぜーんぶ未経験。これらの検査は、医学部在学中に、学生同士でお互いに患者役になって実習するものですが、わたしはいつも患者役を人の好い友人に押しつけておりましたので、心電図すらとったことがないのです。ドックのハイライトである「胃透視」も、撮影するのは毎日のようにやった時期もありましたが、撮影されるのは初めてです。もちろん、バリウムなんて、これまで口にしたことは一度もありません。何事も経験してみないとわからない。まさに、その言葉を噛みしめながら、各セクションを回りました。

 バリウムの飲み口は、実に「まったりと」していて、いかに生ビールのイッキ呑みを得意とするわたしでも、それを飲みほすのにはかなり難渋しました。バリウムと発泡剤で満腹となったお腹を抱えて、固い透視用ベットの上で、右に左にくるくると回されることにも閉口しましたが、その動作の意味をよく理解しているだけに文句は言えません。薄いバリウムと空気により、芸術的な胃のレントゲン写真を撮影できる「二重造影法」を開発した故・白壁彦夫先生を恨むしかないでしょう。しかし、半日ドックの検査ごときで大騒ぎするとは情けない。病気のためにつらい検査を受けなけらばならない患者さんのご苦労がよくわかりました。検査を指示する側である、医者になっておいてよかった(← おいおい、つまるところ「感想」はそれだけか?)。

 そもそも、「人間ドック」という検診システムは日本独自のもので、1954年(昭和29年)に国立東京第一病院(現・国立国際医療センター)と聖路加国際病院で始まりました。わたしはその聖路加国際病院で卒後臨床研修を受けましたので、ドック誕生にまつわるエピソードをよく聞かされたものです。当初は「短期入院精密身体検査」という長ったらしい名前で呼ばれていたものを、読売新聞の竹崎洋之助という記者が、「人間ドック」という名前をつけて特集記事にしたことがきっかけとなり、この名称が広く使われるようになったそうです(「聖路加国際病院八十年史」&大渡順二「人間ドッグ誕生秘話」等の資料による)。わたしが勤務していたころも、聖路加の人間ドック専用病棟には、ここに名前を記すのがはばかられるような、政治家、財界人、芸術家、黒幕(?)などのお歴々が、入れかわり立ちかわり登場し、まさに「昭和史の光と影」といった様相を呈していました。ドック病棟の担当医になると、そんな大物たち(ほとんどが超わがままな金満オヤジ!)の採血や注射をテキパキとこなさなければならず、卒業したての研修医にとってはけっこうなストレスでした。後年、わたしが検診や人間ドックを毛嫌いするようになったのは、この時のトラウマが原因かも?

 苦行の胃透視も無事終了し、下剤と牛乳をもらって帰宅しました。バリウムを初めて飲んだということは、検査後にでる「白いウ○チ」というものにも、お初にお目にかかるわけです。こちらも、興味しんしんだったのですが、お食事をしながらこの「日誌」を読んでいらっしゃるかたもありますので(そんなひと、いるかしら?)、詳細につきましては省略し、「下剤のおかげで安産であった」ということのみ、簡潔にご報告させていただきます。実は「下剤」という薬も、このたび生まれて初めてのみました。さて、この人間ドックの受診結果は、もうしばらくすると郵送されてきます。もし、何か異常が発見されれば、次は「院長、涙の胃カメラ初挿入」とか、「今度は大腸にバリウムと空気が・・・」とか、魅力的なタイトルの「日誌」を、愛読者のみなさまにお届けできるかもしれません。ご期待ください! (いや、ホントは期待しないで、無事をお祈りくださいませ。) 

  

<逆さづりにされたり、ベッドの上でころがされたり・・・>

  

<恥ずかしいところを押さえられたりして、最後は口から白いものがタラリと>

【謝 辞】

臨場感あふれる写真を撮影してくださいました
石川医院 石川作和夫先生に
深く感謝いたします!


2004年9月22日 「セカチューが流行れば、院長が儲かる」

 TVドラマ版「セカチュー」見てました? ちょっと、そこのお父さん、「ポケモンは子供が見るもんだろ」って、それはピカチューでしょ。いまどき、セカチューを知らないと、女の子から相手にされませんよ。熟年マダムには「冬ソナ」、若い女の子には「セカチュー」の話題をふれば、必ず会話は盛り上がる。そう、女性は「純愛」に弱いのです。

 「セカチュー」こと、「世界の中心で、愛をさけぶ」は、小説映画TVドラマのいずれも大ヒット。作者の片山恭一氏は、300万部をこえるベストセラー(これは、村上春樹の「ノルウェイの森」が持っていた、「日本で最も売れた小説本」の記録を塗りかえた!)になったことを、「なぜこんなに売れているのか、自分でもわからない」と謙虚にコメントされています。

 さて、この「セカチュー現象」、思わぬところに影響があらわれています。ヒロインのアキが白血病で亡くなってしまうことから、この病気についての関心が、にわかに高まっているというのです。「ある愛の詩(「愛とは決して後悔しないこと」!)」、「赤い疑惑(山口百恵!)」、「ひとつ屋根の下(酒井法子!)」など、わたしが「白血病のドラマ史」と名付けて研究中(?)である作品群の系譜に、セカチューも連なっているわけですね。そして、セカチュー効果により、頭打ちであった骨髄バンクへのドナー登録が、最近になって若い世代を中心に増えてきているという、まことに喜ばしいニュースも報じられています。

 9月に入ったある日のこと、わたしの著書「もっと知りたい白血病治療」の出版元である、医学書院の編集担当者のかたから手紙が届きました。内容は「倉庫の在庫が少なくなってきたので、このたび増刷が決定しました」との連絡。これで、3刷ということになりますので、著者としては、うれしいかぎりです。なぜ、この出版不況の折りに、わたしの本が売れているのか? その原因のひとつに、セカチュー・ブームがあると、わたしは考えております。セカチューの影響で、白血病について勉強したくなった、心優しい若者たちが、お小遣いをはたいて、「もっと知りたい白血病治療」を買ってくれているのでしょう(ホンマカイナ?)。セカチューのファン・サイトをのぞいてみると、白血病研究のコーナーがあったりしますので、あながち間違った想像というわけでもなさそうですよ。「風が吹けば、桶屋が儲かる」にならえば、「セカチューが流行(はや)れば、院長が儲かる」というわけです。

 ネット書店最大手のアマゾン・ドットコムの検索で、「白血病」というキーワードを入力してみてください。この日誌を書いている、9月22日の時点での、わたしの本の売り上げランキングは、「白血病部門」の第2位まで上がってきていることがわかります。ちなみに、アマゾン全体のランキングでは、40,160位となっており、ベストセラーへの道はキビシイですね。ネット書店の発達により、著者は自分の出版した本の売れ行きを、このようにモニターできる時代になっています。また、買ってくださった読者のみなさんが書きこまれた、好意的なレビューも読むことができるので、とても励まされます。セカチューの300万部には遠く及びませんが、今度の増刷により累計で6500部となった「もっと知りたい白血病治療」。どこで、どんな人たちが読んでくださっているのでしょうか。「印税が入ったら何に使おうかなっ」と喜んでばかりはいられず、著者としての責任の重さもヒシヒシと感じている院長でした。 



<9月18,日19日は日本血液学会出席のため京都へ。
学会会場の書籍販売コーナーには、わたしの本が
平積みになって売ってました。ありがたや〜>



2004年9月13日 「スウィングしなけりゃ意味がない」

 先週末に封切られた映画「スウィングガールズ」、さっそくみてきました。楽しかった。おすすめです。ぜひお近くの上映館へ足を運んでください。(ちなみに、わたしは愛知県内で最も快適な映画館であると信じる「MOVIX三好」でみた。)

 映画のHPからいただいてきた「あらすじ」。「舞台は東北の片田舎の高校。夏休み返上で補習を受けている女子生徒たちが、サボりの口実としてビックバンドを始める。当然のごとくやる気はゼロでサボる気満々。しかし、楽器からすこしずつ音がでてくるにつれジャズの魅力にひきこまれ、ついには自分達だけでバンド結成を決意!とはいえ楽器はないし、お金もない。バイトをすれば大失敗。なんとか楽器を手に入れて、いざ練習!と思いきや、今度は練習場所もなく、ついにはバンド解散の危機!?しかし、音楽への熱い思いがはちゃめちゃパワーとあいまって、紆余曲折を吹き飛ばし、感動のラストまで一直線!! 」 どうです、みてみたくなるでしょ。

 この作品の魅力は、バンドのメンバーである女の子たち(スウィングガールズ)が、劇中の音楽を自分たちで「本当に」演奏しているところです。彼女たちはオーディションで選ばれた若い女優さんですが、みんな楽器の経験はほとんどゼロ。それが、短期間の猛練習の結果、吹き替えなしで本人たちが、立派なジャズの演奏を披露できるまでに成長するという、「もうひとつのドラマ」が、この映画のなかに隠されているわけです。さ〜すが、男子生徒がシンクロに挑戦する映画「ウォーターボーイズ」を大ヒットさせた、矢口史靖監督。今回も泣かせる設定ではありませんか。「ジャズやるべ」なんて、女の子たちがしゃべる山形弁も素敵です。

 前回の院長日誌で、「運動オンチ」、「スポーツ嫌い」についてカミング・アウトしましたが、わたしは学生時代を通じて運動部というものに属したことはなく、音楽系クラブひとすじ。中学・高校の6年間を通じて吹奏楽部だったことは、以前の日誌でもネタにしているので、ご存じのかたもあるかもしれません。大学の6年間(留年したわけではない。医学部は6年生まであるの!)は何をしていたかと言うと、スウィングガールズと同じ、ビックバンド・ジャズを演奏するクラブで、トロンボーンを吹いておりました。

 「ビックバンド」というのは、トランペット4名、トロンボーン4名、サックス5名の管楽器に、ピアノ、ベース、ギター、ドラムによる4名のリズムセクションが加わり、総勢17名で編成されています。1930年代のアメリカで、社交ダンスと結びついてブームとなった、「スウィング・ジャズ」と呼ばれる音楽を演奏するために生まれた大編成のバンド、それが「ビッグバンド」。当時一世を風靡した、ベニー・グッドマン、デューク・エリントン、カウント・べーシーなどの楽団は、みんなこのビッグ・バンドの形態で演奏しています。そして、彼らが演奏する「スウィング・ジャズ」は、はずむようなリズム、明るいサウンド、反復するフレーズが特徴。1940年代以降に台頭してくる「モダン・ジャズ」が持つ、暗くて小難しい雰囲気(映画のなかでガールズは、「インテリ面したオヤジが、ブランデー飲みながら聞くモノ」と看破している!)とは全く異なる、ノリが良くてスィートな大衆音楽(ポピュラー・ミュージック)なのです。この映画のなかで、ガールズが演奏している、「A列車で行こう」、「ムーンライト・セレナーデ」、「シング・シング・シング」などのナンバーは、すべてスウィング・ジャズの名曲とされているものばかりです。

 「やっぱり、音楽は聴くよりも、演奏(プレイ)するほうが、ずっと楽しい」、「どうせ楽器を演奏するなら、ひとりよりも大勢の仲間と合奏するほうが、もっと楽しい」、映画のなかでガールズが演奏している姿をみて、今さらながらに、そう感じました。ステージの上で、お客さんを前にして、ライトを浴びながら演奏する快感を一度経験すると、病みつきになってしまうもの。まして、熱い拍手や手拍子なんぞを贈られたら、もう楽隊稼業から足抜けできなくなる。(カラオケ発表会の舞台に立つオバ様たちと、ほとんど同じ高揚感なのですが・・・)とにかく、この映画をみると、誰もが楽器を手にしてジャズを演奏してみたくなるのだから、すごい作品の力です。全体を貫く明朗なトーンが好ましく、陰鬱で皮肉な「華氏911」なんてみている場合じゃない?

 さて、元スウィングボーイであるわたしも、部屋の片隅でほこりをかぶっている楽器をケースから出してきて、どこかで練習するとしますか。短期間のレッスンだけで、驚くべきレベルのジャズを演奏できるようになった、スウィングガールズたちに負けないようにね。



<スウィングボーイ時代の勇姿!
「西日本医科学生軽音楽祭」のステージにて>


2004年9月8日 「ジョーバの稽古」

 「天高く馬肥ゆる秋」になりましたが、今回は「馬」と「肥ゆる」の話題。開業医という職業は、「出職」ではなく「居職」、つまり営業マンのように外を飛びまわる仕事ではなく、仕立て屋さんなどと同じで、自宅にどっしりと腰をすえて動かない仕事です。したがって、慢性的な運動不足となるわけで、大きな病院の中を走っていた勤務医時代と比較すると、わたしの体重はプラス○(特に数字は秘す)Kgとなってしまいました。おまけに、食べるのは大好きですが、動くのは大きらい。そもそも、子供のころから体育が苦手で、飛び箱やマット運動にはトラウマがありますし、球技もできない運動オンチなのです。だから、世間のお医者さんたちが熱愛するゴルフをはじめとして、あらゆるスポーツに興味がないし、やろうという気持ちもありません。だから、この世の中からプロ野球や大相撲が消滅したとしても、全く困らないひとです。

 しかし、日頃は患者さんたちに「やせなきゃダメ」とか、「運動してくださいね」とか、えらそうに指導している手前、これ以上お腹が出てくるとマズイ。そこで、エクササイズ用品を通販で購入するのを喜びとしている、わが家の同居人たちの提案により、今回導入したのが「ジョーバ」なる機器です。

    

<これが噂の「ジョーバ」。鞍にまたがり、ハイドー!>

 馬に乗ってバランスをとることにより、背筋や腹筋を中心とする筋力強化、腰痛の予防とバランス感覚の改善が期待できるそうで、欧米では古くから「乗馬療法」として、医療行為に取り入れられているとのことです。この「ジョーバ」は松下電工が開発した「乗馬フィットネス機器」で、馬の動きを解析し、前後スイング、前後スライド、左右スイングの3つを組み合わせて、馬の「なみあし」を再現。マニュアルを読むと、「座ってバランスをとるだけで、筋力強化と正しい姿勢の保持が可能」、「1日15分×週3回、3ヶ月で、ダイエット効果が」などという魅惑的な惹句が踊ります。これなら、運動嫌いの院長でも、遊び感覚でできるかしら?

 さて、実際に「ジョーバ」に乗ってエクササイズしてみましょう。本物の馬のように、「手綱」や「あぶみ」もついているんだ。スイッチオン。おお、これはかなりゆれます。手綱を持っていないと落ちるかも。しょせん遊園地にある、100円入れたらガタゴトと動く乗り物に、毛の生えたようなシロモノだろうと予想していましたが、大間違いでした。ナショナルのみなさま、ごめんなさい。ジョーバのスイングに合わせて、体のバランスを保とうとするだけで、息はあがるし、汗も出る。これはダイエットへの近道かも。

 というわけで、いまわが家では「ジョーバ」がにわかなブームとなっております。9月5日夕刻の地震も、これにまたがってゆれていたため、しばらく気がつかなかったひともいたほど。しかし、どんなエクササイズでも、継続しなければ効果はなし。「アブフレックス」、「金魚運動用器具」、「ステッパー」など、これまでわが家に登場して、むなしく消えていった通販商品の二の舞、三の舞にならぬように、今日も愛馬に乗りましょう。




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