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ほぼ週刊院長日誌
”MIYAZ@KI STYLE”

2008年2月25日 「医者というクスリ」

 PIPCが帰ってきました。昨年7月に当院で開催した「PIPC(プライマリケア医のための精神医学)セミナー」。その参加者たちからの熱いリクエストにこたえて、アドバンスト・コースを1月19日〜20日に当院で開講いたしました。今回も西は広島県から、東は福島県まで、全国から当地に集まった仲間たちとともに、前回セミナー同様、井出広幸先生(信愛クリニック院長)と内藤宏先生(藤田保健衛生大学精神科准教授)による強力なファシリテート&スーパーバイズにより、深い学びを得ることができました。

 今回のPIPCセミナーは、「身体化・身体表現性障害・医学的に説明困難な症状への対処」、「パーソナリティー障害」、「内科医が行う心理療法」を主要なテーマとして取りあげました。「医学的に説明困難な症状」(Medically Unexplained Symptoms;MUS)とは、医師が適切な問診・診察・検査を行っても、明らかな臓器の異常が見つからず、その原因を説明することができない身体症状のことです。「めまい感・体のふらつき」を訴えて来院された患者さんに対して、診察しても異常なところはなく、採血検査も正常、脳のCT/MRIも正常、念のために大きな病院の神経内科・脳外科・耳鼻科のドクターに診てもらっても「どこも悪くない」という返事しか来ない。でも、患者さんはしきりに「目が回る、ふらつく」と訴える。原因がわからないので、大した薬も出なくて、問題が解決しないから、患者さんたちは疑心暗鬼となり、あちこちの病院やクリニックを回る。いわゆる「ドクター・ショッピング」をすることになる。これがMUSの典型的なパターンです。

 これまでMUSは、「自律神経失調症」、「不定愁訴症候群」、「更年期障害」なんていう「あいまいな病名」を付けられて長い間放置されてきました。また、精神科領域では「身体表現性障害」という診断になりますし、プライマリケア/総合診療医学/家庭医療学の世界では、「身体化をおこした患者」と呼ばれることもあります。いずれにせよ、そのような患者さんたちが存在することは、医者なら誰でも知っていますが、MUSに対して真剣に向き合った臨床家は、(まれな例外はあるものの)ほとんどいませんでした。だって医者は治らない病気の患者さんを抱えこむよりも、治る病気の患者さんを診ているほうが、ずっとハッピーですもんね。一方、われらPIPCでは、多くの医者が忌み嫌い、避けて通ってきたMUSという手ごわい相手と、ガチンコで勝負して、何とか問題解決に持ちこみたいと意気込んでいるわけです。

 では、「医学的に説明困難な」病気を、どうやって治すのか?「医者=患者の人間関係を使って治す」、それが井出先生とPIPCのスタイルです。わたしは、世界的に著名な精神科医で、心療内科の始祖のひとりでもあったマイクル・バリント先生の言葉にならって、「医者というクスリ(Doctor as a medicine)」の薬理作用で治すのである、と理解しました。 

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 マイクル・バリント(Michael Balint)は、内科医としてスタートし、後に精神科医・精神分析医(フロイトの弟子)に転じたドクターですが、1930年代からロンドン大学のTavistock Clinic(←現在はナラティブ・ベイスト・メディスンの総本山!)に、一般の開業医たちを集めて、日常遭遇するありふれた病気でありながら、治療困難なケースについて検討するグループ・ワーク(後に「バリント・グループ」と呼ばれる)をはじめました。PIPCセミナーの「元祖」みたいなバリント・グループでも、「医学的に説明困難な症状(MUS)」については、当然のことながら話し合われておりました。

 バリント先生が開業医たちに教えたのは、<「医者というクスリ(Doctor as a medicine)」の効果を高めよ>ということなんですが、彼と彼のグループが探求をつづけた「医者というクスリの薬理学」についてご紹介します。

◆患者さんにとっては、医師の「開かれた態度」そのものがクスリとして作用する。

◆そのためには、患者さんを「全人的」に理解することが必要。

◆患者さんの全人的な理解は、充分な信頼関係に裏うちされた良好な医師=患者関係(interpersonal communication)のもとでのみ行われる。

◆そのような人間関係は、患者さんの症状と、その背後に隠された身体・心理・社会・倫理的な問題との関連についての「気づき」を助ける。

◆「医者というクスリ」の効果を高めるためには、医者自身が心身ともに健やかであることが重要。自分の中での抵抗に打ち克って己を知ること、すなわち自己洞察(Self-awareness)を深めること。

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 70年以上も前のロンドンで、バリント先生が言っていたのと、ほとんど同じことを、今回のPIPCアドバンスト・コースなかで、井出先生は以下のように語っていました。

◆医師と患者が、お互いを承認し、良い人間関係を成立させることに焦点を合わせること。

◆患者と良い人間関係をつくるには、患者をモノとしてみないで、人としてみる。その人はどんな思いであなたの前に来たのか。その人があなたに会うために使った労力、時間、お金について考えてみよう。

◆わたしたち内科医にとっての心療の成果とは、患者の成長と、患者の人間関係の改善なのです。

 バリント先生の唱える「医者というクスリ(Doctor as a medicine)」に驚くほどよく似ていますが、「心療」というものを、つきつめていくと、すぐれた臨床家はみな同じような答えにたどり着くようです。

 あちこちの病院で検査を受けても「異常なし」と言われつづけて、医療に傷ついた「医学的に説明困難な症状(MUS)」を持つ患者さんに対して、井出先生はこんなスタイルで声をかける。

◆「これだけ検査したから言えることですが、あなたはよくなります!」

◆「なぜなら、これだけ検査してもあなたが良くならない!という証拠は、ひとつもみつからなかった、そうですね?」

◆「あれだけ大変な思いをして検査したのだから、そう言えるのですよ。はったりではありません!!」

◆「なぜ痛いのだろう、どうして痛いのだろうと考えるのを手放しましょう。どうすれば、この痛みがとれるのだろう?という解決策に焦点を当てるのです。あなたが欲しいのは原因ですか?それとも解決策ですか?」

◆「つまり、あなたが本当に得たいものにしっかりと焦点を合わすということ」

 わたしは、これを教えていただいたときにホントに驚きました。医者は患者さん以上に「病気の原因=犯人」捜しに熱中しがちですが、見つかるあてもない「医学的な原因」を探すのは、ある時点で「切り上げて/棚上げ」にして、今ここにある(Now&Here)患者さんの「苦労・困り事」の解決に専念せよという井出先生の戦略は、じつに見事な「医者というクスリ」の使いかたであり、患者さんの認知の歪みを修正する「認知行動療法」的診察にもなっています。

 1984 年に開かれた「全人的医療を考える会・第1回軽井沢ワークショップ」という医学生のための教育ワークショップに偶然参加したわたし(当時23歳!)は、わが国における心療内科のパイオニアである故・池見酉次郎先生(九州大学心療内科教授)から、バリント先生の仕事と、「医者というクスリ(Doctor as a medicine)」という言葉を教えていただき、強い印象を受けました。それ以来、いつも自らの「医者というクスリ」の効果を意識しながら今日まで仕事をしてきました。それから四半世紀の歳月が経過しているわけですが、今回のPIPCアドバンスト・コースに参加したことで、「Doctor as a medicine」について(全く思いがけず)より深く考えることができました。このような「学びの種」を惜しげもなく与えてくださった、井出広幸先生に感謝いたします。

     

左:マイクル・バリント先生 右:井出広幸先生

PIPCの「源流」と「現在」を比較してみると、
その思想は驚くほど似ている


2007年8月07日 「反省的実践家への手紙」

 井出広幸先生

 先日は大変お忙しいなか、またご遠方からはるばる吉良町までお越しいただき、宮崎医院PIPCセミナーの講師として、長時間にわたり熱心にご指導いただきまして、本当にありがとうございました。

 実はこの7月20日をもちまして、わたしが宮崎医院を継承して、ちょうど5年の月日が経過いたしました。今回のセミナー開催は、わたし個人にとって、「開業医生活5周年」(もちろん「院長稼業5周年」でもあります)を記念する大切なイベントでした。また、「少人数の有志を集めて、親密な雰囲気の勉強会がやりたい」という夢を持ってデザインした、新医院2階のセミナールームを、本格的に稼働させる最初の機会でもありました。そのような節目となる行事に、わたしと同じ内科の開業医である井出先生を、当院にお迎えできましたのは、大きな喜びであり、深い「ご縁」を感じております。

 なぜ、鎌倉市大船にあるクリニックの院長先生が、「プライマリケア医のための精神医学(PIPC)」と銘打ったセミナーの講師として、宮崎医院のセミナールームに立つことになったのかという「物語り」については、ブログのほうにくわしく紹介させていただきましたので、ここではくり返しません。また、こんな田舎の診療所の2階に、全国の病院や診療所から医師たちが集まって来たという、セミナー開催までのエキサイティングな経緯も、もうひとつの「物語り」となりました。

 新しい医院建築が存在しなかったら、あるいは2階にセミナールームを作らなかったら、これらの「物語り」が生まれてくることはありませんでしたし、井出先生やセミナーに参加されたドクターのみなさまと知り合うこともなかったでしょう。新医院を設計してくださった建築家の生津康広先生は、「人を精神的に豊かにする空間を作りたい」、「社会に対してプラスに作用する建築になることを目指す」というポリシーを掲げていらっしゃいますが、今回のセミナーを経験してみて、建築家の意図の一端が理解できました。

 さて、セミナー当日は「事務局」としてドタバタと駆けまわっておりましたので、わたしの感想を先生にお伝えすることができませんでした。そこで、この手紙を使って、個人的な「セミナー印象記」を綴ってみたいと思います。

 PIPCセミナーを受講している最中、わたしの頭の中では、「反省的実践家は行為しながら考える」 というタイトルが、チカチカと点滅しておりました。「反省的実践家(reflective practitioner)」とは、アメリカの哲学者ドナルド・ショーンが、「The Reflective Practitoner」(邦訳「専門家の知恵」・ゆみる出版)という著書のなかで提示した新しい専門家像です。「なぜ、周囲からプロと思われている職業人は、教科書では解決できない、現実世界の複雑で不確実な問題を解決できるのか?」という研究から生まれたのが、「反省的実践家」という概念であります。わたしは「医師のプロフェッショナリズム」の勉強をしているうちに、ショーンと彼の思想を日本に紹介した気鋭の教育学者である佐藤学氏を知るようになりました。

 近代の専門家(プロフェッショナル)は、「技術的合理性」にもとづく「技術的熟練者 (technical expert)」として生きてきました。井出先生のキャリアに照らせば、消化器内科学(=「技術的合理性」)という根本原理のもと、内視鏡専門医(=「技術的熟練者」)として腕を磨かれていた時代に相当するでしょう。ところが、現代の複雑な状況を生きるクライアントが直面する問題は複合的で、不確実性に満ちています。そこで、専門家(医師)は細分化した自らの領域を超える課題に、クライアント(患者)とともに立ち向かっていかなければなりません。消化器内科医である先生が、ある時期から精神科/心療内科(先生の用語では「心療」)の領域に「本気で」進んでいかれたのも、そのような課題に直面されていたからであろうと想像できます。

 セミナーのなかで、「内科医が精神科的診療をやっても良いのか?」という設問に対して、「あなたがやるしかない! 『あなたが診なかったら、誰も診てくれない患者をあなたが診る』のが現実ですよ。いま、ここで、あなたができるベストを行うことに、決して罪悪感を持つべきではない」と答える、先生の姿勢(「覚悟」と言っても良いと思います)に強い感銘を受けました。クライアントが苦闘している泥沼を、山の頂上から見下ろすような、特権的存在としての臓器別専門医ではなく、クライアントの泥沼を引きうけ、クライアントとともに格闘するプロフェッショナルとしての道を、先生は自らの意志で選択されたのですね。このように、実践のなかで経験しながら育つ新しい専門家を、ショーンは「反省的実践家」と呼びました。

 反省的実践家は、日々の実践のなかで、自分なりの「実践の理論」を蓄積発展させていきます。今回のセミナーで教えていただいたスキル(「長い話のコントロールの仕方」など)の数々は、まさに先生の「実践の理論」そのものです。現場で予期せぬ出来事に遭遇したら、直ちにその「驚き」を認識し、問題となっていることをレビューし、解決のためのプランを立てる。この「行為の中の振り返り(reflection in action)」と呼ばれる作業が、反省的実践家の学びの特徴であり、成長の源泉であると言われております。

 「実践の理論」は、コンテクスト(文脈)依存性なので、なかなか「部外者」には伝わりにくいという特性があります。しかし、今回のセミナーに参加した医師たちは、プライマリケア/家庭医療学/開業医療への指向が強いメンバーであったために、先生が苦労して身につけられた「実践の理論」の価値を、しっかりと受けとめて、直ちに自分のフィールドで積極的な活用をはじめています。それは、このPIPCセミナーが新しい「学びの共同体」として機能している証拠ですね。

 また、今回のセミナーでは、精神科医である内藤宏先生(藤田保健衛生大学医学部精神科)にご参加いただきましたが、「大学病院の精神科」と「心療内科を標榜する内科クリニック」という、従来の枠組みでは真っ向から対立するはずの背景(コンテクスト)を背負ったお二人が、ジャズ演奏におけるアドリブの応酬のような対話を重ねながら、楽しそうに議論される「ライブ」を拝聴できたことも、今回のセミナーの豊かな収穫でした。お二人の間で、「Clinical Jazz」のセッションが盛り上がったのは、内藤先生もまた井出先生と同じ「反省的実践家」に属する演奏家(=臨床家)だからであります。

 いまから5年前、大学病院で白血病だけ診ていた専門医から一般内科の開業医に転職した当初、わたしは自分の進むべき方向が見えず、暗澹たる気分で診療していたように思います。しかし、プライマリケア医学/家庭医療学を学ぶ研修医に戻って、開業医のロール・モデルを探しているうちに、偶然の機会から故・田坂千佳先生とTFC-MLにめぐり合いました。そのネットワークのおかげで、全国各地で活動する優れた開業医の存在を知り、その仕事ぶりに励まされながら、いつの間にか自分も楽しく仕事ができるようになりました。今回の先生の講義を拝聴し、そのお人柄にも触れて、「またひとり、自分のロール・モデルとなる開業医の先生と出会うことができた」と思いました。今後とも、こころの診療の「メンター」として、末永くご指導をお願い申し上げます。

 末筆となりましたが、「朝の7時から内視鏡検査、9時から22時まで外来診療、23時から訪問診療、休日はセミナーなどの教育活動」という、想像を絶するハードワークをこなされている先生ですが、くれぐれもお体を大切にしてください。また、お会いできる日を楽しみに待っております。



待合室を使ってのロールプレー実習風景

左端に立って指導しているのが
井出広幸先生

2007年7月22日・宮崎医院にて撮影


2007年4月07日 「日本一小さい医院の看板」

 「アアルトのような北欧の建築家が、日本の海辺の町に小さな美術館のような診療所を建てたら、こんな建築になるだろう、というイメージで設計してください」

 宮崎医院のリニューアルに際して、プロジェクト全体の指揮をとっていただいた生津康広先生の事務所を初めて訪れたとき、わたしが建築家にお願いしたのは、これだけでした。

 この春、リニューアル・プロジェクトは完成しましたが、こちらでもご紹介しているように、注文通りの新・医院となりました。

 施主も建築家も、「アート・ミュージアム」というコンセプトを、ひたすら追求する1年でしたが、時々困ったことも起こります。だって、医院は美術館ではありませんもの。

 たとえば、医院の看板。フツーは集客?のための派手な看板を立てるのが業界の常識です。

 しかし、われわれのチームは、

 建築家: 「真っ当な美術館の建物には、『○○美術館』なんて大きな看板はかかってないですよね。」
 施主: 「そうですね。それでは、なるべく小さな看板でお願いいたします。」
 建築家: 「ホントに、それでよろしいんですか?」
 施主: 「ハイ、けっこうです。」

 なんて会話を交わした結果、完成した医院の看板は、下の写真のようになりました。

 この45センチ四方のシンプル・モダンな看板のみ。写真の右奥、白い壁のところに、豆粒のように見えているのが、医院玄関の「宮崎医院」というサインです。こちらも極力小さなサイズにしました。建築物本体の外壁には看板や文字はありません。

 その結果、宮崎医院の前で「宮崎医院はどこですか?」なんて聞かれる事態も発生しておりますが、開院以来65年にわたって、「ずっとかかりつけ」という患者さんたちが主体の診療所ですから、実は「看板」なんて無くても平気なのかもしれません。これからは、「医院らしくない医院建築」そのものが、当院の「看板」ですから。



自称「日本一小さい医院の看板」
一辺が45cmの正方形
夜は「ライトアップ」されます


2007年1月31日 「Go! Go! IT化革命(その1)」

 唐突ですが、わたくし、このたび「委員長」に任命されました。何の委員長かっていうと、所属する地区医師会が立ち上げた「IT化推進委員会」なるものの委員長なのです。えへん。嗚呼、「委員会活動」なんて中学校のときの保健委員会以来かしら?

 「貴殿は当医師会のIT化推進委員に任ぜられています、つきましては某日に初会合を開きますので、万難を排してご出席ください」というファックスが、医師会事務局から届いたのです。そこで、根がまじめで気が弱いわたしは、医師会館で開催された委員会に、うっかりと顔を出してしまった。その挙げ句の「委員長拝命」なのであります。

 わたしの所属する医師会は、会員の平均年齢が県下で最も高いと噂されている、たいへん成熟した(?)大人のグループ。そのために、他地区と比較するとIT化の遅れが目立つのだそうです。しかし、本年度から会長、副会長をはじめとする役員が一新されて、若い執行部に変身したために、ここらでIT化を進めなければマズイということになって、われらが「IT化推進委員会」が発足したという事情があるみたい。

 現在のところ、医師会員への伝達や情報配信は、いまだにファックスが主役。そのためにファックス代だけで年間○○万円もかかってしまうそうです。そこで、医師会IT革命の第1弾として、メールによる情報配信サービスをはじめたいというのが、医師会執行部から委員会に課せられたミッションなのでありました。ところが、会員のメールアドレスはおろか、ネットに接続されているパソコンがあるかないかなんてことも、全く把握できていない。さて、委員長として何から手をつけたら良いのやら・・・

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 IT、IT、近頃はやりだ
 IT、IT、誰もが夢中だ

 コタツ、電気ガマ、冷蔵庫
 まとめてネットにつなげ
 良いか悪いかは知らないが
 流行りのスタイルに違いない

 IT、IT、やったもん勝ちだぜ
 IT、IT、バッタモンもありだぜ
 いかさま当然。いきなり倒産。
 いろいろ大変だ、IT

(from 「IT Boogie」 
Mitsuyoshi Azuma &The Swinging Boppers

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 いろいろ大変な、IT化推進委員長の奮闘は、次号「Go! Go! IT化革命(その2)につづきます。



長らくお待たせいたしました!
本日より新しい駐車場が使用可能になりました

これまで、いろいろとご不便をおかけして
申しわけありませんでした

車止めの縁石までデザインされています
よく見てね


2006年12月31日 「しゃちょーのいす 」

 仮診療所から新・医院への引越しでスタートした師走。12月4日のリニューアル・オープン以来、怒濤のような日々が過ぎて、あっという間に大晦日を迎えることになりました。関係者のみなさまのおかげで、新・医院での診療も順調なすべり出しとなり感謝しております。

 ところで、新しい診療室では、かねてからやってみたかった、ふたつのことが実現しました。@ わたし自身が立って診察室のドアを開け、患者さんをお迎えする。A 患者さんの座る椅子を、院内で一番上等なものにする。

 むかし、テキサス州ヒューストンにあるM.D.アンダーソン癌センターという、全米ナンバーワンのレベルを誇る癌治療の専門病院で短期研修したときのことです。外来部門の見学で、ドクターが暖かな笑顔と握手で患者さんを診察室に迎え入れ、座りごこちの良い椅子に案内する様子を眼にして驚きました。日本の医療機関では、みなさまもご存知のように、混雑した待合室に向かって、看護師が大声で患者さんの名前を叫んでは、せかせかと診察室に誘導していますよね。わたしが勤務していた大学病院では、「○○さん、△番の部屋にお入りくださーい」なんて具合に、医師がデスクに備えつけられたマイクを使用して必死に呼びこみをしていました。それが、M.D.アンダーソンでは、ホテルのラウンジのような待合室で、ふかふかのソファに座って待っている患者さんのところまで、白血病治療で世界的に高名なドクター本人が迎えに行き、患者さんの肩を抱いて診察室まで連れていくではありませんか。外来診療中も、実に静かでおだやかな時間が流れていて、怒号や喧騒に包まれた日本の病院とは大違い。日米の医療の「質の違い」というものを、こころの底から感じた瞬間でした。

 その後、「わたしは、自ら診察室のドアを開けて患者さんをお迎えに出ます」と語った日本のドクターにふたり出会いました。ひとりは、前回の日誌でもご紹介している尼崎の桜井隆先生。さくらいクリニックを開業したばかりのころは、「あそこは、待合室まで医者が出迎えに来よるぞ」と、近隣の住民たちに驚かれたと、愉快そうに話していらっしゃいました。もうひとりは、病院経営のカリスマである瀬戸山元一先生(前・高知医療センター院長)。「自分が外来診療を行うときは、必ずドアを開けて患者さんを出迎えるようにしているが、患者さん中心の病院にするつもりなら、当たり前のことです」と力説されていました。そんな人々の影響もあって、自院の診察室が整備されたら、わたしもこのスタイルでいこうと決めていたのです。

 患者さんの椅子をめぐる問題については、以前にブログのほうに書きましたが、もう一度それを引用してみましょう。<医者が高い背もたれや肘掛けつきの革張りの椅子に座り、患者さんが貧相な事務用の丸椅子に座る。このイメージが通用するのは日本だけなのです。欧米ではまったく反対で、患者さんが安楽な椅子に座るのがあたりまえ。医師で医療人類学の研究者であった故・中川米造先生は、「医者の立派な椅子と、患者さんの貧相な椅子」の写真を撮って、日本の医療の特異性(後進性)のシンボルとして、外国での講演のマクラに使っているというお話を、先生ご自身からうかがったことがあります。>

 そんな事情もあって、新しい医院の診察室では、患者さんが座る椅子は、院内で一番上等で、座りごこちの良いものにすることに決めていました。わたしが選んだのは、黒革で張ったスワンチェアですが、それを聞いた建築家は、てっきりわたしが自分で座るためのものを注文しているのだと思いこんでしまったそうです。フツーの日本人の常識では、「立派な椅子=医者が座るもの」ということになっちゃうみたいですね。実際に新しい診察室に入って来られた患者さんのなかには、「これに座ってもいいのですか?」と、奥床しく尋ねられるかたもあるぐらいですから。

 下の写真は、現在の診察室です。奥に写っている椅子が患者さん用。白鳥が羽根を広げたようなかたちをしているので、「スワン」という名前がついている、デンマーク製の椅子です。

 さて、この黒いスワンですが、実物はかなりの存在感があります。当院の常連さんである保育園児は、部屋に入って来るなり、「わぁ、しゃちょーのいすだ」と大喜びで、靴をはいたままよじ登ってくれました。あわてて靴を脱がせながら、「しゃちょーのいす」というのは、社長さんのようなエライひとが座る立派な(大げさな?)椅子という意味なんだと気づいた次第。こどもの観察眼は鋭いですね。それ以来、この椅子は「しゃちょーのいす」という名前になっちゃいました。そこにちょこんと座って診察を受けるこどもたちも、どこか得意そうに胸をそらせて聴診器を当ててもらっています。

 みなさま、新しい医院をはじめて受診されたら、どうか驚かないでくださいね。待っていると、診察室の木製ドアが、スルスルと横に動きます。自動ドアではありませんよ。わたしが手で開けているのです。そして、あなたを「しゃちょーのいす」へとご案内いたします。どうぞ、少しいばって腰かけて、そのすばらしい座りごこちをお楽しみください。


2006年11月19日 「あなたの家にかえろう 」

 <あなたもわたしも 仕事が終われば家へ帰る。 それと同じように 人生という仕事が終わる時には 家に帰ろう。>

 尼崎の桜井隆先生は、わたしがこころから尊敬している開業医/家庭医の先達です。先生がプロデュースする「コミュニケーション・ワンダーランド」という教育セッションに参加したときのルポは、この「日誌」でもご紹介いたしました。「おかえりなさい」プロジェクトは、「在宅ホスピスケア」に熱心に取り組まれている先生が、新たに展開されている活動であり、「住み慣れた自宅で最期を迎えたい」と願う患者さんとご家族を支援するために発足しました。そして、「あなたが願うなら、家でもだいじょうぶですよ」と呼びかけるために、「あなたの家にかえろう」というタイトルの小冊子を作ったのであります。

 さっそく、桜井先生にお願いして何冊か送っていただきましたが一読して驚嘆、すばらしい出来ばえです。ノスタルジックな「日本の家の風景」を題材にしたイラストが良い。この種のパンフレットで、患者さんや家族などの「ひと」の姿を全く排して、玄関・居間・ソファやアイロンなどの家財道具・飼い犬などのイラストだけに徹するなんて、相当の勇気とセンスがなければできる芸当ではありません。もちろん、おそらく桜井先生が書かれたものであろう文章も味わい深いもの。ちょっと、読んでみてください。

★★★★★(引用はじめ)★★★★★

 在宅ケアを決めた夫が、家に着いた時の情景です。
 妻は、その第一声を忘れることができません。
 いつもの部屋のいつもの古いソファーに腰かけ、

 「あぁ、家はいい。小さくて汚いけれど自分の家はいい。気持ちいい・・・
 おい、少し眠るからそっとしておいてくれ。心配しないでいいから」

 そう言って寝てしまいました。健康な時であれば何でもない情景です。
 しかし、妻はとても驚きました。
 夫は、病院にいる時、痛みのためにほとんど眠れなかったからです。
 薬でとれない痛みが、家に帰るだけで軽くなる。

 そんな不思議な力があるところ、
 それが「住み慣れた家」なのかもしれません。

 (第13章 「家でもだいじょうぶ」より)

★★★★★(引用おわり)★★★★★

 病院で亡くなるひとの数が、家で亡くなるひとの数を上回るようになったのは昭和54年(1979年)のこと。たった30年前までは、家で最期を迎えるのは決してめずらしいことではなかったのですが、いまでは約8割のかたが、病院のベッドの上からあの世へと旅立つ時代になってしまいました。しかし、治癒を望むことのできないがんなどのために、病院で闘病されている患者さんやご家族のなかには、「家に帰りたい」、「家に帰したい」と望むかたが増えています。家に帰りたいと願っても、「急に具合が悪くなったらどうしよう」、「家族に負担がのしかかるから」といった不安や心配から、口に出せないでいる患者さんも多いのです。

 病院での主治医、在宅医療を担当する開業医、訪問看護師、ケア・マネージャー、ホーム・ヘルパーなどによって構成された在宅支援チームが一丸となって、「住み慣れた自分の家で最期の時を過ごしたい」という患者さん・ご家族を支援すること、それが「在宅ホスピスケア」の精神です。最近では、医療や福祉のサポート体制も整いつつあります。もし、入院中の患者さんから、「家に帰りたい」と打ち明けられたら、ぜひわたしたち開業医/家庭医にご相談ください。このパンフレットの最後に書いてあるように、「あなたが願うなら、家でもだいじょうぶ」です。患者さんを「おかえりなさい」と迎えるための作戦を、チームのみんなといっしょに考えましょう。



「あなたの家にかえろう」・表紙

なつかしい「昭和の家」の玄関が描かれていて
「おかえりなさい」プロジェクトにぴったり

読んでみたいかたは
こちらから
「さくらいクリニック」にお申し込みを!


2006年10月30日 「天使たちとの再会 」

 Nさん、そしてTさん。先日は久しぶりにお会いできてうれしかったです。

 9月の連休のある日、わたしはレジデント(病院住みこみの研修医)を修了して以来、およそ18年ぶりに聖路加国際病院のなかに足を踏み入れました。休日の閑散とした病院のなかで、むかし大変お世話になったナースのおふたりと、まったく偶然に再会できたのは、病院創設者であるトイスラー先生の「思し召し」だったのでしょうか。

 わたしが班員として参加している、文部科学省科学研究課題「わが国における医師のプロフェッショナリズム探索と推進・教育に関する事業研究」研究班の班会議が、聖路加の会議室で開かれるという案内をもらったときから、もしかしたら懐かしいひとたちに会えるかもしれないという淡い予感は抱いていました。しかし、会議の当日、小雨のぱらつく築地明石町にタクシーから降りたって、まったく様変わりした病院とその周囲を眺めていると、自分がバブル全盛期の1986年から1989年までの3年間、ここで働いていたという事実がにわかに信じられないような気持ちも涌いてきます。何はともあれ、かつての職場であった旧病院に潜入し、礼拝堂(チャペル)の下にあるトイスラー先生の写真にご挨拶。仕事に追い立てられて早朝から深夜まで、この写真の前を右往左往していたころの記憶がよみがえりました。

 旧病院のトイスラー先生に別れを告げて、班会議が開催される新病院5階に移動しましたが、こちらは足を踏み入れたことがない場所なので全く勝手がわかりません。会場を探してうろうろしていると、そこに確かに見覚えのある女性の姿を発見。「Nさんですか?お久しぶりぶりです」と声をかけたところ、「えっ、えっ、宮崎先生? なんでここにいるの??」という反応。

 Nさんは現在、聖路加の緩和ケア病棟を率いるナース・マネージャー(←フツーの病院における「婦長さん」のこと)ですが、わたしがレジデントのころは内科病棟の中堅ナースでした。注射がヘタクソな新米ドクターのわたしに対して、決してそのプライドを傷つけることなく、的確に技術のポイントを教育し、患者さんたちの心理を解説してくれた「恩人」です。わたしがまともに注射や採血ができるようになったのは、ホントに彼女の援助のおかげです。

 どうやら、会議室のある管理部門は、ナース・マネージャーたちのオフィスと隣接しているみたいで、「先生たちの会議室はあちらですよ」と、むかしと変わらぬ「出来の悪い弟を優しく導く賢い姉」のような態度で、進むべき道を指ししめしてくださいました。

 その指示に従ってフロアの奥に進んでいったところ、会議室の手前にある「看護管理室」という部屋から出てきたナースと鉢合わせに。その顔を見て、またまたびっくり。「あっ、Tさんだ!」。Tさんは当時2階にあった内科病棟のヘッド・ナースでした。わたしが研修医1年目の最後のローテーションで、諸般の事情によりTさんの病棟の「病棟長」に選ばれてしまいました。いろいろな出来事がありましたが、病棟を統括する器量なんて持ちあわせていない当時のわたしのお尻を、普段はやさしく、時折きびしく叩いて、何とか職務を全うさせてくださったのがTさんでした。

 忘れられない思い出があります。ある日の午後、病棟で仕事をしていると、どこからか美しくソプラノの歌声がきこえてきました。古い童謡を歌っているようです。その声の出所を探っていくと、ある個室にたどりつきました。声の主はTさんであり、ベッドの脇にある椅子に腰かけた女性患者さんの髪をとかしながら、その耳元で歌っていたのです。旧病棟の個室は、クラシック・ホテルの客室のような重厚なつくりです。そのなかで柔らかな午後の日ざしにつつまれて、上品な老婦人の白髪を梳りながら、澄んだ声で童謡を歌うTさんの姿は、外国映画のワン・シーンのように、わたしの記憶に深く刻まれています。

 さて、20年の時空を超えて再会しても、彼女の物腰はまったく変わっていなくて、「あら、先生。おひさしぶりね。お元気そうで。会議室ですか?ご案内しますわ。」と会場まで連れていってくれました。看護部のホームページを拝見すると、現在のTさんは「看護管理室ナース・マネージャー」として、ベテラン看護師の視点で、患者サービスや接遇に関する問題点の発掘・対策に従事されているとのこと。彼女が出演している教育用のDVDもあるみたいなので、ぜひ入手して見てみたいものです。

 聖路加では、いまもむかしも、ナースは新人から看護部長に至るまで、すべて「○○さん」と、さん付けで呼ぶ決まりになっています。ほかの病院のように、「婦長さん」とか「主任さん」といった役職名で呼ぶことは、固く禁じられています。そして、医師・ナース・事務系職員が、お互いに相手の仕事を、プロとして尊重しながらはたらくという伝統があります。医師としてのキャリアの最初に、彼女たちのような素晴らしいナースとともに仕事することができたのは、わたしの幸運であり財産でもあります。そして、いま建設中の「新・医院」のプロジェクトは、ハード面、ソフト面ともに、聖路加病院が持っている「上質な医療のスタイル」を、宮崎医院というフィールドのなかで自然に展開していくための「ミッション」であると、わたしは位置づけています。

 今回の旅は白衣の天使&恩人たちとの再会がかなって、思いがけない「センチメンタル・ジャーニー」になりました。班会議が終わったあと、地下鉄日比谷線・築地駅までの道のりを、旧病院の屋根に立つ十字架をふり返りながら、「25歳のころの自分」といっしょに歩いて帰りました。


2006年09月27日 「脂肪のかたまり Boule de suif 」

 「みなさまは、20歳から何キロ体重が増えましたか?」

 そう言って、わたしがハンドマイクを聴衆のほうに向けると、「10キロ?」、「いやだ、わたしは20キロよん」なんていう、ざわめきが講演会場に広がっていきます。

 「仮に10キロ増えたとすると、その中味はすべて体脂肪ですね。ところで、10キロの重さに相当するものは何でしょうか?1歳の赤ちゃんの体重ですね。あるいは、2リットル入りのペットボトルのお茶なら5本分ですよ。スーパーでそれだけのお茶を買って家まで持ちかえるのは大変ですよね。でも、それだけの重さがみなさまの体のどこかに脂肪として付いているということですよ。」

 ここまでお話しておいて、おもむろに下の写真の「ブツ」をとりだします。 

 「今日は特別に<脂肪のかたまり>を持ってきました」と言って、これを袋から出してみせると、聴衆は一瞬ホンモノかと思ってギョッとします。

 「これはむかしの食堂の入口に陳列してあったメニューの蝋細工と同じで、「フードモデル」と呼ばれるものなんです。さて、この脂肪のかたまりの重さは、どれだけあるでしょうか?」

 最前列の参加者に、このモデルを実際に持ってもらうと、だいたい「3キロ?」とか、「5キロでしょ?」といった反応がかえってきます。そこで、準備してあったヘルスメーターに、この「脂肪のかたまり」を載せてもらうと、「えっ、1キロなの」という驚きの声が!

★★★★★

 昨年からお手伝いをしている、吉良町保健センター主催の「生活習慣病予防教室」。今季のセカンド・シーズンは、さらに内容をバージョンアップして、一方的な講義形式をなるべく避け、聴衆の「気づき」を促進するような、「参加者主体」の教育へのシフトを試みています。そのための秘密兵器が、この「脂肪模型1Kg」です。実際に持っていただけばわかるのですが、とても1Kgとは思えないようなボリュームと重量感あり。「20歳のころと比べて10Kgの体重増があるひとは、この模型10個分がお腹にくっついているんですよ」と説明すると、教育効果はバツグンです。

 このような教育用フードモデルが販売されていることは、「糖尿病患者教育」を科学的に研究されている坂根直樹先生の著作(わたしの糖尿病&肥満予防に関する講義は、すべて坂根先生の本からの受け売りなのです)を読んで知りました。さっそく楽天のトップページの検索に「脂肪模型」というワードを入力したところ、いきなりこの商品がヒットして、注文した翌日に配達されてきたのにもびっくり。いまや、ネット通販で買えないものなどないのでしょうか。この模型を販売している「川崎フードモデル」という会社は、もともと本物そっくりの蝋細工食品を作っている企業なのですが、健康教育用にも様々なモデルを開発しているみたい。しかし、楽天内のショップで「おすすめランキング1位」に輝いているのが、「フルーツフードモデルセット(果物食品模型の置物)」というのは不可解。5万円もするニセ・フルーツの置物セットなんて、誰が何の目的で買うのかしら?わたしが「ちょっと欲しいな」と思った商品は、もみじまんじゅうのマグネット(広島が本社!)と、らっきょうの携帯ストラップ。それにしても、この会社のセンス、独特なものがあります。

★★★★★

 「脂肪のかたまり」と言えば、モーパッサンのデビュー作となった短編小説。この小説の主人公であるグラマーな娼婦は、「脂肪のかたまり (Boule de suif)」というあだ名で呼ばれていました。この小説を読んだのは、ブンガクにかぶれていた中学生のときで、その内容もほとんど忘れてしまいましたが、「ブール・ド・シェイフ」というフランス語の響きだけは、30年以上たったいまでもしっかりとおぼえています。さて、秋の「プレゼン地獄」はまだまだつづく。この「ブール・ド・シェイフ」を片手に、「医者がすすめるダイエットの秘訣」みたいな健康漫談を、町民のみなさまにご披露したいと思います。(→「生活習慣病を予防する教室」:9月30日・土曜日、または10月2日・月曜日、いずれも午後1時30分から午後3時30分まで。場所:吉良町保健センター2階研修室。問い合わせ先:0563-32-3001、保健センター磯貝さんまで)


2006年08月31日 「背中のヤリ貝が泣いている」

 ネットで配信されてくる医療ニュースを眺めていたら、「脳外科医志す若手医師激減 日本脳外科学会が異例のPR冊子」という記事を発見。今春の調査によると、4年前に比べて脳外科医志望者は42%も減少しているそうですが、わたしの専門科である血液内科医の志望者が激減しているのと同じような理由みたい。つまり、3K(きつい・暗い・食えない?)職場は、若いドクターたちから敬遠されているということでしょう。

 そこで日本脳外科学会が起こしたアクションは、若手医師に脳外科の魅力をアピールするPR冊子を作製するというものでした。その冊子を直接手にとったわけではありませんが、ネットに掲載された記事によると、「忙しい時もあるが、やりたい仕事なので精神的な疲れはない」(若手医師)、「きつい職場であることを否定しない。だが、計り知れないほどのやりがいがある」(某大学教授)といったメッセージが寄せられているようです。この「計り知れないほどのやりがい」というのが、今回のキーワード。

 わたしは「やりがい」という言葉を耳にすると、とんねるずが背中に背負ったピンク色の「ヤリ貝」という貝の長さを測っていた、リクルートのTV-CM(川崎徹作品・1986年放映!)を思い出してしまう困ったオジさんですが、そんなこととは全く無関係に、われわれの業界では、いま「やりがい」という言葉が見直されています。いささか大袈裟に持ち上げるならば、「やりがいリバイバル」あるいは「やりがいルネッサンス」といった状況。そこで、なぜそうなっているのか、少し考察してみましょう。

 「やりがい」という言葉の意味は、「物事を為す(多くの場合仕事)にあたっての張り合い。モチベーション。やり甲斐。」ということになります。ここで重要な点は、「仕事にあたっての張り合い」というところです。「夫としてのやりがい」とか、「父親としてのやりがい」という用例は何だかしっくりこなくて、「血液内科医としてのやりがい」、「町医者としてのやりがい」というように、あくまでも「仕事」に関連したモチベーションを表す言葉なんですね。

 <日本の勤務医は、経済学が前提とする、常に自分の利益の拡大を図る経済主体ではない。自らの知識や技量に対する自負心と、病者に奉仕することで得られる満足感のために働いている。このために、ハードワーク・ローリターンに耐えてきた。ところが、これにハイリスクと患者との齟齬の煩わしさが加わった。当たり前の話だが、理不尽な攻撃を受けながら、だまって相手に奉仕せざるをえない状況が続けば、人間の誇りと士気は大きく損なわれる。> (小松秀樹・「医療崩壊:「立ち去り型サボタージュ」とは何か」・朝日新聞社

 上の文章は虎の門病院の泌尿器科部長である小松先生が書かれた話題の書籍からの引用です。ここに書かれているような状況のために、いま日本の医師たちの「仕事に対するモチベーション」が大きな危機を迎えているのは事実であると思います。特に「ハードワーク・ローリターン」(激務をこなしても、サラリーや地位に全く反映されないということ)の傾向が顕著な基幹病院勤務の医師たちは、それに耐えきれずに退職して開業医となっていく。この現象を小松先生は「立ち去り型サボタージュ」と命名されたのです。連日のように報道されている地方における勤務医の不足や、信じられないような医療事故の裏側には、「人間の誇りと士気」が損なわれた状態で仕事をせざるを得ない現場の空気が隠れていることを認識すべきでしょう。

 いま医師たちが自らの「やりがい」について深く考えたり、熱心に語るようになってきたのは、仕事に対するモチベーション低下の危機を、何とか乗りこえようとする動きのように思えます。先日からこの日誌でご報告している「医師のプロフェッショナリズムについて考える」WEB討論会でも、「医師のやりがいとは何か」というテーマが、参加者のなかから自発的に提案されたために、新しいスレッドを立てて議論が交わされました。そのなかで出てきた意見のひとつに、「患者さんと接することで、われわれ医療者が得られるエネルギー」が、「やりがい」に結びついていくというものがあり、非常に興味深く感じました。このような「エネルギー」の正体を研究して、医学生や研修医のみなさんに伝えることができれば、人的医療資源の確保につながっていくのでは、というような建設的な発言もあり、「やりがい」研究の萌芽まで提案されています。

 わたし自身が、 若い医学生・研修医・看護学生のみなさまに、「血液内科医はやりがいのある仕事です」ということをアピールする場合は、やっぱり「患者さんとのこころの交流」といった面を強調することになります。白血病・悪性リンパ腫などの難病と闘う場合、主治医・患者さん・ご家族というチームは、ちょっと他科では想像できない濃密なコミュニケーションを長期にわたって継続しなければなりません。これを「煩わしい」と感じるか、「やりがい」と感じるかが、大きな別れ道になるわけです。「医療崩壊」の現場におかれているわたしたちですが、後進のみなさまに胸をはって「それでも、やりがいはある」と言えるような仕事をつづけていきたいと思います。橋本治の有名なコピーをもじれば、「とめてくれるなおっかさん 背中のヤリ貝が泣いている」なんて心意気でね。



本日の仮診療所受付カウンター

今日で8月も終わり
去りゆく夏を惜しむ花たち・・・


2006年08月12日 「ランチとボールペン」

 アメリカには「No Free Lunch」という団体があるんだって。「無料(ただ)で配られる弁当を食べるな!」という運動をしている人々の集まりです。この「フリー・ランチ(無料のお弁当)」なるものは、誰がどこで配っているのか? それは製薬企業が医学会や新薬の説明会の会場なんかで、参加した医者に対して配るもの。そのような慣習は、日本でも欧米でも変わらないらしい。しかし、医師のプロフェッショナリズムに関連する「倫理感」が高揚しているアメリカでは、「製薬企業が学会場で配るランチを食べちゃダメ! 商品の名前が書かれたボールペンも貰っちゃダメなの!」ということを、強く訴えている医師たちがいて、「No Free Lunch」というグループ&サイトを作っているみたい。

 この「No Free Lunch」という運動について知ったのは、前々回の日誌でご案内いたしましたWEB討論会「医師のプロフェッショナリズムについて考える」のなかで、ある先生が紹介されていたからです。わたしもモデレーターのひとりとして関わったWEB討論会でしたが、「プロフェッショナリズム教育・推進班」班員たちの熱意が実って盛況のうちに終了。ネットの掲示板形式による討論会の司会・進行役なんて、わたしにとってはじめての経験だったので、いささか緊張しましたが、参加してくださったみなさまがたの活発な発言に助けられ、大過なく役目を終えることができてホッとしています。「No Free Lunch」の話題が出たのは、「医師が行う医療行為に関する利害関係者(患者さん、保険会社、製薬企業/医療機器企業など)からの利益供与は、どこまで許されるのでしょうか?」というテーマについて議論されたセッションでした。

 WEB討論会では、はじめにシナリオが提示されます。 <シナリオ: あなたは、今年から医局長を引き受けることとなった。この病院では、医局長は薬の説明会の開催を希望する製薬会社からの依頼の窓口となっている。以前から、この病院では薬の説明会は弁当か寿司折り、お茶、そしてボールペンなどが製薬会社から提供されていた。早速あなたのもとにA社の担当者が訪れ、新薬の説明会を開催したいと申し入れた。その際、担当者から「先般学会から出版された診療ガイドラインを弊社で購入しましたので、説明会の際に配布してもよろしいでしょうか?」と尋ねられた。> 討論会の参加者たちは、このシナリオに関連する質問に対して、自分の回答や意見を掲示板に書きこんでいきます。担当モデレーターの野村英樹先生が作成された質問はこれです。 <質問: @あなたは、お弁当、お茶、ボールペンの提供を受け容れますか? あるいは、どこまでなら受け取っても良いでしょうか? Aあなたは、診療ガイドラインの提供を受け容れますか? その理由は?>

 多くの医師は製薬企業と「適切な関係」を結びたいと思っていますが、どのような関係が「適切」なのかという基準がはっきりしていないために、実際のところは判断に困っています。しかし、みんなが悩んでいるにもかかわらず、「商品名の書いてあるボールペンを貰ってもいいのか?」なんて具体的な問題を、真正面から取りあげて討論されたことはありませんでした。「プロフェッショナリズム教育・推進班」では、WEB討論会の企画・準備段階から、ぜひ「医師と製薬企業の適切/不適切な関係」についてのセッションを設けたいという意見が多く出てきたために、上記のようなシナリオと設問が作成されたわけです。

 実際の討論では、さまざまな意見が飛びかいました。「ボールペンのような少額なものなら貰ってもかまわない」、「いや、ケチケチしないで、ボールペンぐらい自分のお金で買おう」、「弁当やボールペンの供与を受けても、その影響で自分の処方行動が変わることはない」、「No Free Lunchのサイトに集められた研究のひとつに、<受け取るギフトの額が大きい医師ほど、自分はギフトに影響されていないと信じる傾向がある>なんて結果が出ていますよ」、「患者さんや社会の目はきびしい。自分のクリニックでは商品名入りのボールペンやティシュペーパーは一切使っていない」、「医局における説明会で、製薬企業提供の弁当、お茶、ボールペンの供与を、自分ひとりだけが拒否するのは難しい」、「医師の行動変容を促進するには、病院や学会開催のシステムを買える必要がある」など、示唆に富む発言の応酬でした。さらに、世界中の医師の職能団体が出している行動規範では、ランチ以下の少額のギフトや、医師の仕事に関連した資料・論文等の供与についてはOKとしているものが多く、現時点ではボールペンまで禁じているような規範はないということも紹介されました。

 さて、せっかくの機会ですから、欧米内科3学会合同による「新ミレニアムにおける医のプロフェッショナリズム:医師憲章」における関連部分を読んでみましょうか。 

【利害衝突に適切に対処して信頼を維持する責務】
専門職としての責任は、医療専門職およびその組織が私利私欲に走ると危うくなりうる機会が多く、特に医療機器メーカー、保険会社、製薬会社を含む営利企業との私的または組織的関係において危機に瀕する。医師は医師としての業務や活動中に生じる利害の衝突について認識し、公衆に公表 し対処せねばならない。

 「No Free Lunch」の運動は、このような憲章に基づくCode(行動規範)から出てきたものだと思います。それでは、製薬企業とのコミュニケーションを頑なに拒否したらどうなるか。患者さんの安全や利益につながる情報が、医師のもとに届かないという事態が起こり得るかもしれません。わたしが共感した意見のひとつに、「製薬企業も本来、患者さんに健康という価値を提供するために活動する仲間であり、仲間としてお互いに尊重しあい、尊敬しあえる関係を築いていけるように努力すべきだ」というものがありました。とは言うものの、医療の分野においても、どこまでが社会貢献であり、どこまでが利潤追求なのか、明確な線を引くことはむずかしい。このように、現実的には問題が山積みなのですが、「医師と製薬企業の適切な関係とは?」ということについて、他の医師たちとともにまじめに考える機会なんて、これまで全くありませんでしたから、じつに新鮮で学ぶべきことの多い討論でした。

 でも、これからは学会のランチョン・セミナー(昼食時間を利用した講演会)に出ても、会場入口で製薬企業が配っているランチ・ボックスに手を延ばすかどうかで、真剣に悩んでしまうことに・・・  



これが「No Free Lunch」のロゴ

<さあ、今こそ製薬会社MRに言おう、
「無料のお弁当はいりません!」と。>
なんて書いてあります


2006年07月31日 「136個のタマゴたち」

 ただいま吉良町はカメの話題で盛りあがっております。 7月24日の夜のこと、町内にある海水浴場の砂浜に、ウミガメが卵を産んじゃったんです。新聞にも「アカウミガメが三河湾で産卵・14年ぶりに吉良で確認」なんて見出しで報じられました。以下のドキュメントは、新聞各社の報道と当院かかりつけ患者さんたちから得た情報をもとにして、「ウミガメ産卵事件」を再現したものです。

 話題の場所は「恵比寿海水浴場」というところ。7月24日の午後9時半ごろのこと、海岸を散歩していた地元の住民が、砂浜に上陸してきたウミガメを発見しました。甲羅の長さは80センチほどのアカウミガメ(←何で「アカ」ってわかるの?)で、砂浜に掘った穴に産卵した後、午後10時半前に海へ戻っていったということです。

 こころ優しき吉良町のロコ・ピープルたちは、ウミガメの卵を放置しておくわけにもいかんだろうと、近くの交番にいた警察官のひとに相談したんだって。相談されたおまわりさんも困惑したでしょうが、すぐに役場の職員に連絡して対策を協議した結果、美浜町にある南知多ビーチランドから「カメの専門家」を呼びよせたのであります。

 連絡を受けたウミガメ研究者である黒柳さん(44歳)は、早速現地入りして調査を開始。7月26日になって砂浜から136個の卵を掘り出しました。周囲の環境を考慮して、卵たちはビーチランドに持ちかえって「人工ふ化」させることになったわけ。そりゃそうだ、混雑する海水浴場のビーチの真ん中に、「カメの卵あり、踏むな!」なんて看板を出すわけにもいかないし。おまけに、8月になるとハワイからダンサーたちがやってきて、この近くでフラダンス・ショーをやるみたいだから、卵たちも落ちついていられないでしょう。

 卵は深さ33−49センチの砂の中に産み落とされていて、直径約4センチ。ふ化するのに60日前後かかるそうです。アカウミガメは、2週間間隔で2〜3回産卵するため、親ガメが現場付近へ戻ってくる可能性もあるらしい。黒柳さんは「ふ化した子亀は、できれば卵があった場所から放流したい」と話しているそうですが、「吉良町生まれ136匹子ガメちゃん大行進!」なんて、イイ感じですね。

 三河湾内でウミガメの産卵が確認されたのは実に14年ぶり、吉良町沿岸に至っては昭和30年代初めに目撃されたことがあるだけで、非常に珍しいことみたいです。恵比寿海水浴場は、サメ(JAWSにご注意!)が進入しないよう網が張られており、ウミガメはこれを乗り越えて浜にたどり着いたらしい。突然に産気づいて、あせって上陸したところが海水浴場だったんで驚いたじゃないかと思いますよ。果たして、2週間後にウミガメ・ママは、吉良のビーチに戻ってきて、ふたたびタマゴを産むのか? ロコ・ピープルたちの関心は、その一点に集中しております!



この海岸は「吉良ワイキキ・ビーチ」と呼ばれています
(だから、ハワイからフラ・ダンサーズがやって来る!)

ウミガメ・ママがサメ防御ネットを破って
果敢に上陸したのは、向かって左側のビーチ


2006年07月22日 「プロフェッショナリズムについて考える」

 今回の日誌は、いきなり「宣伝」から。 「医師のプロフェッショナリズムについて考える」というWEB討論会のお知らせです。

★★★<案内文はじまり>★★★

最近、「耐震偽装」や「インサイダー取引」など、日本の社会全体でプロフェッショナリズムが問われる事件が頻発しています。医療の世界でもプロフェッショナリズムを考える時期に差しかかっているのではないか?と考える方々も少なくないのではないでしょうか。

そこで、この度、私たち文部科学省科学研究課題「わが国における医師のプロフェッショナリズム探索と推進・教育に関する事業研究」の研究班は、株式会社プラメドと共同で、WEB討論会『医師のプロフェッショナリズムについて考える』を開催することになりました。

今回のWEB討論会では、医師が日常業務のなかで遭遇するプロフェッショナリズムを問われる場面についてシナリオを提示し、全国から集まった医師・歯科医師・医学生の参加者がWEB上で、「医師のプロフェッショナリズム」について討論いたします。

シナリオは、「目の前の患者の利益と公正な医療の配分に相反がある場合、どちらを優先するか?」、「医学的に患者にとって無益もしくは有害と思われるサー ビスを患者が要求する場合、医師はその要求を拒否するべきか?」、「製薬会社、もしくは、患者からの贈りものを受け取るべきか」というようなテーマなどを討論できるよう、7つのシナリオを準備いたします。

なお、今回のWEB討論会は、医師のプロフェッショナリズムをテーマとした調査研究の一環として実施されますので、予めご了解ください。

以下概要です。
====================
第5回 WEB討論会「医師のプロフェッショナリズムについて考える」

参加登録の申込は http://www.plamed.co.jp/w5/ から。

参加資格: 医師・歯科医師・医学生(5年生、6年生)
開催期間: 2006年 7月24日(月)10:00 〜 8月1日(火)22:00 終了
(ただいま自己紹介用スレッドの閲覧・投稿できます)
場所: インターネット上で開催(掲示板方式)
参加費: 無料

【進行役】
大生 定義:立教大学社会学部 教授
永山 正雄:横浜市立脳血管医療センター神経内科・同研究所臨床研究部部長

【モデレーター】
大西 弘高:東京大学医学教育国際協力研究センター 講師
白浜 雅司:佐賀市立国民健康保険三瀬診療所所長、佐賀大学医学部臨床教授
野村 英樹:金沢大学医学部附属病院 総合診療部・総合診療内科 助教授
尾藤 誠司:独立行政法人国立病院機構東京医療センター・臨床疫学研究室長
宮崎 仁:宮崎医院[愛知県吉良町]院長
山本 典子:医療法人社団飛翔会やまもとクリニック[神奈川県横浜市]

【協力者】
小松 楠緒子:明治薬科大学薬学部社会学研究室専任講師
西垣 悦代:和歌山県立医科大学医学部 教養・医学教育大講座心理学
====================

★★★<案内文おわり>★★★

 先日、「お薬・お注射・おビール」の話題でご紹介した、プラメド社主催のWEB討論会ですが、今回わたしはお気楽な参加者ではなく、「モデレーター」と呼ばれる司会役をつとめることになってしまいました。この討論会の実行メンバーは、これも以前の日誌に書きました、内科専門医会「プロフェッショナリズム委員会」(現在の正式な団体名は、<文部科学省科学研究課題「わが国における医師のプロフェッショナリズム探索と推進・教育に関する事業研究」研究班>←長い!)なのです。昨年の秋に、あの「もやもや班」の仲間たちと考えた、「WEB上で多数の医師たちとプロフェッショナリズムに関して討議する」というプランが、ついに現実のものとなったわけなんです。

 来週月曜日に迫ったスタートを前に、進行役・モデレーターたちは、シナリオの最終調整などの準備に追われております。わたしの担当するテーマは、「医師は自分にとってストレスフルな患者に対してどのように接するべきか?」。例によって、「医者ムカ」ネタなのですが、「医師の感情を傷つける行為や言動をくり返す攻撃的な患者に対して、どのように接したらよいでしょうか?」なんて設問が出てくるシナリオを用意しております。 わたしの担当以外にも、「 自らの失敗を患者に常に告白し、謝罪すべきか?」、「製薬会社からボールペン、弁当、医学書の提供を受けて良いか?」など興味深いテーマが目白押し。そして、これらのテーマは、米欧の内科学会が合同で制定した「新ミレニアムにおける医のプロフェッショナリズム」という医師憲章のなかでうたわれている、「3原則と10の責務」の内容に関連づけて設定されているのです。

 討論会の参加資格は医師・歯科医師・医学生のみですので、これをお読みのドクターで関心を持たれたかたは、上記のサイトからご登録のうえ、ぜひご参加ください。残念ながら参加できない医師以外のみなさまには、討論会の顛末について、後日この「日誌」でご報告したいと思います。また、わたしたちの研究班では、一般市民のかたを対象とした、WEBではない「ライブの討論会(市民との対話集会)」を、近いうちに全国数ヶ所で開催すべく企画を練っているところです。そちらのほうも、チャンスがあればぜひご参加くださいね。慣れないWEB上での司会進行役に若干の不安を感じておりますが、いつものように楽しくミッションを遂行していきたいと思っています。それでは、WEB討論会会場でお待ちしてます!



ブログでご紹介して以来、
新登場の「黒うさ」椅子の人気は急上昇中!

「黒うさ」を購入した動機のひとつは、
妹島さんの「うさぎ椅子」と
ヤコブセンの「アリンコ・チェア」をならべて
こんな写真が撮りたかったからか?

向かって左から・・・
「黒うさ」、「白うさ」、「黒アリ」、「白アリ」です!

待合室ではお好きな椅子にお座りください
(なお、仮診療所待合室のスペースの都合により、
ただいま「黒アリ」だけはお休みしております)



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