月刊ぷち健康講座

2003年12月&2004年1月合併号 「かぜと薬と『バカの壁』」

 健康に関するトピックスをとりあげて、やさしく解説する「月刊ぷち健康講座」。おぼえてください、「普通のかぜには、抗生物質は効きません!」


◆「バカの壁」とは?

 「バカの壁」という言葉をご存じですか?解剖学者である養老孟司先生が書かれ、2003年に最も売れた本のタイトルが、この「バカの壁」です。「自分が知りたくないことについては自主的に情報を遮断してしまう」ことによって生じる障害を、養老先生は「バカの壁」と名付けました。

 例えば、喫煙している高校生に対して、タバコをやめさせるために、「タバコを吸うと、肺癌や心臓病にかかるリスクが高くなる」という内容のビデオを繰り返し見せたとします。タバコをやめる気などまったくない高校生にとって、いくらビデオを見せられても、「タバコの害」という情報を自主的に遮断してしまうので、その内容は頭に入らず、禁煙するという行動に結びつくことはありません。医師であるわたしが、彼らにいくら喫煙の弊害を説いても、タバコをめぐる「バカの壁」が存在するかぎり、その情報は喫煙する高校生に届きません。

◆かぜ薬と抗生物質:なぜ「バカの壁」?

 「かぜ薬と抗生物質を出しておきますから」 かぜをひいて診療所や病院に受診した時に、医師からこう言われた経験があると思います。ところが、厳密に言うと、世の中には、「かぜ薬」という薬剤は存在せず、普通のかぜの原因であるウイルスをやっつける「抗生物質」もないという事実を知ったら、あなたはどう思うでしょう?

 もちろん、医者も薬剤師も、「普通のかぜの原因となるウイルスに効く薬剤はない」という知識は持っているのです。それなら、なぜ薬局には「かぜ薬」がところ狭しと並べられ、医療機関にかかれば抗生物質などの薬を処方されるのでしょうか?つまり、医者は普通のかぜに対して抗生物質は無効であるという情報を受信しているにもかかわらず、その情報を遮断して、かぜの患者さんにせっせと高価な抗生物質を処方しつづける。ここで、わたしたちは、かぜ薬と抗生物質をめぐる「バカの壁」に突き当たるわけです。

◆「かぜ」という病気の正体

 世の中の人々が「かぜ」と呼んでいる病気に、わたしたち医師は「普通感冒」とか、「かぜ症候群」などという病名を付けていますが、その正体は、ほとんど(90%以上)がウイルスの感染による「急性上気道炎」です。「上気道炎」とは、病原菌の感染により、鼻やのどなどに炎症が生じたということを意味します。日本呼吸器学会が2003年に発表した、「呼吸器感染症に関するガイドライン: 成人気道感染症診療の基本的考え方」(以下、「ガイドライン」と略します)による、この病気の定義を読んでみましょう。

<ウイルス性上気道炎の定義>
 鼻汁、咽頭痛、咳、発熱などの臨床症状が少なくとも1週間以内に自然治癒するものである。発熱は3日以上続くことは少なく、38℃を超えることも少ない。


 かぜ=ウイルス性急性上気道炎の原因となるウイルスは、ライノウイルス、コロナウイルス、アデノウイルス、コクサッキーウイルス、エコーウイルスなど非常に他種類にわたります。残念ながら、現在のところ、これらのウイルスを攻撃する治療薬は存在しません。もちろん、ウイルスではなく、細菌を攻撃する薬剤である「抗生物質」は、これらのウイルスには全く無効です。「かぜに効く薬や注射はない」と言っている理由はこれなのです。しかし、インフルエンザウイルスだけは例外であり、最近になって治療薬が開発されたことは、みなさんもご存じのことと思います。

◆「かぜ薬」の中味

 先にご紹介したガイドラインの定義をみてもわかるように、かぜは「自然治癒」するものなので、あれこれと薬をのむ必要はないのです。では、薬局や病院で出される「かぜ薬」の中味は何なのでしょうか?その多くは、かぜの症状である発熱、、せき、たん、鼻みず、のどの痛みなどの症状をやわらげるための薬剤であり、解熱剤(熱を下げる薬)、鎮咳剤(せきを止める薬)、去痰剤(痰を切れやすくする薬)、抗ヒスタミン剤(鼻みずを出にくくする薬)などが含まれています。かぜの原因であるウイルスに対する治療薬はないので、「対症療法」といって、各々の症状を緩和するしかないわけですね。

 問題は、これらの対症療法に使用される薬剤であっても、副作用はあるということです。具体的な副作用の例をあげると、解熱剤による胃腸障害、鎮咳剤による便秘、抗ヒスタミン剤による眠気や口の渇きなどが知られています。かぜに効かない抗生物質を乱用すれば、薬物アレルギー、下痢などの副作用が心配ですし、抗生物質の効かない「耐性菌」が生まれてくる原因となります。

 もちろん、「かぜ」そのものに効く注射や点滴なども存在しません。注射や点滴を熱望する「普通のかぜ」の患者さんにどう対処するかについては、どの医療機関も困っているようで、臨床倫理学の専門家である白浜雅司先生のホームページに、白熱した議論がのせられています。専門家の討論なので、患者さんからの意見は出ていませんが、興味のあるかたはぜひのぞいてみてください。

◆「かぜ」診療における医師の役目

 これまで説明してきたように、「普通のかぜ」にかかったら、自宅で安静にして、十分な水分と栄養の摂取をしていれば、自然によくなるわけですから、患者さんに薬を処方したり、注射を打ったりするのが医師の仕事ではないわけです。かぜ診療における医師の役目とは、「普通のかぜ」と、「普通のかぜ」以外の病気とを見分けることです。「かぜは万病のもと」ということわざにもあるように、発熱、せき、のどの痛みなどのかぜ症状で来院された患者さんのなかには、「普通のかぜ」ではない、様々な病気がまぎれこんでいるのです。例えば、わたしが専門としている血液のがんである「急性白血病」の患者さんを調べてみると、大部分のかたが、「高熱が出たので、かぜではないかと思って病院に行ったら、白血病が見つかって驚いた」という経験を持っています。

 かぜと見わけなければならない重大な病気としては、肺炎、副鼻腔炎、中耳炎、溶連菌性扁桃炎、腎盂腎炎、髄膜炎、川崎病、膠原病、種々の悪性腫瘍(がん)、うつ病など、非常に多岐にわたるのです。丁寧な問診と診察により、これらの病気を見逃さないことが、「かぜ」診療における、わたしたち医師の本当の仕事であると言えます。また、インフルエンザは「普通のかぜ」ではなく、治療薬もできたことから、迅速診断法なども駆使して、「普通のかぜ」なのか、「インフルエンザ」なのかを見わけることも重要になってきました。

◆それでも、「かぜ」に抗生物質を出してしまうのはなぜか?

 かぜをめぐる「バカの壁」の力により、これらの事実や情報を知りながら、(わたし自身も含めて)日本中の医者が、「かぜ」の患者さんに薬を出しつづけています。その理由を考えてみると、

 ・医療機関に来て、症状もあるのに薬を出してもらえないことに、患者さんや家族が納得できない。出さないと患者さんとケンカになる。
 ・患者さんや保護者が、はっきりと「抗生物質」も出してほしいと要求してくる。時には薬品名まで指定してくる。
 ・薬が不要であるということを患者さんに納得してもらうには、説明にかなりの時間が必要で、外来が混雑している時は無理?
 (説明をすると15分以上かかるが、薬を出すだけなら、診察時間は1分で終わる?)
 ・もし「普通のかぜ」ではなかった時に悪化すると困るので、「念のために」抗生物質も出しておかないと(医者のほうが)不安だ。

など、様々な事情が浮かび上がってくるのです。世界中で、かぜの時に抗生物質を欲しがる国民は、アメリカ人と日本人だけだそうですが、国民のほうにも、「かぜには抗生物質、注射、点滴が効く」という誤った知識が優勢であるために、いくらこちらが時間をかけて患者さんに説明しても、結局のところ「薬を、注射を」ということになってしまい、ここにも「バカの壁」が立ちはだかることになります。この問題を解決するためには、医師と国民の双方を再教育することが必要であるわけです。

 一般のかたが知ったら驚かれるかもしれませんが、日本の医学生は、大学で「普通のかぜ」に関する、まともな講義を受けることはほとんどありません。また、医師になってからも、系統的なかぜ診療のトレーニングを受けるわけでもなく、ただ先輩医師が出す「かぜ薬」の処方や処置を、横からみて学ぶ(まねをする)のみであるのが現状です。このため、かぜの処方は、その医者が研修中に指導を受けた、上級医の影響が非常に大きいと思われます。つまり、かぜ診療にスタンダードはなく、各々の医師が「自己流」で治療していると言いかえてもよいでしょう。今後は、医学生や医師を対象に、正しいかぜ診療や、抗生物質の適正な使用法について教育して、「自己流」ではなく、グローバル・スタンダードに準じたスタイルに変えていかねばなりません。あるヨーロッパの国では、テレビのコマーシャルで、「かぜにかかっても、医者から抗生物質をもらわないようしよう」というキャンペーンを流しているそうです。わが国でも、様々な機会を利用して、「普通のかぜ」には薬も注射も不要であるということを、患者さんにわかってもらうように、はたらきかけるべきでしょう。

◆「かぜ」についてまとめ

 日本呼吸器学会のガイドラインのなかに、患者さんに対して、医師が教育、啓発する場合のポイントが明記されています(第X章2節「患者啓発と指導の手引き」)。今後は、このポイントを「国民の常識」というレベルにまで浸透させることが大切だと思いますので、最後にその内容をご紹介します。

1) かぜ症候群の自然経過は5〜14日であるが、一般には3〜7日間で軽快するものである。

2) ほとんどがウイルス感染であり、いろいろのウイルスが関係する。

3) かぜ症候群の原因ウイルスに対応する抗ウイルス薬は存在しない(インフルエンザにのみ抗ウイルス薬が有効)。

4) 抗生物質(抗菌剤)は「かぜ」に直接効くものではない。

5) 抗生物質(抗菌剤)を頻用(乱用)すると副作用(下痢、アレルギー)や耐性菌の出現がみられる。

6) いわゆるかぜ薬は、症状を緩和することを目的として用いる、対症療法の治療薬にすぎない。

7) 多くのかぜ薬、特に総合感冒薬はかぜの治療には必ず効果がみられるわけではなく、連用すると副作用をみることもある。

8) 発熱は体がウイルスと戦っている免疫反応である。発熱によってウイルスが増殖し難い環境条件が作られているのである。したがって、「かぜ」に伴う発熱や痛みなどの症状が激しい場合にのみ、解熱・鎮痛剤を頓用で服用する。この場合、アセトアミノフェンなどの解熱作用の柔らかな薬物が推奨される。

9) 食事摂取が十分できない時、消化性潰瘍の既往のある人、アスピリン喘息、腎不全の人などには、アスピリン、イブプロフェン、ナプロキセンなどの解熱・鎮痛薬は禁忌となっている。

10) いかなる薬物にも副作用が起こり得ると考え、服用する薬物名と量を記載しておき、何らかの異常の発現があれば、早めにかかりつけの医師または薬剤師と相談する。

11) 症状の持続(4日以上)や悪化がみられる場合は、すみやかに医師の診断が必要である。

12) うがい、手洗いの励行は患者の健康教育の一環として重要である。(中略)特に外出からの帰宅時にはうがいと手洗いを習慣づけるように指導する。

13) 「かぜ」は発症時、特に発熱時に、最もウイルスが伝播しやすいので注意する。


(日本呼吸器学会「呼吸器感染症に関するガイドライン: 成人気道感染症診療の基本的考え方」P27-29より引用しました。)

◆「バカの壁」を乗りこえろ!

 最近では、わたしも自らの「バカの壁」を乗りこえるために、「普通のかぜ」の患者さんには、対症療法のための薬剤を、必要最小限に処方するだけにしています(時には全く薬を出さないこともあり)。抗生物質は、「普通のかぜ」には使用せず、副鼻腔炎や細菌性扁桃炎が疑われるような場合にのみ、限定して処方するようにこころがけています。注射や点滴も、強い脱水症状などがなければ、なるべく避けるようになりました。薬というのは、たくさん出すほうが簡単かつ安心で、出さないで経過を見守るほうが、医者にとっては勇気がいることなのですが、科学的にみて患者さんに不要なものを、根拠もなく使用しつづけることは止めることにしました。みなさんが、「かぜ」で宮崎医院を受診された時に、抗生物質がもらえなかったり、注射をしてもらえなくても、怒らないでくださいね。普通のかぜには「休養」が最大の薬なのですから。



<かぜの神様である「風神」のちからで、「バカの壁」を吹き飛ばしてもらいましょうか:
俵屋宗達・筆 建仁寺「風神雷神図屏風(国宝)」より>


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