hemeのつぶやき |
<本からのメッセージ>
夢中になれる本に出合えると毎日が楽しくなれる。
本からのはっとすることばに
思わずメモしました。
金持ち父さん 貧乏父さん ロバート・キヨサキ |
いい教育をうけ、いい成績をとるというのはもはや成功へのパスポートではない。それなのに、だれもそのことに気づいてない。「学校に行っていい成績をとって安定した仕事を見つけなさい」などと安易に忠告することはできない。 傲慢さというのはエゴに無知が加わったものだ。知識が私にお金をもうけさせてくれる。無知はお金を失わせる。傲慢さが頭をもたげてくると、いつも私は損をした。なぜなら、傲慢な気持ちでいる時は、自分が知らないでいることはたいして重要じゃないと本気で信じているからだ。 「人間だれでもおたがいさま」と思って、自分がほしいと思うものを人に与える。私はお金がほしいから、お金をあげる。そうすると、それが何倍にもなって戻ってくる。 |
少女パレアナ エレナ・ポーター |
「ええ、『なんでも喜ぶ』ゲームなの」「遊びのことを言ってるのよ。お父さんが教えてくださったの。すばらしいゲームよ。あたし、小さい時からずっと、この遊びをやってるのよ。婦人会の方たちにもお話したらね、やりだした人もあるのよ。 「ゲームはね。なんでも喜ぶことなのよ。」喜ぶことをなんの中からでも探すのよ。 なんであってもなの」 「人形が欲しいのに松葉杖がきたからって、なにがうれしいんです。うれしいわけがないじゃありませんか」 「だからさ、杖を使わなくてすむからうれしいの。」 |
沙門空海唐の国にて鬼と宴す 夢枕 獏 |
銭のことを考えればわかる。銭があれば生活のいらぬ苦労がなくなるかわりに、今度は銭がなくなる事を心配せねばならぬ。愛しい女子と添うのは嬉しいが、長くいれば、またどちらかの気持ちも移ろうでゆこう。 だれぞの一生が不幸であったか、幸福であったかなぞ、なかなかわかるものではない。 |
峠越え 山本一 |
小人(しょうじん)は縁に気づかず 中人(ちゅうじん)は縁をいかせず 大人(だいじん)は袖すり合う縁でも縁とする |
テムズのあぶく 武谷牧子 |
テムズに浮かぶあぶくのように、時々近づいたり、遠くに離れてしまったり、距離はその時その時の状況で、近づいたり、遠くになったりするだろう。 でも一旦遠くに離れても、また同じ渦に巻き込まれて、二つのあぶくが案外 近くに出てくる巡りあわせだってあるかもしれないし、海に出るまで、その時その時の状況に任せて、同じ方向に流れてみようよ。 |
あしたはドロミテを歩こう 角田光代 |
山を登っていると、頭のなかが空っぽになる。 禅も同じだ。 禅を組んでいると、自分自身の何か大きなものと2体になるという実感がある。 山と禅はよく似てるんです。 |
シナン 夢枕 獏 |
心は肉体よりも欲深い 肉体は飽くことがあっても 心はいつまでも欲し続ける。 あれもそれも、これもどれも・・ ☆・・☆・・☆ 走る鹿の姿が美しいのは 走るというために鹿の脚ができあがっているからでございます。 ☆・・☆・・☆ イスラムとキリスト教国は何度も戦っているかわりに、何度も同盟を 結んだりしている。アメリカがおごらずに、もう少し頭を低くし、東洋と 向き合うだけで世界はもう少し住みやすくなる。 |
対話する家族 河合 準雄 |
雑談は別に情報を伝えるのが目的でない。そこで伝えたいのは「こころ」である。 こころが通うための通信の手段としてそれが意味があるのだ。 無駄なことに時間と金をかけるのが趣味というものの特徴。 「雑談は精神衛生に必要だ」 |
神々の山嶺 夢枕 獏 |
「人は何故山に登るのかねえ」上へいくということは、下でのことを、次々と時の彼方に忘れてゆく作業なのかもしれない。 いや、そうではない。遠ざかれば遠ざかるほど忘れてゆくものもあるかわりに、逆に見えてくるものもある。 いろいろなものが遠くなり、疲労の中で消え去ってゆくかわりに、それでも消えないもの、残っているものがいっそうはっきり見えてくるということだってある。 |
ターシャ・チューダーの言葉 |
思うとおりに歩めばいいのよ。 楽しみは創り出せるものよ。 幸福とは心がみたされること。 価値あるよいことは時間も手間もかかるもの。 わたしの若さの源泉は想像力。 |