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 Orange life



歴史と芸術 美しき ロシア
    Россия 

2017. 6.20~ 6.24

ロシアの地図
 かねて、エルミタージュ美術館やエカテリーナ宮殿、そしてクレムリンなど、スケールが大きい 美しいロシアを訪ねてみたいと思っていました。
今年のはじめに、見たいと思っていたところをコンパクトな日程で めぐるツアーを見つけました。 戦略的、精力的に観光するツアーで、エルミタージュ美術館をたっぷり6時間見学できると いうものです。
私一人でも行こうと思っていたのですが、 山仲間でもあるKオジサンさんに話したところぜひ一緒にということだったので 二人で参加することにしました。そのKオジサンさんはご自分でも絵を描かれるなど 美術関係に造詣が深いので頼もしい存在でもあります。

 中部空港からモスクワ、サンクトペテルブルクへの直行便はありません。 そのため、韓国仁川で乗り換える大韓航空で行きます。仁川まで約2時間、仁川からモスクワ (シェレメチェボ)まで9時間15分、合計11時間余りのフライトでした。



モスクワ

 【1日目】 中部空港⇒ 仁川⇒ モスクワ
 【2日目】 モスクワ観光⇒ サンクトペテルブルク


 飛行機の出発は朝9時25分。Kオジサンさんとは中部空港で待ち合わせです。
今では空港でいろいろなパフォーマンスをやっているんですね。 乗り継ぎの仁川では王朝時代の貴族のパレードや民族音楽の演奏、5台の小型ロボットの踊りなど、 出発待ちの人たちを楽しませていました。
そして長いフライトにうんざりしたころようやくモスクワ・シェレメチェボ空港に到着。 身長が2m近い、でかい図体のガイド、ミハエルさんに迎えられました。 いきなり交通渋滞にはまりましたが、モスクワの交通渋滞は日常茶飯事のようです。
ホテルは33階建てながら中途半端に古い感じのところです。ビルの間に深い森があり 遠くには中心部の高層ビルが見えていました。
森 高層ビル
ホテル19階から見た景色  左:ビルの間に深い森がある   右:遠くに超高層ビル群が見える


 翌日は朝9時出発なのでゆっくり休めました。
そして、モスクワ大学、クレムリン、ボリショイ劇場、聖ワシリー寺院などモスクワの主なところの 観光に出かけます。


 モスクワ大学と雀が丘

 ロシアのエリートたちが学ぶところなのでしょう、モスクワ大学は見るからに立派な建物です。 スターリン・クラシックという様式で1953年にできたと聞きました。
大学は5年(ドクターは6年)だそうで、優秀な人たちの授業料は無料、特に優秀な人には、 月に1,500ルーブル支給されるといいます。

 雀が丘というのはモスクワ大学から数百メートルのところにあります。このあたり一帯は 丘陵地帯のため見晴らしのいいところです。
ただ、それほど感動的な眺望ではありませんが、すぐ近くにサッカー・ワールドカップ、ロシア大会が 開かれる競技場が見えていました。ワールドカップの旗などもたくさん掲げられています。

モスクワ大学 雀が丘
ロシアのエリートたちが学ぶモスクワ大学とワールドカップの看板や旗がたくさんある雀が丘展望所 


 クレムリンと赤の広場

衛兵 トロイツカヤ塔  お決まりの土産物屋へ寄ってからこの日の本命ともいえるクレムリンへ向かいます。
アルバート通りなどを走っていくとクレムリンが見えてきました。クレムリンとは城塞のこと だそうで、城壁に囲まれた中にクレムリン宮殿などがあるわけです。
クレムリンへはトロイツカヤ塔から入ることになります。入口の両側には直立上動の衛兵がいました。 写真を撮っても構いませんが触ってはいけないそうです。
右の写真は、入口になっているトロイツカヤ塔と衛兵です

兵器庫  入口から中に入ると、左側にあるこの建物が兵器庫です。
建物の外に並んでいる大砲は、1812年の祖国戦争=対ナポレオン戦争の時に ナポレオン軍から奪った記念の大砲だそうです。
〔右写真〕
写真はありませんが、入って右側には大きな建物クレムリン大会宮殿があります。

兵器庫を過ぎたところから左奥を見ると緑色のとんがり屋根の塔が見えます。これはニコリスカヤ塔で、 先端に赤い星が載っています。そうです、これがクレムリンの赤い星で、帝政ロシア時代の双頭の鷲 を赤い星に置き換えたのだそうです。こうした赤い星の塔が全部で5つあります。
次に見えてきたのが大統領府です。掲げられているのはロシアの国旗ではなく、大統領の旗だそうです。 このときプーチンがここにいたかどうかはわかりません。
ニコリスカヤ塔 大統領府
赤い星を戴いたニコリスカヤ塔(左)と、大統領府(右)


大砲
 クレムリンの見学が続きます。
ライラックが咲き、いい香りがする中を進んでいくと大きな大砲がありました。 皇帝の大砲というそうです。
口径89㎝で、当時世界最大だったものの実際に使われたことはないそうです。

鐘
次に現れたのはこれまたでっかい皇帝の鐘でした。
重さ200トンのこれまた世界最大の鐘だといいますが、火事の時の消火用の水で亀裂が入り、欠けてしまった そうです。(鋳造中の事故が原因との説もあります)


                              

大聖堂など
クレムリン大会堂 イコン
 このあたりがクレムリンの中心部で大聖堂や宮殿、鐘楼などがひしめくように建っています。
いずれも金色や銀色などのネギ坊主を冠した建築物ですが、この中で最も重要なのが、 『ウスペンスキー大聖堂』だそうです。 歴代皇帝の戴冠式が行われたそうで、 内部の壁・天井・柱の全面にイコンが描かれていて厳粛な感じがしました。もちろん堂内は脱帽しなければ ならず、撮影も禁止されています。
〔写真〕 ウスペンスキー大聖堂内部のイコン(パンフレットより)と、クレムリン大会堂(右写真)


 大聖堂見学のあと武器庫に案内されました。もちろん昔の武器庫で現在は博物館になっています。
展示されているのは、ロマノフ王朝の皇帝たちが収集した宝物。王冠、馬車、刀剣、甲冑、食器、 エカテリーナの衣装、などなど、撮影禁止なので写真はありません。

 武器庫を出るとクレムリン大会堂の壮大な建物に出会います。全長125m、部屋数700もあるそうです。 〔右上〕
その横を通り、クレムリンをあとにして次は赤の広場へ向かいます。
外に出てみるとクレムリンの赤い城壁が上から迫ってくるように見えました。
噴水の道を見下ろしながらマネージナヤ広場を進んでいくと右手が赤の広場へ入っていく道になります。 赤の広場に面して建つのが赤い国立歴史博物館です。 〔下の写真〕

赤の広場
 そしてここが赤の広場です。 〔右の写真〕
北京の天安門広場と同様、広大な石畳の広場です。幅130m×奥行き700mほどあるそうです。
赤というと共産主義・社会主義の赤を連想しますが、本来は 『美しい』 という意味合いだそうですね。
奥の正面に見えるのが華やかな色使いの聖ワシリー寺院。左の歴史のありそうな長い建物は グム百貨店で、右側の城壁の中がクレムリンです。大きい塔の手前にかぶってしまって わかりづらいかもしれませんがレーニン廟も見えます。

もう昼近かったのでこのあとボリショイ劇場の建物だけを見に行き、COPOKA(カササギ)という レストランで昼食。ロシアにきて初めての料理はボルシチをいただきました。ロシア料理は好きです。
〔下の写真:左から〕 ボリショイ劇場、グム百貨店、華やかなショッピングモールのグム百貨店内部

聖ワシリー寺院
 満腹したところでグム百貨店の中を通り赤の広場の端にある聖ワシリー寺院を見に行きます。 本当は赤の広場を縦断していく予定だったらしいのですがこの時は入れませんでした。 赤旗がたくさん見えましたが、何かのデモをやっていて赤の広場がシャットアウトされていたのです。 こういうこともあるんですね。
それでもあの華やかな聖ワシリー寺院のすぐそばまで行くことはできました。 写真では見ていましたがすごい色使いです。まあ、美しいといえば美しいですけどね。
聖ワシリー寺院は、カザン・ハン国への戦勝を記念してイワン大帝が建立。 中央のポフクロフスキー聖堂を8つの聖堂が取り囲む姿は、国家の統一とそれを支える階層性を 象徴したものだそうです。
ネギ坊主の鮮やかな彩色は17世紀に施されたといいます。

さて、この日は夕方7時05分の飛行機で、モスクワ・ドモジェドボ空港からサンクトペテルブルクへ 移動します。空港で夕食をとって移動ということだったのですが、バスが渋滞に巻き込まれて空港へは 出航間際の到着となってしまいました。
搭乗に間に合ったのは良かったのですがおなかがすきました。ホテル近くのスーパーは午後10時閉店 となり、やむなくホテルの売店で買ったサンドウィッチとビールの夕食になってしまいました。
ところでビールの写真を見てください。この時、夜の12時でしたが日は沈んではいるもののまだ明るいのです。 そうです、今は白夜なのです。結局真っ暗になることはなく3時前にはすっかり明るくなるのでした。 今回は白夜体験もできたロシア旅行です。
サンクトペテルブルクのホテルはAZIMT(アジムト)でした。


サンクトペテルブルク

 【3日目】 サンクトペテルブルク観光
 【4日目】 サンクトペテルブルク郊外観光⇒帰国へ


 3日目は、今回の旅行の本命であるエルミタージュ美術館の見学です。
そのエルミタージュ美術館へ行く前に世界遺産の街サンクトペテルブルクの市内を案内してくれました。
サンクトペテルブルクのガイドさんは、エリザベータさんという小学校3年生の男の子と、6歳の双子の 女の子を持つ母親だそうです。


 サンクトペテルブルク市内の世界遺産


イサク大聖堂とニコライ一世の騎馬像

この大聖堂はピョートル大帝の誕生を記念して建造されたそうで、高さが103mといい、 見るからに重厚、荘厳な感じの聖堂です。
ニコライ一世の騎馬像は道路を隔てて真ん前に立っています。2本の足だけで全重量を 持たせるのに苦労したと聞きました。


ロストラの灯台柱と
ペテロパブロフスク要塞

ネヴァ川の宮殿橋までやってきました。
橋のたもとに立っているのがロストラの灯台柱です。ネヴァ川の航路の安全のために19世紀初頭に 設置されたもので、高さ約32mあるそうです。
ペテロハブロフスク要塞は、スウェーデンとの北方戦争の際につくられたそうで、 サンクトペテルブルク誕生の地といわれます。

宮殿橋から見たエルミタージュ美術館

ネヴァ川に架かる宮殿橋は跳ね橋です。その橋からはエルミタージュ美術館が見えます。
美術館の裏側ということになります。


ロシア美術館と血の上の救世主教会

血の上の教会とは、ロシアの後進性を改革しようと農奴解放令を発したアレクサンドル二世が 殺されたこの地に建てられた教会であることからそういわれるそうです。正式にはスパ^ス・ナ・クラヴィ 大聖堂といいます。
ロシア美術館は、血の上の救世主教会に行くときにその前を歩いて通りました。

カザン大聖堂

ネフスキー大通りはサンクトペテルブルクで一番にぎやかな通りで、 石造りの古い建物や教会、カフェなどが並んでいます。
その表通りに面して建っているのが半円形をしたカザン大聖堂です。 1812年の祖国戦争の勝利に貢献したクトゥズフ将軍が葬られているそうです。



 エルミタージュ美術館


 そしていよいよエルミタージュ美術館にやってきました。
ロマノフ王朝時代、女帝エリザベータが冬の宮殿として建設し、エカテリーナ二世がヨーロッパの絵画を 集めて 『エルミタージュ』 となづけたといいます。 現在は 『エルミタージュ美術館』 ですから、なだたる絵画に出会える場所ではあります。しかし、 その前に王朝時代を思い起こさせる宮殿そのものが見ものでした。 その絢爛豪華さは、ベルサイユ宮殿に比肩すると思います。

実際の見学順番は、印象派以降の絵画が展示されている新館をガイドさんが先に案内してくれました。 そのあと本館に移動し、入館手続きのあとは自由ということで、絵画に詳しいKオジサンさんと二人で じっくり見て回ることにしました。
したがって、見学順とは違いますが、整理した形で紹介したいと思います。


王朝時代を思い起こさせる豪華な宮殿

大使の階段

入っていくとまずこの華麗な階段に度肝を抜かれます。
大使の階段(ヨルダン階段)という階段で、 『冬の宮殿』に招待された各国の大使が必ず上った階段だそうです。
訪れた人に皇帝の力を 見せつける意味もあったのではないでしょうか。
この豪華な階段2階へとを上って芸術の世界に入っていきます。
大使の階段を上がると将軍の間で、将軍の大きな絵が掲げられていました。
将軍の間に続いてピヨートル大帝の間に入ります。正面の絵は勝利の女神・ミネヴァに見守られた ピヨートル大帝だそうです。
紋章の間は、広いダンスホールの部屋だったのでしょうか。 金色の柱とシャンデリアが豪華さを演出しています。
そして祖国戦争の間。1812年、ナポレオンを敗走させた祖国戦争を 記念したホールです。 332人といわれるロシア将軍の肖像画が壁に掲げられていました。
聖ゲオルギーの間は大玉座の間ともいわれ、白い大理石に囲まれた明るい部屋です。 奥に赤い玉座があります。
次はパヴィリオンの間で、ここには音楽時計の『孔雀』がケースの 中に置いてあります。エカテリーナ2世の最愛の愛人ポチョムキンが贈った仕掛け時計で 今でも動くそうです。
ラファエロの回廊は、エカテリーナ二世が、バチカン宮殿の イタリア人画家ラファエロの作品を複製させたという回廊だそうです。
黄金の客間は、秀吉さんではないですが、いちめん金箔で覆われた ホール。実にきらびやかです。
深紅の客間は、一転して壁とカーテンが深紅の装飾の客間です。 壁に赤色を使うのは難しいと思いますが、こういう王朝時代の建物なのでうまく調和するのでしょうね。
最後はニコライ二世の図書室で、落ち着いた感じの読書室です。 書物が壁面いっぱいの本箱に詰まっていました。




エルミタージュ美術館 美術品鑑賞

イタリア美術の部屋  さて、今回のツアーはエルミタージュ美術館見学を戦略的に6時間とってくれてあります。
絵画を中心とした美術品をじっくり鑑賞できるという企画ですね。
ということで、あらかじめ見たい作品や、コースについても検討してきました。 はじめは良かったのですが、自分の位置はわかっても、次に行くべきルートが分からなくなって しまうのです。係りのおばさんと、双方共の片言英語ではなかなからちがあきません。 広いし、人は多いし、山へ登るよりも疲れてしまいました。
それでも、絵画のほか彫刻や古代の遺品まで、かなり広範囲に見てくることができたので 良かったと思っています。

 Kオジサンさんと2人で、観たいと思っていた作品を探しながら観て回りました。
まず最初の部屋がイタリア美術の部屋です。そのあと、レオナルド・ダ・ヴィンチの部屋、フランドル美術、 スペイン・オランダ美術、というように巡ります。 途中から迷子になりましたけどね。
右の写真はイタリア美術の部屋です。


      
べネツィアの巨匠というティツイアーノ。ギリシャ神話に登場するダナエを、 この絵のほかに数点描いているそうです。
レオナルド・ダ・ヴィンチの リッタの聖母とバヌアの聖母は、聖母マリアとイエス・キリストが描かれた傑作ですね。
リッタの聖母とベヌアの聖母
《ダナエ》 ; ティツイアーノ  中:《リッタの聖母》  右:《ベヌアの聖母》 ; レオナルド・ダ・ヴィンチ

聖ペテロと聖パウロを描いた エル・グレコはティツイアーノらに学んだというスペインの画家。
放蕩息子の帰還ですが、 ひざまづいて父に抱かれる息子の姿が、レンブラントの上遇な晩年に重なる、と本の解説にありました。
アントニア・サラテの肖像とベヌアの聖母
《聖ペテロと聖パウロ ; ダ・ヴィンチ》 と、《放蕩息子の帰還 ; レンブラント》

アントニア・サラテの肖像の モデル・アントニアは女優だったそうです。
犬と少年は、屈託のない少年の笑顔に魅せられます。
アントニア・サラテの肖像とベヌアの聖母
左:《アントニア・サラテの肖像 ; ゴヤ》   右:《犬と少年 ; ムリリョ》


新館  ここからは印象派以降の作品です。
以前はエルミタージュ美術館本館の3階に展示されていたそうですが、現在は旧参謀本部の建物だった 新館の方に移されていました。
 ただ、新館の方は、ガラス張り天井から自然光が展示室内に入ってくるところもあるので作品に 悪い影響がないかと心配です。日本だったらもっと作品を大事にしようと工夫すると思うのですけどねえ。
いい点は、フラッシュさえ使わなければ作品の撮影が自由にできるということですね。
印象派以降の作品の中には、かつてナゴヤで開かれたエルミタージュ美術館展などで観ている絵もあります。 そうした絵に再会できるのも楽しみです。

ゴッホほか
1.あばら屋 ; ゴッホ  2.庭の女 ; モネ
3.ピアノを弾く少女 ; セザンヌ  4.ダンス ; マチス

このうち、2.の庭の女は1989年に観て以来の再会でした。
4、マチスのダンスという絵があるのは知っていましたが実際に見るのは初めてです。意外に大きな サイズの絵でした。

タヒチ
左:《ジャンヌ・サマリーの肖像 ;ルノアール》   中:《果物を持つ女 ; ゴーギャン》   《扇子を持つ女 ; ピカソ》 

 そして、左のジャンヌ・サマリーも、以前、モネの庭の女と一緒に観た絵です。
ジャンヌ・サマリーは、半身像の絵も観たことがあるのでぜひ今回も観たいと思ってやってきました。

ところで余談ですが、エルミタージュ美術館を見学したばかりですけど、2017年7月1日から9月18日まで、愛知県美術館で、 『大エルミタージュ美術館展』 が開かれるので、そちらも観に行くつもりです。

それにしてもエルミタージュ美術館見学は疲れました。 ビーフストロガノフの夕食を堪能してホテルへ戻ります。 しかし、白夜の街はいつまでも明るいので昨夜買い物できなかった近くのスーパーへ行き、 ビールを買ってきてKオジサンさんと飲むことにしました。
明日は出発が9時30分だそうなのでゆっくりできます。朝の散歩でも楽しみましょう。


 朝の散歩


 どうして中国人はやかましいのでしょう。泊まったホテルには中国人がいっぱい。 朝食時には騒々しい彼らと一緒にならざるを得ません。
そこで、ブッフェからは遠くなりますが、レストランの奥に席を取りました。 写真に見るようにここなら何とか落ち着いて食事ができます。

 実は泊まったホテルの部屋からいくつかの教会が見えていました。そこで朝の散歩で Kオジサンさんと行ってみることにしました。
サンクトペテルブルクは運河の街です。ホテルのすぐ近くにも運河があり、スフィンクスの モニュメントのあるエジプト橋が架かっていました。写真は運河から見たAZIMUT(アジムト) ホテルです。
また、路面電車が走る街でもあります。車も多いですが、こうした無公害交通がインフラとしてあるのは いいことだと思います。



左=スフィンクスとオベリスクがあるエジプト橋   中=AZIMUT(アジムト)ホテル    右=路面電車

トロイツキー大聖堂(写真左)と、ニコライ聖堂

 さて、一番近いところにある教会は青い屋根の大聖堂でした。 あとで調べて分かったのですが、世界遺産の一つトロイツキー大聖堂という3000人収容できる大教会で、 この聖堂のドームの高さは80mあるそうです。
このトリツキー大聖堂も見ることができたので、イサク大聖堂、血の上の救世主教会、カザン大聖堂とあわせて サンクトペテルブルクの世界遺産・4大教会を見られたことになります。

もう一つホテルから見えた金色に輝く塔を持つ教会がこれで、ニコライ聖堂というそうです。
18世紀ロシア・バロック建築様式の水色の壁面と白の円柱、そして黄金の屋根がきれいな教会です。 すがすがしい朝に凛とたたずんでいるようでした。



 ピヨートル大帝夏の離宮の庭園

 朝9時30分、サンクトペテルブルク郊外の観光に出かけます。
まずはピヨートル大帝夏の離宮の庭園へ向かいます。 ピヨートル大帝は、サンクトペテルブルクの西約30kmのところにあるペテルゴフに夏を過ごす 離宮を建てました。
大帝は海が好きだったそうで、バルト海フィンランド湾が見える場所に離宮を設け、広大な庭園を造らせたと いいます。
庭園内には150を超える噴水があり、長大な水路で水を導き、高低差を利用して噴水を24時間出し 続けることが可能だそうです。

11時、一斉に噴水が水を噴き上げる(左写真)と、大宮殿を背にして見る噴水と水路

入場した大勢の人たちが欄干に鈴なりとなり、また噴水の周りの群がっていました。 そして11時になると音楽とともに一斉に噴水が吹き上がるのです。 メインの噴水は、サムソンが両腕で広げた獅子の口から水を噴き上げます。
右の写真は宮殿を背景に噴水群を見下ろしたところで、水路の向こうにはバルト海のフィンランド 湾が見えます。
大帝はサンクトペテルブルグから船でこの離宮までやってきたそうです。この水路をさかのぼって 宮殿に入ったのではないでしょうか。

大宮殿を背景に噴水の水がカスケード滝となって流れ下る(左写真)と、光り輝くキューポラ のある宮殿の聖堂

宮殿から下の公園を案内してもらいました。
宮殿の前を通って行くと光り輝くキューポラのある宮殿の聖堂がありました。 このあと最後に行くエカテリーナ宮殿にも聖堂がありましたので、宮殿には必ず聖堂を併設した のでしょう。
森の中へ下っていくと昔は温室だったという立派な建物があり、その前にスロープ状の大きな滝 がありました。
大滝の両側に石像が並んでいますが、ドイツ軍が攻めてきたとき、土に埋めて隠したため 無事だったそうです。

いたずらの噴水『パラソルの噴水』(左写真)と、ピヨートル大帝の像

森の中の緑の公園ですが、子どもたちのためにいたずらの噴水というのがあります。 写真のキノコのような噴水は、『パラソル』 といういたずらの噴水です。中に入ると噴水が出る仕掛けで 止まるまで出てこられないのです。ほかにもいくつもいたずらの噴水がありました。


ピヨートル大帝と王妃がプライベートに使用したモン・ブレジール宮殿(左)と、モン・ブレジール宮殿の すぐ裏側はフィンランド湾

左の写真、モン・ブレジール宮殿はピヨートル大帝と王妃がプライベートに使用した建物だそうです。
海が好きだったという大帝なので、すぐ裏がフィンランド湾という場所に建てたのかもしれません。
バルト海は初めて見ました。
いずれにしても、夏を過ごすためにこの絢爛豪華な離宮と庭園を造ってしまうというのは 絶対君主だからでしょう。
1709年ピヨートル大帝のロシア軍がスウェーデンを破り、この宮殿建設に踏み切ったようです。 ヨーロッパの中でロシアの存在を誇示し、さらに発展させようとした野望の現れだったのかもしれません。

ピヨートル大帝の夏の離宮の庭園をゆっくり見学していたこともあり、昼食は午後2時ころでした。
プーシキン市の Grand Cafe ESTATE というカフェレストランで、 ロシア料理のピロシキ。パンの中に肉を詰めたものです。 ほかの料理もあったので、ちょっと食べすぎたかもしれません。
そのあとは、最後の観光であるエカテリ*ナ宮殿です。



 エカテリーナ宮殿

 エカテリーナ宮殿は、サンクトペテルブルクの南東25km、プーシキン市にあります。
この宮殿は女帝エカテリーナ二世の夏の離宮で、長さ(間口)が300mもあります。 礼拝堂もあり、広い庭園のある宮殿でした。
エカテリーナ宮殿は、第2次世界大戦で甚大な被害を被ったそうです。現在は修復されて美しい姿を 見せていますが、公開されている部屋はまだ半分だそうで、今なお修復が続けられていると聞きました。

エカテリ*ナ宮殿                         大広間
 
300mもある宮殿なので1枚の写真には収まりません。薄い青色がアクセントになったロシア・バロック調の 華麗な宮殿です。 今が一番いい季節なのでしょう、ジューンブライドの花嫁さんが宮殿をバックに 記念写真を撮っていました。
南側には緑豊かな庭園が広がり大きな池もありました。

宮殿内の見学に行きます。
宮殿の正面階段を上がっていくと舞踏の間あるいは鏡の間ともいわれる大広間があります。 ロシアに漂着した大黒屋光太夫が、帰国許可を得るため皇帝エカテリーナに謁見したのがこの大広間 だったそうです。やがて許されて彼は帰還することができました。
  

叙勲者の食堂                           白の食堂


左の写真は叙勲者の食堂、右の写真は白の食堂といわれる食堂です。 あとにも出てきますがこの宮殿はなぜか食堂の多い宮殿でした。

赤の食堂と緑の食堂                       琥珀の間

赤の食堂と緑の食堂ですが、赤の食堂は皇帝の家族の食堂だったようです。
そしてエカテリーナ宮殿で最も知られている琥珀の間です。
琥珀の間は壁面のほぼ全体が琥珀で装飾されていて、一面金色の黄金の間よりも重厚・豪華な 感じがしました。
侵攻してきたドイツ軍がこの琥珀の間の琥珀をすべて持ち去って行方が分からず、現在の琥珀の間は 新たに造ったものだそうですが、今ではこの模造品の方が価値があるといわれているそうです。


絵画の間                           エルミタージュ(隠れ家)

絵画の間というのがありました。それぞれの絵もなかなかいい絵だと思います。 その1枚1枚の絵をモザイクタイルのように壁に貼り付けた インテリアということでしょうか。何とぜいたくな部屋だろうと思いました。
エカテリーナ宮殿は入口から出口まで一方通行に見学順路が設定されています。
宮殿建物を出て正面の庭をまっすぐに続く園路を行くと、右の写真にあるエルミタージュという 建物がありました。エルミタージュというのは隠れ家を意味するのだそうです。 隠れ家とはいえとんでもない豪邸ではありませんか。




エカテリーナ宮殿を最後にロシア観光はおしまいです。
最後の夕食は写真のレストランで料理はつぼ焼きでした。 日本でも何度か食べたことがあるロシア料理の定番ですが、つぼの上をパンで蓋がしてあります。 日本人観光客用にそうしているそうですが、現在のロシアではパンの蓋をしないのが普通なのだそうです。
〔写真左〕半地下のレストランAMAPAHT


ロシア最後の夕食を楽しみサンクトペテルブルクのプロコヴォ空港へ。 いつまでも日が沈まない夜11時のフライトでした。
ロシアでは日本語はもとより英語もほとんど通じません。ところが飛行機に乗り込んだとたんそこは 韓国だったのです。大韓航空の機内はロシア人ももちろんいますが韓国人がいっぱい。
ハングルが飛び交い乗務員も見慣れた感じの東洋のきれいなお姉さん、出された機内食もインディカ米 ではない普通のご飯でした。韓国ではありますが、どこかほっとする感じの帰路でした。
〔写真右上〕サンクトペテルブルク空港と大韓航空の機内食



≪旅の総括と雑感≫

 コンパクトな日程で戦略的に観光するロシアツアーに行ってきました。 かねて、訪ねてみたいと思っていた、エルミタージュ美術館やエカテリーナ宮殿、そしてクレムリンなど、 歴史と芸術のロシアを巡る旅です。

40年ほど前にロシア(当時のソ連)を訪ね、今年になって再訪した人からは、 ロシア社会の雰囲気も人々の生活もすっかり変わっていたと聞きました。
社会主義国というと物資が乏しく窮屈なイメージがあります。それが、 1990年、共産党一党独裁体制が崩壊し民主化へ舵が切られたわけですから、 変わったことは当然でしょう。実態としてそれがどんな様子なのかも知りたいと思って いたのです。 旅行なので表面だけしか見ていないかもしれませんが、結論としては、ほかのヨーロッパの国と 変わらない感じがしました。

モスクワのグム百貨店やサンクトペテルブルクのネフスキー大通りも東京銀座と一緒。 泊まったホテルの近くの小さなスーパーも夜10時まで営業していましたし、24時間営業の 大型スーパーもありました。店員の対応も西欧諸国と変わりません。 片側4車線5車線の道路には車があふれ、モスクワでもサンクトペテルブルクでも渋滞に 巻き込まれどおしでした。

現地ガイドのエリザベータさんはソ連時代の生まれで、小学校3年生の男の子と、6歳の双子の女の子の 母親です。彼女の話では、今の体制になって生活が格段に良くなったと言っていました。 学校教育は基本的に無料だそうですし、 プーチン大統領は約束したことは必ず実現してくれる。給料は上がった、車とアパートも買えるようになった といいます。子どもが3人の場合は大家族ということで手当てが出るし、割引の恩恵もあるそうです。 まあ、反体制の人ももちろんいるでしょうけど、多くの人たちは生活をよくしてくれた プーチンが好きなようです。関係あるかわかりませんが、プーチンのマトリョーシカやプーチンの カレンダーまで売っているのです。

そんな状況を見聞きしてふと思いました。 『北方4島は絶対返してくれない!』。
日ソ平和条約締結に向けての条件整備のひとつとして、北方領土での共同経済活動を行うことを 決めたようですが、これはロシアにとってはそこに住み、関係する自国民の利益のためでしょう。 プーチンはあくまで自国を豊かにする政策を一貫して遂行するリーダーではないでしょうか。

今回、ロシアの歴史は戦争の歴史といってもいいと知りました。
ナポレオン軍のロシア侵入(1812)、ロシア帝国・オスマントルコ戦争(1828)、ロシア・トルコ戦争(1877)、 第1次世界大戦、第2次世界大戦。領土を踏みにじられ、財宝を略奪され、ドイツに攻め込まれて 1800万人(諸説あります)の死者を出しながら復興してきたわけですから、したたかな民族になった としてふしぎではありません。 国対国としての付き合い方は難しいでしょうね。

ともあれ、彼らの持つ歴史に裏付けられた建築遺産、美術遺産はすごいものがあります。 モスクワとサンクトペテルブルクの範囲内ですが、歴史的建物や芸術文化にふれ、楽しい旅になったこと だけは確かです。
Kオジサンさんと一緒に行き、常に話し相手になってくれたので、旅をよりいっそう楽しんでくることが できたと思います。



◆ 意外に高かったルーブルの交換レート
ルーブル
ルーブルは中部空港で交換していくように旅行社からいわれてました。
事前に聞いていたところでは、交換レートは、1ルーブルが2円くらいとのことでした。 ところが実際の交換レートは、1ルーブルが2.61円だったのです。
予想以上に高かったので、枕チップは2人で100ルーブルとして置いてきました。
逆に円に買い戻すときは、1ルーブルが1円60銭くらいに安くなってしまうそうです。


◆ 慢性的渋滞の車社会
ルーブル
ロシアは急速に車が普及してきており、慢性的に渋滞が起きているようです。
昼間でもライトを点けているのは、交通事故防止の一環として、数年前に昼間点灯が 義務化されたからだそうです。
特に街中では車が多いのですが、横断歩道ではしっかり停車して歩行者を通してくれていました。



◆ 変わりやすい天気
虹
6月下旬でさわやかな気候でした。しかし、この季節は天気が変わりやすいようです。
1日のうちに晴れ、曇り、雨、と天気がよく変わるのです。
運よく実際に傘を使うことはありませんでしたが、朝出発するときに、必ず傘を持っていくようにと 添乗員さんから言われました。
夜中に降ったり、夕方空港に着いたら雨が降って虹が出た〔写真:ドモジェドボ空港の虹〕ことも ありましたが、青空のもとでの観光がほとんどでラッキーだったと思います。



◆ 中国人観光客が多い
昨今、どこへ旅行しても中国人が多いですね。ホテルではうるさすぎますし、 世界遺産の観光地でもマナーはよくありません。
ロシアも例外ではなく、中国人がいっぱいでした。教会のパンフも、ホテルに置いてある地図も 中国語のものが常備されています。
日本語のパンフレットはついぞ見かけなかったのとは対照的です。 日本人観光客はまだ比較的少ないように思われました。


◆ アルコール
ビール ホテル内は別ですが、スーパーなど一般お店でお酒が買えるのは夜10時までです。
ホテルで買ったびんビールの一つは見た目は普通の王冠ですが、手でひねると開けられる王冠でした。 店員がそう言っていましたが信じられず彼女に開けてもらったら簡単にあいたので大笑いでした。
写真右のMenbhukビールが手で開けられる王冠のビールで、左のKozelビールは普通の王冠
土産物屋さんではウォッカを試飲させてくれました。強いし、重くなるので 誰も買わなかったようです。


◆ ロシアのカラス
タクシー
写真のようにロシアのカラスは真っ黒ではありませんでした。
2色のカラス。鳴き声が日本のカラスと少し違うとガイドさんがいっていました。
帰ってきて調べると、ズキンガラスというカラスだそうです。 ウラル山脈以西のロシアから東ヨーロッパと北ヨーロッパにかけて分布しているようです。




◆ 乗り継ぎの仁川空港でシャワールーム体験
タクシー
往路の仁川空港で添乗員さんから無料で使えるシャワールームがあると聞き、あらかじめ 場所を探しておきました。
復路での仁川での乗り継ぎ時間が長かったので、Kオジサンさんと一緒にシャワールーム体験をしてきました。
2坪ぐらいのスペースに、シャワーブースと洗面、トイレがあり、タオル、歯磨き・歯ブラシも無料で 使えます。
シャワーを浴びてすっきりして帰ってくることができました。



行 程

 〔1日目〕 中部空港 ⇒仁川空港⇒モスクワ・シェルメチェボ空港⇒モスクワ(泊)
 〔2日目〕 モスクワ市内観光⇒モスクワ・ドモジェドボ空港⇒サンクトペテルブルク・プルコヴォ空港
       ⇒サンクトペテルブルク(泊)
 〔3日目〕 サンクトペテルブルク市内観光⇒エルミタージュ美術館観光⇒サンクトペテルブルク(泊)
 〔4日目〕 サンクトペテルブルク郊外ぺテルゴフ観光⇒プーシキン観光⇒サンクトペテルブルク・ プルコヴォ空港⇒
 〔5日目〕 (機中泊)⇒仁川空港⇒中部空港
 



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