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 Orange life

散策 飛騨古川

2022. 5.18


 この2年あまり、思いもしなかったコロナ禍でなかなか海外旅行には行けなくなってしまった。それでも感染の恐れは低い山登りには出かけている。出かける先の山の付近には有吊な観光地、風光明媚なところやや旧跡もあることは知っているがそうした観光地に立ち寄ることはあまりないのが実情だ。日帰りにしろ車中泊することもあるにせよ山から下りたら家に帰らなければならない。遠い道のりを車を運転して帰ることになるので観光地を訪ねてくる余裕がない、温泉もしかりである。 そんな中で今回飛騨高山の福地山に登り、車中泊して翌日は十石山へ登ることになった。初日に登る福地山は比較的簡単な山なので時間があれば飛騨古川の街を散策してこようと考え道の駅アルプ飛騨古川で車中泊することにした。飛騨古川は古川祭りで知られ、また白壁土蔵沿いの水路をコイが泳ぐという風情あるところである。毎年冬にはコイを守るため水路から池に移すところをTV放送されてもいることもあり、以前からそうした古川の街を訪ねてみたいと思っていたのである。 ということで、福地山から下山して奥飛騨温泉郷の一つ福地温泉から飛騨古川へやってきた。古い街なので街中に駐車場はないが飛騨市役所の駐車場が観光客に無料で解放されていた。これも観光客誘致の一環であり利便性の提供ということだろう。駐車場の一隅にある休憩所には観光パンフレットが置かれていた。どこをどう回ればいいか知らなかったので散策ガイドマップをもらって出かけることにした。 道を挟んで市役所駐車場の向かい側に大きなお寺が見えたので、手始めに立ち寄ることにした。


 誓願寺太子堂

 この誓願寺の太子堂は昭和48年(1973)完成というから古いものではないが、明治のころ見つかった鎌倉時代の作だという 聖徳太子像が祀られているそうだ。芸術文化の祖として崇敬される聖徳太子の像を古川の有志の人たちが 六角の堂を立てて祀ったとパンフレットに書いてあった。


飛騨古川まつり会館

 誓願寺のすぐ隣にあるのが飛騨古川まつり会館。時間の関係もあって入館しなかったが、 3台の屋台や御神輿行列の様子などが展示されているそうだ。毎年4月19日・20日、 屋台は静かに曳き回し、おこし太鼓にまたがって打ち鳴らし練り歩くという300年続くのが古川まつりだという。 そのおこし太鼓は隣接する建物に展示されていて見てくることができた。

 飛騨の匠文化館

 飛騨古川まつりがどんなものかわかったが、もう一つの飛騨古川の売り物である飛騨の匠について知っておこうと 飛騨の匠文化館へ行くことにした。平日の午後なので見学者は私一人だけ。案内の女性が親切に説明をしてくれた。 その中で印象に残ったのは木造建築の歴史をつくったと表現されている飛騨の匠の技と術である。 匠の技として説明を受け、体験させてもらったのはパズルのような千鳥格子の木組み。囲炉裏の上に吊るされる『火棚』 や格天井、飾りなどに使われている木組みである。その千鳥格子の小さなものが用意されて 分解・組み立てできるようになっている。すなわち釘は全く使わず切り欠きだけで格子状の木組みができているのである。 一人で試してみたが分解できなかった。係の女性の手ほどきで分解組み立てができたのだが、1本だけ少し持ち上げて 引き出せば 後は順次解体できるようになっていたのである。こうした匠の工夫が『技』と『術』ということだ。普段『技術』を 一つの語としてとらえてしまうが、『術』というのは『すべ』すなわち方法、手段、てだてであり、例えば 釘を使わず千鳥格子を作るというからくりを編み出すこと。一方『技』というのは『わざ』。磨いた腕前でそれを実現するのが匠ということであろう。 千鳥格子を例として飛騨の匠の技と術を教えてもらったわけだが、その仕事を実現する伝統的な大工道具なども 展示されていた。

 もうひとつ、飛騨の匠のこだわりを思わせるものがあった。それは『雲』といわれるもので、 軒先の垂木や軒桁を支える肘木(腕木)の先端を雲形に加工し白く塗ったものである。その雲は様々なデザインがあり、 現在170種類あるそうだ。もともとは単純な形に仕上げたものだったが、大工の匠がそれぞれ独自のデザインで 施工したためだそうだ。意匠特許などなくても自分にしかないデザインを創り出すというところに 匠のプライドが感じられるというものだ。ただ、この雲の歴史は新しく、昭和20年代末ころから 古川の街の建物に 施されるようになったのだそうだ。それが現在に至って古川の街を特徴づけているということである。


 飛騨の匠文化館の2階には、白壁の建物と瀬戸川を眺める特等席があった。
和室の格子窓から見ることができる瀬戸川と白壁土蔵は一朊の絵といっていい。しばしその風情を楽しんでから 階下の展示室に移動。古い大工道具や住宅の木構造見本などが展示されていた。 木材の軸組の仕口や継手である『腰掛けかま継ぎ』『追掛け大せん継ぎ』などもある。仕事で建築にかかわってきたことがある自分にとっては 昔を思い出して懐かしい感じもする。



 瀬戸川と白壁土蔵の街並み

 さて、壱之町の瀬戸川と白壁土蔵の街並み散策に出かけよう。 飛騨の匠文化館を出たところに大きな銀杏の木があった。樹齢700年というみごとな大イチョウだ。 瀬戸川の水路はその後ろ側にあった。瀬戸川といっているが、宮川支流の荒城川から町へ引き込んだ用水路である。 たくさんの鯉が流れに逆らうように泳いでいる。水路に沿った散策の路はなかなかいいものである。 これがテレビ映像の実体験ということだ。 白壁と水路に沿った路を端近くまで歩いて行った。この間にはもう一つ見ておきたいと思った『雲』はなかった。 当然のことながら雲は土蔵ではなくお寺や民家の軒先を飾るものなので土蔵の反対側、 すなわち町の表通りを歩いて戻ることにした。折り返した先に大きなお寺が見えたので立ち寄ってみることにする。



 本光寺と三寺まいり

 このお寺は本光寺〔右写真〕というそうで、飛騨地域で一番大きい木造建築だといい三寺まいりの1寺になっている。 この本光寺のほかは真宗寺と円光寺で三寺である。三之町の真宗寺はちょっと離れたところだったので行かなかったが 瀬戸川沿いにある円光寺には散策の途中で立ち寄ってきた。このお寺も立派なお寺だった。 飛騨市公式観光サイトによると、三寺まいりは次のように書かれている。 『200年以上も前から続く独特の伝統風習三寺まいりは、毎年1月15日の夜、親鸞聖人のご恩を偲び、 町内の3つの寺、円光寺・真宗寺・本光寺を詣でるならわしです。その昔、野麦峠を越えて信州へ糸引きの出稼ぎに 行った年頃の娘たちが着飾って瀬戸川の川べりを歩いて巡拝し、男女の出逢いが生まれたことから “嫁を見立ての三寺まいり…”と飛騨古川の小唄にも唄われ、縁結びがかなうおまいり』。


 雲

 それでは、壱之町通りを歩きながら雲を探してみよう。 なるほど軒並みとまではいわないがたくさんの民家の軒が雲で飾られていた。 比較的シンプルな雲もあれば複雑な模様・形状の雲もある。いずれも請け負った大工が独自に工夫して デザインした雲である。それぞれの好みもあるのでこれが一番いいとは決められないが、こうして170種類もの 雲があるというバリエーションがいいのかもしれない。




 ということで、福地山に登って下山してきてから飛騨古川の町を散策してきた。白壁土蔵の街並みと 奇祭『古川祭』が自慢という飛騨古川。“ちょっといい”を見つけるちいさな旅へ というパンフレットのキャッチコピーが 的を射た表現の散策だったと思う。コロナ禍で観光客は少ない現在だが、その町が古くから持っている観光資源を生かし、 新しいイベントの取り組みを継続していくことが必要であろう。 ただ、ひと時の散策をしてみて、日本のもつ伝統的なものが一ぷくの清涼剤となることは認めるが、これはすごい というものは感じられなかったように思う。人生を長くやってきた私のような者だけの受け止め方かもしれないが、 経済学でいう限界効用逓減の法則もあって、心を揺さぶられるような感動は得られないのかもしれない。 今なおそうした感動がたくさんある登山と比較してはいけないかもしれないが。

古川の街 散策行程


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