東樹院の文福茶釜



 和尚さんが戸を開けてみると、それはそれは若くて、美しい女の人が一人立っていました。そして、寒さにふるえながら、小さな声で言いました。
 「道に迷ってしまいました。すみませんが、一晩泊めていただけませんでしょうか」
 年をとった和尚さんは、かわいそうに思って、女の人を寺にあげ、温かいおかゆをたいてもてなし、泊めてあげました。
次の日の朝、その女の人は、何度も頭を下げてお礼を言い、どこかへ立ち去りました。

 それから二、三日して、再びその女の人が寺に現れたのです。そして、「先日、お世話になったお礼です」と言って茶釜を差し出して、立ち去ろうとしました。その時、和尚さんは声をかけました。この女の人は、旅の途中で道に迷い、行く先や泊まる宿がないに違いないと思い、しばらく寺に留まるようにすすめたのです。

 寺に留まるようになった女の人は、「ご親切にむくいたくても、これ以上お礼をすることができませんから」と言って、和尚さんから筆と紙を借りて、すらすらと、絵を描きました。あんまり見事だったので、和尚さんは、すっかり見とれてしまったそうです。
 この女の人の話は、たちまち村中に広がり、評判となりました。寺を訪れる人の数も増えて、すっかり親しまれるようになりました。

 ところが、ある晩のこと、村の近くで、犬にかみ殺された一匹の狸の死骸が見つけられました。そして、その狸は何と、寺の女の人と同じ着物を着ていたのです。その日から、その女の人の姿を寺でみることはありませんでした。

 和尚さんは、その狸をねんごろに葬りました。そして、その女の人の残した「茶釜と絵」を、寺の宝として大切にすることに決めました。

 残念ながらその絵は、明治17年の大火事で焼けてしまいましたが、茶釜だけは、いまも寺に残され「文福茶釜」とよばれています。
 また、東樹院の庭には、この話を伝える狸と女の人の陶製の像があります。

(ふるさと港南の昔ばなし50話 より)


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