福寿神(ふくじゅしん)



 電気街として知られる秋葉原の外れに柳森神社という稲荷社がある。
 これは太田道灌が江戸城を築いた際に、鬼門除けとして柳を植樹し、その森の鎮守として建てたものと伝わる。
 境内には福寿神なる狸神が祀られ、御神体として狸の木像が伝わっている。

 この狸の木像は、徳川五代将軍・綱吉の生母である桂昌院が江戸城内に祭祀したもので、福寿稲荷と称された。
 御神体は高さ一五センチ、横幅一〇センチほどの狸の木像で、桂昌院が秘蔵していたものだという(一説に、この狸像は妊娠した雌狸で、そのお腹にあるのは、五代将軍綱吉そのものだという話がある)。

 福寿神は六代将軍・家宣をはじめ城内の人々に厚く信仰されたが、とくに奥女中衆に崇敬者が多かった。身分の上下が厳しい時代、京都の八百屋の次女として生まれた娘が、将軍の生母にまでなったという玉の輿のエピソードを持つのが桂昌院。
 その福徳にあやかりたいと、城内の女中たちは福寿神をかたどった像を懐中に忍ばせ、守護とともに玉の輿を願ったのだという。

 後に福寿神は向柳原の旗本瓦林邸内に移され、旗本の女中や町人の婦女、花柳界といった女性たちを中心に広く信仰された。
 玉の輿にはじまった願掛けの内容も時代とともに幅が広がり、狸に《他を抜く》という意味を持たせて出世を願ったり、富くじ的中など福を求めたりと、諸元成就の神として崇められたという。

 やがて明治維新の際に現在の柳森神社に合祀され、地元を中心に信仰され続けたが、現在は昼休みのサラリーマンがふらりと参拝してゆくくらいで、往時の繁盛ぶりを垣間見ることはできないようだ。

 城内の奥女中衆からひろまった土製の狸のお守りも、毎年一〇月一〇日に分け与えていたということだが、数年前から中止されてしまった。狸を作る職人さんの高齢と、作っても割があわないというのが理由らしい。何とも淋しい限りである。

妖怪愛好会隠れ里(http://www32.ocn.ne.jp/~kakurezato/index.html) より


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