二本木地区の変遷                         


明治・大正・昭和にかけて碧海台地に先人たちの努力による明治用水の恵みを受けて農業を基盤として「日本のデンマーク」と呼ばれるまで発展してきた。明治用水

昭和35年10月1日時点の二本木町 世帯数214戸、人口1,093人   安城市世帯数10,704戸 人口55,705人(男25.995人 女29,710人)
昭和41年に東刈谷の駅ができ、昭和44年には県営依佐美団地ができ発展を遂げてきた。
昭和50年の土地区画整理事業により二本木町から美園町・緑町が分町した。
昭和60年の土地区画整理事業により二本木町から二本木新町が分町した。
平成18年の新幹線周辺土地区画整理事業により二本木町から三河安城町と三河安城本町が分町された。

日本のデンマークといわれた農村地帯が、東刈谷駅の建設により、名古屋周辺のベッドタウンとして駅周辺から住宅化が進んだ。
また、新幹線三河安城駅の建設により、周辺の都市化が進み現在に至っている。

二本木地区の航空写真   昭和23年(1948年)  白字は該当位置  昭和45年(1970年)
 
 



 昭和56年(1981年) 平成3年(1991年)   平成13年(2001年)
   

平成26年(2014年)



赤丸地点は二本木コミュニティセンターの位置です。