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千葉春湖ご挨拶/書法と経歴misiyouwaku

千葉春湖ご挨拶Message

春湖写真

千葉春湖、私は幼少の時からずっと「字が下手」というレッテルを張られ我身にも何かにつけ納得いたし受け止めてきました。

不器用人生の歩みをしながら「書の文字の美」に捕らわれて現在に至っております。

不器用を引き受けるということは「成るまでやる」ということの裏面・表面ですね。

時間を人よりも倍に使い、成らぬ自分をクスッっとほほえみ思いやって、もう一回、もう一回と集中する事なのです。

     

繰り返しながらの人生も六十七年になります。

     

ここまできますと不器用は不器用なままで・・・

「成るまでやる」という娯楽の世界に浸っている我に気がつきにこにこです。

     

このように私の生かされてきた「証」あかしなるものを念願のインターネットの世界でブログからホームページへと参入開設へ運転して下さっている同志の活躍があってこそ私の思いがネットを通して皆様方と分かち合えるよろこびにおります。

     

小さな出会いの場から心からの平和のほほえみが湧き出していくものでありたいと願い日々想いを走らせ発信してまいります。

    
千葉春湖
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千葉春湖の書法と経歴

1963年
十八歳時代
 
「女は手に職」を秘めて福井市内書家の元内弟子として書の道へ入門するものの
     
1965年
二十歳時代
 
更なる書道界での疑問を抱き「私の人生私が切り開く」と言わねばならぬ状況から東京へ出る
      
働きながら新聞広告で書の道を求め幸運にも親子三代の楷書の大家柳田泰雲師主催学書院入門
      
二十代の約十年「書」のために生活手段の職業を変えながらの書三昧であった
      
質の高い深く広い書道の場は向上心が満ちた
      
最終的に総師範の試験合格と「公認状」を受く
   
1975年
三十歳代
 
結婚で刈谷市に居住
      
三人の子育てと並行して師の元から離れて自立した書人として歩みだす。
      
派閥に属さない真の書法家として「書文字」の美を追求していく。
      
柳田泰雲師の「楷書」書法を基に中国初唐時代の楷書へと学び臨書を定着させていく
      
仮名に於いては師が漢字作家であったため刈谷にて平安時代の仮名を基に独学する
      
1985年
四十歳時代
      
活字から毛筆文字として、運筆自在となる
      
「春湖式漢字の運筆・字体型の理論」中国初唐時代、九成宮醴泉銘・欧陽詢書を基とする
      
「春湖式ひらがなの運筆・字体型の理論」日本平安時代、和漢朗詠集・伝・藤原行成を基とする
      
毛筆・硬筆・各集テキスト教材として製作始める
      
文部科学省認定 毛筆・硬筆・書写検定試験 各一級独学にて合格指導者として適格であることを認定される
      
愛知県審査員指導者
1995年
五十歳時代
      
更に各種教材製作
      
教育漢字1010字 各学年ごとに半紙判・四字 部首別に各学年ごと細字
        
般若心経・細字 掛軸作品仕様 「般若心」と「書道心」として春湖の哲学
正信偈・細字 掛軸作品仕様
      
和漢朗詠集・九成宮醴泉銘 千字文・他
      
四十歳で運筆自在を機に「文」「画」の独学深める
      
「マザーテレサに聴く」書画展・移動展二十五回 絵葉書として東京サンパウロ出版より二回発行
      
「書画道吟」の世界 春湖式で表現舞台に七年
      
「画」を広げるため講談社フェーマススクール通信講座三年で卒業を二年の集中で修了証受領 基礎基本1〜10イラスト専科でプロの指導センスを学ぶ
      
「文章」を深めるため東京の日本文学館公募エッセイに三度挑戦 共有出版三冊採用される
      
つづいて添削指導を受けながら文の道すじを学び「人生は六十歳から」を自費出版する 表紙は講談社フェ−マススクール卒業作品・テーマ自分をアピールするイラスト作品を用いる
2000年
六十歳時代
 
「書」「画」「文」の達成感の積算がこうして六十歳に間に合いました
     
     
2010年
二月二十四日待望の「インターネットプログ」同志の運転によって参入、30万件を超えたアクセス
 
2012年
9月8日「ホームページ開設」 私にとり文明の今の時代にまにあいました。
        

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