ヨセミテ

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1999年11月 初回技術会議 及び 見学

今回の目的は、環境対策に絡む色々な情報の収集 及び各業務依頼会社との技術打ち合わせ、更にメルクが保有する類似施設の見学、打ち合わせであった。
その経路は、
 DenverのDames & Moore, Hazen, MerckのCalifornia Merced site であった。

日本よりシアトルに飛行機で飛び、そこから車でデンバーに行き、更にメルクのCalifornia, Mercedに行った。そして帰りはSan Francisco経由で帰国した。

デンバー(Denver)
は、アメリカ合衆国コロラド州の州都で、デンバー都市圏の中核都市。アメリカ西部有数の世界都市である

右の写真はデンバーにあるHazenの工場である。
 
   デンバーはロッキー山脈(Rockies)の麓にあり、市街地はサウスプラット川とチェリークリーク川の合流地点から東側5マイルに位置する。

標高が約1609.344メートルに位置することから、マイル・ハイ・シティーの愛称で呼ばれている。デンバー国際空港の標高は、1655.4メートルである
 ロッキー山脈は一般的にはカナダ・ブリティッシュコロンビア州のリアード川からアメリカ合衆国ニューメキシコ州のリオグランデ川までと定義されている。その長さは4,800kmを超える。

山脈の最高峰はアメリカ合衆国コロラド州のエルバート山(4399m)である。 「カナディアンロッキー」(Canadian Rocky)と呼ばれるカナダ領内では、ブリティッシュコロンビア州とアルバータ州の州境にそびえるロブソン山(3954m)が最も高い。
 
   California,Mercedの位置は左の写真の通り、アメリカの西海岸で、赤い印のある位置で、。、アメリカ合衆国カリフォルニア州のセントラルバレーに位置する郡である。フレズノ市の北、サンノゼ市の南東にある。
 我々が訪れた場所は広大な敷地の中に、ぽつんと建つ、地下水浄化設備の家屋であった。右の写真がそれである。  
  メルク社 California,Mercedのプラントの全景で、今回の計画と類似設備の見学 及び 技術的な打ち合わせをした。
その設備の横から見た写真である。   
  建物内で技術的な打ち合わせをした。
メンバーはメルク社の
Dr.El-Shoubary、Mr.Lavosky  設計依頼した会社の佐々木さん/CDM, 及び 梅林さん,松川さん/千代田
 そして筆者である。


この付近になるとメキシコ料理店が沢山あり、1度夕食に行ったことがある。
San Francisco、ゴールデン・ゲート・ブリッジ付近の海岸で記念撮影した、エジプト系アメリカ人、Dr.El-Shoubaryと筆者  
   ゴールデン・ゲート・ブリッジを背景に記念写真を撮った。
左より、
佐々木さん/CDM,松川さん/千代田 そして筆者である。
サンフランシスコの街を背景にMr.Lavosky と一緒に記念撮影をした。  

サンフランシスコ観光のハイライトといえるのがフィッシャーマンズ・ワーフである。もともとはイタリア人漁師の船着き場として栄えていた港町であるが、今は中心となる場所にカニの絵が描かれた大きな看板があり、この看板の立つ駐車場から東西へさまざまな商店が広がっている。

波止場の東端に位置するピア39は、桟橋として使われていたところで、現在では約150軒のレストランやブティック、ギフト・ショップが並んでいる。木造の2階建て、17棟の建物が木のデッキで結ばれていて波止場の雰囲気を盛り上げ、フィッシャーマンズ・ワーフでも最も人気のあるショッピング・センターである。
             
人口:約724万人。サンフランシスコ湾に突き出た半島の先端に位置するサンフランシスコ市は、有名なケーブル・カーの走る美しい坂の街として知られている。

高層ビルの並ぶダウンタウンとは対照的に、一般住宅地の坂の両脇にはビクトリア調の古風な建物が並んでいる。 休日にはケーブルカーに乗るため列が続いている。我々もこの行列に並びケーブルカーに乗って、サンフランシスコ市を満悦した。

ケーブル・カーを待つ人々

海の中に建つ米国司法省管轄“連邦刑務所
アルカトラズ島は、1934年〜1963年までの29年間、米国司法省管轄“連邦刑務所”として使われていた島で、全336室の独房があり、最も人数が多いときには302人の囚人を収容していた。

29年間の平均収容人数は、260名である。
有名なアルカポネは、4年半の間ここに収容されていたが、そのうちの一時期を隔離病棟で過ごしたと言う。

     

             
右の写真は連邦刑務所の拡大した写真である。   
              
  サンフランシスコの丘の頂上より、サンフランシスコの街を、海に向かって撮った写真である。
2000年3月  Hazop

浄化設備の設計が進んだ頃、その設備の安全性の確認のため、California,Merceに行き、現地メンバーを含めて、Hazopと言う手法を採用して確認した。

 
   Hazopに於ける、類似設備の確認をするメンバー達
2000年8月 サンフランシスコ、ヨセミテ

サンフランシスコでの会議終了後、メルクのMercedに訪れた。今回は休日があったのでヨセミテに寄った。


ヨセミテ国立公園はアメリカ、カリフォルニア州の東州境、合衆国本土では最高の頂を持つシェラネバダ山脈に位置する美しい国立公園で、園内には起伏に富んだ自然が広がり、世界第2位の落差を誇るヨセミテ滝、奇岩ハーフドーム、垂直にそそり立つ絶壁エル・キャピタンなど名勝、絶景の観光ポイントが多い。

ヨセミテの入口付近の駐車場までセコイヤの木が生い茂っていた。

ヨセミテ入り口

旅のメンバー、ラボスキー、正宗,牧、デルツホー氏
「ヨセミテ」の語源は、先住民族ヨヘミテ族の「ヨヘミテ」がなまって「ヨセミテ」になったとのことである。

ヨセミテバレーは、氷河の浸食によってできたもので、カリフォルニアは、アメリカの州のなかで、最もいろいろな気候・風土をもったところでである。 このような情報がヨセミテギャラリーで知ることが出来る。
ヨセミテの頂上付近で記念撮影 した。

左より、Mr.Lavosky、正宗さん、筆者 及び 牧さん
 
   ヨセミテのハーフドームを背景にメンバーが集まって記念撮影をした。
約200万年前にはじまった氷河時代から長い年月をかけて岩が削りとられ、谷が掘り下げられ、現在の姿となったのは今から約1万年前である。

1833年に白人がこの地を発見するまでには、3,000-4,000年の間インディアンが居住していた。1848年のゴールドラッシュ以後、多くの人々がやって来るようになり、熱心な自然愛好者らにより1890年に国定公園に指定された。

写真はこの広大な景観をバックに、左より 牧さん、Mr.Deltufo, そして 正宗さん

ヨセミテの頂上付近で
  Mr.Lavosky と一緒に頂上で記念写真を撮った
 正宗さんと牧さんの記念撮影  
ヨセミテ・バレー内にはシャトルバスが循環していて気軽に移動でき、短期観光には適している。
ヨセミテ・バレーは、平均して1.6km程の谷幅をもち、両側には600-1,200mの絶壁が10kmあまり東西に絶く峡谷である。

その絶壁を流れ落ちる水流は全て滝となり、なかでも2段に分かれて落ちてくるヨセミテ滝はその落差739m。これは北半球では最も高く、世界でも第3位の高さである。


     ヨセミテ滝        ブライダル・ベール滝

落差189mのブライダル・ベール滝は、流れが霧のように舞い落ちてくるさまが花嫁のベールのように見えるため、この名が付けられた。

ハーフドームを中心に全景
標高2,695mのハーフドームは、丸いお椀を半分に割ったような形をしているヨセミテの象徴ともいえる奇岩である。このハーフドームの真下には、鏡のように周囲を映しているミラー湖がある。

     
        
 正宗さんと筆者で記念撮影   
    ハーフドームを背景に筆者の記念撮影
シャーリーの地質学講座

シェラネバタ山脈は、北米プレートと太平洋プレートとの浸食作用が起こっていた部分が、隆起作用により突出してできた山脈である。
岩質は、太平洋プレートと同じ花崗岩である。
シェラネバタ山脈の西部では、太平洋から運ばれてくる湿った空気が、山々にぶつかり雪を降らせることになる。
           
          

ラボスキー氏

壮観なハーフドーム全景
ヨセミテの高台にあるパノラマ・トレイル(グレイシャーポイント)からの景観で、深い谷をはさんで向かいの右がハーフ・ドーム、更にその右の方にネバダ滝(落差178m)がある。
円形ドームを半分に切り取ったように見えるためにこの名前が付けられ、下の谷間からの高さが1440mある。氷河による浸食により左側の側面が形成され、雨水と霜が上の部分を丸く削り取ったと考えられています。原住民の言い伝えでは怒りのために女性が石になったとの事である。
カリービレッジの頭上1000mに位置する絶壁てっぺんのエリア、グレイシャーポイントよりのヨセミテバレーとヨセミテ滝が見える
ヨセミテ・バレーから25km程のところにあるマリポサ・グローブには、高さ61m、樹齢2000年を越すセコイア杉の茂る森があり、2700年以上生き続ける巨木も見られる。

          
               セコイヤ

ヨセミテの頂上付近より谷底を望んで
地上の楽園”と言われ、アメリカに数多くある国立公園の中で最も人気 シエラネバダ山脈の奥深く2000メートル級の山々に覆われており、広さは3027平方キロメートルで、年間400万人以上が訪れ、その観光の中心となるのはマーセド川に沿って細く長くのびる峡谷ヨセミテバレーである。

バレーフロア(谷底)には観光客の為のあらゆる施設が整ったヨセミテビレッジがあります。シエラネバダ山脈のほぼ中央に位置するこのヨセミテバレーは幅
1600メートル程のU字形の谷で その深さは約1000メートルもあり、距離は11キロにも及ぶ。
 ヨセミテの少し下がったところに綺麗な景観を持つミラー湖があった。 ここで、少し休憩し景観を楽しんだ。  
   ヨセミテの頂上より、少し下った所にが岩盤地より、道路を望んだ写真。
ヨセミテの最初の住人はアファニチ族と呼ばれるネイディブ・アメリカンで、彼らは長い間、この外界から隔絶された美しい楽園で生活していた。

このヨセミテが広く知れ渡るようになったのは19世紀に入ってからで、
1849年にヨセミテの運命を変える大きな事件が起きた。 ゴールドラッシュに沸くカリフォルニアへ向かっていた幌馬車隊がヨセミテの近くで襲われ、1851年政府の命を受けてマリポサ大隊が出動しヨセミテバレーに向った。 彼らは苦難の末にワウォナ高原を縦断し、現在のインスピレーション・ポイント付近に達した。その峡谷を一望した時、誰もが天国の門の前に来たと思い、静かに銃を地面に置いたといいます。
 

セコイヤの木もある岩盤地
ヨセミテは一部を除いて1年中24時間オープンしている。 四季折々、どの季節にも捨て難い魅力があり入園者がピークに達する夏のみならず、西海岸から便利で気軽にアクセス出来ることもあって、春や秋の週末も大変賑わう。

滝の水量が最大になるのは5〜6月で、真夏から秋にかけてはほとんどの滝の水量が大変少なくなるか、または完全に枯れてしまう。 冬にはかなりの降雪もあるが、樹氷の森、白く凍てついた絶壁と 岩峰が青空に浮かびあがる様は見事である。 
6000年前からヨセミテでは、先住民族アファニチ族が釣りや漁が一番うまいとされてきた。
2つの方法があった。1つは、銛て゜つく方法、1つは、現在は法律で禁じられているが、ソープルーツという木の根っこを細かくしたものを水に溶かして魚を浮かせるという方法があった
  ヨセミテを下り、街に入ったら、飛行機の展示場があった。ここで、各種の飛行機を見て廻った。

写真は左より、筆者、Mr.Lavosky, そして、Mr.Deltufo
この飛行展示場には色々な機種の飛行機が展示されていた。  

1991年11月、2000年3月 そして 2000年8月、環境関係に絡む業務で、アメリカ西海岸を訪れた。 
1991年11月は、DenverのDames & MooreHazen  そして 浄化装置が稼働していMerckの California,Merced
を訪れた。 
2000年3月はこの工事の設計も終わり、安全性の確認作業に
Merck California Mercedを訪れた。
更に2000年8月は定例会議を西海岸のサンフランシスコで行い、そして
Merck Mercedを訪れ, この時、業務中に休日が挟まれここより、あまり遠くないヨセミテを訪れた。

ヨセミテはサンフランシスコより車で4〜5時間の所、カリフォルニア州東州境のヨセミテ国立公園で壮大な景観に感動した。

ロッキ-山脈

その経路の入口、サンフランシスコを代表する建造物ゴールデン・ゲート・ブリッジは、サンフランシスコ市と北の対岸マリン・カウンティーを結ぶ美しい吊橋で、全長約2,789mのレンガ色の橋である。

Mreced

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