親鸞さんは 浄土真宗の開祖です | |
承安3年4月1日 - 弘長2年11月28日 90歳まで長生きだった | |
幼名 |
松若磨・松若丸 まつわかまる 清蓮院にて9才でお坊さん(得度)になる |
名 |
俗名(島流しで):藤井善信(よしざね)という |
法名 |
〔叡山修行時〕範宴 はんねん と比叡山の修行中呼ばれていた |
諡号 |
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尊称 |
親鸞聖人・宗祖聖人・開山聖人 |
生地 |
京都・法界寺付近 |
没地 |
京都・善法院(押小路南 万里小路東) |
宗旨 |
浄土真宗 法然さん(浄土宗)に師従する |
師 |
法然 ほうねん |
弟子 |
善鸞、如信、河和田の唯円 *唯円は歎異抄の著作で有名 |
著作 |
顕浄土真実教行証文類(教行信証)正信偈しょうしんげはそのエッセンス |
廟 |
親鸞(しんらん)は、鎌倉時代初期の日本の僧。浄土真宗の開祖(宗祖)とされる。 明治9年(1876年)11月28日に明治天皇より「見真大師(けんしんだいし)」の諡号を追贈されたが、その後本山は、古い体質であるとし見真大師の称号を廃止した
親鸞は、法然(浄土宗開祖)を師と仰いでからの生涯に渡り、「真の宗教である浄土宗の教え」を継承し、さらに高めて行く事に力を注いだ。自らが開宗する意志は無かったと考えられる。独自の寺院を持つ事はせず、各地につつましい念仏道場を設けて教化する形であった。親鸞の念仏集団の隆盛が、既成の仏教教団や浄土宗他派からの攻撃を受けるなどする中で、宗派としての教義の相違が明確となって、親鸞の没後に宗旨として確立される事になる。浄土真宗の立教開宗の年は、『顕浄土真実教行証文類』(教行信証)が完成した寛元5年(1247年)とされるが、定められたのは親鸞の没後である。
2003年7月より2004年3月にかけて『坂東本』の修復が行われた。その際、調査を行ったところ、新たに約700ヶ所に、角筆(竹などを尖らせた筆記具。紙に凹みをつけて書き込む。)によりつけられた書き込みが発見される。その内400ヶ所は、重要箇所に注意を促す「合点(がってん)」と呼ばれる書き込み発見。