大聖寺の沿革

大聖寺の名前由来   

大聖寺(だいしょうじ)の「大聖」という意味は 釈尊=おしゃかさん ですのでお釈迦さんのお寺ということになります。先祖は岡崎市松平町から350年前に荒地の田畑開墾で碧南市へ移住してきたそうです。最初の開祖は,平松教遠師が碧南市の寺、真宗大谷派で修行してその後、碧海郡高浜町へ移住明治時代約100年前にお寺を設立しました。当初、「一味(いちみ)説教所」*下の写真による から出発しました。明治時代には、名鉄高浜港駅前にありましたが道路を拡げる工事にかかってしまい北へ200mほど移転しました。ここが現在の場所となり。最初の住職が大聖寺(だいしょうじ)と名付けました。
2代目は平松サヨという尼さん教遠師の後妻が引き継ぎました。
現在の3代目平松孝順が基礎から発展へと尽力してきた住職です。平松孝順住職は第2次世界大戦当時、日本軍が北朝鮮ピョンヤンに駐屯しておりその1人でありました。1945年8月に、武装解除ロシアの捕虜にされシベリアに抑留された。ロシアから「みんな東京に帰れるぞ」と歩かされ到着した所が酷寒のシベリアであった。その終戦の年は一番寒く零下40℃の酷寒と空腹で多くの仲間が亡くなっていった。丈夫な若い人間でないと生きられない。その中で運良く、体力もあり生き延びることができた。日本に生還でき生きているあかしが「仏法を世間に広めよう!」という契機になった。この体験が現在の大聖寺を支えてきたバイタリティのひとつの要因であります。現在4代目杉浦和順師が2015年3月3日に平松孝順師の後を継いで住職となっています。


大聖寺は約100年と歴史はまだ浅いが、西三河では
真宗大谷派(東本願寺)が多いので、1941年戦前の頃、高浜でこれ以上大谷派の寺で開教はできなくなり浄土真宗本願寺派(西本願寺
転派となった。宗教法人の登記も本願寺派である。檀家の人たちの半数は西日本から高浜市にやって来た人が多く「本願寺派なら大聖寺がある」ということで、いろんなル−トを通じて寺にやって来られます。
今日までこうした経過できています。


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