義倉蔵について

義倉とは

凶年に窮民を救う目的で、平時に貧富の差に応じて穀物を徴収し、これを蓄えておく倉。隋の創設で、わが国でも奈良時代から平安初期にかけてこれにならった。江戸時代にも藩の事業として設けたところがある。「広辞苑」

西尾の義倉

西尾の義倉は1854(安政元年)御用達商人の肴町平井長兵衛を中心とする町人同志によって創設された。当時、義倉は全国各地に設立されていた。それらの義倉の多くは、藩の手によって設立されたものだった。しかし、西尾には義倉がまだ設立されておらず、充分な窮民の救済をすることができなかった。
1854(安政元年)5月、平井長兵衛46歳。義倉設立の趣意書ともいうべき上申書を藩に提出した。
1859(安政6年)義倉米を備蓄するために伊文神社境内に義倉蔵が完成した。21坪の土蔵で現存しており、市の文化財に指定されている。
この義倉による救済は、発起人達の子孫の手によって引き継がれて行き、
1860(万延元)年の大風水害
1879(明治22)年の大津波
大正期の米騒動
の時にも多くの人々の救済に大いに力を発揮することとなった。
このような町人達の運営による義倉は、全国でもめずらしく1946(昭和21)年まで続いた。

中に大名行列の衣装、道具を保管

前のペ−ジに戻る

Topに戻る