畑中地蔵(伴五郎地蔵)

 

 



伴五郎地蔵台座金石文

昇翁浄安居士は其の姓冨永、其の名伴五郎、旧吉良東城の城主
吉良義昭の家臣にして武功忠義の碑人なり、
永禄四年辛酉秋東城
の敗軍の節藤波縄手にて戦死せり、今に其の石墳有るのみ、故
に清水辰政、斉藤央信、天野元宣、鳥居宗次各名士旧跡荒廃せ
るを傷み地蔵菩薩 石像一躯を彫刻せり、永世往還の緇俗一膽一
礼し法界衆城生と共にかく路に登る。


  享保二庚子臘月(1717)         施主 敬って白す