黒田城祉写真集 (平成11年9月25日(日)撮影)

黒田城は、明応年間(1490年代)五藤源太左衛門光正が黒田城主になったという記録が、五藤家文書に残っている。徳川家康の四男松平忠吉が城主の頃、第55代冨永孫太夫(冨永伴五郎忠元の義理の叔父)の息子与十郎資康が次席家老であった。松平忠吉の菩提寺、大雄山性高院に現在2家の冨永氏の墓石がある。 


黒田城趾裏には黒田小学校がある 黒田城趾右脇の川
黒田城趾(名古屋市教育委員会指定) 黒田城趾と山内一人豊
山内一豊


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