れ い し き か ん じょう せ ん と う  き
零式艦上戦闘機


zero1
(零戦52型Planes of Fame所有: 1995.5.3 茨城県龍ヶ崎)
(写真:義弟のビデオから)

名機零戦にまつわることがらは山ほど語り継がれている。
団塊世代の私も、
子供の頃から戦記漫画などでゼロセンの名前は知っていた。
が、そのころから興味を持っていたわけではない。

長じて機械技術屋の端くれにぶら下がっていた頃出会ったのが、
柳田邦男の「零式戦闘機」(文芸春秋)だった。


zero2

この本は戦記、武勇伝の類ではなく、
工学技術、工業製品としての零戦を
「生み出した」人間世界にスポットを当てた作品だ。

技術屋の端くれとして大いに感銘を受けた。
そこに描き出された、零戦誕生にかかわった技術陣の苦闘に。
そして、柳田の着眼にも。


零戦を生んだ人

【設計主務者】堀越二郎(1903-1982)
(1903年=ライト兄弟がキティーホークの海岸で初飛行に成功した年ではないか!)

もちろん名機零戦を生んだのは特定の一人ではない。
零戦が生まれた背景には数限りなく多くの人たちがかかわっていた。
要求仕様を突き付けた海軍から始まり、

知恵と力で支えた堀越の部下たち、
命がけで試験飛行し改善事項を提示した評価部隊、
そして、実戦でこれと命運を共にした人々・・・。

しかしこのセクションでは敢えて、
困難な技術課題に取り組み、技術的創造の原動力となった、
「堀越二郎」の名のみを刻みたい。


設計主務者・堀越二郎自身は、その零戦には一度も乗ったことはなかったという。



零戦とマスタングの離陸シーン
(↑宿敵)

時と場所:1995年5月4日 茨城県竜ヶ崎市 龍ヶ崎飛行場(外野席)
零戦機体:Planes of Fame所有(米.世界で唯一飛行可能な零戦)

ペア離陸
ZTakeoff.avi
要注意:528KB

このシーンの最後の方、マスタングがまだ地を這っているころ、
早くも零戦は空に舞い上がった。

その零戦、まず左脚から格納しているのがわかるだろうか、、、。

(上の動画が開けない場合はQuickTimeを使ってみてください)



零戦の新技術

<<アイディア>>
【捻り下げ翼】短い空母甲板に着艦する時,十分低速になっても翼端失速しないように,
主翼は翼端ほど迎え角を小さくした.
【剛性低下索】ラダー等の駆動索系統に柔軟性をもたせることにより,舵の効きが悪い
低速では大きく動作し,高速では効き過ぎを自然に抑制する.
【沈頭鋲】空気抵抗を下げるため,リベット頭部を逆三角にして機体表面の凹凸をなくした.
【マスバランサ】急降下など高速時,昇降舵の共振破壊を防ぐ.
【脚格納方式】上空では単なる「重荷」に過ぎない油圧装置を軽量化するため,
脚は1本づつ引き込むようにした.

<<開発方針>>
【質量管理】10g以上の部品は全て,極限的に軽量化設計を管理した.
【その他】技術目標を達成できない自社(三菱)製エンジンを切り捨て,
中島(*)製「栄」エンジンを採用した.
*)現:富士重工

<<時の運>>
【素材】超々ジュラルミンという高強度軽合金素材に恵まれた.
【先進技術】恒速プロペラ,スーパーチャージャなど周辺新技術に恵まれた.


"ゼロ戦"という呼び名

紀元2600年(1940年)に海軍制式採用となったことから「零式艦上戦闘機」と名づけられた。

しかし、高度軍事機密に属する最新型戦闘機は、
当時一般には、名前どころか存在すら知らされていなかったという。
それがなぜ敵性用語の「ゼロ」などという語を冠して今に語り継がれているのか、
長い間不思議だった。

戦争当時米軍はこの戦闘機を"Zero Fighter"という呼称で警戒していた。

敗戦と同時に、日本のすべての航空機は破壊抹消された。
その当時国内では存在すら知らされていなかった名機が、
占領軍の使う"Zero Fighter" という呼称から「ゼロ戦」という呼び名になり、
その後一般に広まって今日につながっているとしたら頷ける。



「動態保存」のこと


上の零戦は,米・Planes of Fameが復元した,実際に飛べる戦闘機だ.
飛行機なのだから飛べて当たり前と思えるのだが,
現実は大変困難なことなのだ.
この機体を復元しデモ飛行まで行って,その意義を五感を通して後世に残そうという,
Planes of Fameのあり方に,アメリカ人の気質・情熱を見る気がする.

振り返って日本はどうだ.
同様にあちこちから回収した零戦が,各地に保存展示されている.
しかし「飛べる」零戦は,国内は皆無だ.
いろいろ事情はあろうが,しかしやはりこの差は国民性の違いが大だと思う.

情けない例としては,
かつてアメリカで飛行可能に復元された「疾風」を,
金で買い取って,屋内に展示している博物館があった.
飛べるものをわざわざ屋内に囲い,単なる展示物に成り下げてしまうとは・・・,
やはり精神の差としか言いようがない.

役目の終わった機械でも,目的の動作が可能であってこそ,
機械としての存在意義を後世に語り継ぐことができるのだ.

ああ,走れないD51,動かない古時計,
飛べない飛行機,,,
きれいに展示されているほど,無念でならない.


(そう思う私は,片隅で密かに動態保存にこだわっている)




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