神社編の解答
NO | 質問 | 解答 |
1 | 八幡様の元は? | 八幡神社の元は宇佐八幡宮です 主祭神:応神天皇 相殿神:比売神(ひめのかみ)、神功皇后を配している 記紀によれば神武東征に際し菟狭津彦(うさつひこ)菟狭津媛(うさつひめ)が功をたてて 宇佐国造に任ぜられた。現在の宇佐神宮の背後には御許山(おもとやま)があり その山頂付近に三個の石体が存在する。この石は神の宿る磐座(いわくら)であり 宇佐神宮の源流はここのあったといわれている。 弓削道鏡の事件でも有名になった。 現在でも天皇が即位をした時は、ここへ参拝をされており、天皇家との深い関係があるが なぜかははっきりしていない。 石清水八幡宮 平安時代の859年大和大安寺の僧行教は神託を受け平安京に宇佐八幡を勧請した 翌年山城国男山に皇城鎮護の神として石清水八幡宮を建設した それ以来皇室の祖先神を祭る伊勢神宮に次ぐ第2の宗廟として皇室から崇敬をを受けた 鶴ヶ岡八幡宮 平安時代後期には武士が興隆して、国家の守護神である八幡神は武神に変容した 石清水八幡宮が皇室の守護神であったことより天皇家に出自を持つ清和源氏は 八幡神を氏神とした 源義家は「八幡太郎」と名乗り理想の武士といわれた 源頼朝は由比ガ浜に鶴岡八幡宮を勧請した。 元寇に際しては九州の筥崎八幡宮が敵国降伏に神威を現したとされる これにより八幡宮は「弓矢八幡」はとして武士の守護神となった |
2 | 伊勢神宮の元は? | 内宮は奈良県桜井市の大神神社の近くの 檜原(ひばら)神社にあり 外宮は天橋立の近くの「元伊勢与謝宮」 籠神社にあった 籠神社、伊勢神宮の参道の灯篭には六芒星の紋が刻まれている これより日本人はユダヤの亡命者であるとのいわれがある 詳しくは 「古代ユダヤの暗号」月海黄樹 の本を読んでください |
3 | 八坂神社の祭神は? | 主祭神は「スサノオ」、牛頭天王である。八坂神社には「蘇民将来」の厄病よけの行事が残っている。 これは1月14,十五日に神社から頂いた「蘇民将来の子孫の守り」の札に六芒星を家の玄関に飾っておくと、疫病を免れるといわれている。 この祭りは韓国にもある |
4 | 出雲大社の拝礼方法は? | 出雲大社は「オオクニヌシ」を祭神としているが奈良時代に建立されたといわれている 本殿は日本一高い48mが創建されたことが最近の研究で判明しています 最近では大和に勢力を持っていたが、神武天皇にとって変わられて出雲に流された その怨霊を鎮めるために壮大な神社を建立したといわれている その証拠に奈良市内に出雲という地名が今でもあります。またイズモとは読めない? 前置きが長くなりましたがここの拝礼方法は通常の神社と違い 二礼四拍手一礼です また注連縄の縒り方が通常の神社とは逆になっています これらのことより出雲大社は特別の理由があるようですが真相は不明です これらのことは、井沢元彦「逆説の日本史」の中で解説をしています 最近の話題は、創建当時の柱の一部が発見されたことです。 当時は東大寺の大仏殿よりも高い48mといわれていたがその証拠となる柱が 見つかった。これは三本の柱を鉄のベルトで巻きつけたものと想像され再現の結果 壮大な社殿が」建設されていたことを実証した。テレビで放映されたため見た人もいるのでは しかしこのような建築物をなぜ作る必要があったかは、依然なぞに包まれており 今後の研究課題といわれている |
5 | 京都御所の鬼門にある寺は? | 鬼門とは東北の方角を指し、ここから鬼や死霊が出入りするといわれ「艮」(うしとら) の鬼門とされ、呪的作法により封じなければならないと忌み嫌われた方角だった。このため風水理論で陰陽師たちはこの凶の魔を封殺し国家を守ろうとした。このため 御所の東北の猿ヶ辻にも独特の塀が設けられている。 さらに比叡山延暦寺を設置し、この寺の祈祷により封じようとした。 時代は下って江戸城にも同様なことより寺が設置された これが東叡山寛永寺である。 東の比叡山ということより東叡山と山号をつけた。 |
6 | 四神応相とは? | 四神相応の地とは 陰陽道の考えにもとづいて、王城の地を定めるときに用いられた 東に流水があるのを青龍 南に沢畔があるのを朱雀 西に大道があるのを白虎 北に高山があるのを玄武となずけた 四神は四禽ともいわれ各方位を守護する想像上の神獣で中国で広く信じられた。 高松塚古墳で一躍有名になったがこれは埋葬者を守護するために描かれたものといわれている。 このような絵は挑戦の古墳よりも発見されており、大陸の影響を受けている |
7 | 方忌み、方違えとは? | 方忌みとは陰陽道で凶方を避けることであり、方違えとはその凶方を克服するための 方法である。 大将軍の塞ぐ方向は巳、午、未の年は東になっておりこのときにはこの方角で 移転はもとより家屋の修理、嫁取り、井戸掘り、墓を立てる等はしてはならないとされていた 方違え どうしても方忌みの方角へ行かねばならないときは、いったん他所へ移動して、滞在し そこから目的地へ向かうようにした 当初は転居や、旅行をするときに行われていたが、武家社会になると合戦の時には 思わない方向への移動が必要になってきた。このために武家の兵法として採用された |
8 | 恵方とは? | 歳徳神は祇園祭で有名な牛頭天皇の妃である稲田媛であるとも言われているが 一年の万の徳を司る神とされる したがってこの方向に向かってことをなせば全て大吉となる。この神のいる方向を 恵方ともいい、恵方参りを正月にしていた。これが初詣の起源とされている 京都の神泉苑には恵方の方角に毎年社を向ける恵方社がある |
9 | 風水を取り入れた最初の都市は? | 平安京の建設に当たって、四神相応の地という考えに基づき土地が選定された。 京都の真北には船岡山、東に鴨川、西には山陽、山陰道があり、南にはかって 巨椋池(おぐらいけ)がありそこからこの地が選ばれた。 同様に江戸の地も選定されている |
10 | 三大文殊院とは? | ・京都府 天橋立 切戸の文殊 ・山形県 奥州亀岡の文殊 ・大和 安倍の文殊 創建: 大化の改新(最近では乙巳の変と呼ばれるのが通例になっている)のときに 左大臣となった安倍倉梯麻呂が安倍一族の氏寺として建立した 乙巳(いつし) 645年 中国の唐時代の玄宗皇帝に仕えた安倍の仲麻呂の出身地である 阿倍仲麻呂の活動についての本があり読んでみては 林青梧「阿倍仲麻呂の暗号」 その他 「日本書紀の暗号」等もある |
11 | 諏訪大社の祭神は? | 諏訪大社は、上社と下社とに分かれており、 上社は本宮と前宮に 下社は秋宮と春宮の四社より成り立っている。 全国には5千数百社のお宮がある。 祭神は上社が 「タケミナカタトミノミコト」 下社はその后神の「ヤサカトメノミコト」 といわれている。 タケミナカタは出雲よりこの地の逃れてきたといわれている。 出雲の大神のオホナムチの子供といわれている。 諏訪大社では7年に一度「御柱祭」が壮大に実施される 近くの山より切り出された柱を四宮の四隅に立てる行事であるが、特に途中の坂を 人が柱に乗り、木遣り音頭を歌いながら坂を下りるときはスリル満点です 私もテレビでは見ていますが一度現地へ行きたいと思っています |