京都市内

高台寺 秀吉の正室であった寧々の創建した寺であり、二人が祀ってある。桜の名所です清水寺の近くです
高台寺蒔絵がきれいです
常照皇寺 周山街道の奥の京北町山国は光厳天皇のゆかりの地であり南北朝の内乱に際してこの血に草庵を営み
線死者の霊を弔った。このあとに寺が創建された。九重桜とともに、しだれ桜がすばらしいです
市内より40km程です
詩仙堂 家康の家臣であった石川丈山が創建した庵である。隷書体の漢詩をこよなく愛した文人でもある
庭の猪おどしの音がすてきです
光悦寺 宮本武蔵の小説にも出てくる工芸家の寺であり京都の北の鷹ヶ峰に作った芸術村です
竹で作った光悦垣がすてきです
毘沙門堂 山科にある桜、紅葉の時期に訪れるお寺です
広隆寺 聖徳太子の家臣であった秦河勝のお寺であり、太秦の映画村の近くです。
秦氏は秦の始皇帝の末裔であるとも言われており景教を日本に導入したとも言われている。
飛鳥の酒船石は景教の儀式に使用したとの小説を松本清張の「火の路」に書いてあります
広隆寺のある太秦はなぜこう読むのか? 有力な説がある
「うずまさ」はヘブライ語で「イエス・メシア」からきている。これがインドでは「ウズ・マシャ」になり
日本にきて ウズマサとなった
秦氏一族は弥勒信仰を日本にもたらし、聖徳太子を弥勒の生まれ変りと信じて日本の建国に貢献した
今でも広隆寺には弥勒菩薩が本尊として安置されている。
さらに広隆寺は太秦寺ともいわれており、いさら井(イスラエル)に井戸、大辟(ダビデ) おおさけ神社がある。
清涼寺 清涼寺式釈迦如来で有名です。奈良の室生寺にもこの様式の仏像があります
すらりとしたお姿は一見の価値があります
またこの近くには宝匡院があり紅葉がきれいです
妙心寺 天井の八方にらみの龍の絵は圧巻です
また日本最古の鐘があります
仁和寺 平安時代に創建された日本で最初の門跡寺院であり、応仁の乱で大半が焼失したが、江戸になり
金堂は紫寝殿殿を移設したもの。国宝の「雉の香炉」の作者である仁清は 仁和寺の前に窯を設けた
野々村清右衛門でありここより  仁清 となずけた
春には御室桜として 二百本が咲き競う
10 常寂光寺 このあたりは京都の豪商であった角倉了以が丹波の物資を水路で京都へ運ぶため大堰川の改修をした
またこのときに激流逆巻く急流を高瀬舟を利用した。今にある保津川下りの始まりである
この土地を角倉一族が寄進をして建立された 紅葉がきれいなお寺です
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北野天満宮 道真の霊を鎮めるために建立されたのが北野天満宮です。道真の死から四十年後に、京の巫女の多治比文子に
「ここに祠を建てて祭れ」との神託がおりたのがきっかけとされています。
「天神」はもともと農耕の神様である雷で、北野の地には古くから雷神を祭る天神社がありました。
道真が天神と結びついたのは、清涼殿への落雷事件が一因のようです。
903年 道真は大宰府にて非業の最期を遂げた。
909年 道真を追いやった藤原時平は39歳の若さで亡くなった・
923年 菅原道真を右大臣に戻し、正二位した
      この昇進には道真の怨霊によるものと考えられた結果である
      なぜならこのとき前後して、道真の左遷に関与した人に不幸が続出し、旱魃、洪水隕石の落下
      等の災害が続出した。
      人々はこれらを道真の怨霊のたたりと信じ、ひどく恐れた。
      この時代は、権力闘争に敗れた貴族の怨霊がたたるという「怨霊信仰」が広まっていたので
      なおさらでした。
      醍醐天皇はこのようなことより死んだ道真を右大臣に戻した
930年 宮中の清涼殿に大きな落雷があり、死傷者が出て直後に天皇自身もなくなった
947年 道真の祠を北野に建立した
993年 道真にさらに  太政大臣を贈った