01-1/30撮影

小垣江神明神社の親子松『二代目』

小垣江神明神社の親子松の由来と親子松『初代』

撮影は昭和30年頃東側参道付近より写した写真

時は天正5年(1577年)西尾城修理のため、当神明神社の松木を切り時切口より鮮血迸りて家臣
の目に入り戸板に乗せて逃げ帰り城主に報告を聞き驚き無断で切をわびて松の苗3000本を奉納
されたが2997本は枯れて生き残る3本の内2本は安永(1776年)の台風で倒れる、残る1本は
神明神社の名木『親子松』として保存されてきました。刈谷市の天然記念物に指定されるも昭和3
4年(1959年)の伊勢湾台風で倒れる
、その名を惜しみて2代目親子松を植樹して長く保存する
ものなり

2代目の親子松ウイルス菌により松が枯れ始めている、最大のピンチである

ウイルス菌によるものは薬剤が無いために枯れてしまう運命にある。

親子松の隣の松が先に枯れ初めてこれの菌が伝染しために伐採を余儀なくされそうだ。
 この親子松のすぐ側にも1本ウイルス菌に感染した43年程のものが枯れる運命
にある。これも伐採を余儀なくされる

小垣江地区の神明神社氏子の皆さんも心を痛めています

10月20日に撮影したものです。 松は枯れて伐採を待つ姿に
なっています。

9月28日の時から23日後の
親子松は無残にも松葉は茶色に変色して枯れてしまいます、大変残念ですがこの松は12月中旬頃には伐採が予定されているようです。

07年10月20日撮影

初代の親子松の根元の部分の写真で
こどもが親木に寄り添っているように
見えている

『由来』

07年9月28日撮影

昭和39年(1964年)頃に植樹され2代目親子松は長く保存されてきました。下の写真は
平成13年(2001年)1月30日に撮影した神明神社の2代目親子松です。