この丘に吹く冷たい風を浴びることは無いと思っていた。
花束を抱え、丘の頂き、そこへ繋がる小径を私は登って行く。私の周りは陽の光を反射し一面
の銀世界だ。雪ではなく、十字架の。
シュマンド軍用墓地。まさか君が、この無数に穿たれた楔の一本になろうとは―
ジェームズ・マクラウド。
君の顔に思いを馳せる時、決まって一緒にあの事件の全貌が荒筋になって私の頭の中を駆け巡
っていく。君の事を、そして君の息子を慮った時も、私はあの事件を考えずにはいられない。
そして私はあの事件のあらましを頭の中に広げる度、愕然とさせられる。しかしあの時罠に嵌
められたという事に気付きながらも君がとったあの勇敢な行動が共に頭に浮かび、私の頭に一条
の柔らかい光が差し込むのだ。
罠にかけられたと悟った君は、その牙で罠を食いちぎった。君のではなく、私に嵌められた足
枷を。そして私を置いて、君は駆けていった。いや、逆かもしれない。―私が逃げ、君が残され
たのか。どっちにしろ、私は生き残り、君は死んでしまった。
あの極限状態の中、私はふっと妻の事を考えてしまった。無数のミサイル群、鉄の暴風、数を
増す敵機、悲鳴のような警告音―。それら全てのものに私の脳は支配されたいた筈なのに、あの
時私の頭の中一杯に広がった妻―ビビアンの顔は今でも残像として私の頭に残っている。柔和な、
いい顔だ。その顔が頭の中に現れたとき、私の世界観が一変した。刹那が私の戦場の魂を持ち去
っていった。私は初めて死にたくないと思い、そしてそれは私の心にある傭兵としての感情が昏
睡した事を表していた。
君にもあの時、同じような事が起きていた筈だ。しかし君は何故、あの『雲』の中に突入する
ことが出来たのか。母を幼くして亡くし、君以外拠り所が無い息子を置いて。
私はその時、妻の事、家族の事、つまり自分の事以外何も考えられなかった。私の心は常に私
の方へベクトルを向けていて、私は前を見る勇気が無かったんだ。私は君を正視できなかった―。
ジェームズ。私を、私を許してくれ…。
許してくれ、友よ。
きみなき世界
written by [new]
傷つけて 傷つけられても なおまだ
壊れてはいなかった ぼくたちは
ぼくたちを捨てて来た あのときに
彼は私の友だった。士官学校の入学式以来、奇跡にもずっと何かと席は隣同士だった。縁は重
なるもので、私も彼も同じく空軍志望だった。厳しい競争の中、一緒に空軍士官となり、そして
寄り添うようにして共に昇進を続けることができた。
彼は名前を、ジェームズ・マクラウドと言った。
その怒号は執務室を震わせ、将軍のコーヒーに波紋を浮き立たせた。
誰に向かって叫んでいるのかと錯覚できるほど、身を落ち着ける事が出来ず激しくのた打ち回
るそのうなりは、執務室の前にいる親衛兵を始め、通路を忙しく行き交う秘書たち、事務員、用
務員、下級士官、それにもしかしたら幕僚等等、いったいどれだけの人の耳に入っただろう。基
地中に響き渡ったと表現しても過剰ではない友の声は、多くの人の耳に入った筈だ。
しかし、それに耳を傾ける人は皆無である。多くの人はそれを騒音としか認識しようとしない。
目の前で困ったように私達を見上げる、ペパー将軍もそうだった。
「アンドルフ軍は勢力を蓄え、好機を今か今かと窺っているんです。ベノムサテライトの相次ぐ
事後、それに続く謎の墜落、これは全てアンドルフの企みだ!五年前のあの時から戦争は始ま
っているんだ!今ここでケリをつけないとどうなるか…たったこれだけの事なのに、あなた達
は―」
サングラスの奥で、友―ジェームズ・マクラウドの眼が確かに光った。ジェームズはペパー将
軍ににじり寄り、説得というより脅嚇に近い口調で将軍に動揺をかけていた。私はそうやって組
み上がったジェームズ対ペパー将軍の構図に割り込めないまま、完全に傍観者として成り行きを
眺めていた。
「しかしだな、ジェームズ君…」
しかしどうしたと言うんですか。ジェームズはその言葉を喉元で必死に押さえつけている。い
かにも言いたげな表情が、ジェームズの顔にありありと表れていた。ペパー将軍はその表情の表
れが分からないのか泰然とした表情を崩さない事に努めている。私にはジェームズの気持ちは私
の本意であり、十分に分かった。分かりすぎてタッグを組んでペパー将軍を羽交い絞めにしたい
ぐらいだった。
将軍は後を続ける。
「世論は成果を上げられない軍に対して失望している。議会だって然り、自分の土地に金を回そ
うと、予算の切り崩し先を軍事費に定めている。我々も仮想敵国をアンドルフ勢力に定めてそ
の危険度から予算を勝ち取ろうと努めているが、政府はそれに耳を貸そうとしない…。血税を
自分のケツ拭く紙としか思っていない奴らで内閣は構成されている。八方塞がりなんだよ…」
「では未だに年間予算の一割を占める軍事費は何なのですか!?あれも全て、トイレットペーパ
ーに変わっているとでも?将軍!」
「言葉が過ぎるぞ、ジェームズ」
私はこの部屋に来て始めて口を開いた。ささやくように、耳元でそっと私はフォックスを諭し
た。しかしそれはジェームズを包む怒気というオーラに攪拌され、分厚い絨毯の床に沈んだ。今
まで何度もこうして失望を吸い取ってきたであろうこの絨毯の群青は、嘆きで絶望したかのよう
に暗く蒼く、私の沈んだ目に映えて写った。
将軍の顔は憂鬱に歪み、俯く顔の陰になって隠された目の色を窺い知ることは出来なかった。
「とにかく…だ」
将軍は続けた。ただ諦念を持って。
「君が言う規模での封じ込め作戦は厳しい。たとえ予算が割けても、だ。大統領選挙が近い内に
行われるのは周知であろうが、現大統領から選挙終了まで際立った軍事行動、軍事演習は慎む
よう通達が来ている。選挙の流れに支障をきたす…とな。多様化が進んで、軍の威光だけで連
帯感が生まれないご時世だ。不況や失業率の増加のツケを軍に回されたくなかったら、今はじ
っと―」
「何で貴方達はそれに逆らわない!それとこれは別問題だと言わないんだッ!」
力の限り、ジェームズは机を叩いた。机の上のペンたてに差し込まれていた防衛軍軍旗と国旗
が衝撃で弱々しくはためいた。
ジェームズは将軍を睨みつけた。しかし将軍は俯いたまま、目を合わそうとはしない。その錯
綜がどれくらい続いただろう、これ以上の説得は無駄だと悟ったジェームズは、「ジェームズ・
マクラウド少佐、退室します」と、私には一目もくれずに部屋から出て行った。沈黙から一転、
一瞬の間隙だった。
それを待っていたかのように―実際待っていたのだろう―ペパー将軍は目線を上げ、私を申し
訳無さそうに見やった。その目の色は困惑ではなく、やはり諦観の色をしていた。ジェームズと
私は同じ思いを胸に抱き、そして将軍とて気持ちは同じだろう。本来ならジェームズを後押しし
てやりたかったが、醜い確執でそれが出来ず、強大な権力を持っているのにパイの一かけも分け
てもらえなかった空しさ、悔しさ―そんな思いの全ての色を、将軍の目は湛えていた。
私はそんな力も持っておらず、出来ることといえば、ただジェームズの傍に居てやる事だけだ
った。
「ペッピー・ヘア少佐、退室します」
私は部屋を後にした。ドアノブに手をかけた時、ちらりを背後を見やると、ペパー将軍は黙想
し偶然か手を懺悔の形に組んでいた。
部屋を出て、私は小股で走り出す。無論、ジェームズに追いつくために。背後へと親衛兵のひ
そひそ話―多分、ジェームズへの感情的な悪口か、私への嘲笑混じりの同情話だろう―が流れて
いく。将軍の執務室からさほど離れていない所に、ジェームズは居た。
ジェームズは私の姿を確認し、歩みを止める。ジェームズは執務室で見せた激高から一変して、
何時も通りの無愛想な顔つきに戻っていた。しかし眼には怒気の残滓がこびり付いている。彼は
心の中で、静かに怒っているのだ。
「連中、一発殴ってやらんと気が付かないんだろうな。まぁ、ツラの皮の厚さでちょっとやそっ
との事では何も感じないだろうが」
私がジェームズと肩を並べると、無言でジェームズは歩き出した。私の言葉が耳に入ったのか、
耳に入っていないのか、相変わらずの仏頂顔で。
人がもし殻を持っているなら、今のジェームズは完全に殻に篭っているだろう。ジェームズは
時々、こうやって周りに話し掛けてくる人が居るにも関わらず、自分の世界に閉じこもりこんな
哀しい表情を見せることがある。だから私は、彼を引きずり出そうと余計に殻を突付くのだ。お
節介とか世話焼きとかいう言葉で自分を表現する以前に、彼は私の唯一の友人だからだ。
「…お前はよくやったよ。少佐待遇で、幕僚達と肩を並べてやりあったんだからな。キレた幕僚
が反逆罪でお前を起訴しないか俺は心配だった。…無理なものは無理だ。お前が出来ることは
ここまでだ、ジェームズ」
よくここまで酷いことが言える口を持ってるなと、私は喋りながら思った。私はとにかく彼を
泥沼から引きずり出したかった。それは無駄なことだったからだ。
ジェームズはつと立ち止まった。私もそれにあわせ無意識に静止した。そこでふと、彼が窓か
ら差し込まれた光の内側に居り、私はその外側の暗がりに立っていることに気付いた。それは只
の偶然に過ぎなかったが、私はこの状況が私と彼の間に生まれた一つの構図を暗喩しているよう
だと。その奇跡の偶然に見とれていた。
軍に士官として組み込まれた私のその心には時を重ねるごとに諦めという挫折感が広がり、そ
してそれを自覚できるまでに失望や無力感が心の領域を埋めていた。昇進という事が自己表現に
繋がると信じて疑わなかった士官候補生時代から二十九年、余りにも時が経ち過ぎた。人生は決
して登り坂ではなく、自分という原石が磨耗されながら望まれるように研かれ転がる下り坂とい
う事に気付くのが遅すぎた。しかし―。
目の前の男は、青春の輝きを失っていなかった。男の怒りは情熱に変わっていた。私が二十九
年来失っていた、日々を動かしていたあの迸りそのものに。
日没が近かった。しかし日は夕焼けという一番美しい表情でジェームズを見ていた。陽光はく
っきりとジェームズの顔に光のコントラストを作り、ジェームズの表情を細部まで描き上げてい
た。その表情が語るもの、意志、信念、忍耐とその先の希望、それに願い…。ジェームズは私に
訴えた。相変らず平静としていたが、言葉は必死だった。
「上は無し…完全独立の少数先鋭の空戦部隊。最優先ライン。星など要らない。アンドルフに対
抗するにはこれしかない…!」
それが何を意味するのかは直ぐに分かった。私は捨て身とも言える彼の思いを引き止める事は
出来ず、逆に私は彼の底無しの信条に引きずり込まれていった。私の目に投げ込まれた、サング
ラスの奥から覗かせた眼晴の鋭さに、私は魅了されたのかもしれない。これからの人生の全てを
投げ出せる程、ジェームズの眼には光が溢れていた。
それから私は彼とどんな会話をしたのかは覚えていない。まるで、青春のある一日のように。
陽は完全に沈み、二人は闇の中を歩き出した。
ペッピー・ヘア少佐、辞表提出。同月日同時刻。ジェームズ・マクラウド少佐、辞表提出。そ
して二人の心の奥で、傭兵チーム「スターフォックス」は結成された。
きみがいなくなってから 少し無口になった
きみなしの きみなしの 広すぎる世界で
ぼくはただ ぼくはただ 座る場所探してる
凶暴とも取れる言動にジェームズの敵は多かったが、それ以上に彼は私を呆れさせるほど驚く
ほど膨大で深い人脈を士官時代に張り巡らせていた。
彼が事も無げに「会社の友達からの気の利いたプレゼント」と言ってみせたものは、何とテス
トフライト中でありまだ一般はおろか軍の将軍級にしかその姿を見せてないと言われている最新
鋭戦闘機だった。そして次に「ローンを組んで買った」というのは現在ロールアウトしている中
で最大級とも言える巡洋母艦、所謂戦艦というものだった。
傭兵チームを結成すると決めてからすぐにこれだけのものが用意できる彼に、私は尊敬し、そ
して呆れ、彼の意志の強さを読み取った。
こうして戦闘偵察機『アーウィン―R』と戦艦グレードフォックス号―ジェームズに対する畏
敬の念とそれに対する揶揄を込め私が名付けた―を携え、傭兵チーム「スターフォックス」は順
風満帆で航海に出た。
ペパー将軍もジェームズの熱意を認め、将軍が直接指揮を下す事が出来る―つまり上は将軍し
か居らず、他の士官の思惑が介在しない―特殊部隊の一つに「スターフォックス」の名前を書き
加えた。ペパー将軍の”温情”の厚さを十二分に知っていたジェームズは軍の名の下ベノム回廊
を自由に航行して廻った。偵察行動という任務が与えられ、ジェームズは半ばそれに従事し、そ
して後の半分はアンドルフ軍に対し威嚇行動を取るなどアンドルフに対し睨みを訊かせていた。
彼は確かに勇敢だった。しかし、幾ら勇敢でもその小さな体躯では強大な戦力を有するアンド
ルフや今だ眠りを続けているコーネリア軍の巨体に刃向う事が出来ないという事を気付いていた
はずだった。だが彼は尚も両者に牙を向けた。アンドルフ軍は警戒を強め、幕僚どもはジェーム
ズの振る舞いに苛立ちを見せていた。縄張り争いが激しい火花散るベノム回廊に傭兵”風情”が
うろついているのだからそれは当たり前の感情だった。
お互いの緊張が限界に達し、終にその日は来た。
それは普通の偵察任務の筈だった。
私とジェームズはピグマという仲間を加え、何時ものようにベノム回廊を航行していた。そし
て何時ものフォーメーション―楔形隊形で、ベノムとその周辺宙域の情報収集をしていた。
それは例えばベノム地表の写真撮影であり、気象観察であった。そうして得られた情報を分析
する為にアーウィンには哨戒機に搭載するものクラスの超大型の中枢コンピューターが据え置か
れ、常に唸りを上げていた。その為、アーウィンには戦闘装備は最低限しか搭載されていなかっ
た。いや、あくまで偵察任務を主目的とするために、軍からミサイルの戦闘機への搭載が許可さ
れなく、私とピグマ機にはその通りレーザーガンのみの武装しかなかった。
しかし安全の為ジェームズ機には本体格納型の小型ミサイルが密かに搭載されていた。それは
三人の暗黙の了解だった。
だから私はジェームズに甘えていた。何時も彼の背に隠れていた。
そんな卑怯な私が、露わになったのだ。
ベノム上空の高度三万六千skmの空域を、秒速四skmで航行中の出来事だった。
突然ピグマ機が隊列から離れ、直後、アーウィンのレーダーシステムがブラックアウトした。
それはECM(電子妨害)だと直ぐに分かったが、余りにも強力な威力に私は始め何かシステム
にバグがあったのかと錯覚した。おかし過ぎる。レーダーシステムがすべてダウンするなんて。
しかもアーウィンには、最新鋭のECCM(対電子妨害)を搭載しているのだぞ……!
『Worning ECM Attack』。MTI(移動目標インジゲータ)はデジタルブル
ー一色になり、白い文字列を表示していた。
「こちらペッピー。緊急事態発生。レーダーシステムにトラブル」
私は敵の撹乱を防ぐ為切っていた無線通信回線をONにし、ジェームズに呼びかけた。理由無
く離れていったピグマ機も気掛かりだったが、とにかく今は自分の事が大事だった。
『こちらジェームズ。同じく、だ。ピグマはどうしたんだ……?』とジェームズ。レーダーが使
用不能になったという事は盲目になったという事に等しいと言うのに、無断で何処かに行った仲
間を気遣う余裕があることが羨ましいと同時に少し疎ましかった。私は「さぁ……」と曖昧に応
じ、戦闘機の目が使えなくなった分、私は自分の目を前に見据えて視力二・〇に頼るしかなかっ
た。
『レーダーについては今復旧中だ。お前は目視でピグマを探してくれ。回線切るぞ』
再びジェームズから通信が入った。私は「諒解」と手短に答え、OFFボタンを押した。キャ
ノピーに不気味な沈黙―いや、システムがブラックアウトしたことに対するアラート音が鳴り響
き、暗鬱とした空間が生まれた。
「……嫌な予感がする」
私は誰も応じないマスクに向かいそう呟いた。いや、ピグマが謎の離脱行動を取りレーダーシ
ステムがダウンシしたその時からそれは確信に変わっていた。私は心のアラート音を誤魔化す為、
あらゆる可能性―そのどれもがゼロに等しい―を考え、自分の本心を隠していた。
私はアラート音から遠ざかりたく、とにかく全感覚を視神経に集中させた。そうして逃避して
いるにも関わらず、私の本心は心を擽った。ピグマが仕掛けたんだ、ピグマが裏切った!
違う!違う!と仲間を信じたいあまり必死で打ち消す気持ちと裏腹に、ピグマを疑う心はどん
どん肥大化する。きっとジェームズも同じ心持の筈だった。しかし彼は先程の通信で冷徹とも思
えるほど落ち着き払った声で告げた。ピグマを探してくれ。
私は自分を見失い、ピグマを追い求めることなど出来ない。しかしこういう状況下で君は自分
を見失わず、尚もピグマを探している。それは機体を反転し帰投コースに機首を向けていない事
から明らかだった。この隔たりは何処から来るのだろう。
私はとにかくジェームズを信じることにし、目を無理やりにも前に向けた。
そして見てしまった。
暗黒の宇宙空間に黒雲が現れた。私は目を疑った。その雲はライラットの光を反射しきらきらと
光り輝いていた。金属光沢を持っている。つまり人工物、金属の―見た事が無い数の戦闘機の大群
だった。
大群は近付いてくる。それ見たことかと、私は自嘲に顔を歪ませた。何故こんな状況でこう思え
たのだろうか。私の中の様々な想いが衝突し、相克して、私の心は大きくのた打ち回っていた。や
り場の無い怒り、悲しみは諦観となり只呆然とカタルシスへと私の身を投じようとしていた。
突如レーダーが復旧し、目の前の大群が赤い染みとして表示された。『ENEMY、ENEMY、
ENEMY、ENEMY……』。それと同時に、またジェームズからPAN(緊急通信)が入った。
PANに相応しくない、穏やかな声だった。
『全機反転。帰投コースに入れ。MAXアフターバーナー』
諒解と言うより先に私は機体を地表に対し百八十度縦に限界G半径でループさせた。それと共に
私の理性もカタルシスから現実に反転した。とにかく雲―戦闘機の大群から逃げることを考えなけ
れば。
単音だけだったアラート音がレーダーシステムの復旧により盛大な交響曲を奏でる。それは死の
ハーモニーであり、レクイエムだった。これだけ悲しいレクイエムが世に有りえるだろうか。十数
種のアラート音がびりびりとキャノピーを震わせる。一音何か音が増えるごとに、死が近付く。
私はMTIを一瞥した。そしてすぐに見るんじゃなかったと後悔の念が胸を圧迫した。
アーウィンの背後に広がる赤い雲はさらに膨らんでいた。それはまさしく雲だった。
最大航速でアーウィンが大きく揺れる。しかし雲から逃れられず、逆に雲はアーウィンを覆おう
としていた。アーウィンを越える速度を持つ戦闘機・偵察機はコーネリア軍にもアンドルフ軍にも
存在しない筈だった。しかしこれはどういうことだ……!
『ドでかい補助ブースターを搭載してやがるようだな、お相手さんは』
私の心を見透かしたかのようなジェームズの指摘に、私は血の気が引いていくのを感じた。夢で
はないかという感情が一気に払拭され、現実と言う不条理がキャノピーを埋め尽くした。
どうすればいい?……どうしようもなかった。あまりにも敵が多すぎる。レーザーガンであしら
える敵の数ではなかった。五、六十は下らないだろう。これだけの相手に、どうしろと言うのだ…
…。
手から汗が噴出し、緊張で右手が震えた。サイドスティックの圧力が異常値だとまたアラート音
が一つ増えた。
アンドルフ軍の、おそらく搭載しているであろう長射程ミサイルの射程範囲に私達は既に入って
いた。しかし相手は撃って出ない。おそらくもっと近付いて、私達を確実に、嬲り殺しにするのだ
ろう。そのリミッタだと思われる中距離ミサイルの射程件に入るのはもうすぐだった。
冗談じゃない、冗談じゃない!私は思わずそう呟いている自分に気付いた。その声はジェームズ
に届いてしまったのだろうか、通信はオープンになりっぱなしだったのだろうか……。だとしたら、
私は……。
『ペッピー、お前は一人で逃げろ』
私は何とか声を絞り出すことが出来た。
「駄目だ……。それは出来ない。」
私の心の中にある生き残りたいという気持ちとは裏腹の言葉だったが、ジェームズと運命を共に
したいというのがまた本望だった。
『その気持ちは嬉しいが、これは俺の願いだ。俺は此処で奴等を食い止めるから、お前は逃げろ』
「嫌だ!ジェームズ!止めろ!」
生き残りたい―動物の生存本能を私は大声で断ち切った。
少しの沈黙。そしてジェームズは声のトーンを落として、私を、私の気持ちを殺しにかかった。
『いいか、ペッピー。お前はレーザーガンだけしか持っていないんだ。私はミサイルを積んでいる。
私の方が奴等に太刀打ちできる』
「やめてくれ!ジェームズ!」
ジェームズの声は何時に無く緊張に震えていた。ジェームズも怖がっていた。生か死かのマス目
は死の方を黒々と塗りつぶそうとしている。そんな極限状態に、彼は身震いしている筈だ。
じゃあ何故、君は、君はそんな事を言えるんだ!
『ペッピー、もしこのまま逃げ切れたとして、私達はコーネリア軍に保護されることになるだろう。
当然その時、私の機体が保守点検されることになる。とすると私がミサイルを積んでいることが
軍の目に曝される。そうすればきっとこの仕事を続けられなくなるだろう……』
「だから、私も、君と……!」
ジェームズ!やめろ!やめてくれ!
『偵察の至上命令を忘れたのか、ペッピー。”必ず生き残れ”だっただろう。お前は生き残って、
収集情報を社の奴等や軍の連中に伝えるんだ。俺は今から、戦闘データをお前の機体に送り込む。
開発チームの奴等には願っても無い実戦記録だ。大いに役立つだろう。だから、次世代機の為に
……次の世代の奴等の為に……。だから……』
敵の中距離ミサイルの射程圏に入ったことを告げるアラート音が増える。そして、私の心を覆っ
ていた殻が崩れ、赤く燃え上がる真核が剥き出しになった。ただ生きる事を能とする、私の本能が。
生きたい。
願いが一つに集約した。私の心は、私の友を排除した。それは生命の美点であり、人としての汚
点だった。私は……。
『ペッピー、行け!』
ジェームズの一言に駆り立てられたかのように、私のアーウィンはVmaxスイッチをオンにさ
せGリミッタから解き放たれ一条の流星となった。私がスイッチを押したのか、それともジェーム
ズが耐えかねて私のアーウィンに侵入し、スイッチを切ったのか分からなかった。
私は無意識に生を選択し、彼は死に挑んだ。いや、彼は出会ってから常に死と隣り合わせだった。
擬似戦場では何時も最前線に立ち、侮辱罪や不敬罪を恐れず上官に歯向った。彼はそういった死の
連続に身を置いていた。そしてそれは、生に強いという事の裏返しとなった。
友は自らの死を選ぶことによって、その後の生を確保した。もし彼が生きたなら、その後如何転
んでも全体の死が待ち受けていであろう。彼は大団円の予定調和を選ぶ為―生に執着する為死にに
行った。
彼は何時も死を考えていたのだろう。だからあんなに強かったのだ。彼にとってもしかすると、
これは考え抜かれた上での選択ではなかったのだろうか。私が先程まで考えていた生に対する諦め
ではない、むしろ彼は死を望んだのだ。
しかしそれは私の生きたいと思う気持ちと同調し、自分勝手な結論だとも思った。人の死によっ
て自分の生を正当化しているのではないかと私の或る気持ちは自分に疑心暗鬼の念を抱かせた。
何を考えているんだ、ジェームズ。
それに答える声はもう遠く離れて聞こえない。もし聞こえたとしても彼はきっと答えてくれない
だろう。
あのむすっとした仏頂面で、無言で私を見つめるのだ。
ジェームズ、どうしたら、どうしたらよかったんだ……。
大Gによって薄れていく意識の下、私はそんな事を考えていた。
あれから全てが変わったのに
二人の匂いはもうないのに ああ なのに
始めその振動に気付いた時、私はがたが来た電車に乗っているのかと思った。
しかしせわしない足音と引っ張られたときの下腹に血が溜まったような気分から来る吐き気で、
私は担架に載せられ運ばれていることを知った。私は仰向けになっていた。顔の上に何か乗せられ
て。目が開けられない。温かい。湿ったタオルのようだ。
私はまだアーウィンのキャノピーの下に居るような気がした。そうでありたかった。医療班か誰
かに運ばれ、何処かに運ばれていくことで、私はジェームズと遥かな距離を感じた。
ジェームズの生死は定かでなく、私は彼の死を切望していた。しかし私の中でジェームズは死ん
だ。戦略的撤退が敗北を表すように、彼はあそこを死に場に選んだ。
しかし死ぬのは早過ぎる、ジェームズ!
タオルを通して、蛍光灯の明かりがぼやけて目に付き刺さる。宇宙空間の暗い世界から一転し、
その光は私があの戦闘で犯した行状を照らし出した。私は戦場で、ジェームズを置き去りにした!
例え武装が貧弱だったとはいえ、彼を見捨てたと言う事実は私の心を抉った。
涙はタオルに吸い取られ、光は涙に滲むことなく私を襲う。とめどなく溢れる涙で私は咎を求め
ていたが、それで罪は購われないだろう。
そしてそんな私を、彼が暴いたのだ。
ジェームズはよく息子の話をした。フォックスという、士官学校に通っている彼の子は幼くして
母親を亡くし、その寂しさをジェームズは何時も気遣い何かと理由を作って学校へ会いに行ってい
た。ジェームズはよく息子のことを話題に出し、その話をするときだけジェームズの顔は嬉々とし
ていた。
私はフォックスに一度だけ会った事がある。ジェームズと重なったオフの日に、私とビビアンは
彼等二人を夕食に招き入れたのだ。フォックスはまだ小学生だった。二人はよく似ていた。私はジ
ェームズの子供時代を知らないが、恐らくこんな感じであったのだろうと私はフォックスの小さな
身体にジェームズを重ねた。
フォックスはもう声変わりを終えているだろう。フォックスの声を私は分かるかなと何時だった
かジェームズに呟いたが、私はその声を聞いた瞬間、すぐに彼だという事が分かった。
フォックス……。
「……さん!……さん!」
呻き声に似た叫びが私の耳に入ってくる。「やめろ!ここは一般人立ち入り禁止だ!」という声
に踏み止まることなく、声の主―フォックスは私の元に駆け寄ってくる。フォックスの足音は私の
心を揺らし、私はただその時が来るのをじっと待つしかなかった。
違う。私は……私は……!
「父さん!父さん!」
声はどんどん大きく、クリアになって近付いて来る。私は……!
「父さん!父さん!」
私は……君の……!
「父さん!」
君の父さんじゃない!
フォックスはもう私の真上に来ていた。フォックスは大きく私を揺らした。私の胸は圧迫される
ような痛みに襲われ、それは私が私自身に科した罪の代償だった。私は運命を呪った。そして自分
も呪った。
どうして、私が死ななかったんだ……。
「父さんッ!」
フォックスは顔に被せられたタオルを剥ぎ取った。私は眼前に曝され、私とフォックスは即座に
目が合った。
「……父さん」
父に向けられる筈だった言葉が吐き出せず、行き場を失いそれは切ない表情として顔に溜まった。
フォックスの眉間に皺が寄ってくる。瞳を潤ませ、フォックスは立ち尽くした。私はそんな彼から
目を逸らす事が出来ず、ただ呆然と彼が感情を失っていくのを見つめるしかなかった。
フォックス……。
「父さぁぁぁん!」
言葉と言うより悲鳴に近かった。フォックスは何者かの手に引き摺られ、私の視界から一気に消
えた。私は彼が泣き叫ぶのを聞きながら、静かに泣いた。
私は取り返しのつかないことをしてしまった……。
ジェームズが墓地に埋葬された日の夜、私はフォックスとステーキハウスに入った。
急激なGの加圧による酸欠症状が私に与えられた病名で、私はVmaxという極限状況の下奇跡
的にも軽症で済んでいた。
私はその日のうちに病院を退院し、喪主となりジェームズの葬式を開くことになった。それがジ
ェームズの遺書に書かれた遺言だったからだった。
グレードフォックス号に残されていた彼の遺書をフォックスに手渡す為、私は市街から離れた所
にあるレストラン―都市の喧騒を逃れるためよくジェームズと行った所だった―に入った。
フォックスは遺書を受け取ると目を凝らしゆっくりと読み始めた。涙は見せず、一言一句じっく
りと咀嚼し、自分の身の糧にしていた。フォックスはその僅かなジェームズの欠片を自分のものに
しようと必死にもがいていた。私はそんな彼をじっと見つめていた。
彼は本当に父と似ていた。思春期の青臭さが無い、成熟した成人の持つ凛とした相貌は、士官候
補生時代、同期の桜で一二を争う美貌の持ち主と謳われたジェームズの顔立ちとそっくりだった。
私はその時、フォックスをフォックスとではなくジェームズと話している気がして仕方がなかった。
フォックスは半時間かけ遺書を読み終わると、そっと机の上に遺書を置き目を真っ直ぐこちらに
向けた。話を切り出すとき、ジェームズは何時もこの表情を見せた。そしてきっと彼も―
「父が残したものは、これだけですか……?」
彼はそう私に問いかけ、自分宛に書かれた遺書の内容を喋り出した。自分を信じ、自分が行きた
いと思う道を真っ直ぐに歩めと言う要旨の遺書だったという。そう喋り終わると彼は目を細め、私
を見据えた。その表情は他に何か無いのかと問い詰める為に私に対し凄んでいるのではなく、少し
でも自分の指針になるようなものが欲しいと言う願望の現れだった。
私宛の遺書にも、フォックスについて同じ事が書かれていた。しかし、その後に一文こう記され
ていた。
―できるなら、息子を、私と同じ道に歩ませたくない。
―息子に、こんな泥まみれな人生を歩ませたくない。
―息子はきっと、私と同じ結末を迎えるだろうから……。
あの時、彼は通信を切りただ私に戦闘データだけを送り込んできた。だから彼の辞世の言葉を私
は知らない。死の直後、彼はどんな言葉をこの世に残したか。それはきっとこの一文だろう。私は
はっきりとそう断言することが出来る。
この一文は、彼がこの世に残した断末魔の叫びだ。
しかし私は、この事をフォックスに告げられずに居た。若い彼にある無限の可能性―希望が、将
来を結してしまった私にジェームズの遺言を告げるのを押し留めさせていた。私には出来ない事が、
彼には出来る。ジェームズが私宛とフォックス宛に遺書を書き分けたように、私の心は二つに分た
れた。
二人の間に沈黙が流れた。フォックスはそれをどう受け取ったのだろうか、再び彼は口を開いた。
「近々、アーウィンの新型機が試験飛行に入ります」
武器開発部門に居る友からそう聞きましたと事のあらましを説明し、フォックスは話を進める。
「『アーウィン―F』。父が搭乗していた『アーウィン―R』―偵察用ではなく、生粋の次世代戦
闘機としてロールアウトするそうです。お気付きかと思いますが、当然『F』の設計には父さん
や貴方の『R』のデータが鋳型になっています」
そこまで言われて私が次の言葉が何か気付かない訳が無かった。私の喉がごくりと鳴った。
「俺は、それに乗ります」
瞬間、私の目は彼の眼窩に釘付けになった。強い既視感。あの時、ジェームズが私に軍を脱退す
ると告げた時のジェームズの目だった。
深淵な黒一色の目玉の奥底に光る底知れない輝き。意思というものの原点とも言えるその輝きに、
私は吸い込まれていった。
「『アーウィン』は父さんが作り上げた機体だ。それを使うのは、俺が一番適任者でしょう。俺は
アーウィンに乗って、必ずアンドルフを倒してみせます……!」
私が出会ってきた人の中で、アンドルフを倒すと明言したものは一人しか居なかった。将軍達が
吐く上滑りな打倒宣言でなく、真に「倒す」と言った人間は、勿論ジェームズであり、そして―
フォックス、君が二人目だ。
私はどう彼に言っていいか分からなかった。「私は―」と取り合えず呟いた言葉が宙を彷徨って
いた。私の中で、ジェームズの叫びとフォックスの訴えが鬩ぎ遭っていた。私は……。
「私は―」
……ジェームズ。
君には云えなかった 言葉があるんだ
できるなら できるなら 時が戻るなら
一度だけ 一度だけ きみに云いたかった
頂へと至る道を登り終え、陽光降り注ぐその地に私は足を踏み入れた。
綺麗に狩り揃えられた芝がさわさわと揺れ、温かい風構えから後ろへと頬をなぞった。和やかな
空間だった。死者に安らぎを与える、神聖で静かな草莽の場だった。
風は突然止んで、沈黙が訪れる。陽光は尚も地に射し、丘の中央に建立された墓標を柔らかく照
らした。真新しい大理石に彫られた文字は、此処からでも読み取ることができる。
これが君の墓だよ、ジェームズ・マクラウド。
ジェームズの遺体は発見されず、埋められた棺は彼の遺品以外がらんどうとしていた。そんなか
らっぽの墓の前で、先客が一人跪いて祈りを捧げていた。頭を深く項垂れ、墓参者は墓石に対し懺
悔をしているような格好で死者に安らぎを求めていた。少し時が流れ、再び風が吹き出した。余り
に長い彼の沈黙に、私は思わず声をかけた。
「お別れは済んだかい?フォックス」
彼―フォックスは顔を上げ、こちらを向いた。限りなく無表情な面持で、彼は頷く。どこか恍惚
とした眼差しは、彼が満足したという表れだった。
フォックスは立ち上がり場所を譲った。私は墓石の前に立ち、背を屈め花を置いた。そして、墓
石の頂に額を乗せる。冷たい大理石の感触が、全身に走った。風で叢がざわめいた。
私は君の息子を戦場に行かせてしまった。それは君の望みでなく、息子の望みであり、私の望み
だ。私は君の無念さが分かる。だからそれを挫いてしまった償いを、せめての償いを君の息子に科
してしまった。ジェームズ、どうか、どうか私の身勝手を許してくれ。
許してくれ、友よ。
きみなき世界 End
*本編に挿入されたエピグラムは松任谷由美作「きみなき世界」から引用したものです。
ブラウザを閉じてお戻りください