鳥羽の火祭り

鳥羽の火祭りとは

概要

第51代平城天皇の大同年間に創建された神明社で、毎年旧暦1月7日(現在は2月第2日曜日)に行われる特殊神事「火祭り」は、天下の奇祭として有名です。

祭りの起源は、由緒記録等焼失のため不詳であるが、約1200年前と伝えられ、国の重要無形民俗文化財に指定されております。正式には「鳥羽大篝火」と呼ばれております。

「神木」を茅で包み、それを青竹60本でまわりを囲み藤で巻き上げ、根元に1年を表わす「十二縄」を巻いた高さ16尺(約5メートル)の「すずみ」と呼ばれる大松明を二基、境内に設置します。

神明社の西にある宮西川を境に地区を東西に分け、西を「福地(ふくじ)」、東を「乾地(かんじ)」と呼び、25歳の厄男である「神男(しんおとこ)」を1名ずつ選びます。燃えさかる「すずみ」の中に飛び込み、神木と十二縄を競って取り出し神前に供えます。その結果によって、その年の天候と豊凶や作物の出来具合を占う神事であります。言い伝えによれば、「福地」が勝てば山間部に豊作が恵まれ一般に雨も多く、「乾地」が勝てば干天が続いたり異変が起こると伝えられる。

神男は火祭り前の3日間、神社に籠り斎戒木浴をして身を清めます。火祭りの当日は、午後3時より、神男と奉仕者たちはお祓いをうけて海での「みそぎ」に出発し、裸で海に入り身を清めます。

午後7時半より拝殿にて神事の後、2人の神男は「すずみ」の上部に火打ち石により点火されたゆすり棒で同時に点火します。「すずみ」は、あっという間に燃え上がり、天空を真っ赤に染めます。そして古い幟(のぼり)で作った胴着と頭巾で身を包んだ奉仕者(通称「ネコ」)たちが頭から水をかぶり、「すずみ」の中に飛び込み、神木と十二縄を競って取り出し御神前に供えます。

燃え残った竹で箸を作り、それで食事をすると歯の病にかからないと伝えられており、燃え残りを持ち帰ることもできます。前年の竹で作った箸は、当社にて「ご神火ばし」として授与しております。

「三州鳥羽の火祭り 」 斎藤吾朗 画伯奉納
「鳥羽の火祭り 」 佐野クミ子 画伯奉納

行事次第

(1)準備

火祭り行事の準備は、大松明二基を作るための材料集めから始まる。大松明は「すずみ」と呼ばれ、大量の茅を必要とするので、地区の氏子は各戸に一荷ずつ、茅を納めます。

  • 神木として、「すずみ」の中に入れるトチの木
  • ゆすり棒として、長さ4〜5メートルの黒松2本
    (常年は14尺=4.25メートル、うるう年は15尺=4.55メートル)
  • 外側を包む青竹各60本(二基で120本)
    (うるう年は一基につき61本、二基で122本)
  • 藤づる太細合わせ軽トラック一杯分程度
  • その他、払い棒、縄など
  • 茅以外の材料は、神男と宮係・保存会で準備します。

(2)「すずみ」作り

「すずみ」作りは火祭りの前日、地区の氏子各戸に一人ずつ男性が参加して行われます。

先ず60本の青竹を扇状に並べ、数ヶ所を縄で編み簀の子状にし、その上に茅を敷き、神木を置く。さらに茅をのせて、編んだ青竹で簀巻状にしてロープで締め、藤づるで二ヶ所を固定する。上の方を「一の藤」、下を「二の藤」と言い、すずみが燃えるときの合図のめどとなる。すずみの形ができると、根元には一年の月数を表す「十二縄」を、また上部には形を整えるための「飾り茅」がつけられます。

二基の「すずみ」が出来上がると、いずれが福地、乾地のすずみかを決めるため、縄をつかった「くじ引き」を行います。

最後に、一基2トンもあるすずみの下に太い丸太を5〜6本通し、境内中央に掘られた二つの穴まで約20メートルの距離を氏子100〜150人で運びます。二基のすずみが並んで立てられると、梯子や丸太で固定し、すずみ作りは完了します。

そのほかの道具作りも同時進行で行われます。

ゆすり棒
長さ4〜5メートルの松の木の棒。すずみに突き刺してゆさぶるため、先端を鋭く尖らせてある。
払い棒
桜などの枝を箒のように束ねたもので、火の粉を払う時に使います。
アテ棒
アテというのはモチの木で、火を消す時に使います。

(3)禊(みそぎ)

午後3時から、神男を中心に100名くらいの奉仕者が、鉢巻・白足袋・腹に晒を身につけ、お祓いをうけます。
福地(西)の神男が御幣を持ち、隊列を組んで、約1キロ離れた鳥羽海岸へ出発します。隊列は海岸に着くと、海水が首を浸すあたりまで走って行きます。御幣は海の中へ洗い落とし、海中から上がって海岸の焚火で体を温めます。乾地(東)の神男が御幣(竹のみになった)を持ち、隊列を組んで神社に戻ります。

(4)火祭り

午後7時30分から、火祭りの神事が始まります。神男・奉仕者たちは、古い幟で作った独特の衣装を身に着けています。一見、白と黒のまだらに見えますが、黒いのは幟の文字です。それは魔除けの意味を持つとも伝えられます。
乾地・福地の神男2人、添棒2人(前年の神男)、奉仕者(神男の補助をする者、乾地・福地各15名)、水かけの者、払い棒で落ちた火を払い除ける者、火打ち石で火をつける者、合図の太鼓を打つ者、清めの塩をまく者、その他警護者等で100名近くになります。神男たちは、拝殿でお祓いを受け、玉串を奉り拝礼する。その後、拝殿脇の祠の前でご祈祷の後、奉仕者たちを塩で清めます。

清めの儀式が終わると、拍子木が打たれ厳かな雰囲気の中、高提灯を先頭に、宮司・火打ち・塩まき・神男2人・添棒2人・アテ棒2人・払い棒2人・福地と乾地の奉仕者12名ずつ・その他奉仕者約数十人が「すずみ」の前まで整列して進みます。「すずみ」のお祓いに続き、神男達を塩で清めます。

火打石で火をおこし、二人の神男・添棒2人と奉仕者数名にて、「ゆすり棒」のの先端にくくりつけた藁にその火を移し、両者同時に「すずみ」の上部に点火します。

火が「一の藤」まで燃え移る頃(2割位燃えたところ)、「一の棒」を入れる太鼓の合図があります。神男たちは「すずみ」に「ゆすり棒」を突き刺して揺さぶります。奉仕者たちも梯子や丸太を伝い、またよじ登って「すずみ」をゆすったり、燃える茅をかき出すようにして下へ落とします。「すずみ」につかまって全身でゆする奉仕者たちの姿や頭巾の形が猫に似ているところから、地元では「ネコ」の通称で呼ばれています。「ネコ」は火に包まれないよう、水をかけてもらいます。火の中ではとても長く居られず、猫のように「すずみ」から飛び降ります。

そんなことを何度となく繰り返して半分くらい燃えた頃、「二の棒」の合図の太鼓が鳴ります。神男たちは「ゆすり棒」を抱えて「すずみ」につき立て揺さぶります。火の粉が上がり、炎は神社の森を赤く照らします。

7割位燃えたところで、「三の棒」の合図の太鼓が鳴ります。奉仕者たちは茅をかき出して、「神木」を抜き出そうとしますが、「神木」は一本の棒ではなく、枝が数ヶ所に出て曲がっています。しかも、燃え残っている青竹が邪魔になり、「神木」は思うように出てきません。奉仕者たちは必死で「神木」を取り出し、拝殿前に供えます。さらに、火が煙に変わってたちこめる中で、「十二縄」を取り出し、神前に納めます。こうして、両方の「神木」・「十二縄」も無事に神前に納められ、神前に火祭りが無事終了したことを奉告し、神事は終了します。

祭りは、「すずみ」の燃え具合によって、一年の天候や豊凶を占うものです。煙が多ければ、その年は雨が多く、竹の爆ぜる音が激しければ、雷が多いといわれ、また「福地」が勝つと豊作であるといわれている。天候を占う目安として、「一の棒」が入った時が6月頃、「二の棒」が入った時が9月頃、「三の棒」が入った時が12月頃とされています。燃え残りの竹で箸を作れば、歯の病にかからず、また、これを養蚕に用いれば豊作になるなどの言い伝えがあります。