ネタコラム


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“大家 貴君の日誌” “記憶という名の札合わせ”
“求められた白いカラス” “借り物のチカラ”
“切りんぐタイム” “過去と未来の記憶”

“大家 貴君の日誌” 09.2/15 メニューへ
XXXX−06−24
くそっ!くそっ!
課長のヤツ、毎日、毎日、何の役に立つかもわかんねぇ検査ばかりさせやがって!
オレはこんなことをするためにこの会社に入ったんじゃねぇ!

XXXX−06−27
今日、課長があまりに理不尽なことをいいやがって
むかついて口論になっちまったもんだから
前から用意しといた辞表を机に叩きつけてやった!
オレは歯車じゃねぇってんだ!せいせいしたぜ!

XXXX−07−05
今日、保険やらなんやかんやの手続きを済ませてきた。
これで晴れて自由の身だぜ!
貯金も少しはあるし、仕事の時作ったツテもあるから
パーツ屋でもやってみるか!
うぉ〜、燃えてきたぜ!

XXXX−07−10
運よく駅裏の空き店舗を格安で借りれた。
資材揃えるのには貯金じゃ足りなかったもんで、
結構借金抱えちまったが、ここが今日からオレの城だ!
 店の準備をしていたら、近くのバーの娘が微笑みかけてきた。
マジ可愛くてやる気が出てきたぜ!!

XXXX−07−20
やっぱり上司がいないってのは気が楽でいいやね!
毎日楽しくてたまんないぜ!
けど、場所が駅裏なせいか、時々怖いオッサンが
脅かしに来るのだけが難点だな。
ま、そんときゃ、いっつも適当に言い訳して逃げちまうんだけどさ。

XXXX−09−21
くっそ!全然儲からねぇ!!
色んなとこに売り込みに行ってるんだが、交通費の損だぜ、こりゃ。
どっかででっかい取引先見つけないとジリ貧だぞ、マジで。

XXXX−10−10
先日売り込みをしている時に知り合った取引先の担当者から
大規模受注の案件があるって連絡があった!やったぜ!
ただ取引口座を開設するために○百万必要なんだそうな。
まぁ、オレの店みたいな個人店じゃ信用ないから、そういうこともあるか。
結構キツいが、色々あたって工面してみるぜ!

XXXX−10−24
何とか金の工面が出来たから、指定口座に振り込んだ。
これで、ようやく口座が作ってもらえる!
担当者のオッサンが電話口で、オレの仕事の速さにびっくりしてやがった!
大規模受注に備えて資材も購入したし、
これからいけいけドンドンだぜ!

XXXX−11−07
・・・おい、どういうことだよ?
担当者と連絡つかねぇし、取引先に連絡したら、
口座の話なんか聞いてねぇっていいやがる。
一体、どうなっちまってるんだ、えぇっ!?

XXXX−11−23
昨日からドアをガンガン叩く音が五月蝿くて眠れやしねぇ。
オレ、どうなっちまうんだろうな・・・。
やっぱりオレには一国一城の主は無理だったってことかよ・・・
ちくしょう!ちくしょう!ちくしょう!!!

XXXX−12−24
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 いきなりのデンパ文で申し訳ないが、
コレはある子供向け番組で大ヒットとなったタイヤキの歌を、およそ十年前に懐メロ番組で聴いていた時に 私がした解釈を、改めてブログ調で表現したものである。
その歌が作られた当時、脱サラ等が流行っていたと思われるので、多分この解釈は それほど的外れでもないのではないかと思っている。
事実その歌の最後は、せっかく自由を得たタイヤキが食べられてしまうというとても悲劇的な結末だ。
もしブログ調にするのならば、こんな感じの「かゆうま」オチになるだろう。
 だが、最近、改めてその歌を聴いた時に、最後の解釈に違和感を覚えたのである。
それはタイヤキが食べられることが、そもそも悲劇的なのだろうか?ということである。
本来、タイヤキは食べられるためのものではなかっただろうか?
それが食べられること、しかも美味そうに食べられることが悲劇だとしたら、
アンパンマソなどオチオチ顔を食べさせることすらできなくなってしまうだろう。
つまりその歌の最後は、食べられるという役目を一度は放棄したけれども、ふとしたきっかけで結局その役目を全うすることになった・・・ バッドエンドではなく、かといってハッピーエンドでもない、強いていうならばノーマルエンドと解釈した方が自然なのかもしれない。
・・・この解釈でいくと、先のネタブログは

XXXX−10−10
今日、転職展に行って、面白そうな会社の説明を受けた。
向こうの担当者も結構ノリ気で、追って面接の日時を連絡するって言ってた。
また歯車に逆戻りかもしれないが、それもいいか。
オレにゃあ、やっぱりそっちのがお似合いなのかもしんないな。


・・・こんな感じだろうか?
つまり鉄板の上で焼かれる機会さえないタイヤキの方が
よっほど悲劇的なのではないかと、このご時勢の中思うのである。

“記憶という名の札合わせ” 09.4/5 ネタ一覧へ
 桜吹雪舞う春。
この時期、入学、入社などで新たな出逢いを経る中、アナタの神経をすり減らすものがないだろうか?
それは『人の名前もしくは顔』とその『プロフィール』を一致させる作業である。
要するに新たに出会った人の個体識別というものは案外負担になるのでは?ということだが、 サークルなどの飲み会の時、相手の出身地や血液型、趣味などに関する話題を振る事が コミュニケーションの円滑化に繋がることもあり、その行為をおざなりにするのはオススメできない。
「君って○○好きだったよね?」
と話題を振っておいて違った時の気まずさは筆舌に尽くし難いものなのだから。

何のこっちゃ?という感じなので、私のつい最近の具体例を挙げてみよう。
・・・別に新たな出逢いとかじゃないじゃん、というツッコミはスルーする方向で。
 4/4の広島・巨人戦を見ていた時に、代打で『喜田』が出ていた。
その名前は私の記憶巣を刺激し、 「ロッテで二試合連続サヨナラ安打を放った男だ!いつの間に広島に?」と過去のエピソードを引っ張り出しながらの感想をもたらした。
だが、実はそのエピソードの対象は『喜多』であり、既に引退していたのである。
ちなみに『喜田』の方は阪神からの移籍であり、ロッテに在籍していたことはない。
つまり私は『喜だ』という名前の響きを基に脳内から引っ張り出したが故に混同してしまったのである。
これを混同せずにしっかり引き出すためには脳内の情報整理をしっかりしなくてはならないだろう。
 さて、この名前・顔からその個人の情報を思い出そうという神経を使う作業は、何かに似ていないだろうか?
そう、『神経衰弱』である。
脳内に広げられた記憶のカードの裏面に視線を這わせながら、その中の一枚をめくる。
その一枚と一致するカテゴリーがどこにあるのか、勘と記憶を頼りに目星をつけて、さらにめくる。
間違うこともあるさ、だけど僕らはくじけない、正しいカードがひけるまで。
人の個体識別とは、このようにまさに神経衰弱といえるだろう、神経を使うだけに・・・。
うそ、『百人一首』である。
つまり『人の名前もしくは顔』が上の句、『プロフィール』が下の句というわけである。
基本的に上の句が読み上げられた状態で下の句の札を取らなくてはいけないので、上下の句をしっかり記憶していないと下の句を探すことすらできない。
中途半端に記憶していると、上の句から推測される似たような別の下の句を取ってしまい、お手つきとなってしまう。
(例として、『わがころも〜』で始まる下の句は複数あるのでよく混同される)
まぁ、一応待っていれば下の句を読んでくれるので、後は単なるカルタになるのだが・・・それでは上中級者相手では一枚も取れないだろう。
人間同士に当てはめると、飲み会等で同席した相手に対して、そのプロフィールが思い出せないまま微妙な時が流れた後、相手に
「えっと、すみません。どなたでしたっけ?」
と言ってしまう、もしくは相手に
「二年の○○だけど。俺□□が好きなんだけど、君はどう?」
みたいなことを言わせてしまうようなものである、コミュニケーション的には敗北しているといって過言ではない。
(もっとも後者のような『待ちガイル』戦法をとる新入生って、シャイボーイ&ガールが多いところだと結構多い気がしないでもないけど)

 先の私の例のような野球選手名とそのプロフィール、また俳優や声優の関連作品、イラストレーターとその絵柄のようなものは、 ネットが発達した現在、上の句と下の句を関連づけて記憶していなくても、上の句を検索すれば大体、下の句を引き出すことができる。
勿論、それでも一定量のメディア・リテラシーは求められるわけではあるが、以前と比較して遥かに下の句の記憶に費やす労力が軽減しているといってよいだろう。
しかし、人間関係においては未だに上の句から正しい下の句を選択できる能力が重要なのである。
これを読んでいるアナタがこの春、新しい出逢いの機会を得るのであれば、できるだけ多くの札が取れると良いですね。
・・・私が年々その能力の低下を感じなくもないのは、年のせいか、検索に頼って能力の練磨が足らなくなったのか、 どちらなのかと思ったり思わなかったり。

“求められた白いカラス” 09.4/26 ネタ一覧へ
「カラスは黒いという命題を覆すには、
何千何万何億の中にたった一羽、白い翼のものがいればよい!」


本来これは「ヘンペルのカラス」でググると分かった気になれるかもしれない対偶論法による思考実験の落とし穴みたいな話 (『カラスは黒い』を証明するには『黒くないものはカラスでない』を証明すればよい。 その証明には、この世にある黒くないものを全て 調べて、その中にカラスが含まれないことを確認できればよい)
であるが、ここではあくまで『覚悟のス○メ』で散様が仰った先の台詞に基づいた話をしようと思う。
 これは、人間に絶望した散様が弟・覚悟という黒いカラス=人間の中の白いカラスの存在によって、 人間に再び希望を見出す、というような流れで紡ぎだされた名台詞である。
社会心理学的にいえば、黒いと決め付けていたカラスの中にそれを覆す白いカラスを見出すことで、 “トリニティ・バランス”の逆転が起こったということだろう。
 人はとかく他者をカテゴライズしたがるので、このように悪印象を持っていたカテゴリー内に その悪印象を覆す一事例を見出した時に、そのカテゴリー自体の評価を見直すことができる人は幸せである。
心、豊かであろうから。
私達は黒いカラスの中に白いカラスを見出せる眼を持ちながらこの地上に生まれてきたにもかかわらず、 素直に見出すことの出来ない性を持たされたから。

それどころか悪い印象を持ちたい・持たせたいカテゴリーの中から、あえて目立つ存在をピックアップし、
『ほら、このカテゴリーにはこんなのがいるんだから、所詮この程度〜』
のように自分の持つ悪い印象をより強固にし、さらに他者へと主張する材料としがちではないだろうか?
例を挙げるとすれば、ゲーム嫌いの有識者(苦笑)が若年犯罪者が特定のゲームを持っていたことを強調して、
『ゲームをやる子供はこうなるあqwせdrftgyふじこ』 と断定するようなものである。
または嫌いなジャンルの自重できないファンを取り上げて、
『こんな信者がつくようじゃあqwせdrftgyふじこ』 と断定するようなものである。
 これはまさに
「カラスは黒いという命題を覆すには、
何千何万何億の中にたった一羽、白い翼のものがいればよい!」

というと白い翼のカラスの持つイメージ的になんかしっくりこないので、
「白鳥は白いというイメージを穢すためには、
何千何万何億の中にたった一羽、黒い翼のものがいればよい!」

といったところだろうか?
 そして、この黒い白鳥は白い白鳥の中では否が応にも目に付くのである。
白鳥を否定したい、否定させたい人にとっては格好の的になること請け合いな一品なのだ。
つまりアナタが色々なメディアで見せられている黒い白鳥は、実は極少数のサンプルを切り出した・・・場合によっては予め用意されたものなのかもしれない、ということだ。
・・・だが、黒い白鳥が用意されたものであるとすれば、その対偶?としてもう一つの恐ろしい事実の証明にもならないだろうか?
つまり・・・
「カラスは黒いというイメージも、
またそれを覆すための白いカラスも、予め用意されたもの」

なのではないだろうか?
・・・人、それを『マッチポンプ』という!

“借り物のチカラ” 09.6/6 ネタ一覧へ
ギリギリまでふんばって、ギリギリまで頑張って、どうにもこうにもならないけれど、
明日までに宿題・課題・仕事を完成させねばならぬ時、誰かがやらねばならぬ時、
アナタならどうする?君ならどうする?

今回の話はそんな時に使われたりする栄養ドリンクのお話。

 ここにAさんという人がいる、いたとする、いるということを仮定する。
Aさんは今ある仕事以外に新しい仕事にも手を伸ばそうとしていた。
しかし、その新しい仕事をこなすためにはAさん自身の体力が充実していなくては到底無理。
だが、今から体力づくりをしていては新しい仕事で成果を上げるには間に合わない。
そもそもAさんは今まで体力づくりなんてものに気を払ったことがないので、体力づくりの方法すらわからない。
さて、どうする?
そう思ったAさんの懐には今までの仕事で蓄えられた何枚もの札束が入っていた。
『そうだ!この金で栄養ドリンクを箱買いして、
ソレ飲んで乗り切ろう!』


果たして・・・栄養ドリンクのチカラで無理を可能としたAさんは新しい仕事でも成功を収めることができた。
それを知った同僚でありライバルでもあるBさん、Cさん、Dさんetc.も栄養ドリンクを箱買い、 皆、恒常的にそれを飲みながら仕事をし、基礎体力以上の頑張りをみせた。
全てが順調、そう思っていた、信じていた・・・。

 しかし、栄養ドリンク頼りの仕事を進めていた彼らに突然の悲劇が襲った!
取引先の不振がバタフライ効果的に影響して、栄養ドリンクを買い貯める資金がなくなってしまったのである。
『体が資本。資本が体』の彼らにとって、栄養ドリンクを買うために体を壊しては本末転倒。
Aさんは、Bさんが残っていた栄養ドリンクも全て返品したと聞いて、自分もそれに倣った。
『元々、体一つやったんや!
栄養ドリンクなんて最初ッからいらんかったんや!』

だが、第二の悲劇はその直後からジワリジワリとAさんの体を蝕みはじめた・・・。
栄養ドリンクに頼り、基礎体力作りを怠ったAさんの体には以前の仕事をするだけの体力すら残っていなかった。
加えて、栄養ドリンクを使わなくなった反動で虚脱感に見舞われ、心身共にボロボロになってしまった。
今はただ体力が保つ間に、状況が好転することを祈りつつ無い体力を振り絞っている。

さて、状況が好転し、お金に余裕ができた時、
Aさんは再び栄養ドリンクの力を借りるのだろうか?
・・・そしてその判断を、返品された栄養ドリンクの箱は
ただ待つしかないのだろうか?

“切りんぐタイム” 09.6/27 ネタ一覧へ
「桜切る馬鹿 梅切らぬ馬鹿 同じ切るなら計らにゃソンソン」

何か色々混ざってる感バリバリな気がしないでもないが、
この言葉は別に『桜は放置しておいてよい』という意味ではない。
桜にしろ梅にしろ、適度に枝を剪定することは人間にとっての観賞木として必要なことなのである。
それはなぜかというと、桜の木の下にあるエネルギー源(死体)が有限なため、 綺麗な花を咲かせるためには余計な木の枝を剪定して、その限りあるエネルギーをより効率よく利用してもらうためである。
・・・微妙に何か間違っているが、それは放置しておいて。
さて、ここで疑問に思うことはないだろうか?
それは『木の枝を切る=綺麗な花を咲かせる=元気にさせる』というのが理屈に適っていない、
つまり『木の枝を切る=元気がなくなる』の方が自然なのではないか?ということだ。

結論からいうと、どちらも正解である。
要するに、木の枝の剪定には目的に応じたタイミングがあるということなのだ。
そのタイミングとは樹種によりバラつきがあるが、
樹勢を取り戻したい場合は秋、 衰退させたい場合は冬〜春と言われている。
さて、これはどういう理屈だろうか?
まず『樹勢を取り戻したい場合は秋』
植物が活発に活動し、エネルギーを作り出すのは春〜夏。
秋の時点では既にその年の稼ぎは幹・根等に蓄積されているので、
枝を切り落とすことは次の春にその蓄えたエネルギーを残った枝に集中させることに繋がる。
商売に喩えるならば、新規事業を複数興した場合、ある程度の資金回収が叶った後で、
結果を出せなかった事業を打ち切り、成長の望めそうな事業にその分の資金を投入した方が、
企業としての体力はアップする、というような感じである。

次に『樹勢を衰退させたい場合は冬〜春』
植物が蓄積されたエネルギーを消費して枝・葉・花に変換する準備をするのが冬〜春。
この時点で枝を切り落とすことは、そのエネルギーを無駄に消費させることに繋がる。
商売に喩えるなら、新規事業を興そうと土地を買収、店舗を建設した後
すぐにその事業から撤退せざるをえなくなり、投資が空振りして企業体力が減衰する、という感じである。
 またはゲーム開発と規制に喩えると、
企画立ち上げ時に新規制が可決した場合はその規制に抵触しないように企画の練り直し等ができるが、
開発が終了、後は発売を待つばかりというタイミングで新規制が可決した場合、
ソフトが発売できなければ開発工数、広告費その他諸々が回収できず、
また発売するために再修正等を行えば、余計な開発工数がかかることになり、
資金繰りが苦しくなる、といったところだろうか?
 このように『枝の剪定』にはその後の樹のビジョンと剪定のタイミングが合うことが重要である。
だが世の中において、『樹勢を取り戻すための剪定』が機能しているのをみることは少ない。
反面『樹勢を衰退させるための剪定』は比較的狙い通り機能している。
そして、今日も全ゲージを消費した超必殺技が
弱パンチで潰されたかのような喪失感を人々に与えているのである。

“過去と未来の記憶” 09.9/22 ネタ一覧へ
『刻が未来に進むと、誰が決めたんだ?』

 ある時、お絵かき掲示板を巡回していた時にお決まりのコメントに遭遇した。
A「ログに○○(ジャンル名)があったので便乗!」
だが、いつもと異なっていたのは、これに更にこういうレスがついていたのである。
B「ログって何ですか?というかログってどこにあるんですか?」
その質問に対して、Aさんは
「ログはあるよ。そこにあるよ」
とは答えず、その回答として、WIKIのデータログの項目内容を引用し、こう結んだ。
【ログはそのすべてが過去のものなので、語法としては「過去ログ」という言葉は正しくない】
ここで衝撃の事実が発覚しているのがお分かりだろうか?
要するに「過去ログ」という言葉は「後で後悔する」と同じような重複用法ということなのである!
Ω ΩΩ<ナンダッテー

だが「過去ログ」という言葉、妙にしっくりこないだろうか?
【語法としては、正しくない】にも関わらず・・・。
そうか、逆に考えるんだ!
【語法としては、正しくない】だけであって、感覚的には正しい・・・。
つまり 【ログはすべて過去のもの】という定義そのものが、感覚的には正しくないということなのだ!
だが、【記憶(ログ)が全て過去のものとは限らない】という感覚は一体どこから来るのか?
心のずっと奥の方?DNAに刻まれた記憶?ループ毎にリセットされるはずの記憶の残滓?
そういうことではなく、わざわざ【過去】ログという言い回しを使っていることにそのヒントがあるのではなかろうか?
つまり!!
「過去ログがあるなら、未来ログも存在する!
未来ログとはアカシックレコード(アガスティアの葉)
に記された星の記憶のことなんだよっ!!
我々は無意識下にそれを知覚しながら、
認識できない性を持って生れ落ちた。
・・・だが、それを認識し、書き記した者がいたんだ!」


Ω ΩΩ<ナンダッテー

というお決まりのネタはおいておいて。
実際に【過去ログ】を感覚的に正しいものと認識させる、対比としての【未来ログ】は存在する。
例えば個人ブログで、誕生日等の記念日の0:00になった瞬間に該当の内容の記事が表示されるものを見たことがないだろうか?
これは投稿時間を指定した予約投稿を用いた仕掛けだが、この時の記事のログは公開されるまでの間、 投稿者以外にはその内容を認識できない「未来ログ」といえる存在なのだ。
つまりネット上には認識不可能な「未来ログ」が漂っているのであり、 認識できるログを「過去ログ」と呼称するのも感覚的に納得のできるものといえるのである。
 さて、では現実(リアル)においてはどうだろう?
もし「未来ログ」を予約投稿している存在がいるとしたら・・・
その「未来ログ」を人々は【神の預言】と呼ぶだろうか?
それとも【飛ばし記事】と呼ぶだろうか?

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