死者の家から

個人的体験

あらすじを紹介しても仕方がない(と投げ出すのもひどい話なのでここにリンクしておきます)。シベリアの監獄にて、囚人たちが時には淡々と時には激しく自分の運命を語る劇だ、と言い切ったほうがいい。形式上の主役はドストエフスキー本人に相当する貴族ですが、内容的にも音楽的にさしたる役割は与えられていません。あえていうならば、いつか日のあたることもあるという希望の象徴?。しかし劇中の象徴としては鷲のほうが圧倒的に存在感があるぞ・・・
原作はドストエフスキーの「死の家の記録」です。この原作(これも小説に分類するには妙な作品です)のうち、手ごろなエピソードをつまみ食いして、ついでにドラマティックになるような改変を加えたものです。
#勝手な想像ですが、ヤナーチェクを聞いてみたいな、
#と思いたった人のうち、先にドストエフスキーを読んでます、
#というのは珍しいような気がします。
実質の主役級といえるのは、ルカ(本名はフィルカだということになっているけれど、圧倒的存在感を示す第1幕での呼び名はルカだから私は常にルカと呼ぶ)=テノール、スクラトフ=テノール、シシコフ=バリトン、の3人です。その他も男ばっかり。それに対して、ズボン役のアリイエリアがかろうじて準主役級なのと、ほんのチョイ役の売春婦と、たった二人きりの女声、興行側としてはさぞやりにくいことでしょう。

うーむ、わが最愛のオペラの一つをお勧めしようというのに何をグチャグチャと書いておるのだ? 私のヤナーチェク体験のごく初期にめぐり合い、その後のヤナーチェク経験に決定的影響を与えたこのオペラに対して? 早い話が、他のどのオペラ聞いても「死者の家から」程凄くはないなぁ、から始まっちゃってるのです。

一番最初に聞いたヤナーチェクが、FMで流れていた「クロイツェルソナタ」、その次がサークルの同僚の弾いた「霧の中で」、多分その次にいきなりノイマン盤の「死者の家から」だったか、と思います。ついでに言うと、フィガロの結婚、コジファントゥッテに続いて3つめに購入したオペラでしたし、その時点ではコジの方には開眼してもいませんでした。

忘れもしません、大学3年の夏、思わぬ臨時収入に気が大きくなって、かっこいい題名とかっこいいジャケットのLP新譜2枚組5000円をポンと買ったことを(年がばれる)。その夜に封を切り、ざっと解説と対訳に目を通して、題名の謂れを初めて知って、そのかっこいいイメージはあらかた失せましたが、代わりに健全な(?)知的好奇心が沸いてきました。ダビング用カセットをセットして(LPを保全するため、当時では普通の習慣だったのですよ)、最初は対訳とのにらめっこはしないで聞き流してやろう、と床に入って第1幕をヘッドフォンで聞き出したのですが・・・

第1幕、聞けばわかっていただけると思うのです、とてつもない音楽です。導入曲のバイオリンソロに始まって(「シンフォニエッタ」を後で知った時には、この冒頭の未完成品、と思いました)、初めて出てくる声はステレオフォニックに降ってくる(ノイマン盤のみ)男声合唱、鞭打ちの場面、鷲の場面、スクラトフの場面、と山場が次々と続くのですが、最初に聞いたときはもうただただ硬直していたような。

そして、第1幕後半を占めるルカの告白! 何にたとえるべきか、言葉がありません。第1幕後半丸々使った巨大なクレシェンド、というと少し言い過ぎなのですが、オスティナートを多用してぐいぐいぐいぐい。導入冒頭音形(これ自体がオスティナートの性格)が迫力に悲しみの色を混ぜながら、オーケストラの響きはとてつもなく分厚くなっていき、その中を突き抜けてくるルカの叫び・・・これもノイマン盤でないとうまくいかない。この曲全体をオペラとして愛好しているというより、ノイマン盤での第1幕を劇的交響曲のように思って溺愛している私です。

第2幕、第3幕には第1幕ほどの凄さはない、と思っています。第2幕の聴き所はスクラトフの告白と劇中劇の場面でしょうが、第1幕に比べれば緊迫感に欠けます。第3幕の聴き所は後半のシシコフの告白ですが、これは地味なまま非常に長く、中々こちらが保ちません。

実は私、この第1幕への導入曲をピアノ連弾に編曲して披露した事があります。。。率直に言えば失敗でした。全くピアノ向きの音楽ではありません。頭の無い3連符が重なる所とか結構必死に練習したんですが、向いていないものは所詮駄目でした。
#その上に相棒(当時のかのじょ)が本番で数をまちがえるしぃ

日本盤が入手しにくい=日本語対訳が入手しにくくなっていますが、肝心な所は早口のチェコ語の一人語りなので対訳を目で追うのは非常に難しいです。対話なら切れ目が分かるのですが。その意味ではアバド盤は便利なのですが、演奏も演出もあまりお勧めではないのです。マッケラス盤かノイマン盤を買ったら、読まずに聴いてみるのと、聴かずに英語を読んで概要をつかむのをくりかえし試みていただくのがいいのでしょうか?。かくいう私はノイマン盤LPの対訳を持っているのですが。

版問題

ノイマン盤(LP)の解説の要約しか出来ませんが、

作曲家死後に初演された際には弟子他の手が色々入った楽譜が用いられて、暫くの間慣用譜としての地位を築いた。
ご多分に漏れず、原典に遡ろうという風潮が有力になったが、その中にも色々なレベルがあって、今の所クリティクカルエディションとして一番認められているのがマッケラスの校訂である。後期ロマン派風に近づいた慣用版では分厚い響きになるのに対し、原典版では室内楽的で精妙な響きになる。
ノイマンの録音はマッケラスより後だけれども、ノイマンは慣用版と原典版を比較して、原典版には未完成のトルソー(塑像)のようなところがあるように思われる、として、慣用版のオーケストレーションをかなり採用している。ただし慣用版が原典からかけ離れている幕切れのところ(慣用版に基づく実演であっても採用されないのが普通)は採用していない。

ということだそうです。私の耳で明確に分かるのは、何れも第1幕から

導入でのハープの有無(これは編曲試みなければ聞き落としていたかも)
鞭打ちの場面でのうめき声の有無とオーケストラのリズムの違い
スクラトフの踊り狂う面でのスクラトフの「ラララ」の打ち切りのタイミング
幕切れでの金管の絡み方

くらいなものです。これ以外でも随所に響きの厚みが違って聞こえますが、楽譜の違いか解釈の差かは私の耳ではよく分かりません。アバド盤は多分マッケラス盤と同じ原典版でしょう。これに対するノイマンの一部慣用版ということになります。

 

手持ちCD評

アバド盤(LD)
1992年ザルツブルク音楽祭ライブ、多分唯一の画面付き盤なので、貴重なはず、、、ですが、個人的には色々気に入りません。演出はノイマン盤で頭に描いてきたものと全然違いました。まず舞台が明るすぎる。司令官が(決して小男ではないのですが)貧弱なのにもがっかり−いかにもロシア人らしいでっぷり男を頭に描いていたので。スクラトフが半狂人であるとしても、もうちょっとリリックな狂人であって欲しかった。。。とはいえ第1幕以外は普通に画像有りを楽しめました。第2幕の劇中劇も見て初めて分かる所です。
音楽のことを言えば、まずアバドのテンポが速すぎます。そのせいもあってウィーンフィルが乱れている所が散見されます。合唱もプラハには完敗。そして一番残念なのがルカの告白に全然力が無いこと。
一番良い所は、第3幕のシシコフの告白です。地味な場面だけに対訳つきが便利ですし、なによりシシコフ役がいいです。声が良く通っているし、まじめそうな雰囲気も役柄に合っています。カーテンコールでも拍手が集中していますが、裏返せば他の主役級の声が通ってないのです。
私は定価7800円で買いましたが、その後4000円台で再販されたはずです。DVDはまだみたいですね。

 

 

マッケラス盤
1978年録音、多分一番定評を得ている演奏です。勿論悪くないです。よりまともなテンポで、ウィーンフィルのいいところが出ています。
合唱はもう一息、ドイツ語圏の人たちが外国語を一所懸命歌っている状態以上ではないようです。
ソロはチェコ人で揃えていて、準主役級は軒並みいい。知的なスクラトフも、「カーチャ」のクドリアシみたいに聞こえますが悪くない。シシコフもいいですが、画面つきのアバド盤のほうが楽に聴けます。なにより不満なのが第1幕後半のルカの声が早々に一杯一杯になって、導入音形が還って来るより遥か手前から伸びないままになってしまっているところですが、これでもアバド盤よりはずっとましです。あくまで、ルカの声いのち!でこの曲を聴いてきた者の思い込みと思ってください。
日本盤もありましたが、私の持っているのは Decca 430 375-2 です。

 

 

ノイマン盤
1979年録音、この第1幕が私のデフォルトになっているので、改めて書くのは難しいのです。録音のマジックもあるのでしょうか、あのルカはただものではありません。スクラトフはマッケラス盤と同一人物ですが、印象は大分異なります。勿論私はこちらの方が好き。合唱の迫力はチェコフィルの分厚いオケに良く似合います。その管弦楽、マッケラス盤に馴染んだ方には、鈍重に聞こえるかもしれませんが、こちらがデフォルトの私にとっては、聴くたびに巨大な壁画を仰ぎ見るがごとくの迫力に圧倒されます。以上もっぱら第1幕の感想であり、自然と第2、3幕の印象が薄くなるのは否めない所です。シシコフも悪くはないですがやはりアバド盤が便利。
日本盤は多分LPで出ただけで、CDでは Supraphon 10 2941-2 612 を求めることになると思います。

 

 

ブーレーズ盤(DVD)
アバド盤以来久々の映像、初のDVDです。約30年前にバイロイトの「指輪」で話題を呼んだのと同じブーレーズ指揮シェロー演出です。シェローの舞台は、アバド盤で私が問題点と感じたところを修正しているのだけど過修正になってしまった、と私には感じられます。あまりに明るすぎたアバド盤に対し、こちらはどんより暗い灰色のモノトーンで殺伐感が強いです。例えば壁はコンクリートではなくてレンガにしたら多少は人間味が出たのでは、とか思ってしまいます。アバド盤で無気力さが目立っていた囚人たちに精気があるのはいいのですが、戦闘意欲あり過ぎでこれまた殺伐感。勿論断然こちらが良いのですが、「何故自分はこんな因果な作品を、3つめに購入するオペラ全曲盤に選んだのだ?」という私だけの疑問が深まってしまいました。

ブーレーズは美人奏者の多い若いオケを地に足の着いたテンポで動かしていて、アバドよりずっといい。歌手ではルカもかなりいいですが、ノイマン盤には及ばないと感じてしまうのは、もうどうにもなりません。スクラトフは文句なし、シシコフは少し影が薄いかも。それよりアリイエリヤを軽い声のテノールに歌わせているのにびっくり。こちらの方が自然なのですが、事実上の紅一点を失うことでまた殺伐感を強めてもいます。

特典映像として「メイキング」が収録されています。スクラトフを半狂人にみせるため細かい一挙手一投足まで徹底させているところなど、興味深いものでした。シェローは「指輪」の頃の写真と比べると思い切り老けてしまっていますが、相手に合わせて仏独英の三ヶ国語を自在に操りながら演出を徹底させる気力は衰えを知らないようです。(08.03.23追記)

 

 

Zbavitel指揮ブルノ歌劇場
operashare#79718、ブルノ劇場の1999年の上演のTV放送録画です。
ノイマン盤を思い出させてくれる映像でした。上記「版問題」のところで書いた、ノイマンが採用した一部慣用版で私には耳になじみのある音がします(スクラトフのラララだけは微妙に違います・・入りの合唱がステレオフォニックでないのも少々残念です)。歌手では、スクラトフは文句なし、シシコフは影が薄いかも、というとブーレーズ盤と同文なのですが、スクラトフはこちらの方が1/4狂人くらいに留めた演出込みで、さらにいいです。ルカはノイマン盤に次ぐ出来、としておきましょう。ストロングスタイルの歌唱はあれで良いのです。オケに埋もれていないのも良いのです。ただ、アリイエリヤを呼びつけるところから既に絶叫調で、そこからのクレッシェンドが取れていないとか、埋もれさせないためにオケが抑えすぎ、と感じてしまうあたり、やはり及びません。むしろ生身の人間の舞台収録ではこのくらいが限界なのでしょうか。この箇所に限らず、オケと合唱がやや薄めに聞こえます。
演出もノイマン盤で心に描いていたものに一番近いのです。モノトーンな舞台は、敢えて比べればアバド盤よりはブーレーズ盤に近いのですが、中庸で、あちこちにヤナーチェクが持っていたであろう囚人達への愛が感じられる舞台です。これで背景を漆黒の暗闇にせずに赤レンガの壁にしてくれればもっと好みだったのですが。鷲をバレリーナに演じさせているのにはびっくりですが、模型や剥製では全然絵にならないのを知ってしまってから見ると、これが正解のような気もします。
字幕は付かないので、ブーレーズ盤を見てその次、にはいかがでしょうか。
Filka Morozov - Vaclav Malek
Skuratov - Milan Vlcek
Siskov - Pavel Kamas
Sapkin - Zoltan Korda
A.P.Gorjancikov - Richard Haan
Aljeja - Nada Blahova
Velky vezen - Milan Rudolecky
Maly vezen - Jan Hladik
Placmajor - Jurij Gorbunov
stary vezen - Vladimir Krejcik
Cekunov - Vratislav Kriz
Cerevin - Zdenek Smukar
opily vezen - Zdenek Smukar
mlady vezen - Petr Levicek
Pobehlice - Magda klobouckova
Ladislav Mlejnek
Josef Skrobanek

Orchestr a sbor Janackovy opery
Dirigent - Jan Zbavitel
relie - Zdenek Kaloc
Janckovo divadlo Brno 1999

 

ヤング指揮バイエルン国立歌劇場(2018)
 今年5月26日のホヤホヤ映像です。operashareより英語字幕付きを入手しました。
 演出が音楽に勝ってしまった公演、と聞こえます。同じ劇場での一年前の収録でディドナートの声を満喫できたセミラーミデと全然違って、とにかくマイクが歌手からもオケからも遠いように聞こえます。残響を最小限にすることにより、歌唱よりも演劇に目を向けさせようとしたのか?と邪推したわけです。
 その演劇面は、あれこれ猛烈に作り過ぎなのですが、嫌いではないです。暗くて殺伐感というとブーレーズ盤と同じ形容になってしまいますが、殺伐の方向性が大分違っていて、似ている感じはしません。語彙不足の私には、具体的な説明は到底できないので、これは見ていただくしかありません。(ちなみにブーレーズのは全然作り過ぎではありません。)
鷲を演じるのは羽をいっぱい付けた美人なのだな、と納得しかけていたところで、その美人が羽を付けたままアリイエリヤとして歌いだしたのには、たまげました。鷲に言及される場面毎に、アリイエリヤ役が、象徴的に鷲になっている、ように見えました。他のどの公演でも扱いに困っている鷲ですから、これはむしろ好印象です。が、第二幕の劇中劇で女性が多数現れたところは、どう理解にすべきか分かりませんでした。
 そのアリイエリヤ役のソトニコワが女性丸出しで歌っているのは演出の方向に沿っているのだろう、と思って聞けば声も好印象です。スクラトフ役のワークマンと、シシコフ役のスコウフスが、他でも聞いたことのある歌手になりますが、この二人が抜きん出て存在感がありました。
 つまり、ルカ役が残念、となるのですが、この演出においては好演かもしれません。第一幕の後半、ノイマン盤での「ぶ厚いオケを突き抜けてくるド迫力」をデフォルトにして、これまで他の演奏を「オケから突き抜ける迫力がない」と評価してきたのです。しかし、この演奏では、オケも声も盛り上げを最小限にして、「インテリ囚人のありがちな愚痴」という演奏と演出にしているように思われます。好むかと問われれば、好みではない、と言うしかありませんが。
 マイクが遠すぎて、オケの印象も「良い悪い」以前に「薄い」です。
 音声だけから入ったこの作品だと、演奏会形式で上演してくれるのが一番私の好みになるのかもしれない、と思いました。
#演技の素晴らしい公演で知った「ダントンの死」だと、演奏会形式は受け入れがたい、となるのですが。

From the House of the Dead
Leos Janacek
Bayerische Staatsoper
May 26, 2018

Aleksandr Petrovic Gorjancikov - Peter Rose
Aljeja, a young Tartar - Evgeniya Sotnikova
Luka (Filka Morozov, im Gefangnis unter dem Namen Luka Kuzmic) - Ales Briscein
Skuratov - Charles Workman
Siskov - Bo Skovhus
Big Prisoner - Manuel Gunther
Small Prisoner - Tim Kuypers
Prison Governor - Christian Rieger
Old Prisoner - Ulrich Res
Cekunov - Johannes Kammler
Drunken Prisoner - Galeano Salas
Cook (a prisoner) - Boris Prygl
Blacksmith (a prisoner) - Alexander Milev
Pope/Priest - Peter Lobert
A Prostitute - Niamh O’Sullivan
Don Juan (Brahmane) - Callum Thorpe
Kedril/Actor (young prisoner) - Matthew Grills
Sapkin/Happy Prisoner - Kevin Conners
Cerevin/Voice of the kirghiz Steppe - Dean Power
Guard/Long LongBayerisches Staatsorchester

Chor der Bayerischen Staatsoper
Conductor - Simone Young
Production - Frank Castorf
Sets - Aleksandar Denic
Costumes - Adriana Braga Peretzki
Lighting concept - Rainer Casper
Video - Andreas Deinert, Jens Crull
Dramaturgy - Miron Hakenbeck
Choir - Soren Eckhoff

 

 

Jindra指揮プラハ国立歌劇場(2015)
 続けざまに operashare より、今度は2015年のプラハの公演が入りました・・が、残念ながらあちこちで音声途絶していました。第1幕への前奏曲なんか、ほんの数音が聞こえて以降は映像のみです(幕が上がると同時に復帰)。そういう状態なので、あれこれいうのは何ですが・・・
 演出は、第1幕第2幕までは、ブーレーズのに近いように思います。殺伐感はあれよりは控えめ。
 気に入ったのは、ルカの告白でルカ一人にスポットライトをあてて、周りの囚人も息を飲んで聞き入ってしまっている演出にしているところです。ノイマン盤には及ばないと思うのはどうにもなりませんが、それでも声もかなりのもので、映像と合わせてちゃんと鳥肌が立ちました。
 アリイエリアを男声が歌っているのもブーレーズ盤と同じ、まあこれはこれでも良いでしょう。スクラトフは1/8狂人くらいで留めていて、声の印象はさほど残りませんでしたが、好印象でした。劇中劇でまた音声が途切れたのですが、映像を見る限りこれも無難そうでした。
 で、無難どころではないのが第3幕。これまで当然囚人服だったのが、なぜか全員夜会服?になります。凄い美人が出てきたのは、シシコフとフィルカ(ルカ)の心象風景中のアクリイナなのかな・・・と思っているうちに、その凄い美人がトップレスになってしまいます。こういうのは(男ですから)嫌いではありませんが、しかし何だか分かりません。ルカは病死ではなくてショック死したのでしょうか? あまりのことに、シシコフの声なんて全然印象に残りません。
 鷲は最後まで姿を見せませんでした。これもこれで上手くいっていません。
 音声のみの時代に、「フィガロの結婚」「コジ・ファン・トゥッテ」の次の3組目の全曲盤を買った作品がコレ、という因縁のある私は、音声のちゃんと入ったもので見てみたいとは思いますが、そんな因縁のない普通の人があえて求めて見てみるものではないでしょう。

Janacek - From the House of Dead

Prague National Theatre Opera
Robert Jindra, Direction
Daniel Spinar, Metteur en scene
Michal Bragagnolo, Aljeja
Stefan Margita, Luka Kuzmic (Filka Morozov)
Josef Moravec, Skuratov
Jevhen Sokalo, Prison governor
Pavol Remenar, Siskov
Frantisek Zahradnicek, Alexandr Petrovic Gorjancikov
Jana Vrana, Danse
Radim Vizvary, Choreographie

 

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