「セヴィリアの理髪師」

この作品を知ってから楽しめるようになるまで随分と時間がかかりました。「フィガロの結婚」からオペラを聞き始めた人で同じ経験をした人が少なからず居るのではないでしょうか。

私が初めて画像で見たオペラが、TV放送されたベーム指揮ポネル演出の「フィガロの結婚」、その10年以上後にLDで初めて買ったのも同じ作品でした。2枚目に買ったDVDがどれだったかは記憶が薄弱ですが、かなり早いタイミングでアバド指揮ポネル演出の「セヴィリアの理髪師」を買っていたはずです。しかし同じ演出家で、しかもプライがそれぞれのフィガロ役で出ているにもかかわらず、「フィガロの結婚」のように最初から大好き、にはなれませんでした。

今ならその訳がわかるような気がします。あの「フィガロの結婚」は映画仕立てで成功した例外的作品なのです。それと全く同じ面白さを「セヴィリアの理髪師」に求めてしまうと、同じポネル演出なので余計に続編を期待するような気になってしまうのですが、うまく行きません。どちらもボーマルシェの戯曲が原作になっていますが、同じ喜劇であっても「フィガロの結婚」は階級対立の風刺まで入った問題作であるのに対して、「セヴィリアの理髪師」(粗筋はこちら)はより単純なドタバタ喜劇であり、舞台という枠組みの中でないと不自然さが目立ってしまいます・・・3年前の拙文で述べたようなことですが、吉本新喜劇をリアルなセットで収録して同じように笑えるか、と言い換えた方がいいのかも。

ポネル演出盤で「セヴィリアの理髪師」は、このオペラに十分に慣れてから見直してみると、良く出来た作品だと分かったのですが、モーツァルトとヤナーチェクしか知らなかったオペラ初心者時代にこの映像で初めて「セヴィリアの理髪師」を知ることになったというのは、かなり不幸な出会い方だったのだろう、と思っています。

音楽の作りの面でも、「フィガロの結婚」のドラマと渾然一体となった進行と比べると、30年後のロッシーニの方がアリアと重唱をそれぞれ聴かせるような作りで、現代人には古くさく見えます。ただし、当時イタリアでモーツァルトが殆ど無名だった中で、モーツァルトを見出したのが他ならぬロッシーニであったことからすると、ロッシーニが古いというよりはモーツァルトの方が時代を超えていると言うべきであり、ロッシーニとしてはイタリアオペラの伝統にどっぷり浸かった聴衆に一番受けるものを提供していただけのこと、現代人の感想など知ったことではないでしょう。音楽自体は独特の活気に満ちています。「ウィリアム・テル」の品格の高さはまだありませんが、その萌芽は現れていると思います。

 

手持ち音源

・アバド指揮(ポネル演出)ミラノ・スカラ座歌劇場盤
・フェッロ指揮シュトゥットガルト放送交響楽団盤(シュヴィツィンゲン音楽祭)
・サンティ指揮チューリヒ歌劇場盤

最近の店頭で良く見かけるのがこの3枚ですが、要素・配役ごとに比較してみます。

(2006.03.26追加)・ロペス=コボス指揮ローザンヌ室内管弦楽団盤 については末尾に付加します。

指揮&録音:
一番いいと思うのがサンティ盤。フェッロ盤はわずかにバランスが悪いかなと思うこともありますが大差ではないです。スタジオ収録のアバド盤には上演収録の自然さはありませんが、1970年代は舞台収録のノウハウが不十分だったのか、あまり上手に取れていないものが多かったので、スタジオ収録自体は当時の最善の選択だったのでしょう。その範囲でこれも十分素晴らしいものです。録音&指揮と掲げましたが、指揮そのものは余り気にしていないわけです。

演出:
これは断然サンティ盤が優ります。サイドカー付きバイクはやりすぎと思っているのですが、喜劇に徹した舞台が断然楽しい。回り舞台を4分割して屋外と室内3部屋を次々回してみせるセットは明るく花があり、見ているだけで楽しくなります。フェッロ盤も実演なのですが、舞台が回らないし、セットが薄暗くうらぶれた感じすらして気分が全然出ません。一番低予算の感じで、それなりの成果しか出せていません。アバド盤は映画仕立てですが、実演の舞台を髣髴とさせるようなセットになっています。今となっては私にもまずまず楽しめるのですが、これもサンティ盤で思い切り楽しんだ後にその境地に達したのであり、最初の一枚としては私はお勧めしません。ポネル演出映画仕立ての常で、ちょっとうるさいところがあり、舞台収録ならうるさくなく楽しめたろうに、などと思っておりました。

フィガロ:
一番いいのはフェッロ盤のキリコですが、3人ともいいです。アバド盤のプライは「フィガロの結婚」でのフィガロで腹の探り合いを演ずる方が似合っていて、「セヴィリアの理髪師」ではキリコのとぼけた味がより適していると思うのです。サンティ盤のランサの最大の欠点は「顔」です。喜劇役者向きの顔ではありません。第1幕終わり近くで茫然自失のバルトロを笑う顔が作り笑いに見えてしまいます。とかいいながら、3人とも張りのある声でフィガロに良く合っています。

ロジーナ:
これもそれぞれですが、サンティ盤のカサロヴァが楽しい。太い声のメゾで、ロッシーニの意図に近いのではないでしょうか。きつい作りの顔ですが明るく演技が達者です。アバド盤のベルガンサは「低い声も出るソプラノ・リリコ」という感じで、カサロヴァよりは随分と軽い声ですが、これはこれでいい。80年代に入ると一気にオバサン顔になってしまった人ですが、この映像では美人で可愛く明るく素敵です。フェッロ盤のバルトリも可愛い美人なのですが、どうも泣き顔なのです。リンドーロに売られたと思い込む場面で、フェッロ盤だけ「こんなことならあなた(バルトロ)と結婚します!」という台詞をカットせずに入れているのですが、バルトリの顔が似合うのはこういう場面であり、他の大部分ではドタバタ喜劇に徹しきれていない気がします。上手いのは上手いのでしょうが、アジリタ(細かい音形を歌う技巧)でも何だか教科書的という感じがしてしまいます。

アルマヴィーヴァ伯爵:
上手いのはアバド盤のアルヴァ。雰囲気はサンティ盤のマシアスのおとぼけぶりがいい。フェッロ盤のキューブラーにはもう少しアジリタをしっかりやってもらいたくなります。

バルトロ:
低めの声のサンティ盤ショーソン、やや高めの声のアバド盤ダーラはそれぞれいいと思いますが、フェッロ盤のフェローはかなり問題ありです。本来ショーソンに近い声のようですが持久力不足で、歌いつづける場面では喉が2分と保ちません。不調だったのかもしれませんがこの一枚で聞く限り、「論外」「失格」級です。

バジリオ:
これぞバッソ・ブッフォという感じでやりまくるのがアバド盤のモンタルソロ。ポネルの演出の要になっています。サンティ盤では、こんなレパートリーもあったのか、のギャウロフ、収録時点で72歳、です。モンタルソロのような派手な動きはありませんが、いい味をだしている演技と地鳴りのような太い声はこれも魅力的です。こういう人たちと比べると、フェッロ盤のロイドは影が薄くなります。

以上、70年代で最善に近いところを実現したアバド盤も素晴らしいのですが、サンティ盤を第1に推します。

 

 

・ロペス=コボス指揮ローザンヌ室内管弦楽団盤(2006.03.26追加)

HouseOfOpera盤(dvdm98) 、カタログに書いてあるのは、Barbier Kassarova/Blake/Raftery Genf / 91 (560) だけです。ジュネーブ大劇場の公演のTV放送から起こしたものらしく、またGenf とはジュネーブの独語表記らしいです。1991年11月収録のようです。

ロジーナ:カサロヴァ、アルマヴィーヴァ伯爵:ブレイク、フィガロ: J. Patrick Raftery、バルトロ:フェラー、という配役です。片面一層DVDにいささか詰め込み過ぎですが、物理的には画質音質とも安定しています。但し序曲の最初の一音が欠けています。字幕はありません。

演出・装置はよく言えば簡素で、小物を細細と用意してかえって貧乏臭さが強調された感もあるフェッロ盤よりは、小物を使わない分貧乏臭さが無くて良いとも言えそうですが、サンティ盤のチューリヒの演出を見てしまった目にはやはり貧弱に見えます。

フェラーのバルトロはフェッロ盤より数段勝りますが、あちらが論外なまでに声が続かないだけで、ダーラにもショーソンにも聞き劣りします。カサロヴァはforteを力任せに怒鳴っている感じで、サンティ盤と比べると演技ともども洗練されていませんが、野性味はあります。Rafteryは調べてみると本職はテノールらしいのですが、まずまず輝かしいフィガロです。

そもそもこのDVDに手出ししたのは、ブレイクが第2幕フィナーレ前の大アリア「もう逆らうのをやめろ」を歌っているかもしれない、という期待からでした。このアリアが忘れられた経緯はここに詳しい説明があります。そのブレイクはスカラ座の「エジプトのモゼ」と比べると途中までブレイク節控えめで少し物足りないのですが、それも最後の大アリアまでスタミナ温存をしていたから、のようです。

この大アリア付に限っても、今ならフローレスが伯爵を歌っているジェルメッティ盤がファーストチョイスなのだろうと思いますが、このDVDも大アリア付の「アルマヴィーヴァ」の姿を知ることが出来る一枚だと思います。
#逆にいうと、大アリアを評価しなければ、評価しにくい一枚。

 

 

・ベニーニ指揮メトロポリタンオペラ、2007年(2009.02.22追加)

OperaShare(#32896)、この他#58926で同じものがDVD2枚組みの状態でダウンロードできるようになっていて、画質はそちらの方がきっと良いのでしょう。32896でもまずまずです。
フローレスは最高の伯爵だと思います。「チェネレントラ」でのラミーロ王子役と並ぶハマリ役でしょう。大アリアも申し分ありません。ブレイクの伯爵も勿論いいのですけどね。
ディドナートも才気煥発風美人で歌も実によろしい。カサロヴァも勿論いいのですけどね。バルセロナでチェネレントラをやった時よりウェストが細いのも実によろしい。
マッテイのフィガロも、アジリダの忙しいところで声量が落ちてしまうのだけが難ですが、図々しい演技も歌唱も良いです。
デル=カルロの歌うバルトロはちょっと弱点になっています。アジリダの切れが不足です。とはいえ、演技は達者にやっていますし、歌もフェッロ盤でのフェラーの大ブレーキ状態よりはずっとまともです。Relyeaのバジリオも水準以上でしょう。
というわけで、これが私にとっての「セヴィリアの理髪師」の基準になってから久しいのでした。
Metropolitan Opera March 24, 2007
Conductor: Maurizio Benini
Production: Bartlett Sher
Set Designer: Michael Yeargan
Costume Designer: Catherine Zuber
Lighting Designer: Christopher Akerlind
Rosina: Joyce DiDonato
Count Almaviva: Juan Diego Flores
Figaro: Peter Mattei
Dr. Bartolo: John Del Carlo
Don Basilio: John Relyea

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