ダントンの死:字幕製作者のノート

英語対訳を入手して製作した改定字幕版については、この色の字で追記しています。('10.12.19追記)

映像をダウンロードしてから、まず台本を発見。最初はこれを英独自動翻訳して、適当に眺めながら聞いていました。

画像編集で見通しが良くなったのと、修道院での婚約の日本語字幕化が完成したので、日本語字幕を作ってみようかな、と英独自動翻訳文を改めてに読んでみましたが、これからの日本語化は全く不可能、と判断しました。そのあたりで、ビューヒナーの原作なら文庫にある、と教えていただいたので、手に入れることにしました。

原作を読んでみて、まずその長さに驚きました。見覚えの無い場面も多いし、登場人物も断然多いのです。日本語wikiの「ダントンの死」から行けるリンク先で、独語原文全文が手に入りますが、これをオペラ台本と比べると、ファイルサイズの比較になりますが、5倍ほどあります。それでも、ざっとみたところオペラの台詞は大体原作から拾っているようなので、これを書き写して、字幕タイミングだけ決めていけばいいだろう、と最初は考えました。が、始めてみると、文庫本の日本語がどうも字幕にそぐわない気がしてきました。仕方が無いので、その場その場で字幕を考えつつ進めることにしました。

パソコン上では、字幕付けソフト Subtitle Workshop を立ち上げで、編集後映像を開き、同時にワードパッドで独語台本とその自動英訳とを開きます。机の上では文庫本の対応頁が開いています。次の台詞の大体の意味を英訳で見当をつけ、文庫本で和訳を確認し、字幕として気に入らなければ(気に入らない方が多かった)、適当に作文して Subtitle Workshop に書き込み、独語台本で切れ目を確認し、映像+音声を再生させ、字幕表示の開始と終了タイミングをフレーム単位で決めます。

オペラの第1幕(原作の第1幕、第2幕)はこれで済んだのですが、第2幕(原作の第3幕第4幕)の、特に牢獄の場面のオペラ台本は、原作のあちこちの台詞から文単位でばらばらに引用しています。そこでワードパッドでさらに原作原文も開き、オペラ台本の不明文章のキーワードで原作原文をサーチして対応箇所を見つけ、その対応箇所を文庫本の中から探す、という手間が増えました。

これらの作業を字幕565枚分繰り返した、ということになります。Amazon から原作の文庫が届いたのが6月10日で、それから1ヵ月余りで全字幕を完成させました。延べ20時間以上は費やしたと思います。
*その先の操作については→こちら

第2次世界大戦後初演のオペラなのですが、台本を見ると、番号オペラであるかのようにNo.が振ってあります。DVDフォーマットでのチャプタは原則これに合わせて切っています。難所などをご紹介しますと・・・

 

チャプタ2:(No.1)
革命に飽いた英雄達の、だらけた雰囲気の場面で幕開きです。原作戯曲に完全に対応しているにもかかわらず、字幕的にはいきなりの難所です。ダントンの話は、落ち着いて読めば、何とか論理が分かりますが、エローと女との会話は、トランプに託した猥談になっていて、訳注によると、これがドイツ語ならそのまま猥談のニュアンスが出るらしいですが、日本語に直訳ではどうにもならないので、ストレートに猥談風にしましたが、いずれにせよ、結局はその前後とのつながりが不明で、さらにダントンの声と重なる部分では私にはヒアリング不能、仕方が無いので、ダントン側の字幕めくりのタイミングで適当にエローの(結局意味不明の)字幕をめくることにしました。二重部分のエロー側は完全無視した方が良かったかもしれません。改定字幕版では、エローと女との会話を全部カットしました。

チャプタ5:第2場:裏町の路地(No.3)
合唱になると台詞の聞き取りが困難になりますが、ここは原作にある台詞なので、全部字幕に出来たはずです。

チャプタ8:(No.6)
ロベスピエールがサン=ジュストの差し出した「旧コルドリエ新聞」を読むシーンで、文面の前後が台本と入れ替わっています。原作とオペラ台本とで順番は一致していますが、オペラとしてはこの映像での順番の方が効果的だと思います。原作の日本語訳では、ロベスピエールに対してサン=ジュストが完全に対等な口調になっている(タメ口)のですが、私のイメージに合わないので、ロベスピエールだけには敬語で話しかけるようにしました。

チャプタ10:第3場:ある部屋(No.7)
字幕には特に問題ありませんが、手に入れた状態(#55719)での画像の停止や繰り返しの乱れが集中して特に酷かった箇所でしたが、#21744では全く問題ないので、最初からこちらに気づいていれば何の問題もなかったのでした。(09.10.04追記)

チャプタ13:第2幕第4場:牢獄前の広場(No.10)
字幕にはさほど問題ありませんが(聞き取りにくいところが少しあった)、原作ではこの場面は、ダントンの裁判が全て終わってから後、になります。

チャプタ14:牢獄の場面(No.11)
原作で牢獄の場面は、収監後の裁判前、裁判後の処刑前、と2回現れるのをオペラ台本では裁判前の一箇所に詰め込んでます。
ここでの、いかにもカミーユらしい叫び、「僕は死ねない、いや、死ねない!」「僕らは叫ばなければ。」「僕の体から生命の滴を一滴ずつ奪っていかない限り|奴らに僕を殺せるものか!」は、原作ではダントンの台詞なのです。一貫して「この首がほしけりゃくれてやる」と言っていたダントンが、この時だけジュリーを思い出して、この独白を喋るのです。これによりダントンの別の一面を印象付ける効果がありますが、オペラ台本では、登場人物の性格の一貫性を選んだのでしょう。

チャプタ15:(No.12)
発狂したリュシールとカミーユが噛み合わない会話をしていますが、原作ではそれぞれ別の場面になっています。原作の台詞のツギハギがいよいよ凄いことになっており、一文ごと全然違うところから引っ張ってきていたりします。「落ち着け!静かにしろ!|騒いでも何の役に立たないぞ!」と訳したところは、ダントンの台詞としては多分全曲中唯一原作に典拠の無いものだと思います。
「食用豚」「生贄の子供」「鯉料理」の意味不明三題話を、オペラではダントン、ダントン、カミーユ、の順に悲壮感を込めて語っていますが、原作では、処刑前の最後の夜を迎えるに当たり、エロー、ダントン、カミーユの順に、自嘲気味に軽口を叩いたところ、です。裁判前のダントンに真顔でこんなのを2つも喋らせたのはオペラ台本の失敗だったと私は思います。死を覚悟している点では同じだとしても、裁判で咆哮する前と、その咆哮すら無駄に終わった後と、では、別の心理状態だろうと思うのです。
「鯉料理」のところは、さらにリュシールの台詞と合唱とが重なっていますが、リュシールのは一つ前の場、合唱はダントン収監直後の場面の台詞となっており、内容は把握しているのですが、あえて字幕化は止めました。リュシールの声は聞き取りも出来ませんし、発狂していることは先刻承知、合唱分は無理に字幕にしても前後関係が分からないところです。

チャプタ17:第5場:革命裁判所(No.13)
字幕としては付け易いところ、それよりなにより、かっこいい〜

チャプタ18:(No.14)
休廷中の二重会話、格好良くもなく、音楽も美しくないのに、聞き取りにくく字幕としては面倒です。ここでエルマンとサン=ジュストの会話になっているところは原作ではフーキエとアマールの会話で、ダントン、カミーユ、エローの会話とは別の場面です。

チャプタ19:(No.15)
再びダントンが、かっこいい〜
のですが、民衆の声は一部を除き原作に無いので苦心の訳になっています。英語対訳と照合しましたが、苦心の訳からは結局修正しませんでした。

チャプタ21:第6場:革命広場(No.16)
ヒアリング可能だけれど原作に無くて訳するに苦労した部分、訳は分かっているけれどヒアリングに苦労した部分、が入り混じります。前者ではカミーユがギロチンに向かう瞬間の群集の声”Red' nicht so viel!”が字幕を入れるタイミングは十分に有るのに訳せないために落ちましたし、後者では「その頭がパンを恵んでくれるのさ」という訳は作ったのに、入れるべき場所が分からず、結局落ちてしまいました。
ダントンらが歌う「ラ・マルセイエーズ」なら簡単に和訳が見つかるはず・・・・と思い、実際見つかったのですが、仏語の本来の「ラ・マルセイエーズ」とオペラ中の独語版とでは大分違う内容を歌っていたのでした。このオペラを見ようとする方でこの歌を知らない人はいないだろうから、どちらを字幕にしても余り有意義ではないと考え、止めにしました。"Red' nicht so viel"は以前から訳せていました。マルセイエーズのメロディに載せてダントン達が歌っているのは、意味のある主張のようなので、これも訳しました。

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持ち上げる側の掛け声は、日本語は全部「万歳」にしましたが、「Hoch」、「Heil」、「Es lebe (誰それ)」、とドイツ語側には色々あります。逆に貶める方の掛け声は、オペラ台本には「Nieder !」しか出てきません。無理に一語でカバーするなら「くたばれ!」だろうと思いましたが、「倒せ!」「ひっこめ!」「くたばれ!」と使い分けました。

(09.07.31)

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