メデア

1797年パリで初演されたオペラです。このあたりの年代だと、以前は、ベートーベンが第1交響曲を作曲するより少し前、シューベルトが生まれた年ね、と認識していたところですが、「ダントンの死」に親しんでからだと、この初演時期のパリというとロベスピエール処刑とナポレオン独裁開始の丁度中間あたりだ、ということに思い当たるようになります。とんでもない時代です。

粗筋はこちらにあります。子供までもうけた前の女を捨てて新しい女に乗り換えた男に、前の女が嫉妬に狂い・・というところまでは「ノルマ」と同じです。永竹由幸さんによれば、子供も新しい女も殺さず前の女が自分の死を選ぶ「ノルマ」がロマン派の時代を反映していて、その当時として「新しい」、のだそうですが、ギリシャ古典悲劇の筋立てのまま、新しい女も自分の子供も殺して男に復讐する「メデア」の強烈さの方に、私としては現代性を感じてしまいます。そういえば、20世紀の不条理劇オペラの一つに数えても良さそうな「エレクトラ」もギリシャ古典悲劇そのままでしたね。

その強烈な時代にあって、この強烈な劇にケルビーニが付けた音楽は、ベートーベンを強く感じさせます。ケルビーニがベートーベンの影響を受けた、のではなくて、むしろ「メデア」がベートーベンの「中期」=19世紀に入ってから=の音楽を先取りしています。「クロイツェル・ソナタ」も「エロイカ」もベートーベン一人が開拓した世界というわけでは無かったのか、というのが素直な感想です。

劇場作品としても、この「メデア」は、その観点からはほぼ失敗作のような「フィデリオ」の遥かに上を行っている、と思います。モーツァルト→ロッシーニという系譜から全然違うところにある巨大な作品と呼んでいいのではないでしょうか。ベートーベン自身も「フィデリオ」ではなくてこの「メデア」が自分の作品であったらいいのに、と思っていたのではないのかな、と想像が膨らみます。ベートーベンがこの台本に作曲したかどうか大いに疑問ですが、「フィデリオ」の台本を選んだ時点でオペラ作曲家としてのベートーベンの限界が見えてしまっている、のでしょう。もっとも、巨大な作品と素直に思えるのは原作の仏語版から随分かけ離れた伊語版の方になるのですが。

なお、後述する euridice さんのブログとそのコメントでは、オペラおばさまの皆さんから、ジャゾーネの造形がなってない点に批判が集まっていました。メデアが物凄いのだからこれで良いではないですか、と思えてしまうのは、私が男だから、というのが大きいように思います。思うに、ジャゾーネは一応英雄なのだけれど、メデアの恐ろしさも誰よりも知っていて、それ故メデアが現れた場面では「これはヤベェ」とばかりに沈黙していたのだけれど、そこでクレオンテが自発的にメデアに脅しをかけたので、王の権力をもってすれば何とかなるか、と思いなおして自分も強気に出ることにした・・という第1幕なのでしょうか。

それはともかく、メデア登場以降はほぼメデアの一人舞台状態です。テオドッシウの素晴らしい歌唱であれば、結婚を祝う合唱の明るさを一言で暗転させる第2幕の幕切れ、第3幕で子供を殺すのを最終的に決断する場面(多分ここで譜面上のメデアの最高音のH)、大詰めの最後の台詞、といったところが、息を詰めて聞き入ってしまう「聞かせどころ」となります。

 

手持ち音源

未聴の有名オペラの一つとして気にしていたところで、operashareから、テオドッシウ主演の映像をダウンロードしてみて、固定カメラ一台だけの字幕なし映像でしたが、粗筋しか分からないながらも大いに気に入りました。そこで唯一の現役DVDであるアントナッチ主演盤と、歴史的に有名なカラスのスタジオ録音とを手に入れましたが、このどちらよりも最初に聴いたテオドッシウが断然上回っているように思いました。というところで検索をかけてみて、いつもお世話になっている euridice さんのブログの、テオドッシウの公演を普通のマルチカメラ映像しかも日本語字幕付きで御覧になったメデアの鑑賞記を見つけました。 euridice さんにお願いしたところ、ありがたいことに、同時期にスカイパーフェクTVの「シアターテレビジョン」で放送された他の2種類の「メデア」も併せて送っていただきました。

 

ピド指揮トリノ王立歌劇場、アントナッチ、フィリアノーティ、フォルテ

 輸入盤ですが、現在現役の唯一のDVDのようです。英語字幕付きですが、割と難しい英語です。
 アントナッチは色々なオペラで見ていますし、勿論下手ではないのですが、どうも私にはレパートリー選びが間違っているように思われてしまうのです。この人で唯一本当に良かったと思っているのは「一日だけの王様」の侯爵夫人ですが、これ以外は「カルメン」「エルミオーネ」「マリア・ストゥアルダ(エリザベス女王)」「トロイ人(カサンドラー)」等、烈女役ばかりで見ています。で、この人がきつめの顔に更に額に皺を寄せて烈女役を怖い顔で歌っていても、声がどうにも軽いので、感情移入できないのです。ここぞという「聞かせどころ」でもそのまま通り過ぎてしまいます。
 ジャゾーネ役のフィリアノーティとグラウチェ役のフォルテは見た目も含め文句なし、フィリアノーティはこのくらいに音域低めの方がよいのでしょうか。クレオンテ役も声が軽すぎるかもしれませんが気になるほどではありません。快速な指揮は、歌手が歌い易いかどうかはさておき、気持ちよく、オケも十分に優秀です。
 そして主役と並ぶ不満点が演出です。ネクタイ姿だから良くない、とは言いませんが、全体としてギリシャ古典悲劇の格調は感じられません。歌手を動かしすぎです。その結果、アントナッチの声の軽さと相まって、メデアの超人性が全く感じられなくなります。そして最大の不満が大詰めのところです。コリントの人たちが恐れる中、メデアが竜の引く車に乗って天に消える、という幕切れのはずなのに、最後にメデア一人が舞台に残っていては、嫉妬に狂って自分の子供を殺してしまい呆然としている中年女、にしか見えなくなってしまい、何とも詰まらない現代化のように思えてしまいます。
 以上、唯一の現役DVDとしてお勧め、と一度は書いたのですが、テオドッシウのを良い状態の映像で見直してしまったからには積極的にはお勧めしにくい、と今は思ってしまいます。

セラフィン指揮スカラ座、カラス

 1957年のスタジオ録音です。音は優秀で、カラスに迫力はあります。しかし既に全盛期の声ではないのでしょう。声の揺れが気になります。テオドッシウの方が迫力でも声の美しさでも上回っているように思います。

レトンヤ指揮リスボン・サン・カルロス歌劇場、テオドッシウ

 最初に不思議な映像 operashare#84956 で見て私の「メデア」収集のきっかけとなったものです。ちゃんとした日本向け放送録画を送っていただいたので、勿論こちらの方が断然条件がいいです。但し、序曲の間中ずっと譜面をめくるような音が大きく入る、等の妙な雑音がそこここに入ります。売り物DVDにするには少々問題になりそうな雑音ですが、テオドッシウを聴くには殆ど邪魔にはなりません。
 雑音を別にすれば基本的には歌手には得な録音になっていて、誰もが上手く聞こえるのですが、その中でもテオドッシウが圧巻です。アントナッチよりずっと可愛らしい顔なのですが、その分だけ鬼の形相になるまでの表情の幅が広くなります。そしてなにより、鬼の形相を支える声の力がアントナッチと全然違います。第2幕、第3幕の幕切れはいずれも背筋が冷たくなるような凄みを出しています。このテオドッシウをこの録音で聴くことが出来るのであれば、今更全盛期のカラスを捜し求める必要は無いのではないでしょうか。後述のマッツォーラ・ガヴァッツェーニと比べると、王女としての品格のある演技で、なればこそ幕切れとの落差が強調されていて、これも名演技と思います。他の録音ではBフラットになっている第2幕最後の最高音がハイCまで上がっているのは、テオドッシウが上げたのでしょう。和声的にはどちらも可能で、上げられるソプラノなら上げるところだろうと思います。
 脇役も、存在感でフィリアノーティやフォルテには一歩譲りますが、穴は無く、ネリス役ならピド盤を上回るように思います。オケも、トリノのオケ程は上手くないかもしれませんが、水準は確保しています。
 シンプルな演出はギリシャ悲劇の雰囲気を伝えているようで、月並み調かもしれませんが好感が持てます。勿論最後のところはメデアが消えて(予備知識を持って見るなら、竜の引く車に乗って消えたのだ、と了解できそうです)、コリントの人たちが残される形になっていて、違和感ありません。

ハル指揮サッサリ劇場、マッツォーラ・ガヴァッツェーニ

  euridice さんのブログ記事はこちら。輸入盤では現在も入手可能なようです。周りが主役の足を引っ張りまくった一枚と思います。序曲から、縦の線が揃わないオケがガチャガチャとガラクタ満載風の騒々しい響きになります。幕が開いてもやかましい感じが続くオケに対し、声が遠くに聞こえてしまう、歌手には損な録音です。
 その録音でただ一人オケを突き抜けて聞こえてくるのが、主役のマッツォーラ・ガヴァッツェーニの声です。低音がドーンと響きます。バルツァとかバンブリーとか、エボリ公女も歌えるような本格派メゾに匹敵する低音です。この役の最高音が第3幕の子供を殺す決断をする場面のHのようなので、エボリのアリアを歌えるメゾなら歌えるし、声の軽いソプラノに歌わせるくらいならメゾに歌わせるべき役なのだろうな、などと考えてしまいました。但し低音の響きで上回っていても、聞かせどころはやはり高音になりますので、そこでピシッと響くテオドッシウの方が更に上回ると思っています。登場時点から王女と言うより魔女と見える演技も実に入念なのですが、これも一本調子と裏腹というところもあります。
 他の歌手は録音のせいもあってオケの向こうから聞こえてしまう、軒並み印象に残りにくい声ですし、その録音を差し引いても、これまた統率の取れていない合唱の水準は売り物DVDとしてはかなり低いようです。装置の雰囲気はリスボンに近く、違和感はありません。

ミシェル・ズヴィルチェムスキー指揮コンピエーニュ帝国劇場(フランス語版)

  他の2種類以上に euridice さんのこちらの記事に付け加えることは少ないので、先にそちらに目を通していただくとして。不思議な「二人一役」です。
 名前を知っている歌手がインヴァ・ムーラ(グラウチェ役・・・仏語版だから呼び名が違うのですが、ややこしいので伊語版の呼び名で統一します)だけ、最近の映像で見ても若くて奇麗な人ですが、1996/97年のシーズンの収録のこの映像では一段と若くて可愛らしく、見て直ぐにはムーラとは分かりませんでした。歌手では一番良かったと思います。それなのにムーラに替わって台詞を語る女優さんは、見た目はこちらも悪くないのですが、ガラガラ声で怒鳴るだけ、これならムーラが普通に喋った方がずっといいです。
 主役は女優の方が、王女の威厳と魔女の怖さを併せ持った迫力でメデアを演じていて、申し分ない(勿論お近づきになりたいという意味ではありません)のですが、歌手の方は「能面の天童よしみ」という風情で、演技も声も全然有りません。女優から切り替わった時点で既にがっかりしてしまうので、「聞きどころ」を楽しみにするどころではありません。
 装置は、舞台中央の平地の周りに階段で高いところを作っていて、リスボンやサッサリ劇場と似ていて無難な作りです。幕切れでメデアが上昇していくこと自体は悪くないはずなのですが、上昇して言ったのが「天童よしみ」の方だったのが残念です。
 原作どおりの仏語版で台詞がかなり多く、背景がより良く分かるという利点はあるので、一度目を通すのも悪くは無いと思いますが、私としては鑑賞するのは伊語版でお願いしたいところです。

クリストフ・ルセ指揮ブリュッセル王立モネ劇場(フランス語版)

 2011年9月18日のほやほやの公演記録が、 operashare#91944と#92218とで相次いでアップされましたが、前者には3幕で20秒ほど途切れがあるし、後者は2幕の終わりに音声の乱れがあるし、で、もし正規盤が出るなら改めて手に入れたいと思います。それくらいには十分気に入りました。
 フランス語版で、レチタティーボではなく地の台詞で繋いていくのですが、 その台詞の量が、二人一役盤どころか、イタリア語盤のレチタティーボより更に少ないようなので、イタリア語盤で馴染んでいても、その点では抵抗は少ないだろうと思います。歌手の頬に小型マイクがあるのがはっきり見えますが、これは地の台詞を拾うためのマイクなのでしょう・・・歌のところはそのまま舞台に響かしていると思いたい、のは私の希望です。
 違う観点で抵抗があるとすれば、まずは演出でしょう。衣装は完全に現代風、それどころか、王女役は登場時点でトップレスですし(客席には背中しか見せませんが)、メデアも美脚やら谷間やら披露しまくりです。オペラ歌手体形は一人も居ません。
 冒頭から出ずっぱりの二人の子供が大人に隠れてタバコを吸っていたりするクソガキ、クレオンテ王は殆どアル中、王女ははみ出し気味の口紅で軽薄さを暗示、など、それぞれ危ない人物に作っています。時代設定は、勿論ギリシャ神話の時代ではないのですが、現実の現代でもなく、どこかの幻想の世界のようでもあり、そのあたりが、現代衣装で神話の時代の話をやってしまったピド盤での違和感がない理由のような気がします。幕切れでメデアは龍の引く車で天に消えるのではなく舞台には残るのですが、呆然とする人々の前で血まみれのパジャマを畳んで片付けてからタバコを吹かす演出で、こちらの方が好きとも言えませんが、少なくともアントナッチのよりはずっといい。全体としてテオドッシウのと比べると音楽は同じでも劇として全くの別物で、どちらにも引き込まれます。
 その原動力が、(あちらではテオドッシウの声であるのに対し、こちらでは)ナージャ・ミヒャエルの演技だと思います。魔女というより魔性の女です。悪女メイクで普段の顔よりさらに魅力倍増で、二人一役の女優の方に匹敵する迫力、かつ遙かに勝る若さ+美貌(+美脚+谷間)で演じています。2005年にメゾからソプラノに転向したということなので、音域にも無理はありません。第3幕で子供達を一旦下がらせてからの一人芝居の迫力では一番かもしれません。一方、第2幕の終わりは楽譜どおりのBフラットで、演出もメデアの声に焦点を当てていないので、テオドッシウのハイCと比べると物足りなさがありますが、ここでは舞台の奥の結婚式に遠吠えしていたはずの存在が舞台全体を覆うばかりに巨大化するかのようなテオドッシウが凄すぎると思います。
 演出が勝った舞台なので、その他の歌手の歌唱は印象に残りにくいですが、少なくとも穴は開けていません。
Nadja Michael (Medee)
Kurt Streit (Jason)
Christianne Stotijn (Neris)
Vincent Le Texier (Creon)
Hendrickje van Kerckhove (Dirce)
Gaelle Arquez (premiere servante)
Anne-Fleur Inizan (deuxieme servante)
Alex Burger & Louis Malotaux (enfants)

Les Talens Lyriques
Choeurs de la Monnaie
Christophe Rousset (Conductor)
Krzysztof Warlikowski (Stage Director)
Malgorzata Szczesniak (Sets & Costumes)
Felice Ross (Lights)
Stephane Metge (Movie Director)
(2011.10.09追記)

レトンヤ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(ジュネーブ大劇場)

 2015年4月24日の公演のようです。入手した映像には字幕は付きません。指揮者がリスボンと同じレトンヤであるのはつい先ほど気づきました。youtubeにハイライトが出ていますが・・・ちょっとさびしいハイライトですね、これは。ここぞ、という場面が全然入っていません・・・
 ジェニファー・ラーモアがメデアを演じる予定だったのが、病気で Alexandra Deshorties に交代して上演されたものです。フランス系カナダ人で「デスホーティーズ」とカナを振るようです。Deshorties (correctly pronounced "Days Ortee") と書かれた記事も見つかりましたので、デズオーティくらいかもしれませんが。で、この方がかなり良いです。往年の美人歌手ラーモアも、もうかなりのお年のはずですから、 Deshorties で良かったのかもしれません。感じの良い小顔美人でスラリとした舞台姿が格好いいのは、見ていただければ多分賛同いただけると思います。Bキャストで稽古していたとかの事情は全く存じませんが、演技力も十分以上です。惜しむらくは美声ではありませんが、この作品を見続けらていられるだけのものを持っていたと思います。第2幕の最後はテオドッシウと同じくハイCに上げています。ヘ短調のドミナントですから、どちらでも可とはいいながらCの方が普通ですし私の好みでもあります。ハイCはしっかり出ているものの、最後のFをさらにドーンと伸ばしたテオドッシウには及びませんが、これは比べる相手が悪かっただけで、Deshorties も十分盛り上げていたと思います。大詰めのところは一段高いところで炎につつまれて幕が下りたので、さほどの違和感はありませんでした。
 他の歌手は比較的どうでもいい作品とはいいながら、十分良かったと思います。その中ではネリス役がやや不満だったのですが、カーテンコールでは Deshorties に次ぐ位の拍手だったのが私には謎でした。地元に縁のある歌手だったのかしらん?
 演出はブリュッセルの上を行く作り込みでした。子供はやはりクソガキですが、こちらの上の子はハイティーンに見えるくらいの大きい子なので、パン切りナイフでメデアが殺せそうには見えない、という違和感はありました。そのクソガキ二人におちょくられてばかりの王女は、途中で下着姿にされています。クレオンテ王はファッションデザイナーに色目を使っている、という設定だったようです。正直なところ「やり過ぎ」と言われかねないところまで行っていた演出とも思いますが、その後で見た「ロジェ王」の最悪演出と比べるなら十分「マトモ」の範囲内でした。
 リスボンやブリュッセルと比べてみても十分楽しめる舞台だと思いました。
Creonte, Daniel Okulitch
Glauce, Grazia Doronzio
Giasone, Andrea Care
Neris, Sara Mingardo
Medea, Alexandra Deshorties
Captain of the Guard, Alexander Milev
Fashion Designer, Johanna Rudstrom
Her assistant, Magdalena Risberg
(Medea, Jennifer Larmore)
Grand Theatre Opera Chorus
Director Alan Woodbridge
Orchestre de la Suisse Romande

Musical Director, Marko Letonja
Stage Director, Christof Loy
Set and Costume Designer, Herbert Murauer
Lighting Designer, Reinhard Traub
Body Expression, Thomas Wilhelm
Dramaturgy, Yvonne Gebauer
(2015.07.19追記)

 

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