一日だけの王様 :半世紀早すぎた、もう一つの「メリー・ウィドウ」

後述のベニーニ指揮パルマ歌劇場の公演記録映像に日本語字幕を付けました。こちらからどなたでも無料でダウンロード可能です。ガルデッリ盤についていた英語対訳を参照した改訂字幕版も作成しました(’11.03.26)。
字幕作成者のノートは
こちら (’11.04.03全面書き直し済み)。

財務官vs男爵の第1回戦での画面の途切れは、入手したオリジナルからそうなっています。元々売り物にするには厳しいレベルの画質(それでも、途切れる部分を除けば、売り物になっていたアバド指揮パリ・オペラ座のシモン・ボッカネグラよりはマシ)ですが、avi版ではエンコードを繰り返しているので、DVDフォーマットの方が多少はマシなはずです(が私の目では違いはよく分かりません)。avi盤の字幕は一番古いもので、DVD版の改訂字幕版の字幕とは大差があります。

「偽のスタニスラオ」「王国の一日」などの邦題で紹介されることもある、ヴェルディの2番目のオペラです。最後のオペラ「ファルスタッフ」とこれの2つしかないオペラ・ブッファ(喜劇的オペラ)ですが、この作品の方は一般的には殆ど無視されています。第1作「オベルト」がそこそこの成功だったので、(途中のいきさつは省略しますが)ミラノ・スカラ座が次のオペラとしてブッファを要求し、ヴェルディが幾つかの候補の台本から20年ほど前に書かれたこれを選んで作曲したのだけど、初演が大失敗でそのままお蔵入りした、という作品です。

そういういきさつですから、かなり気楽に駄作、失敗作と決め付けられています。・台本が時代遅れでヴェルディ自身気乗りせず契約に縛られてイヤイヤ作曲した、・子供二人を相次いで亡くしたのに続き、この作品の作曲中に妻も亡くしてしまったという状況では面白いブッファを書けるはずも無かった、・ヴェルディはこの作品の失敗で自分がブッファに向いていないことを自覚し、「ファルスタッフ」までの半世紀間ブッファを書かなかった、etc、皆様言いたい放題です。

しかし粗筋(例えばこちらにあります)を読んでみて、面白そうではないか?と思い、聞いてみたくなったのです。普通のDVDでは出ていないので、偶々見かけたCDを買って聞いてみると、はじける音楽が期待以上に楽しいのです。DVDも探せばあるところにはあるので、画質音質には期待できないのを承知で購入し、実際とんでもないシロモノですが、大いに楽しんでしまいました。ブッファを多く残したロッシーニ、ドニゼッティといった先人の作品をそれ程聞いているわけではないですが、それでも最有名作は知っています。で、私が今順序をつけるなら、ヴェルディも含めた3人の遺したブッファの中で一番!にしてしまいます。。。。と最初書いていますが、「セヴィリアの理髪師」「チェネレントラ」はさすがに良いと思います。ただ、この「一日だけの王様」も決して負けていないとも思います。(09.03.22)

この台本は時代遅れなのでしょうか?。作曲時期より20年前のブッファ全盛期に書かれた台本ですから、作曲時期から見れば過去の台本には違いありません。しかし、現在の目で見れば・・・。任務ゆえ恋人の前でも王様を演じつづけなければならない主人公と、その恋人である未亡人の微妙な心の動き、男爵と財務官の馬鹿騒ぎ、その陰でちゃっかりゴールインを果たすもう一組のカップル・・・現代人が喜劇に求める要素が見事にちりばめられているとは思えませんか?。

この作品は出遅れたブッファでもありますが、半世紀早すぎた「メリー・ウィドウ」でもあるのです!(全部が自分の思い付きではなく、永竹さんが著書の中でポッジョ侯爵婦人をハンナに擬えているのを作品全体に拡大したわけですが)。

ヴェルディの活躍した時代の前半はイタリアの「リソルジメント運動」の時代でした。永竹さんの「ヴェルディのオペラ」のファルスタッフの項に、「一日だけの王様」から「ファルスタッフ」までの半世紀間にミラノ・スカラ座で上演された喜劇的作品の全リストがありますが、年間100公演はあるスカラ座で喜劇的作品が1つも上演されない年も珍しくない、というのがヴェルディが生きた時代だったのです。ヴェルディは受ける作品、売れる作品を書こうとしつづけた作曲家でした。適性の有無以前に、需要がない間はブッファに手を染めるはずもなかったのです。同時代にパリやヴィーンではオッフェンバックやJ.シュトラウスのオペレッタが流行っていましたが、イタリアはこの時期のオペレッタ流行とは無縁でした。イタリアでオペレッタが流行るのはさらに後、レハールの「メリー・ウィドウ」からです。古かったはずの台本は実は時代を先取りし過ぎていたのでした。

では何故スカラ座の凄腕支配人メレッリがヴェルディにブッファを書かせようとしたのでしょうか。この次の作品「ナブッコ」の初演に当時のトップ歌手を配役したメレッリには、「ナブッコ」が当たる!と最初から見えていたのと同じくらいに、ブッファが過去のものになっていたのも分かっていたはずなのです。見当はずれ覚悟で想像しますと、ヴェルディの力強い「ブンチャッチャ」の音楽にメレッリがブッファへの適性を見たのではないでしょうか。私の勝手な想像はさておくとしても、「適性の欠如」だの、「やる気を欠いた作曲」だの、の方が、初演で失敗したことだけから実際に聞きもせずに勝手に妄想して作り出した虚像でしょう。現代人が先入観抜きでこの作品を聞けば、ドニゼッティの軽くさわやかな音楽以上にブッファ向き、と感じられるのではないか、と思っています。

結局、初演の大失敗がこの作品の運命を決めてしまったのですが、「ナブッコ」が異常なまでの大ヒットになるような時代だったことを考慮しても、「一日だけの王様」が全く受け入れられないというのは、ちょっと考えにくいのです。永竹さんは、その推定原因として、一つには「愛の妙薬」「セヴィリアの理髪師」と殆ど同じフレーズが出てくる点を指摘しています。前者はともかく後者はかなり繰り返し聞いていますから私にも問題箇所は分かるといえば分かりますが、それとて譜例で具体的に指摘されているからです。ミラノ人が私より遥かに耳の記憶が良くて旋律の類似に敏感だとしても、それでそこまでこき下ろすとは思えないのです。となると、永竹さんのもう一つの推理、意図的妨害工作があったのでは?というのが浮上してきます。私としてはこれしか考えられない、とすら思っています。

まだ聞いていない人には先入観抜きで是非聞いてもらいたいのですが、それには余りにも音源が無さ過ぎるというのが現実ではあります。 →是非こちらから上記映像をダウンロードして御覧下さい!

 

 

 

手持ち音源

1987 Livorno 盤

HouseOfOpera から購入。書誌的情報としては、Krilovici- D'Intino- Terranova- Trimarchi- Picconi; Queler. 1987 Livorno (NP). で全てです。リヴォルノは公演の行われた町の名前です。NPというのは「シロウトの収録」を意味しており、HouseOfOperaの音源の中でも「特に画質音質に期待できない」としている分類ですが、これしかないのですから仕方ありません。その画質音質は・・・1980年代の家庭用ビデオカメラによる学芸会の録画並み、です。序曲の間の暗いオケピットの映像は朦朧として、指揮者の性別すら分かりません。幕が上がってからは色飛びしかけていますが、大分ましになります。ただカメラを複数台使っており、そのカメラワークと編集は、パルマでの「リゴレット」よりは上手いです。音質はマイク以降で載った歪も雑音も酷いですし、マイク以前でも飛行機の爆音みたいなのやら、水がジョボジョボ流れるような音やら、めちゃめちゃです。モノラルではないようですが、舞台の両端で歌われてもほぼ真ん中に聞こえます。歌手については上に書いたとおりで、誰が誰か全く情報が有りません。カーテンコールで指揮者が女性だったことは分かるのですが、それが多分 Queler さんなのでしょう。勿論字幕もありません。

しかし、楽しいのです。どの位楽しいかというと、粗筋だけで見るのでは物足りなくなり、ネット上で対訳を探してみて、しかし原語の歌詞しか見つからなかったので、これをこれまたネット上の自動翻訳にかけ、伊英対訳本?を自分で製本してしまった位に楽しいのです。勿論自家製対訳本を片手に持てばなお一層楽しめました。

酷い音と絵ですが、ドサ回り的雰囲気にマッチしていて意外と気にならないのです。そして、ドサ回りであろうとも、演奏者が真面目なのは伝わってきます。とんでもない録音ながら、声の迫力はむしろ誇張気味に伝えてくれます。CDと比べると、オケとバス陣の技術は落ちるようですが、それが楽しさをいささかも損なわず、むしろ「応援しているからしっかり頑張ってね!」のような気分になれます。女声二人は十分に上手いと思いますし、なかなか美人です。テノールはかなり重い声の持ち主で、役柄とはミスマッチ気味ですが、これも全体の中では良い味を出しています。

ト書きどおりなら場面転換があるはずですが、装置を最初から最後まで置きっぱなしの低コスト手抜き上演、ただし、装置にも衣装にも、ルイ15世の時代もかくや、と思えてくるような見た目の豪華さがあり、花火を使った締めくくりに至るまで、不満は感じません。

 

 

 

シモネット盤(CD)

Alfredo Simonetto 指揮 Orchestra Lirica di Milano della RAI で、歌手陣は Sesto Bruscantini, Renato Capecchi, Mario Carlin, Lina Pagliughi, Laura Cozzi, Cristiano Dalamangas, Juan Oncina と並んでいます。

ケルバール男爵を歌っているブルスカンティーニを、「フィガロの結婚」のフィガロで聞いて気に入っていたこともあり、当時未知のこの作品でしたが買う気になりました。1951年のスタジオ録音です。モノラルですが、声の明瞭度第一の録音のようで、その点では最新録音にも負けません。オケの音はさすがに最新録音と比べると時代がかって聞こえますが、1951年としては優秀で、楽しむのには何の支障も有りません。

ブルスカンティーニ、カペッキ(偽国王役)という国際級の歌手がやはり上手いです。音源としては、リヴォルノ盤とは比較するのも失礼な位に優りますが、やはりオペラは絵でも楽しみたいです。ブルスカンティーニの名人芸で大幅にカバーしているものの、スタジオ録音に伴う臨場感の欠如も否めません。原語で歌詞が入っていますが英語対訳が無いのが残念です。

amazon.co.jp で同じ音源と思われるものが約4000円で出ていますが、私は店頭で1300円で買っています。(04.12.03)

 

 

ベニーニ指揮エミリア・ロマーニャ交響楽団(1997)
Operashare#66895。待望の映像版です。1年余り前にHouseOfOperaのリストに載ったのを早速注文したらLivorno盤がまた届いて、怒る気にもならず諦めていたものですが、Operashareから出てきました。
物理的状態はそんなに良くありませんが、もう一つのLivorno盤がとんでもなく酷いのに比べれば余程マシです。パルマの劇場の記録用映像の流出物、ということは1987年の「リゴレット」と同じような由来のもので、同じような問題点、「暗い」「カメラワーク下手」「アップ控えめ」を抱えています。
ただ、手の施しようも無いほど暗かった「リゴレット」に比べれば画質調整は可能です。加えて、私の環境では音と映像がずれました。
これを一回目はそのまま見始めたのですが、歌手の表情が殆ど見えないのと音声がずれているのとで、特にバリトン3人は、どれが誰かも良く分からない状態になって全然冴えません。WindowsMediaPlayerでコントラストを上げれば表情は見えるようになりますが、明るい部分で白飛びします。DVDに落とすのに使っているAvidemuxでガンマ値を変えるとかなりまともに見えるので、さらに音声を250msec前出ししてもう一度見てみると、、、、大いに気に入りました。

指揮者のベニーニの他、アントナッチ、ガスディア、プラティコ、と他の映像で私が見たことある歌手たちが並びますが、アントナッチが予想を良い方に裏切って最高に良いです。「カルメン」やロッシーニの「エルミオーネ」で、きつい顔立ちをさらにきつくして声も無理に出している印象が強かったのですが、ここでは素直な声と自然な表情で若未亡人を演じていて、この人こんなに美人で美声だったっけ?と見直してしまいました。ポッジョ侯爵夫人役はソプラノとしては音域低めになりますが、このあたりがアントナッチに一番あった音域になるのでしょう。
ガスディアはもっぱら80年代の映像で見ている人ですが、やや漫画チックな年齢不詳系の顔は10年経っても変わらず、娘役を無理なく演じていて、期待通り、です。
プラティコは逆に最近の映像をいくつか見ているのですが、この人は変化が大きい。最近のだみ声とは大分違う軽い声で、顔も腹回りも随分違って見えますが、受け入れてしまえば悪くないです。最近の貫禄とだみ声なら私にはケルバール男爵のイメージなのですが、2001年でも財務官を歌っているようです。
そのケルバール男爵を歌うAntoniozziも中々達者ですが、声質がプラティコと近いのが少し難点、これを克服するためにも画質調整すべきです。
ベルフィオーレを歌うConiの声質は他の二人とは少し違っていて、ちょっとカプッチッリみたいですが、カプッチッリ程の声量はありません。他の二人がバッソ・ブッフォに徹しているのに対し、真面目なバリトンのような顔をしていて、でも実は・・という演技は、最初は分からなかったのですが、これも中々なものです。
Rivorno盤でも重めの声で歌われたエドアルドですが、ここでもCataniが「ドン・カルロ」でも歌うような勢いで歌っています。実はこのカターニも、2001年スカラ座の「オテロ」でカッシオを歌っているのを見たことがあったのでした。元々はフローレスとか、もっと軽いミロノフとか、「ロッシーニ・テノール」的な声が想定されていた役ではないかと思うのですが、もっと重い声でガンガン来るのも楽しめます。

ピッツィの演出も、装置出しっぱなしのLivorno盤とは比較になりません。ごく普通ですが、趣味の良い演出になっています。序曲の間にバレエがあり、それにバリトン3人とガスディアも加わるのですが、なんとガスディアはリフトで登場です。ガスディアだと分かるまでは、何だか重たそうにリフトしているな、と思ったのですが、ソプラノ歌手としては軽量級でもバレリーナとは次元が違う重量でしょうから、よく持ち上げたと評価すべきなのかも。画像はリフトから降ろすところ、これでは誰だか分かりませんが、もう少し後でガスディアと分かります。

あのめちゃくちゃなLivorno盤でも気に入ったこの作品がようやくまともに見えるようになったのです。OperaShareを見える方にはこちらの字幕つき映像ファイルを強くお勧めします。

Parma, 19 December 1997
Marquise del Poggio - Anna Caterina Antonacci
Giulietta - Cecilia Gasdia
Edoardo de Sanval - Cesare Catani
Chevalier Belfiore - Paolo Coni
Gasparo Antonio della Rocca - Bruno Pratico
Baron de Kelbar - Alfonso Antoniozzi
Delmonte - Demetrio Rabbito
Comte Ivrea - Carlo Bosi

Orchestra - Orchestra Sinfonica dell Emilia Romagna ≪Arturo Toscanini≫
Chorus - Cooperativa Artisti del Coro di Parma

Conductor Maurizio Benini
(09.03.22追記)

 

Renzetti指揮パルマ歌劇場
Operashare#81497。何せ音源の乏しい作品ですから見逃すわけには参りません。上記ベニーニ指揮のと同じ劇場での2010年の公演です。装置から小道具までは多分完全に同じで、歌手の立ち位置とか少し違うところも所々ありますが、つまり同じ演出です。画質は圧縮しすぎですが、それでもなお優秀です。オケもまずまず遜色なくやっていると思います。
しかし、これだけ条件が揃っていても、歌手がダメダメだとどうにもならない、という見本になってしまいました。ケルバール男爵が最初から最後まで能面なのには一番参りましたが、財務官もほんの少しマシな程度、ベルフィオーレ役が3人のバス/バリトンでは一番演技していますが、こちらは声に全く魅力がありません。若者二人の容姿だけは合格ですが、棒立ちですし、声に魅力も表情もありません。この全く盛り上がらない中で一人アントナッチが、10年以上前から殆ど衰えの無い美貌と体形を披露しつつ、普通に演技していますが、途中から本気で歌うのが馬鹿馬鹿しくなったのか、周りから浮いてしまわない程度の歌唱に留めていたように思われます。
87年の「リゴレット」や97年の「一日だけの王様」では乗り乗りだったパルマの聴衆がお座なりな拍手に徹していたのが、正直というか流石というか残酷というか。カーテンコールでどうなるのか見てみたいと思いましたが、手に入った映像では残念ながらその直前で切れていました。
全然お勧めではないのですが、「97年と同じ演出であってもここまで変わってしまうサンプル」としては興味深いものでした。
Del teatro Regio di Parma
Direttore, Donato Renzetti
Regia, Pier Luigi Pizzi

Il cavaliere di Belfiore, Guido Loconsolo
Il barone di Kelbar, Adrea Porta
La marchesa del Poggio, Anna Caterina Antonacci
Giulietta di Kelbar, Alessandra Marianelli
Edoardo di Sanval, Ivan Margi
Il signor La Rocca, Paolo Bordogna
Il conte di Ivrea, Ricardo Mirabelli
Delmonte, Un servo, Seung Hwa Peak
(10.07.04追記)

 

ガルデッリ指揮ロイヤルフィル(CD)
1974年のスタジオ録音。唯一の「正規録音盤」だと思います。「トロヴァトーレでも出来そうな豪華キャスト」がどうだ、いうあたりはこちらを先に読んでいました。その豪華キャストの中で、一番良かったのがコッソットの侯爵夫人、アタックがしっかり出てポルタメントが全くかからないピアノ弾き好みの発声で、役柄に求められる程々の若さとしたたかさを演じる声の演技も達者です。パルマのアントナッチも好演でしたが、コッソットだけなら決して負けていません。
カレーラスのエドアルドとノーマンのジュリエッタは、アンサンブルでは良いのですが、それぞれアリアでは貫禄があり過ぎで、特にノーマンの登場のアリアはどうにも若い娘には聴こえません。で、一番良くないのがヴィクセルのベルフィオーレで、この人はシャイー指揮の映画盤「リゴレット」でもそうでしたが、やり過ぎるのです。しかも声に魅力がありません。
男爵と財務官が、豪華キャストに該当するかどうかも知らない人達ですがブッフォ畑なのでしょうか。悪くはありませんが、アントニオッツィとプラティコに比べると薄味です。ガルデッリの指揮はややメリハリに欠けます。
と、文句を散々書いておりますが、元々1997年パルマ以上の演奏を期待して購入したCDではありません。台本の英語対訳がついていることが分かったので購入した次第です。という事情は「ダントンの死」のCD購入と全く同じですが、あちらの演奏会形式上演のライブ録音よりは、スタジオ録音のこちらの方がまだ大分マシ、とは思います。
Royal Philharmonic Orchestra
Lamberto Gardelli

Il cavaliere di Belfiore, Ingval Wixell
Il barone di Kelbar, Wladimiro Ganzarolli
La marchesa del Poggio, Florenza Cossotto
Giulietta di Kelbar, Jessye Norman
Edoardo di Sanval, Jose Carreras
Il signor La Rocca, Vincenzo Sardinero
Il conte di Ivrea, Ricardo Cassinelli
Delmonte, Un servo, William Elvin
(11.01.16追記)

 

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