7.「虫干し」の余波

 

こちらに書きましたように、スクリアービンの4番で「虫干し」を始めて見たわけです。で、弾けていた時のイメージを一旦忘れてテンポを落として練習していた時の気分に取り戻せて、そうすると、荒れていた箇所の修理が着々と進んだのです。

そこで色々考えてしまいました。

以前にそれなりに練習していて、しかし今は弾けなくなっている曲は幾つもあります。こういう曲を久しぶりに弾こうとすると、「過去の栄光」(という程元々弾けてなかったのだが)に引っ張られて尚更弾けない⇒弾きたくなくなる、
となるのがこれまでの常で、そうなると過去練習した曲は不良在庫の山になってしまうのですが、

譜読みの頃の気分までしっかり戻る⇒最初の譜読みよりは読めているから弾きやすい⇒どんどん弾きたくなる、
とできるなら、過去練習した曲の在庫が宝の山になります。

スクリアービンの4番の順調な進捗から、「気の持ちよう」だけでこれだけ変わるなら、と手を出してみたのが、スクリアービンの10番です。スクリアービン4番、スケ4等と共に1993年に演奏会で弾いていて、他の曲よりは劣化の進行は遅かったのですが、後で他の曲をそれぞれ再建した結果、この曲が取り残されていました。

Allegroの第1主題の手前までなら楽譜を見ながらすぐ弾けます・・・弾き始めると、あたりの空気が変わるような気がします・・・カワイの3サイズを素人が弾いて空気を変えるような音が出るはずはなく、そんな気になるのは「弾いている私」ではなくて「聞いている私」に依存しているのは明らかだ、とは思いますが・・・。

弾いていた頃から多少怪しかった展開部とかコーダはともかく、第1主題が満足に弾けなくなった時点で楽しく弾けなくなってしまった、のですが、「気の持ちよう」で、この箇所も譜読みしなおすつもりでゆっくり弾けるようになりました。そうなると、もう止まりません。虫干し途中の4番も、伸び悩み途中のプロコフィエフ7番3楽章も押しのけて、毎日何回も弾いております。

左の五十肩?はやっぱり本当に五十肩なのかもしれません。4番のコーダの大跳躍ではかなり気になります。10番でも展開部の最後で両手で高音の和音連打する箇所で体ごと向いてあげないと辛いです。

これまで、どうせなら弾いたことの無い曲を弾こう、という意識は持ち続けていました。しかし、この10番なんか、老眼進行中の目では、最初からの譜読みなんて絶対やる気にならないような譜面です。こんな曲がわずか1週間で(Allegro はゆっくりのままですが)楽しく弾けるようになるというのは、お得感があります。それなりにピアノが弾ける状態が人生でどれだけ残っているか、と考える年齢になってきたのですから、残された時間の有効活用も考えなければなりません。

元々そんなに色々な曲を弾いていませんから、そのまた次の虫干し候補曲をすぐには思いつきませんが、当面は4番と10番の虫干しだけでも時間が足らない状況が続きそうです。

プロコフィエフ7番3楽章とどっちがいい?と聞くと、家内は低音のやかましいのが苦手なのでスクリアービン10番の方が少しだけマシ、長男は元気のいい曲の方が好きなようです(次男は・・・圏外)。

「そのまた次の虫干し候補曲」として、スクリアービンの6番も弾いてみました。細かい音符が出始めるまでの最初4頁だけですが、本当に久しぶりな割りには弾けるじゃないの、と思って弾いてみてから、「大分前に弾いた時には"ちょっと勘弁"みたいに言われていた曲だけど、どぉ?」と家内に聞いてみたら、「前もそう言ってたの? 今回も同じことを思ってました」のだそうで。子供にも10番と比べて明らかに不人気なので、これは封印継続もやむなし、です。

 

 

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