愛知県碧南市 新須磨海水浴場の誇り「衣浦勝景」石碑 往時の景観を伝える

碧南市 失われた海を探して

新須磨海水浴場の石碑

「衣浦勝景」の文字が伝えるかつての情景 「弁天島」の思い出は石垣に

「衣浦勝景」の石標

<大浜上の熊野神社西入口にある「衣浦勝景 愛知県」の石碑。大嘗祭の名誉を掲げ、大正4年に大濱町が建立。喜びに満ちる先人達の姿が思い浮かぶ。衣ヶ浦の情景が消えようとは、誰が思っただろうか。やさしい波音は産業道路を走る自動車の通過音となり> かつての海岸線沿いを示す堤防には、地元学生の描いた絵画が続く。 新須磨海水浴場は大浜上の熊野神社西を端としていた。その大浜上の熊野神社西入口に、高さ302センチの石碑が立つ。 「衣浦勝景 愛知県」と誇らしげに文字が刻まれている。この石碑は大正4年(1915)11月、大典記念として大濱町が建てたもの。 大嘗祭の悠紀地方風俗屏風絵の歌としての題材に、風光明媚な新須磨海岸が選ばれた名誉は、当時の大浜町民にとって大変喜ぶべきものだったのだろう。 「衣浦勝景 愛知県」石碑の他にも大浜には、宝珠寺に「永井直勝誕生の地」、称名寺に「東照山 称名寺」の石碑を同時期に建てた。 大嘗祭の名誉を期に観光地としての発展を望む大浜の期待を感じさせる。 誇らしげな「衣浦勝景」の言葉も、海を失った今となっては淋しい限り。 海を埋め立て出来た産業道路から聞こえる自動車の通過音。 それがまるで波音のように聞こえるのは、なんとも皮肉なことだ。

「ここに道あり」の石標

<大浜上の熊野神社の入り口、南の大鳥居を越えると「ここに道あり」の石碑が目に留まる。海を知る人々の記憶に残った弁天島の入り江。その存在を今に伝える石碑。唯一残った石垣の風合いは、海を知らぬ世代にも、どこか懐かしい気持ちにさせてくれる> 大浜上の熊野神社の入り口である南の大鳥居を越えると、再び階段が見えてくる。 その階段の続く石垣を西へ辿ると、他とは違った石垣が現れ、上にはある一文を記した石碑が姿を見せる。 「ほんの少し前、この境内広場は舟寄せ入り江だった。入り江沿いの土手下に狭い帯の小路があった。新須磨海水浴場へ通じる。このあたりは夏になるとたいそうなにぎわいだった。この石垣が今それをなつかしんでいる」とは、 「ここに道あり」と題し、平成2年(1990)11月に御大典記念として建てられた石碑の一文である。 石碑の示す通り、昔は小さな入り江が存在しており、その中心には弁財天を祀る島があった。 入り江の突堤には灯籠が設けられ、素朴な漁村風景を成していたそうだ。かつての海を知る人々の話題には、必ず挙がる弁天島の入り江。よほど人々の記憶に残る美しさだったのだろう。 埋め立てられた現在では、面影を望むべくもない。高さ160センチ、幅180センチ・170センチの大きさのみに残る石垣の風合いだけが海の名残を感じさせる。

ヘボト自画像ヘボトの「潮の香りは記憶を呼び覚ます」

松の生い茂るなかにベンチが一つ

「松林のベンチ」

新須磨海水浴場が消滅しても、かろうじて海岸線沿いにあった松林は残った。 地面は、砂浜特有のサラサラした砂の粒の名残を見せ、根上の松の姿。 夏の強い陽差しを避け、人々はこの松林に涼を求めた。 心地良い潮風と波音だけが通り過ぎ、なんと気持ちの良い空間であったのだと想像する。 海があった時代の心地良さには遠く及ばないが、今でもこの松林の間に身を置いていると、心安らぐ気持ちになる。 新須磨海水浴場の記憶を忘れられない人がいるのだろうか? コンクリートのベンチを見つけた。 時代を感じさせる簡素なデザイン。表面のボロボロから、ひょっとしたら海水浴場時代に既にあったものかも知れない。 ベンチに座り、ひとり静かに時を過ごす。不思議と海の匂いがしてくるのはなぜだろう。

< text • photo by heboto >


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