愛知県碧南市 新川「西光寺」の墓地で遭遇 数えてもお地蔵様がひとり…

碧南色即是空

西光寺六地蔵プラス1

7つ数えてしまう不可思議な世界 西光寺では「六地蔵」ならぬ「七地蔵」?

7体のお地蔵さま

<6体は同じような大きさ、デザイン。しかし7体目のお地蔵さんは違っていた。大きな耳、コミカルな表情、このお地蔵さんの正体はッ誰も知らず> 「麦えまし」の伝説残る浅間神社の鳥居前から北へ向かえば見えてくる西光寺。 二本木の医者であった「森逸勝」の屋敷門を移築したという山門は、簡素ながら威風堂々とした雰囲気を伝えてくる。 大浜の名刹「西方寺」第30代住職「清澤慈慶」の弟、「慈恩」が寛延2年(1749)6月に鶴ヶ崎で講堂を開いたことに始まる歴史。 境内には新川の実業家「岡本八右衛門」が寄進した供養塔があり、鶴ヶ崎民衆の心の拠り所であったことを物語る。 そんな西光寺で不思議な存在を見つけた。墓地入口にあるお地蔵さまの御堂。 お地蔵さんを「1,2,3」と順に左から数えていくと、数字は不思議に7つまでいってしまう。墓地の入口にあるお地蔵さんといえば「六地蔵」である。 六道である「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天」を表し、どの世界においても救いの手を差しのべてくれるという意味合いを持つ。 7番目の世界を救うお地蔵さんは「何界」なのだろうか。 西光寺では6番目までのお地蔵さんは、みな同じ意匠を持つ姿。 だが、7番目のお地蔵さんは少しだけ背が高く、デザインも微妙に違う。 耳が異様にでかくて、ビックリ目・突きだした唇となっている。でも外見はお地蔵さんである。 はたしてこのお地蔵さんの正体は?

ヘボト自画像ヘボトの「有相無相(うそうむそう)」

西光寺の参道は煉瓦敷き

「相生から西光寺まで」

相生に昔、代官所があった。現在の相生・神明社辺りがそうではないかといわれている。 明治初期の地図によると、相生の神明社から西光寺前までの道が存在していた。同じ明治の時代には、その道も消え失せ、知る人はいなくなった。 相生の神明社すぐ南に、ゲートボール場。そこから南下する小道を発見。その小道は新川小学校近くのすずや文具店まで、250メートル程あった。 この道がその名残では?西光寺まであと300メートル程だが、残念な事に続く道は見あたらない。しかしその見つけた小道、いかにも古い道といった風情を現していて、歩いてみるのも面白い。

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