愛知県・碧南市 あれは何だ?! 真っ赤な塔「棚尾火の見櫓」のイルミネーション

碧南イルミネーション

棚尾火の見櫓 (たなおひのみやぐら)

街を守る火の見櫓に電飾が 商店街に灯るクリスマスツリーの光に未来

月と火の見櫓

<岡崎街道と呼ばれた道を行けば、高さ10メートル以上はあろうか、電飾された塔が現れる。敷地で古い木造建築多く残る棚尾を見守る火の見櫓。歴史的な景観を堅持するという風土のなか、唯一の高層建造物である。月一つの夜空に何故か映える火の見櫓のイルミネーションを楽しむ> 大浜の湊橋から続く「岡崎街道」は棚尾の区域に入ると「棚尾本町通り」と名を変える。道沿いには毘沙門さんで有名な「妙福寺」がある。天正10年(1582)6月4日に「本能寺の変」の動乱から、大浜へと逃げ着いた徳川家康が、一路、岡崎を目指す途中で立ち寄った事でも知られる。 その妙福寺の向かいには消防団の施設がある。歴史的景観を堅持する棚尾にとって火災は最も恐れる災害である。故に一等地にかかわらず、迅速に消火活動出来るよう置かれているのだ。 さて、この消防団施設の敷地が何故か明るい。見上げてみれば火の見櫓が電飾のラインに包まれている。 赤と緑と黄色という組み合わせは、どこかアジア大陸的な色彩を思わせる。 高層建築物のない棚尾のまちである。電飾された火の見櫓は遠くからでも目立ち、新たな冬の風物詩となっていくだろう。

商店前のクリスマスツリー

<棚尾の街は頑張っている。劇場「三栄座」が昭和53年(1978)に閉館してから人の波は消えた。往時の賑わいを取り戻そうと棚尾本町通りの店主達は策を練る。クリスマスシーズンを迎え、お揃いのクリスマスツリーを用意。キラキラとした電飾の輝きが道行く人を楽しませている> 明治30年(1897)頃、八柱神社の裏に「三栄座」という劇場が誕生した。 この三栄座へ来る客を当て込んで、客相手の商売が発展し、棚尾のまちは歓楽街として名声を得ていた。 昭和12年(1937)頃から三栄座は映画専門館となり、映画全盛の時流に乗ってさらに栄える事となる。 だが、映画産業の衰退と共に昭和53年(1978)に三栄座は閉館する。以後、それまであった人の波は嘘のように消え、棚尾は閑散とした街となった。 クリスマスシーズンになると、棚尾本町通沿いの商店街には高さ1メートルほどのクリスマスツリーが各店先に並ぶ。 キラキラと電飾の点滅。年々消えていく通りの明かりを補うように一所懸命に華やかに。 いつしか再び人の波は棚尾にやってくる。私はそう信じたい。

ヘボト自画像ヘボトの「電飾紀行(でんしょくきこう)

古い様式を伝える歯科の建造物

「医院や薬局の多い棚尾」

「棚尾って医者や薬屋が多くない?」、最近、碧南市へやって来た知り合いが、そう呟いた。 大浜に生まれ育った私は気づきもしなかった。昔から医院や薬局を含めた風景を棚尾だと認識していたから、あえて意識することもなかったのだ。 だが思い出してみれば、子供の頃に病気になれば親はすぐに棚尾へ走ったし、私がこの世に生を受けたのも『小沢医院』である。 源氏橋から続く棚尾本町通りを見てみても歯科を含む5つの医院と2軒の薬局があった。 特徴的なのは古くから営業をしていること。妙福寺の西にある『井上歯科』の西洋様式的なディテールを持つ建造物は歴史を感じさせ、芸術としても見ごたえある。 もし棚尾の街を散策する機会があれば、医院や薬局の多さに注目して歩いてみよう。

< text • photo by heboto >


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