愛知県碧南市 午後から限定200杯のお汁粉の無料接待を楽しみに「称名寺」へ

大浜てらまちウォーキング

お汁粉と称名寺

大浜の「母ちゃん」に叱られる中学生 懐かしき母親像がお汁粉と共に

お汁粉が中学生に配給される

<歴応2年(1339)に創建し、以後650年以上も大浜の人々に愛され続けてきた「称名寺」。歴史ある寺院には気っ風の良いおばちゃん達が「お汁粉」を振る舞う。横着をする子供には、たとえ他人の子といえども叱りつける姿に大浜の「おっかちゃん」像を久しぶりに見た気がした> 歴応2年(1339)に志貴庄大浜郷の正阿が声阿弥陀仏を開基として創建した称名寺。大浜の港を支配していた和田氏の手厚い保護を受け、三世「眼阿弥陀仏」の時代には、二一間四面の本堂、二十の子院を持つ大伽藍を形成していた。 天文12年(1543)2月、称名寺で開かれた「夢想之連歌」において、松平広忠は脇句「めくりはひろき園のちよ竹」と詠んだことから、徳川家康の幼名「竹千代」が生まれた。大浜の地に創建されて650年以上の歴史を誇り、門前の庶民にも親しまれてきた称名寺。 名刹であるが故、今回はたくさんの人が押し寄せているだろうと思い、訪れてみると、いつものように静寂とした境内。 「お汁粉の無料接待」ブースでは、淋しそうにおばちゃん達が佇んでいた。限定200杯、開始時刻の午後1時は過ぎているのに行列は無し。 テーブルに置かれた「碧南市商工会議所」「大浜下区婦人会」のチャリティー募金箱に硬貨を落とす。音から察するにあまり募金は集まっていないようだ。 中学生らしき男子達がやって来た。自転車に乗ったまま横着にお汁粉を貰おうとする。 途端に「ちゃんと降りなさい、こぼすから!」と怒鳴るおばちゃんが縦にも横にも現れる。さすが大浜の男を尻に敷く女性達である。

ヘボト自画像次回予告 第12回 『旧大浜警察署を探検する』

大正ロマンを漂わせる階段 大浜の象徴的建造物といえば先ず、文久3年(1863)に建立された西方寺の「太鼓堂」の名が挙げられる。 明治4年(1871)に起こった「鷲塚騒動」は、この太鼓堂が「新民序」として開校した際に掲げられた菅原道真像が平田篤胤と勘違いされた事が一因となった。 そして西方寺の太鼓堂と双璧を成す建造物が大浜にはある。湊橋の辺にある「旧大浜警察署」だ。 大正13年(1924)6月に大濱町の寄付によって建てられ、昭和36年(1961)に松本町へ警察署が移転するまで使用されていた。 八角形の監視塔が特徴的で内部とも大正時代の面影を今に残している。 旧大浜警察署では、「大浜てらまちウォーキング」当日は土人形と盆栽の展示が行われていた。 ただ私の目的は土人形と盆栽だけではない。普段は閉じられる旧大浜警察署内部をじっくりと観察出来る機会が訪れたのだ。 ■第12回『旧大浜警察署を探検する』

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