愛知県碧南市 迷宮の元刈谷にて 地図上にある寺院5つが並ぶ不思議を考える

旅する大浜街道

第13回 元刈谷・五つの並び

東西に並ぶ5つの寺院 監視する路地 元刈谷には隠された謎がある?

<元刈谷最大の謎 地図を見れば一目瞭然 東西一直線に並ぶ五つの寺院 この不可解な配置の意図は何か?また集落のお地蔵さん達は何故、片膝を立てている?> 元刈谷と刈谷との集落境近く、明治用水の支線が流れる辺りに元刈谷集落の謎がある。現地にいては気づかない。 地図を見てみると、5つの寺が横一列に並ぶ恰好となっている。なぜこんな配置に? 刈谷城との関係か?また集落に点在するお地蔵さん達は、片膝を立てている恰好。碧南では目にする事のない姿。 不思議な集落、元刈谷の謎である。

<到来した車社会においても、なお残り続ける。巧妙に湾曲させた小道は部外者を混乱させ、集落外へと追いやる。> 元刈谷には、未だに車の通り抜ける事の出来ない幅の道が主である。両脇の家々が圧迫するかのように立ち並び、通過する者は常に監視されている。 微妙に湾曲させ、集落外へと部外者を吐き出させる道路設計。町を守るという意識が希薄な現代において、いかに先人達が外敵を恐れてたかが、見てとれる。 この仕組み、深刻化する環境問題・治安問題に悩ませる現代において有効な解決策の1つだと思うのだが、どうだろうか。

ヘボト自画像ヘボトの”ここもぜひ見ておきましょう”コーナー

「元刈谷の疣地蔵」 松坂町交差点から東に入った場所に疣痔蔵(いぼじぞう)の御堂があります。 延宝9年(1681)に神谷忠左衛門さんが建立したものです。 また神谷忠左衛門さんは、大浜街道から楞厳寺への参道を整備した人でもあります。 このお地蔵さんは、始め松坂町にあり、大浜街道の改修時に移転。また昭和44年(1969)の 区画整理で現在の場所に落ち着きました。このお地蔵さんには、疣が治るとの御利益があるといわれています。

次回予告です、お楽しみに!

「小垣江道?・正木町にて」

再び、私は大浜街道へと戻る。現在の大浜街道といえる県道50号(名古屋碧南線)は元中根の交差点まで一直線の道筋をたどっていた。 その「元中根」交差点の角には「身代わり地蔵」の鎮座する御堂が西を向く。白木の輝きみせるお堂に風雪を経た感のある地蔵像が印象的だ。 大正15年(1926)に現在の地へ移転したと伝える由緒書きが目に留まる。元中根は、狭いながらも昔から存在したと地元の人は教えてくれた。 だが、手前に疑惑の小道が歴史好きな私を導いている。御幸町、和菓子屋・表装屋・鰻屋と続く、「小垣江道」という名の道である。 ■ 第14回 「小垣江道?・正木町にて」 へ

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