愛知県碧南市 全滅の悲劇ある村木砦を訪れる 境内にて戦国時代に思い

旅する大浜街道

第22回 村木砦の空堀は今も

戦国時代の凄惨な歴史を持つ村木砦 今も残るという空堀を辿ってみる

八剣神社境内の巨木

<この場所で幾多の戦死者が出たかと思うと重く沈んだ気持ちになる。生い茂る笹藪から武者が現れるかもという強迫観念。静寂に包まれ、訪れる人少ない村木神社。時折やって来るディーゼル列車の轟音に飛び上がる!> 森岡・開眼寺の東脇を進んでいく。国道366号の喧噪を抜けと田園風景広がる静かな地へ出た。畑の中の参道先には鬱蒼と茂る神社の森、八剣神社だ。 昼なお薄暗い境内に「史跡・村木砦址」の石柱。 この八剣神社のある場所は、戦国時代に村木砦があった場所。 信長公記で「その数がわからないほどの負傷者や戦死者が出て、目も当てられぬ有様」と記された村木砦の戦い。 人気無い静寂の中、いきなり轟音を発し現れるディーゼル車には驚かされた。

空堀跡入口のお地蔵さん

<村木砦の空堀が今でも残る?国道366号、和菓子店向かいのお地蔵さんより始まる道は空堀の跡だった。大浜街道はこの空堀跡の道を通る事になるのか?> 八剣神社前から参道を戻り、開眼寺から来た道へと再び戻る。道は蛇行する形で国道366号へ。 東浦名物「いりみ貝もなか」「史蹟ようかん」を売る松華園・森岡店の東に出る。 向かいのお地蔵さんが立つ小道へと進む。この小道は右へ曲がり再び国道366号に現れる。 この小道、実は村木砦の空堀の跡だというのだ。「我先に手柄を!」と信長の兵が空堀を乗り越えようとし、 必死に追い払う村木砦側の兵。この空堀に多くの屍が重なり合った事を想像する。 この村木砦の空堀であった道を越えて大浜街道を行く。「俺の屍を越えていけ…」そんな言葉が心に浮かぶ。

ヘボト自画像ヘボトの”ここもぜひ見ておきましょう”コーナー

「村木砦の戦い」解説案内 「村木砦の戦い」 戦国時代の戦いに関する遺構が多く残されている森岡。森岡郵便局西にある村木神社は織田信長が村木砦の戦いの時、本陣を置いた場所です。 村木神社は丘陵地帯の中腹にありまして、「確かに本陣があったな」と思わせる立地をみせてします。舞台のような境内で歴史に思いを馳せるのも面白いと思います。 他にも戦勝を祝った飯喰場、戦死者を弔った首塚などあります。他の戦であるが大府高校南には、徳川家康と水野信元が数回対峙した石ヶ瀬古戦場があります。 森岡は戦国時代好きな方にとって実に面白い場所です。

二宮金次郎さんの陰知っていると便利、勉強しましょう!

八剣神社 天文23年(1554)1月24日、織田信長・水野信元の連合軍が、今川義元軍、松平甚太郎義春を城将とする村木砦を攻めた。 熾烈を極める激戦の末、村木砦は陥落した。のち元亀2年(1571)水野信元の家臣であった清水八左右衛門家重・清水権之助政春が 村木砦の戦いで戦死した死者の魂を弔うために村木砦のあった場所に八剣神社を建立した。

次回予告です、お楽しみに!

大府への道筋を示す標識

第23回 「大府は、おしも井戸から」

大浜街道は国道366号を通り、石ヶ瀬川を渡り、武豊線を潜り、東海道本線・石ヶ瀬跨線橋を越えると考えた。 巡る先であった老人は「以前はもっと東側を通っていて、踏切があったことを覚えている…」と呟く。ならばそのルートを探してみようと意気込み、辺りを彷徨く。だが、大規模な農地整理が行われたらしく、手掛かりは全くなし。 武豊線(明治19年開通)を頼りに推理し、痕跡を探すがダメ。諦めて現在の国道366号で次の集落「大府」へ。 集落の入口には、刈谷にて宿を断られた「弘法大師」が目の不自由な老婆を助けた伝説の「おしも井戸」がある。 ■ 第23回 「大府は、おしも井戸から」 へ

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