愛知県碧南市 東浦町「森岡」 穏やかな雰囲気の開眼寺で一休みをする贅沢

旅する大浜街道

第21回 開眼寺と常夜灯

森岡「開眼寺」の前にある広場にて 昔はここから船が見えたという常夜燈

開眼寺の石仏2体

<開眼寺前の雰囲気は、大浜の妻薬師堂前の雰囲気に似ている。狭い道が集合し、この開眼寺前でのんびりとした広場を作る。道行く人たちの休憩場といった風情> 地図が示す通り、左の道を進む。昔の姿を偲ばせる低い軒先が続き、開眼寺へと突き当たった。 風雪を経た石垣が並び、山門の石柱前には観音様か?はたまた地蔵様か?と正体がわからない程、風化した石仏が2体並んでいた。 この開眼寺前、色々な方面から来る小道が一同に会し、広場となっている。雰囲気は大浜・妻薬師堂前と同じ休憩・憩いの場といったふう。 山門を越えると左手に真新しい御堂に坐像、享保15年(1730)建立の大きなお地蔵さんだ。本堂前で待ち構える狛犬を横目に本尊さんにお参りする。

老人の家前の常夜灯

<森岡の集落が海に面していたという事実。老人憩いの家にある弘化2年(1845)建立の常夜灯、この場所から海を行く船が見えたという。昔、対岸の熊村との間に渡し船があった> 開眼寺の西隣からパチパチと音が聞こえる。老人憩いの家で囲碁を打つのか、将棋を指しているのか、難しい顔をした老人達の顔が覗いた。 老人憩いの家前にある一対の常夜灯は弘化2年(1845)に建立されたもの。武豊線の通る辺りが海だった頃、ここから海を行く船が見渡せ、また船もこの常夜灯を目印としたという。 森岡では、対岸の熊村(刈谷市)との間に渡し船があったという。常夜灯の西にあった臨江庵(現・村木大地蔵)が渡し船の管理をしていた。

ヘボト自画像ヘボトの”ここもぜひ見ておきましょう”コーナー

街道沿いに八百円商店 「東浦町・旧道のお店巡りは楽し」 近年、目覚ましい発展を遂げる東浦町の商業。国道366号沿いには新規開店の看板が続きます。 人目を惹く新しい店舗とは対照的に昔ながらの商いをする旧街道沿いの店。 森岡・開眼寺前にある八百円商店というお店を見つけました。「800円」という値段に由来すると勘違いしていましたが、本当は「八百・円」という八百屋さんの屋号の意味だそうです(情報提供・多謝!)。 歴史を重ねてきた店を訪ねるのも街道巡りの楽しみです。

二宮金次郎さんの陰知っていると便利、勉強しましょう!

大非山・開眼寺 慈眼庵として秀岳栄公の開基により1500年代に創建される。宝暦5年(1755)に現在の開眼寺と改称した。曹洞宗、本尊は如意輪観世音菩薩。

次回予告です、お楽しみに!

開眼寺東を通る

第22回 「村木砦の空堀は今も」

大府市中央図書館所蔵「大府市史」付録の天保12年(1841)作成の古地図では、開眼寺と八剣の森(八剣神社)の間に道の存在が確認でき、また神社の東側にも道が見て取れた。臨江庵跡(今の村木大地蔵堂)が往時、村の集会所だった事も考えてみると、もう一つ道が浮かんでくる。 どのみちも昔の風合い残す道である。先人達の歩んだ街道はどの道か…。 八剣神社は戦国時代に存在した「村木砦」跡に建立された社である。 天文23年(1554)1月24日、織田信長は今の村木神社に本陣を構え、この村木砦を襲った。 凄惨な戦いに攻めた織田信長側にも多くの戦死者を出した。 街道の詳細は不明だが、今回は「村木砦の戦い」のあった八剣神社へと足を進めることにした。 ■ 第22回 「村木砦の空堀は今も」 へ

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