愛知県碧南市 「大府市」地名の由来はここにあるという大清水地蔵を訪ねて

旅する大浜街道

第25回 大府を出る 大清水地蔵にて

旧・大府村の出口にて「大府」の由来 大清水地蔵を訪ねてみると

古い店構えの雑貨店

<駅が現在より南の位置にあった頃の駅前通に大浜街道は出た。旧駅前通りを東に行き、かつての県道50号と同じ道筋に。交差点角の雑貨店、古い瓦葺きの屋根は、長年続いた鉄粉飛散により錆色> 大府市の玄関、JR大府駅が開業したのが明治20(1887)年9月10日。駅舎は現在の位置より少し南へ行った場所、今の自転車置き場あたりにあった。 駅舎が元あった場所からは、東にのびる道、旧駅前通りに出た大浜街道。刈谷市郷土資料館で見た地図によると、 大浜街道はなだらかに右に進み、旧県道50号と同じ道筋となるのだが、マンション・店舗が建ち並び、当時と同じように進む事は出来ない。 旧駅前通を東へ進む。県道50号との交差点「中央町3」角に「日用百貨フカヤ」という店がある。 木枠のガラス戸から覗けば、商品が新聞紙に包んで売られている。 屋根瓦の錆色は、長年、駅近くで営んできた証である。 大浜街道はここから先、旧県道50号と同じ道筋となり、北へ進む。

赤い幟立つ大清水地蔵

<大府の名の由来はここ大清水地蔵に。今も残る井戸。昔、街道を行く人々はここで渇きを潤した。車の往来が激しいこの場所で、お地蔵さんは今も昔も変わらず見守る> 旧県道50号と同じ道筋となった大浜街道は「中央町1」交差点で現在の県道50号と合流。ここから500メートル程、 現・県道50号として北上する。その途中、レンタカー屋の陰に隠れて赤い幟の連なる地蔵堂を発見。 名を「大清水地蔵」という。応仁・文明の時代に七津大夫(ななつたゆう)が大清水に移り住み、 村の名を「大夫」とし、後にそれが「大府」となった。 大清水というは名は、この場所から豊富な湧き水が出た事による。 「昔、この辺りに茶屋があり、遠出する時には親切にこの湧き水を水筒に入れてくれた」と、通りがかった老人が教えてくれた。

ヘボト自画像ヘボトの”ここもぜひ見ておきましょう”コーナー

歴史民俗資料館入り口 「大府市歴史民俗資料館」 大府駅前から南へ、大府市図書館に隣接する「大府市歴史民俗資料館」です。 事務所のような入口で、入館者票に記入すると見学出来る仕組み。 薄暗い中を行くと、農家の3人が出迎えてくれます。板敷きにムシロという農家の貧しかった時代を伝える原寸大ジオラマ。 古民具好きな人は喜ぶ展示物が並ぶ。長いスロープを行くと2階へ。 大府市内で発掘された遺跡を主に展示。昭和50年代の大府市立体ジオラマが壁にあります。 午後5時までで、入館料は無料です(2004年時点)。

二宮金次郎さんの陰知っていると便利、勉強しましょう!

大清水地蔵(おおしみずじぞう) 大清水の延命地蔵尊は明和4年(1767)に建立された。応仁・文明の乱(1467~1477)に都落ちしてきた七津大夫(ななつたゆう)が、 この大清水に七津屋敷をつくり移り住んだ。大夫は素晴らしき人物で、人々が村の名を「大夫」とする程であった。 この「大夫」が後に「大府」となった。

次回予告です、お楽しみに!

北を示す道路案内板

第26回 「追分・浄通院で」

刈谷市郷土資料館で見た明治時代の地図によると、大府駅から共和駅区間の大浜街道は東海道本線を中心に据えて蛇行する形を取っていた。 現在の地図に照らし合わせみる。その足跡をたどることは絶望的だと肩を落とすことになる。重なる道と思える箇所もあるが、ほとんどが地点といった単位のものに過ぎない。 困り果てて道行く人に声をかけるも「地域の寺院に聞いてみたら」との、つれない返事。素直に従い、大府七福神巡りの恵比寿尊で有名な「浄通院」のお世話になる。 ■ 第26回 「追分・浄通院で」 へ

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