愛知県碧南市 追分「浄通院」の境内で面白い話を聞いてしまい、道を誤る?

旅する大浜街道

第26回 追分・浄通院で

追分にあるただ1つの寺院 「浄通院」で昔の大浜街道について尋ねてみた

追分の浄通院

<「お爺さんの時代に線路の向こうに道はあったが、地元の人はあまり通る事はなかった」と語る浄通院の方。東海道線敷設に関する墓地の話、近辺の溜池の話、ガンジ山の思い出など面白い話を聞く> 刈谷市郷土資料館蔵の地図によると大浜街道は、大清水地蔵から国道23号線共和インターにかけての区間、東海道線の右や左を蛇行する形で北へ向かっている。 この辺り、神社は多いが寺院は追分の「浄通院」しかない。道の存在を確かめに、現・県道50号を北上し、追分の地、「浄通院」へ。 県道50号の喧噪とは無縁の静かな浄通院。山門前でお話を伺った。線路沿いに道はあったが、辺鄙な道で利用する事は少なかったという。 今の線路敷地は昔、浄通院墓地で随分土地を譲った話など面白い話を聞いた。

大清水地蔵へ向かう狭い道

<「線路の向こうにある道より、うちの東を通る道を使った。この道は追分の本通りだよ」と浄通院の方が教えてくれた道。あの大清水地蔵から続く道は、追分を経て桶狭間へ。さらに旧東海道・有松へと向かう道だった> 浄通院の方が話してくれた面白い話のなかに、道に関して興味深い内容のものがあった。 浄通院のすぐ東を走る道は、この付近の集落を行き来する道であって、昔は多くの人の往来があったという。 その道は何処から続いているかというと、先程行った「大清水地蔵」からだという。 試しに浄通院から大清水地蔵を目標にその道を行ってみる事にした。 途中の山祇社は又右衛門新田(通称・一ッ屋)を開墾した又右衛門が祀った神社。 森深い山の天辺は遠くまで見渡せた事だろう。道は南へ下る度に狭くなり、車一台分の幅になる。残念ながら古い屋敷等は確認出来ない。 右曲がりの道を行けば、県道50号、見覚えのある大清水地蔵の赤い幟が見えた。

ヘボト自画像ヘボトの”ここもぜひ見ておきましょう”コーナー

ガンジ山の竹林 「ガンジ山」 浄通院で伺った話の中に「ガンジ山」に関する面白い話がありました。 「ガンジ山」とは、大清水地蔵から少し南に下った辺り、県道50号「桃山町1」交差点にある竹林一帯の事です。 「桃山町1」交差点には、大浜街道から分岐する道があります。この道は、旧・長草村を経て東海市の古い集落へ向い、「半田街道」と合流する道。 そんな交通の要所となるガンジ山、古くから山賊の現れる物騒な地であったと聞きました。昭和の初め頃まで、子供や女性だけで往来する事は危険で、 必ず男性が迎えに行ったといいます。天保12年(1841)の絵地図には「グハンジ山」と記されていました。

二宮金次郎さんの陰知っていると便利、勉強しましょう!

慈雲山・浄通院 永禄2年(1559)に創建。当初は現在地より北へ約300メートルの場所「字元屋敷」にあった。 宝暦5年(1755)に火災に遭い、現在地へ移転。大府七福神「恵比壽尊天」をまつる。

次回予告です、お楽しみに!

線路へと向かう小道

第27回 「東海道線をジグザグ」

しかしながら、浄通院の方が教えてくれた道では、有松へ行ってしまうことになる。「鳴海ではなく、有松で東海道に至るのでは…」といった説が頭を過ぎるが、大浜街道はやはり「鳴海」を目指さなくてはいけない。文政5年(1825)11月、大浜の藩主であった「水野忠成(みずのただあきら)」は、鳴海より大浜陣屋に立ち寄った。藩主がただ一度だけ領地に来たルートが”鳴海-大浜”なのだ。 再び現・県道50号を北へ。刈谷市郷土資料館蔵の地図を思い出す。大浜街道は東海道線ををジグザグに蛇行…。 「追分町6」の交差点手前に西へ向かう道の入口を2つ見つける。 ■ 第27回 「東海道線をジグザグ」 へ

< text • photo by heboto >


Copyright (c) 2002-2010 heboto All Rights Reserved
このページに関する御意見は【公式ブログ】までお願い致します。