愛知県碧南市 避けては通れぬ道 御先祖様の苦労再現 歩いて大浜街道

旅する大浜街道

第35回 御先祖の苦労を体感する

懐かしき潮の香り 私の故郷が待っている 素晴らしき大浜に感涙する!

作町交差点にて午前6時42分を差す時計

<名鉄三河線「碧南」駅で始発の午前5時38分発の電車に乗り、名鉄本線「鳴海」駅まで向かう。旧東海道「作町」交差点より、今度は”徒歩”で故郷の大浜へとめざす! 街道を行き来した御先祖様達と同じく、頼りになるのは自分の足のみ。さて、無事にたどり着けるのか!> 午前5時38分の始発電車で名鉄・鳴海駅まで向かった。6時42分、大正11年(1922)より街道の起点となった作町交差点をスタート。 ゴールは角谷大十商店隣の大浜中区・稲荷社。 季節は夏、朝からの日差しはきつい。大高・新幹線の壁地点で午前7時42分。 前回、自転車で大浜街道を往来した時、最も辛い区間、大府市・追分を通過する時点で、午前8時42分。 右足に鈍痛を覚えるが、ペースを上げて東浦の開眼寺前に到着した時は、午後9時42分。 鳴海から東浦まで3時間、右足は、もうこの時点でごまかしきれなくなった。

中の稲荷社にて午後3時15分を差す時計

<「必ず大浜に帰ってみせるぞ!」と心に決め、歩行バランスを崩しつつも故郷の大浜へと右足を運んでいく。進む度に悪化していく右足首の状態。次第に雑念が消えていく不思議。最後は無心となり、ただ南の方角へ。遙か向こうから潮の匂い、見えてきた!懐かしきの情景に涙にじむ> 東浦町・森岡の「開眼寺」山門にあるお地蔵さん前で休憩を取る。近くの八百円商店でジュースを買うが、何本飲んでも足らないほど体が乾いてしまっていた。 もう既に意識では限界に達しているが、決意を固めて足を進める。ここから碧南・新川までの記憶が全くない。 ただ無心に、帰りたい一心で足を引きづっていたのだと思う。新川・六軒の時点で午後1時46分を迎えた。 「がんばれ!がんばれ!大浜はあと少し!」と自分に言い聞かせ、大浜を目指す。見覚えのある西方寺・太鼓堂が見えてきた。見渡す先には旧大浜警察署の塔。 一歩一歩足を進める度に、懐かしき潮の香りが濃くなってくる。ああ、素晴らしき私の故郷、大浜! 午後3時15分、無事に大浜へと到着、ありがとう!

ヘボト自画像ヘボトからアドバイス ”大浜街道を走破する”

くるくるバスのバス停 「日頃の行い・こまめに休憩」 今回の大浜街道を徒歩で走破する挑戦は、「9時間27分」も掛かりましたが、何とか成功する事が出来ました。 反省点として後半襲いかかる右足首の激痛、いかに左右均等に体を使って歩く事をせずに生活しているかを今回は痛感しました。 大浜街道に挑戦する方は、まずバランスを重視した歩行をマスターして下さい。また日頃の体力維持も。 そして道中では休憩・水分補給はこまめにしましょう。脱水症状で意識朦朧とする状態が一番危険です。これは無理だと感じたら、すぐ引き返す事が大切です。くれぐれも事故とならぬように気を付けることをお願い致します。

次回予告です、お楽しみに!

安城を通る街道

第36回 『他にもあった!大浜の道』

大浜街道と冠される道はなにも名古屋・鳴海のルートだけではない。 大浜から旧東海道にある安城市「大浜茶屋」への道がある。古来、「山街道」とも呼ばれ、慶長10年(1605)に矢作川が開削され、船による水運が主となるまで、大浜の塩田で作られた「塩」を内陸の信州まで運ぶ道として栄えていた。 もうひとつ、大浜から城下町「岡崎」への道もある。「大浜道」とも呼ばれるが、街道の名としては「岡崎街道」と呼ばれることの方が多い。碧南市内では鷲塚を経由し、その道筋には三河一向一揆の渦中にあった寺院が点在する。一揆側と鎮圧する側が激しく往来したといわれる。棚尾・妙福寺のお地蔵さんが示すのは、この道。東海道・矢作橋の西へと続く。 ■ 第36回 「他にもあった!大浜の道」 へ

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