愛知県碧南市 某国会議員「民主主義を知らない」の言葉に怒髪衝天の碧南市民

碧南市世界戦略案

罵詈讒謗の日々に一票

あの日を忘れないために選挙に行く! 「民主主義」を守る碧南市民として

碧南市庁舎

<碧南市議会の「合併協議会設置案」否決から始まる罵詈讒謗の日々。某国会議員から「民主主義を知らない!」とテレビを通じて罵倒された悔しさを碧南市民は決して忘れない。選挙という選挙はみんな必ず行く。「政治に疎い田舎者」から民主主義を尊ぶ市民として生きる> 旧碧海群であった安城市・刈谷市・高浜市・知立市・碧南市の5市が合併し「碧海市」を誕生させる構想は頓挫した。 平成14年(2002)9月27日の第7回碧南市議会定例会の本会議にて、碧南市議会は合併協議会設置議案を否決した。 ”合併”と熱心に運動を勧めてきた市民団体などは、一気に熱を冷まされる格好となった。 「反対しやがって…」と、次第に始まる碧南市・碧南市民への中傷。 碧南市に対する罵詈讒謗は、合併を推し進めてきた某国会議員からも浴びせられ、「碧南市議は民主主義を知らない!」と全国ネットのテレビ番組から激しく罵倒した。 私達碧南市民が未来を見据えて選んだ碧南市の市会議員達である、この某国会議員の言動には多くの碧南市民が憤慨した。 合併協議会設置議案が否決される以前、碧南市は市民に向けて「合併に関する市政アンケート」を行い、「反対73.1パーセント」(どちらかといえば反対30.7含む)という結果が出ていた。 にもかかわらず、「民主主義を知らない」とは…。あの悔しい日々を決して忘れないよう選挙があれば必ず行こう。驚くような投票率を示して「民主主義とは何かな」と問うてやるのだ。

碧南市民憲章が刻まれた石碑

<「碧南市民憲章」とは何か? 希薄に成りつつあった市民間の繋がりを共通の目的のもとの団結させ、より良いまちづくりを推進するための規範である。5項目からなる碧南市民憲章は昭和49年(1974)4月7日制定された。さあ、誇りある碧南市を取り戻すために碧南市民憲章を唱和しよう> あなたは「碧南市民憲章」を1つでもいえるだろうか? 市内にある主な公園・施設などの片隅にひっそりと石碑に刻まれているだけで、市民生活とは無縁の存在である碧南市民憲章。 そもそも”市民憲章”とは何なのか? 昭和52年(1977)発行の「碧南市民憲章 その心と生いたち」(碧南市民憲章推進協議会)によれば、”一つの自治体に住む住民が、たがいに横のつながりをもって、よい生活を築こうという考えの表明”とある。 つまり、市民共通の規範である。誇りある街づくりをめざし、何人にも侵されぬ市民としての尊厳を確立していこうと奮起させる役割を持つ。 碧南市民憲章は昭和42年(1967)の市政アンケートに始まり、紆余曲折を経て7年後の昭和49年(1974)4月7日の日曜日に制定された。 碧南市民憲章発表会が行われた碧南市文化会館には3000名の市民が集まり、小学生200名によるパレードも催されたという。 ”衣浦港を門戸として…”の前文からはじまり、5つの条文からなる碧南市民憲章に一度関心を寄せてみよう。 愛すべき碧南市に碧南市民として何が出来るか…その答えが碧南市民憲章にはある。

ヘボト自画像ヘボトの「郢書燕説(えいしょえんせつ)」

碧南高校の武道場

「9月27日は○○記念日」

まさに英断である。平成14年(2002)9月27日の午前10時より始まった第7回碧南市議会定例会にて、議案第48号「碧南市・刈谷市・安城市・知立市・高浜市合併協議会の設置について」は否決された。24日に行われた碧南市議会合併協議特別委員会の否決に続いての決断であった。 議員26人中、賛成はわずか3人。刈谷市・知立市・高浜市は先に議会で可決していたこともあり、碧南市議会には精神的な重圧もあったはず。 それでもなお独自の判断を下したことは、「大樹に寄らば…」を常としてきた碧南市に”何か”が芽生えた証ではないだろうか。 これからの道程は決して平坦ではない。それでも「乗り越えてやる!」という気概があればいい。 碧南市議会の決断した「9月27日」は碧南市にとって転換期となった。 遠い未来、この「9月27日」が讃える記念日となるのか、慚愧の記憶となるのかは碧南市民の頑張り次第である。

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