愛知県碧南市 「嗚呼、私の故郷よ!」 世界に誇れる街として碧南市民は団結する

碧南市世界戦略案

誇りある景観を

世界に誇れる街並みは市民に自信を育ませ 社会に貢献する志を生む

花の都フィレンツェ

<培われてきた歴史と文化を背景に統一された様式を頑なに守り抜き形成された欧州の街並み。では今の日本の街並みはどうか? 「秩序なき景観」が地方都市を中心に蔓延し、人の心も荒んでしまった。多発する少年犯罪や凶悪犯罪は”誇りを持てぬ街並み”に原因?> 今や海外旅行など珍しくもない時代。遠い昔には憧れであった欧州も、もはや身近な存在であり、羨望の眼差しは日本近隣のアジア諸国へと移りつつある。 明治維新以来、日本の富国文化発展の師であった欧州に、もう学ぶべき魅力はないのか…。 欧州を訪れるとその街並みに思わずカメラを構えたくなる。例えば、ルネッサンス発祥の地である伊国「Firenze」は、ドーム形屋根を持つ大聖堂を中心に街全体が赤い屋根で統一され、素晴らしい景観を魅せている。 欧州の街の特徴は培われてきた歴史・文化を背景に、その街特有の様式で統一されていること。つまり各街には、それぞれ「色」があるのだ。 私達の住む日本はどうか? 歴史ある寺院の隣に米国風味の簡易住宅や著名建築家の自慰的な建造物が平気で建ち並ぶ。 猥雑で毒々しい看板が道を塞ぎ、見上げる空には電線が走りまくる。 この「秩序なき景観」は、都会よりもむしろ中途な地方都市に現れ、犯罪発生の一因にも成りうるという説を唱える人もいる。

写真展の様子

<自分たちの街がどんな歴史や文化で成り立ってきたかを知ることが第一。碧南市の所蔵する「地図・写真」から読み解く。100年基準の家は大工の魂を呼び戻し、先祖を敬う気持ちを育てるだろう。連鎖する街の景観は人々に自信を与え、世界に羽ばたく逸材を輩出する街となるだろう> ルネッサンスの街「Firenze」が、屋根の赤と建造物の装飾を街の色とするならば、私達の郷土である碧南市内各地区の色はどんなだろうか?  平成16年(2004)2月、碧南市文化会館にて「収蔵品展 地図展」、また平成17年(2005)2月には「写真展」が開催された。 どちらも先人達の培ってきた歴史・文化を垣間見させ、郷土愛を育むに適した内容だった。 こうした企画展が碧南市民に周知されていけば、なかには「私達の代にも何か残さなくては…」との気持ちを持つ人も出てくるだろう。 そこで家である。培われた風土に即した様式、100年基準の家を建てる。それには技術が必要。 塩ビ、合板、コンクリに腐心していた大工の魂は呼び覚まされ、甦った技は連綿と次世代へ継承されていく。 風土に根ざした建築様式は人々の心を動かし、志は新たな家として連鎖していくだろう。 統一された街の景観ができあがる頃には、人々の心には自信が芽生え、可能性を信じて世界へと羽ばたいていく。 「私には素晴らしい故郷がある」の思いを心の支えとして。

ヘボト自画像ヘボトの「郢書燕説(えいしょえんせつ)」

道に咲く花

「無縁仏の集まる公園」

碧海5市のなかで公園の占める面積を比べると碧南市は刈谷市に次いで2位となっている。 確かに街を散策してみれば、すぐに公園が見つかる。 だが、どの公園も同じような構造で面白味がない。そこで私は提案したい。 行き場のなくなった無縁仏の墓石で「無縁仏の集まる公園」を建設するのだ。 核家族化が進んだ昨今では、どこの墓地も無縁仏が増加傾向にある。 墓石は場所を占め、寺院の経営をも圧迫していく。誰も拝まなくなった無縁仏ほど悲しいものはない。 だから無縁仏の墓石を公園の資材として転用する。そのままオブジェとしても、敷石としてもいい。 ”墓石を用いた”という事で全国的にも知名度が上がるだろう。 「罰当たりが!、怖い!」とは、とんでもない。無縁仏といえど、碧南市の礎を築いてきた彼らである。 これから碧南市の未来を築いていこうとする私達に危害を加えるはずもない。 むしろ迷える碧南市民を良き道へと導くだろう。未来への嘱望と過去への感謝が重なり合う公園は、やがて碧南市の誇りに。 墓石に刻まれた名が擦り切れて読めなくなった頃、無縁仏たちはようやく”碧南の土”となる。

< text • photo by heboto >


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