愛知県碧南市 西洋様式の「狛犬」はどこにいるかな? 「八剣神社」を訪ねる

碧南市西端地区へようこそ!

八剣神社 (はっけんじんじゃ)

「狛犬」に見る八剣神社の特異性 入口にある石造物は「オリベスク」か?

西洋風の狛犬

<西洋式甲冑… もはや、これは日本のデザインではない。ドイツの有名なケルンの大聖堂にあっても違和感はまるで無しの外観である。> 見つけたのは八剣神社の社殿横、秋葉神社さん前である。苔むしている状態からも分かるようにひっそりとした場所。 狛犬さんの台座には”獣”の文字。しかも東洋では見られない角度で、角一本が生えている。作られた年代はいつの頃なんだろう? 秋葉神社が八剣神社へと合祀されたのが明治43年(1910)である。この狛犬は、秋葉神社が移転した以降なのか?まさか、それ以前からあったものを何処からか持ってきたのでは…。 だとしたら、これは「オーパーツ(Out Of Place Artifacts)」、すなわち時代考証に合わない遺物だということなのか?! 八剣神社の謎は深まる。

逆光のなか、対の石柱

<坂を上がれば見えてくる。何の記念碑か?旧道をまたぐ神社の東入口には、2つのオベリスクたちが参拝者を待ち構えている> ダラダラと続く坂道を上れば、”敬神・謝徳”と刻まれた文字が見える。何も無いツルッとした石のオベリスクが2つ、東を向いて立っていた。 漂白されたように真っ白な表面。西洋を思わせる縦横の比率。なにより、威風堂々としたその形容。 「オベリスク」とはギリシャ語で”焼き串”の意味を持ち、本来は古代エジプトの太陽神を象徴した石柱。 狛犬さんの謎も含め、「誰かがこの神社に後世に伝えるメッセージを残したと…」と勘ぐってしまう。 ”西端は、西洋との繋がりが古来からあり、石造文化が栄えていた。”鎖国の時代にも密かに受け継がれていた歴史が…”といった仮説は行き過ぎか。

二宮金次郎さんの陰歴史に関するミニ知識

八剣神社(はっけんじんじゃ) 西端の地に移り住んだ杉浦壱岐守義遠の2代目、もしくは3代目のどちらかが、 熱田より八剱宮を勧請した事が始まり。明徳2年(1391)のことである。 その後、元文元年(1736)に現在の地に移転した。かつてはここより、南東の方角にあったようだ。 15世紀以前の西端集落は、今より北方の「権現」・「北山」・「橋上」付近に点在していた。 明治43年(1910)に西端区内にあった熊野社・稲荷社・八幡社・神明社を合祀した。

ヘボト自画像ヘボトの「如是我聞(にょぜがもん)」

雪の降る日、古い建造物

「かつての道」

札木の交差点を北へ、二股の道を右へ行くと、また二股。その左の道はかつての旧道。真っ直ぐ行けば 八剣神社の玉垣へ出る。道幅ギリギリまで建て増しされた古い住宅が並び、その道からつながる細い道へ入り込めば、 よく残っていたなと思わせる長屋門形式の家がまた現れてくる。大浜で見かける豪農の屋敷とは違い、品式ある屋敷。”城はなくとも城下町”と言われる所以である。 また「札木」交差点を中心に東西を走る道は、高浜と米津を結ぶ「高浜道」である。 この道を行けば、西端の地がいかに起伏に富んだ地形であるかを見ることが出来る。北の愛知県中央信用組合・西端支店あたりは、往昔、高浜方面と知立方面との辻であり、そこに建つお地蔵様が当時を物語っている。

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