愛知県碧南市 「新川キネマ」は消えても名は残る 「キネマ通り」を訪ねて

新川東部へようこそ!

キネマ通り

「新川キネマ」が昭和4年(1929)に開館 「キネマ通り」として語り継がれる

<「新川キネマ通り」として新しく発展していく界隈。新しく並木通りが整備され、往年の面影は消されつつある。新川キネマが現役当時の雰囲気を未だ残す一帯が鶴見町にある> 「今では範囲が広くなってしまったが、本当にキネマ通りと呼ばれたのは、この通りだよ」と話す婦人。 水門橋から碧南市民図書館へ行く道は、高機能舗装が敷設され、碧南一美しい並木通りとなった。 外灯には透かした編み目に「キネマ通り」と浮かび上がる仕組みを施し、盛んに「新川キネマ通り」である事を宣言している。 「新川キネマ」とは昭和53年(1978)まで、この地にあった映画館の事。昭和初期に千福から西山に抜ける農道が整備された時、 地区の発展を願って映画館は作られた。千福ポケット広場から北東へ向かう道、和菓子屋、オートバイ屋、八百屋、染め物屋が並ぶ商店街、 これがその農道である。颯爽と歩く並木道とは対照的に、どこか淋しげな雰囲気。だがここが本当のキネマ通りなのである。

<高さ17メートルの鐘塔には、十字架の輝き。千福町の「日本基督教団 碧南支部」は碧南市都市デザイン文化賞を受賞する程の素晴らしい外観を持つ。ハイソサエティな地域へと生まれ変わる千福町を象徴する建造物のひとつである> 羽久手公園から東に向かうと、左手に見えてくる「日本基督教団 碧南支部」の白い十字架。 奥には鉄筋コンクリート2階建て、煉瓦色をした清楚な建物。そして英国で鋳造されたという鐘が天頂に掲げられる、高さ17メートルの鐘塔。 平成14(2002)年度の「第10回 碧南市都市デザイン文化賞」で準大賞を得たというのも頷ける外観である。東海学園大学・生活環境科の教授がデザインした。 信仰深い人々の大切な教会だが、信者でない人でも結婚式を挙げられるというから、相談してみてはいかがだろうか。 日曜礼拝も行われており、広く一般に門戸を開いている。

ヘボト自画像ヘボトの「如是我聞(にょぜがもん)」

「新川キネマ」

キネマ通りの由来となった「新川キネマ」は今は跡形もなく消えている。 水門橋から碧南市民図書館へ抜ける道路上、「いちことこや」(千福町3丁目)の西南にあった。 新川キネマは、昭和4年(1929)に地区の発展に寄与する施設として開館した。 開館した時には、外車のオープンカーに乗り、トランペットを吹いて新川キネマを宣伝したりした。 無声映画の時代で、上映しながら弁士が内容を語り表現するというものだった。 昭和35年(1960)をピークに映画の人気も陰りを見せ始め、昭和53年(1978)、奇しくも棚尾の「三栄座」と同じ年に閉館した。 新川キネマと共に栄えた界隈の店舗も年を追う事に少なくなり、現在は「キネマ通り」という名だけが残り、往時の賑わいを伝えているだけである。

< text • photo by heboto >


Copyright (c) 2002-2007 heboto All Rights Reserved
このページに関する御意見・ご感想は【サイト管理者へメール】までお願い致します。