愛知県碧南市 黄昏時には本当に美しい風景を望める場所 「鼬橋と堀方橋」

新川東部へようこそ!

鼬橋と堀方橋(いたちばし・ほりかたばし)

新川の緩やかな流れを愉しむ二つの橋 伝えられる逸話に歴史を見る

赤い鼬橋

<古名「イタチ穴」から名付けられた橋。新川開削当初から計画された橋の1つ。昭和30年代半ばまで、毎年秋に行われる「鼬穴地蔵」の祭には、訪れた参拝客で橋には人集りが出来た> 新川の中間地点に位置する「鼬橋」。人通り少なく、今や地元の人だけが通る寂しい橋となってしまった。 「イタチ穴」の古名から付けられた鼬橋。天保6年(1835)頃には何故か「猫橋」とも呼ばれた。 新川は「イタチ谷」と「千福谷」を利用して開削された。つまりこの橋のある場所、新川開削竣工の宝永2年(1705)以前は谷だったことになる。 橋の南には「鼬穴地蔵尊」の御堂。昭和4年(1929)にこの地で土管製造を始めた「石橋文吉」さんが近所の人と話し合い祀った地蔵である。 当時、この辺りは家が3軒しかない寂しい土地だった。昭和34年(1959)頃まで毎年秋に地蔵祭で、映画の野外上映が催された。 鼬橋の上は人で埋まり、高くスクリーンを張らなければならぬ程の盛況ぶりだったという。

南から見た堀方橋

<黄昏時に堀方橋から西を臨めば、素晴らしい光景に溜息をつく。橋近くにある和菓子屋の懐かしい雰囲気を楽しむ。新川開削が完了した年には諸説ある。その理由は…堀方橋の由来から読み解く> 旧来は棚尾から千福へと続く道の一部として役割を果たした堀方橋。平成14年(2002)に浜尾橋が出来たことにより、下流の鼬橋と共に静かな余生を送っている。 新川に架かる橋のうちで最も黄昏時に美しい風景が臨めるのがこの堀方橋である。鏡のような川面に小舟が漂い、両岸の家並みが影となり、一枚の絵を描かせる。 橋の南岸には煙草の文字。古くからこの場所で営む菓子店「丸富」の懐かしい雰囲気は心和ませる。 この堀方橋、名の由来は「新川を開削した人夫達の住む小屋があったから」と言われている。 新川は宝永2年(1705)に完成したという説が今日では支持されているが、なかには異を唱える人もいる。 食い違う原因は、完成後に「川幅が計画と違う」とのことで、幕府からやり直しを命じられたから。 小舟でさえ転回出来ぬ程の川幅の狭さに幕府が怒ったらしい。喜びも束の間、工事再開をした人夫達のふて腐れた表情が目に浮かぶ話もである。

ヘボト自画像ヘボトの「如是我聞(にょぜがもん)」

「新川プロムナード」

新川の川辺は車の通りも少なく、散歩するには恰好の立地である遊歩道となっている。 特に東岸の権江橋から鼬橋にかけて、道幅も狭く橋からのアプローチは階段となっている為、 歩行者にとっては安心して散歩を楽しむ事が出来る。権江橋の桜下にあるお地蔵さん、浜尾橋近くにある稲荷神社の階段等、東岸には見所も多い。 近年、西岸の道路も含め、新川岸の一帯を「新川プロムナード」として整備する計画があるようだ。 ”プロムナード”とはフランス語で”散歩、遊歩道”を示す言葉。 粋でお洒落な演出を好む新川の人柄を表す命名である。新川は現在、2つの水門と8つの橋が存在するが、 新たに浜尾橋と権江橋の間に橋を建設する計画があり、実際に工事が始まっている。新しい橋と新川プロムナード、 現在の美しい景観が今後どのように変わるのか、楽しみでもあり心配でもある。

< text • photo by heboto >


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