愛知県碧南市 誰が造ったのか?「き志やにちゆいすべし」のお地蔵さんを訪ねて

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き志やにちゆいすべし

北新川駅南の踏切に大正15年(1926)から 優しげな表情はいつの日も

踏切を見守るお地蔵さん

<「き志やにちゆいすべし」と書かれたお地蔵さんが北新川駅南の踏切に。大正15年(1926)8月という建立年から由緒を想像する。43センチの石柱から一刀彫されたお地蔵さん。やさしい顔をして往来する人々の無事を願っている> 名古屋鉄道・北新川駅の南踏切にお地蔵さんがいる。左右と裏に「き志やにちゆいすべし」の文字が大きく刻まれる。 建立年は大正15年(1926)8月。ちなみに三河鉄道時代の刈谷新(刈谷市駅)~大浜湊(碧南駅)が開通したのが大正3年(1914)。 155センチ角の石垣を持ち、90センチ角の石造り屋根という豪華さ。さらにお地蔵さん本体は43センチ角の石柱から24センチの厚みで一刀彫した素晴らしいものである。 これ程までのお地蔵さんが造られた理由は何だろう。大正15年は大浜湊から猿投間が電化し、南の神谷駅(松木島駅)まで開通した年。 大正末期に新川の駅で電車が脱線し、郵便配達員が死亡したという史実がある。このお地蔵さんはその事故と関係あるのだろうか。謎である。伏し目で微笑むお地蔵さん、裸足がなんとも可愛らしい。いつの日も変わらず、涎掛けの下では両手を合わせる。

足跡のある道

<白い足跡が行ったり来たり…。それもサイズが少し小さいのが謎。一体誰が…? 高校生が近道として利用する道に足跡、そして不可解な標識。まさか夜な夜なお地蔵さんが北新川駅へと歩いたりして…> 「き志やにちゆいすべし」のお地蔵さんは南、踏切のある方角へ向いて立っている。 微笑みを絶やさないお地蔵さんの姿をジッと眺めていると、背後から不審の目を向けてこちらを睨む女子高生達が現れ、俯く気弱な自分に落ち込む。 お地蔵さんと線路の間には道が存在している。最も狭い区間で幅110センチという小さな道だ。 車の通りも無く、駅利用者の近道となっている。その小さな道の路面に奇妙な足跡を見つけた。16の白い裸足が駅の方角へと向かう。 常人とは思えない内股の角度で、しかも小さい。もう一つ不可解なのは、この道の為に指定方向外通行禁止の標識がわざわざ建てられている点だ。 幅110センチでどうやって通れというのか。これらの謎、ぜひ現地へ向かい、解き明かして欲しい。 ちなみにお地蔵さんの足幅は7センチ、しかも裸足なのだが…。

ヘボト自画像ヘボトの「如是我聞(にょぜがもん)」

北新川駅東の通り

「北新川駅周辺の雰囲気」

踏切にある地蔵から、往時西端へと向かった道を進む。北新川駅前から続く商店の並びに目をやる。 碧南市の中にある駅で碧南駅、新川町駅が昭和30年代、40年代の雰囲気を残すなら、 この北新川駅前の雰囲気は明らかに昭和50年代の空気を残している。 パチンコ店やスナック等が醸し出す裏通り的な雰囲気は劇画の世界を思わせ、昔描いた大人になったような気分にさせる。 交差点角にある「ドラゴン理容」は昭和35年(1960)の地図にもハッキリと載っている歴史ある店。 少しドキドキした気分を癒そうと清涼飲料水を探し求める。駅前のコンビニ自販機で500ml、100円のジュースに出合う幸運。

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